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復讐  作者: 樋口 涼
宮木一華

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31/75

29

三人が家に帰ると、父親は居なかった。

代わりに祖母が亜希を抱いて居間でテレビを見ていた。


「おかえり」

「ただいま帰りました」


疲れた顔で母親は祖母にそう言うと台所へ行く。

一華は鞄を引き摺りながら、自分のおもちゃ箱の横へ吊るした。

和雄は父親の姿を探したが、居ないと分かると見るからにホッとし、鞄をいつもの所へ吊るした。


足元に一華のおもちゃ箱が有り、蹴り上げ破壊したい衝動に駆られたが、祖母も母親も近くにいる為、その二人に分からないくらいに軽く蹴った。

ズズッと箱が動いた。


一華と目が合った気がしたが、一華は目を反らし和雄を無視した。

クレヨンをぐちゃぐちゃにしたのが和雄だと、一華はもう分っている。


もう二度とお兄ちゃんなんて言わないし、呼ばない。

何をされても、口も利くもんか。


一華は硬く決心した。

夕食の時もいつもの兄の横ではなく、祖母を自分と兄の間に置いた。

一華だけでなく母親から事の次第を聞いた祖母は、和雄に対し苦言を呈し大人げなく距離を取った。

和雄は二人の態度を見て、母親の側で保身を計ろうとしたが無駄だった。

母親も和雄を見ない。

同じ食卓にはついているが、和雄は一人きりのように感じた。


亜希の声が時折聞こえるだけで、後はテレビで流れる映画の声だけが居間に流れ、静かな食卓だった。

怒鳴るだろうと…鬼のように怒るだろうと思われた母親も、ただ黙々と飯を食い。

一華と祖母は食べ終わると食器を台所へ持って行き、軽く水で流した後テレビを見ている。


和雄は自分のした事の重さを、少しずつ実感し始めた。

物を壊しただけでなく、一華の信頼を失い、祖母の事も傷付け、母親を自分を無視するまでに怒らせたと。

例え、サンタが母親だったとして、自分は箱だけだったからと一華のクレヨンを壊す意味も、おもちゃ箱を蹴る意味も無かった事に気が付いた。

口に運ぶ箸が重く感じ、喉に米が閊える。


どうしてあんな事をしたんだろう。


そう思っても、後の祭り。

園長が言っていた通り、やった事も壊れた物も、無かった事にはならないし、壊れたままなのだ。

後悔で涙が出て来た。


園にいる間は、父親が怖くて…母親が怖くて震えていた体が、もっと震え出す。

何か大事だったモノが無くなった様な気が、初めて…した。


ごくん。


米が喉を通る感触に息も詰まる。

これが、ずっと続くのは嫌だ。そう和雄は思った。


謝って許して貰わなければ。


無理やり残った飯を飲み込み、片付けた。

一華と祖母に。そして母親に謝らなければ。

急いで居間へ戻ろうとした時、玄関が開いた。


ザリッザリッ


ゆっくりとした、引き摺る様な足音がする。


ザリッザリッザリッザリッ


上がり口付近でその音は止まり、襖が開いた。

父親が帰って来たのだった。


「和雄…お前」


父親の顔は今まで見た事の無いくらい赤くなっていた。

園に呼び出され帰った後から今まで、腹立たしさを紛らわすために呑みに出ていた父親は、酒が回っていた。


逃げる間もなく、和雄は服を摑まれ投げ飛ばされた。

居間と台所を隔てる襖に勢いよくぶつかると、その大きな音に亜希が泣き叫んだ。


机の上に落ちた体を、抱える様に逃げようとしたが、父親はそれを許さずもう一度掴むと、その頬を殴りつけた。

あまりの形相に一華も泣き始め、母親と祖母が止めに入るが止めきれず、女二人空中に投げ飛ばされる。


「じゃかあしいわ!!」


妻と自身の母親を振り払い、暴れる男は最早理性も何も無い。

一華には鬼が暴れている様に見えた。

比喩ではなく、本物の鬼が暴れている。

そう思った。


兄が逃げれば部屋の中の物が落ち、投げられる。

兄が掴れば引き倒され、棚に激突しては物が壊れていく。


地獄。

絵本に出て来た地獄が、目の前にあった。


罰を受ける死者が兄で、罰を科す赤鬼が父親。

祖母や母親が敵う訳がなかった。


一華や和雄の鞄が投げられ、中の連絡帳や持って帰って来た折れたクレヨンが箱から転げ落ち、それを鬼が踏みつけると畳に色の線が出来た。

副担当の大島が直したクレヨンも、巻かれた色紙も体を成さず、ぐしゃぐしゃに剥がれ舞う。


「止め…」


祖母の声が途切れ途切れに聞こえた。


「お父さん!落ち着いて」


母の声も飛ぶ。

ガラスの割れる音が鳴り響き、襖の木枠が割れる。


鬼が一華のおもちゃ箱を蹴った。

中から薄汚れた人形の服や髪の乱れた人形が飛び出した。


「あっ」


一華の目に青い車のぬいぐるみが映る。

隠していたキラキラした知らないキャラクターのキーホルダーが、ボロい服の隙間から零れ落ちて、カラカラと畳の上を回った。

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