8
「亜妃?」
背中を撫でる手が止まった。
出会った頃の…亜希の記憶を、思い出していた。と、亜希は身体を起こした。
「そう、でも、もうそろそろ時間よ」
「そんな時間…?」
「準備して」
ベッドから降りた亜希は軽く伸びをし、用意された服に着替える。
男物のスーツ。
「今回は…どれくらいだろう」
「…多分、短くても二か月くらい?」
「そっか。そっちはよろしく」
「えぇ。そっちも」
お互い役目の服を着て、部屋を出た。
隣の部屋は主が居なくなった後も、清潔を保たれている。
ピンクの愛らしさそのまま…当時のままに。
ふっと笑う亜希に、悠衣がどうしたの?と声をかけたが、明言を避けてあしらった。
あの後、悠衣の部屋が白とオレンジ色から、自分の好きな緑の強い青に変わっていたのは驚いたな。と、思い出したのだ。
そう、だから…私は亜希なんだ。
ピンクの部屋では無く、こっちが居心地良いのだから…。
記憶の交じり合った亜希は、自分の好きな物を軸に自分を肯定する。
時折、ピンクの物を選んでしまうのは…『亜依の記憶』は『疑似記憶』のなのだと。
あの頃から変わったモノは多くある。
悠衣の部屋はもちろん、客室も亜希の部屋になり、亜依の部屋は主を失った。
悠衣と勇弥、亜依と祐基の従兄妹同士の婚約は無くなり、今は亜希がどちらの婚約者になるか。が、相談されている。
「大丈夫?」
悠衣が不安そうにする。
しかし、二人にはどうにもできない。
「お母様に…」
頼めば、変えられるかもしれない。と、悠衣言いたかったが、亜希は知って居る。
「無理だよ」
だって、これがお母様の本意なのだから。
亜希を宮本家に連れて来た理由。
それは理由や目的はどうあれ、計らずとも三人共、結果は同じだった。
お母様は姉妹の代わりに。双子は自分達の代わりに。
亜季をあの場所へ。…従兄弟の隣へ。
双子の思惑は半年前に…叶った。一人は死んでしまったが。
今日、お母様の思惑通りに言われた場所へ赴く、男物のスーツに身を固めて。
「どっちかの許嫁?婚約者?どっちでもいいや…その話が上がった時点で行くのは決まるんだから」
そう、双子の願いが叶えば、必然的にお母様の願いも叶う。
「じゃ、俺はもう出るから…宮木亜希として…よろしく」
「えぇ…亜妃…」
玄関先で迎えに来た車へ乗り込むと、扉が閉まり発車する。
後ろに見送っている悠衣が立っているが、一瞥もしなかった。
亜希は亜妃に。
悠衣は亜希に変わる。
あぁ…あの頃は…楽しかったのにな。
目的地に向かう車の中で、過ぎ去った時を思う。
この門を、この家を驚きながら眺めたあの後…毎週のように通った。
一華から逃げる為だった。
「止めよう」と言ったが、亜希は無理やり始まった姉とのセックスが、また始まるのが怖かった。
その為、親や兄が帰らない日に宮本家に来た。
通い始めて一年経った頃だったか。
目を閉じると、ハッキリと思い出す。
従兄弟の勇弥と祐基に会い、大お爺様にお会いした…あの日。
双子の曾祖父である『大お爺様』への祝いの為に、親戚が一堂に会す。
双子二組に亜希。
五人並んだ光景は、男女の五つ子に見えた。
亜依、悠衣、亜季、勇弥、祐基。
グラデーションの様に、変化していく。
女の子らしい、明るい亜依。
理性的な女の子、悠衣。
中性的な自分。
冷静な男の子勇弥。
男の子らしい、やんちゃな祐基。
身長も体型も双子達は同じ。
一つ上の従兄弟達は男女差の所為か、歳が上だからか、亜依達より頭一つ分身長が高い。
その間…真ん中に自分が入る。
叔父様が私達五人を見て、大笑いされていたな…。
豪快な笑い方は祐基に引き継がれていて、二人は笑い方がそっくりだった。
その点、兄の勇弥は落ち着いていて、悠衣とペアになるのも頷けた。
あの時会った親戚の大人達は皆怖く、亜依と悠衣、勇弥と祐基以外の子供達も亜希を遠巻きに見ていた。
遅れて登場した曾祖父は、親戚一同が跪き頭を垂れる中、上座に座った。
もちろん亜希も跪く。
入り浸る様になってから、一通りのマナーや行儀を双子と共に教わった。
曾祖父への接し方だけは特に厳しくされた。
貴族か、御伽噺の王族の様だ。と、その時の亜希は思ったが、上辺だけ見れば感嘆する程の綺麗さも煌びやかさも、蓋を開ければ裏で繰り広げられる足の引っ張り合いや謀略の数々も…。
似たような物だった。
そして『大お爺様の言葉は絶対』が親戚全てに浸透していた。
まるで、洗脳の様に。
その集まりは大お爺様の誕生日祝いだった。
立食形式の会場は乾杯の掛け声で、大人はシャンパンの入ったグラスを、子供はジュースの入ったグラスを上に掲げる。
それに応じる様に大お爺様がグラスを上げた時、事態は変わった。
グラスを取り落した大お爺様が椅子から立ち上がり、一心不乱に走ったのだ。
慌てる大人達を退け、たった一人の子供の前に走る。
そして、顔をよく見る様に両手を頬に合わせ言った。
「おぉ…亜妃…ここに…居たのか…」




