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復讐  作者: 樋口 涼
宮木一華

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30

一華は慌てて手を伸ばした。


母親に見られてはいけない。

兄に知られてはいけない。

祖母に気付かせてはいけない。

父親に…。


ひっくり返った机を盾に、兄が身を縮ませているのを乱暴に掴み剥がそうとする父親の背後、その足元に転がるそれを掴もうと飛び出した瞬間。

強い衝撃を受けた一華の体は、軽く飛んでテレビの置かれた台に激突した。


痛さでうめき声すら上げられず、息が詰まり呼吸が出来なくなり…呻いた。

指先、ほんの僅かな距離。

知らぬキャラクターは踏み壊された。


あぁ…。


目が霞む中、バラバラに手足が割れたキャラクターの向こう側にいる母親と目が合った。


あぁ。…バレた。

青い車のぬいぐるみも。

キラキラしたキーホルダーも。


「一華!」


母親の声が近付いて来るのが分かる。

自分も兄同様、殴られるのだと覚悟した。

体に力が入らず、ふわふわとした「この時」なら、殴られても居たくないのかも知れないと彼女は考え、目を閉じた。


父親の声と母親の声。

それに祖母の声と…テレビから流れる歌。


女性が緩やかに歌う。

言い聞かせるような、諦めの入ったようなメロディーが、何語かは理解していない頭に…ただたた聞き取れる部分だけが耳に入って来る。


父親の声と母親の声。

それに祖母の声と知らない声が加わって、激しい言い合いと物が壊れる音が鳴り響く。

そして…その音の隙間から、流れる声…。


騒々しさが薄れゆく中。

歌だけが一華の耳に残った。


「ケセラ…セラ…」


目を開ければ、自分は酷い目に遭うだろう。

このままずっと目を瞑っていたい。


「ふんふ…ふんふふん…」


周りには聞こえない。

メロディーになるかならないかの音を口ずさむ。


「ケセ…ラ…セラ…」


キーホルダーは壊れた。

クレヨンは折れた。


痛さなのか、苦しさからなのか、涙が溢れた。


ふと、頭に園の二人の顔が浮かび上がった。

自分が奪った物の本当の持ち主。

クレヨンが兄の手によって破壊された事で、一華は自分の物を失う痛みを知った。


自分も兄と同じだ。


そう、思い至った。

新しく買い与えられたとしても、それは新しい物で…自分が思いを向けた物ではない事に。


「ごめ…んなさい」


心の底から申し訳なく思った。

返したくとも、キーホルダーは壊れてしまったし、ぬいぐるみはどこに行ったのか分からない。


「ご…めんな…さい…」


自分が揺れている感覚が止まり、何か硬い物に乗せられている感触がした。

夢なのか現実なのか。どのくらい寝ていたのか、目を開けると外は明るく、真っ白いカーテンに囲まれたベットの上で一華は目覚めた。


宮木家の騒動は近隣にも響き渡り、警察と児童相談所職員が駆け付けた時には、子供二人は意識が無く、母親と祖母は怪我をしていた。

近隣住民が三人がかりで押さえ、父親は逮捕された。


「宮木一華さん」


白い服に厚手のカーディガンを羽織った看護師が、カーテンの間から顔を出した。


「どうですか。気分が悪いとか…有りますか?」


頭と背中が痛い気がしたが、その言葉に首を振る。


「脳震盪を起こしたみたいですので、帰られても様子を見て何かあればまた来てください」


後ろの白衣を着た医師が、母親と共に後ろから入って来るのを見て、一華はビクッとした。

が…荷物を持った母親は一華を見なかった。


「じゃ、気を付けてお帰り下さい」


一華の周りにあった物を片付けながら看護師が言い、医師は会釈をして出て行った。

母親も頭を下げ、荷物を持って外へ行く。

後を追って走る一華には、何も言わない。


沈黙のまま、家まで歩いた。

二人の距離が離れようが、母親の速度は落ちる事は無く、一華は慌てて足を速めては離れを繰り返し、家の前に着いた時には疲れきって居た。


玄関がガラガラと音を立てて開き、吸い込まれる様に母親は姿を消した。


「まっ…」


待ってと言いかけたが、中に父親が居る時のことを考えると、恐怖で足がすくむ。

一華が入る前に、玄関は再度音を立てて閉まる。


そうすると余計に開けるのに勇気がいる。

ドアの取っ手に両手を添えて、引こうとしたが…力が入らない。


途方に暮れていると、何やら焦げ臭いにおいが流れて来た。

小さな庭の方からだった。


恐る恐る覗くと、祖母が小さな焚火をしていた。

封筒の中から紙束を出すと、頻りに投げ入れては掻き寄せる。

一華にはそれが「何」か分かった気がした。

従妹のお姉ちゃんが言っていた。

「写真」だと。


その次の日に包帯姿の兄が家に戻り、また日常が始まった。


ただ、兄は意地悪をしなくなった代わりに一華を避け、一華もまた兄を避けた。

母親は以前より外へ出る時間が多くなり、日に日に化粧と香水が濃くなっている。

祖母は一切写真を撮らなくなり、カメラも売った。

…そして、父親は帰って来なかった。


和雄の卒園式にも、小学校の入学式にも。

亜希が小学校へ入学する年にすら、帰って来なかった。

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