17
夕方になると、母親は二人を迎えに来た。
しかし、一度家に戻り二人と亜希を祖母に任せると、園に戻って行った。
帰りに担当保育士と園長が母親に話がある、と伝えた為だった。
「あんた…何かしたんか…」
ジロリと睨む母親に、頻りに首を横に振った。
一華の担当保育士が声をかけたのだから、一華の関係と言うのは分かり切っている。
「帰ったら覚えときや」
そう言って、夕食の準備も早々に家を出た。
祖母はチラリと一華を見、母親が帰ったら一華は酷い目に遭うだろう。と、確信をした様にため息を付いた後、夕食の準備を引き継いで進めた。
「また何で一華は…問題ばかり起こすんかね…」
野菜を切る包丁の音と共に、愚痴が居間に流れてくる。
違うよと、言えれば良かったが…一華は問題を起こしているのは事実だった。
それが、今日バレる…それだけだ。
しかし、一華にとってはバレた方が良いのかも知れない。
一粒の小さな「何か」の…切っ掛けが雪の積もった坂道で転がり始め、雪玉が出来、周りにどんどんと雪を付けながら徐々に膨らんでいく様に、不意に外れたあのキーホルダーを持ち帰ってから、一華の精神内に巣くう毒気も、どんどん膨らみつつあった。
今、割ってしまわないと巨大になった雪玉は、自壊するまで止まらない。
そうならない為に…小さな内に、雪玉も毒気も割って消さなければ。
膨らんだ挙句の果てに周りを巻き込み、取り返しのつかない事になってからでは…遅いのだ。
だが、当人の一華はそんな事を一欠片も考えず、ただただバレた後の「自分」を考え、母親が帰って来る時の恐怖に、部屋の隅でガタガタと震えた。
明日から園に行けないかも知れない。
それ程顔が腫れるか、もしくは外に出る事すら許されない、罰が科されるかだと…今日の夜さえも何が起こるか分からず、心が凍えた。
膝を抱える一華の前に、和雄が立った。
顔をあげる事すらしたくない一華は、影を無視した。
「おい」
声にも顔をあげずに居たかった。
しかし、呼ばれてしまえば無視できない。
無視をすれば…後でキツイ体当たりか、痛い小突きが待って居る。
「なに…」
「お前なにしたん」
顔をあげると、目の前に和雄がポケットに手を突っ込んで立っていた。
母親が居れば平手が飛びそうな態度だ。
「…何も」
「嘘つけ、今日凄い声聞こえてたで」
無表情に話す和雄は父親に似て、嫌な気持ちにさせる。
「…本当に…何にも」
ただ…。と今思っている事を兄に告げる。
優しくなくなって…「一華ちゃん」と呼んでくれていた兄ではなくなったが、慰めてくれる事を期待して。
「もしかしたら…もう行けへんかもしれん」
「どこに?」
「園…皆と会えへん様になるかも」
それを聞いた和雄は、深刻な顔をしている一華に反して…笑顔を浮かべた。
「え、俺も?」
いつから一人称が俺になったのか。
この前までは僕、と言っていたはずなのに。
俺と言いだしてからの兄の笑顔を、一華はこの時初めて見た気がした。
「それは…どうかな」
「え?」
兄の笑顔が消え、真顔になった。
「おにいちゃんだけは行くかも」
「なんで?」
「…一華は…怒られて家から出られへん…かも」
いったい、妹は何をしたんだと、和雄は思った。
「ほんま、何したん」
和雄は何をしたか教えて欲しいと言った。
が、一華は本当の事が言えずにいた。
「何もしてない」
「何もしてへんって、それで出れんようなる訳ない」
速く教えろと、目を見開いた異常な空気を纏った兄が、一華に近付いた。
「本当に…何も…」
母親が帰って来るまでは。
本当の事は、言えない。
「ちっ」
兄が舌打ちをした。
父親が気に入らない事があると良くする舌打ちは、聞くとドキッとして怖くて嫌いだった。
それは兄も同じだったはず。なのに、兄が…自分で舌打ちをした。
驚いて目を見張る一華に、和雄は視線を戻すが、自分が舌打ちをした事に気付いていない様だった。
「俺も…行かんで済むと思ったのに…」
ぼそっと言った表情が、優しかった以前の様な顔つきで、一華は目の前の兄に何かが起きたのだと察した。
「おにいちゃんもなんかあったん?」
痛い所を突かれた様に、和雄の体がビクンと跳ねた。
「なんも…」
無い。と言い切る前に一華の前から下がり、居間にある机へ歩いて行った。
その後ろ姿を、一華は追いかける気は無かった。
不意に亜希の泣き声がして、祖母が台所から離れた。
「和雄、ちょっと火見てて」
無言で祖母と立ち替わり、兄が台所へ行く。
一華は亜希のおしめを変える祖母の背中を眺めながら、兄と距離が出来た事にホッとし、母の帰りを恐れ膝を引き寄せる。
サンタさんへの願いの手紙を園に置き忘れた事を思い出し、願いを変えたいと思った。
明日、私が無事でありますように。
それか…世界が消えて居ますように。
と。




