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その日のお迎えの時間、一華はドキドキとした。
顔には出さなかったが、やはり「大人」への威勢の裏では母親に対する恐怖が見え隠れしていた。
信じて貰えないかもしれない。
自分が起こした問題の方が、母親の中で大きいかも知れない。
不安は在った。
が、しかし…保育士達は騒動の事を言わなかった。
彼女らも又、保護者との揉め事を避けたかった。
そうすると、一華の方も話をわざわざ上げる気にならない。
机をひっくり返し、騒動を起こした事を知られて一発お見舞いされる事は望まない。
ちらりと保育士達の顔を見た。
一華のクラス担当の2人は、こちらを意図的に見ない様にしているのを感じる。
先生も母を恐れている。
自分の母親を。
口元に笑みが浮かんだ。
ならば今日の事は口に出さない。
いつか…の時に使う。そう、考えた。
大人は時間が経つにつれ「何故その時言わなかったか」を問われるが、子供はどこで何を言おうが責められはしない。
もっと早く言いなさい。と、少々苦言を呈される事があるかないかだ。
何故なら「未熟な者」だからだ。
大人の場合は違う。
仕事上責任ある行動をしなければならない。
しかし、保育士達はそこから逃げた。
そのツケはクラスの主導権を「大人」から「子供」へ。
「保育士」から「宮木一華」へ移動させた。
と、言っても…園内での権力であり、幼児のお遊びで影響力は無いものと同じ。
保育士の言う事を聞かないだの、給食やおやつの時間に量や希望のおやつ名を挙げるだの、文句を言うだけの、大人の世界とは違い可愛らしいモノだった。
保育士からすれば、支配下に置くのと園内の規定内で我がままにさせるのとは、何も変わらない。
物を投げ合って、怪我をされる事だけが担当保育士からしたら面倒臭いだけで、行儀が悪くなろうが馬鹿であろうが…この先の未来に影響があろうがどうでも良かった。
問題を園長に報告した際に、保育士達が言われた事は一つ。
穏便に。
保護者との争いが生まれない様に。
子供達がけがをしてニュースにならない様に。
子供の内面など、一匙も気にかけず、頭の隅にも無い言葉。
最初は「熱心」だった保育士などは転園や転職をし、残ったのは怠惰な老年の保育士が多い。
それに感化された先輩達。
一華のクラス担当も、熱意が冷めるのに時間はかからなかった。
「はい…はい、物は投げないでね」
もう保育士の、子供への視線は宙に浮いている。
先生に構って貰うのが好きな園児がその膝に乗り、満足げに保育士の手を使ってお人形ごっこを行っている。
一華は飽きていた。
子供達からの母親に対する悪口も、自分に対する侮辱も無くなった今、平和過ぎて何もない。
ふと、室内のドアの無い荷物置きに目が行った。
キラキラした物が窓からの光で反射し眩しい。
机の上の描きかけの絵を置いて立ち上がり、側まで来た。
知らないキャラクターのキーホルダー。
触ると手足がプラプラと揺れる。
好みでは無かったが、おもちゃをほぼ与えられない一華からすれば、珍しく動きが面白く思えた。
ブチっ
遊んでいる間に鞄から外れた。
壊れてはいない。
しかし、付け方が分からない。
もたもたしている間に、邪魔くさくなって…そのままポケットへ入れた。
ポケットの中で、手の中のキーホルダーを弄ぶ。
無くなった事に持ち主は気が付くだろうか。
誰か見てはいなかったか。
辺りを見渡したが、鞄の持ち主は後ろを向いているし、他の子は絵を描いたりおもちゃの箱をひっくり返したりと、各々一華を気にも留めていない。
保育士達も例に洩れず、一華を見ていない。
一華はそっとその場から離れた。
夜、家の電話が鳴る度にびくびくと怯えた。
持って帰る気は無かった。
ただ、あれから帰宅まで、ポケットにある事を忘れていた。
一華は自分にそう言い訳する。
本当は、ずっと忘れた事など無い。
絵を描いた紙を片付ける時も、遊具で遊んでる間も、ポケットにあるのを撫でていた。
帰る時、鞄を肩にかける時にすら撫でて、本当の持ち主が気付いてないか横目で見ていた。
帰宅後、ジリジリとなる電話口から、無くなった物の話が出ないか、冷や冷やしている。
祖母も兄も普段通り夕食を食べ、母も普通。
一華だけが、始終気を揉む。
布団に入り、目を閉じる頃…やっと不安を忘れた。




