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「どの色で描こうかー。これかな?それとも…これ?」
保育士はちびたクレヨンを指差していく。
一枚一枚貼られたシールには、一華では無い子の名前が書かれていた。
従兄弟の名、らしい。
元の持ち主は男の子だったのか、赤と青の2色は一欠片も残ってはいない。
「さぁ…」
促す保育士が1番残っている黄色を握らせる。
黄色で人間のどこを描けと言うのか。
仕方なくグリグリと丸を描く。
線で出来た所々はみ出た楕円。
その両端に小さめの楕円。
グリグリグリグリと。
「えー変なのー」
斜め前に居た子供が突如立ち上がり、一華の絵を指差す。
「お母さんかお父さんを描くのにー」
舌足らずながら、口達者な子が同調する。
「なんで黄色?」
「それしか無いからー?」
色の欠けたクレヨンを指摘する。
慌てて保育士が止めに入るが、一人の子が叫んだ。
「びんぼーにん!」
それに伴って大合唱が始まる。
「やめなさい」
騒ぎ始めた園児を、保育士は静止するが聞く事はなく、他のグループの子達まで集まってきた。
「びんぼーって何?」
「わたし、しってるー」
「びんぼー」
「おかね、ないひとー」
口々に騒ぎ立てる。
「ママが言ってた。びんぼーにんに近付いちゃダメってぇ」
「ビンボーは移るの?」
「バイキン!」
二人の保育士はどうにか騒ぎを止めようとするが、子供達は「ビンボーにん」「バイ菌」と声を揃えて喚いた。
と、一華は机の上にある全てを薙ぎ払い、手元のクレヨンを投げ付けた。
…やって、しまった。
一華は後悔した。
投げ付けた事をではなく、投げ付けた事によって、この騒ぎが母親…もしくは父親の耳に入ってしまう。
その事に「失敗した」と思った。
そして運も悪く、投げたクレヨンが向かいの子の目に当たってしまった。
火が付いた様に泣き出した子は、一華を侮辱し騒ぎ始めた張本人だったが、それは言い訳にならない。
物を投げてしまった一華は、部屋の中で「絶対悪」として扱われる。
そして、泣き喚くソイツは…可哀想な被害者に。
ここぞとばかりに大声で泣き、保育士に縋り付く。
その周りを世界一可哀想な者を慰める、善行をする者の様に振舞う園児。
一華に言葉というナイフを翳し振り下ろして来た事は、煙の様に消えていた。
「さ、一華ちゃん、謝って」
保育士は謝罪を促す。
一華は黙って睨みつけた。
「先に嫌なコトされた…」
精一杯の抵抗と主張。
「でも、物を投げちゃダメでしょう?」
善良な顔をして、分かりきった事を言う。
そう、分かりきった事だ。
しかし、何故投げてしまったのか。
そこには配慮しない。
一方的に責められる事に、またムカムカと胸がしてくる。
「ちゃんとしといてや」
母親の言葉が頭に浮かぶ。
「ちゃんと」ってなんだろう。
「ちゃんと」した物も与えられず。
「ちゃんと」した対応もされない。
ならば…「ちゃんと」言おう。
何を言われたのか。
全て…。
泣き喚く園児を抱えた若い保育士に、一歩近寄った。
謝るのかと保育士は気を緩めたが、一華の口からでた言葉は謝罪ではなかった。
「かげで悪口言うな」
保育士の目がぎょっと、大きく見開いた。
「聞こえてたし…今の事も…せんせーが悪口言うてたのも」
もう一人の保育士が、若い後輩を咎める様目で見た。
その視線に気が付いた若い保育士は、首を横に振ろうとして…止まった。
廊下での、先輩達との会話。
「違うの…一華ちゃ…」
「うそつき」
弁解をする間もなく、一華の言葉に口を塞がれた。
「今日の事…全部、おかあさんに言う…」
騒ぎが起きた。
どうせ一華は殴られる。
痛いのは…慣れているとは言えないが、このムカムカした気持ちより、マシだと思えた。
それに…。
いくら外面を取り繕う母親でも、自分への悪口ならどうだろうか。
上手く言える自信は無かったが、悪く言われていた事を伝えれば。
矛先が自分に向かないかも知れない。
幼い頭でそう結論付けた。
要するに、見つからなければ良い。
自分よりも先に「保育士を差し出せば」良いのだ。
押入れで先に見つかった兄の様に。
…今度は、見つからない。




