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朝目覚めると、不安どころか他人の物を勝手に持ち帰った気さえなくなっていた。
むしろ、ポケットから出して自分の数少ないおもちゃが入った箱に入れた時から、元から自分の物であったような気までしていた。
古びた人形と人形の服。
その下にキラキラとしたキーホルダーを隠した。
誰も触らない、自分だけの宝箱に…誰も知らない宝物が増えた気で居た。
いつも通り靴を履き、母の運転する自転車に乗る。
あの日から園の前に挨拶に出ている担当保育士は、一華達に近寄って来ない。
無視はしない。
ただ距離を取り、挨拶だけを交わす。
母親はその事を気には留めていないが、周りは「何かをやらかしたのではないか。」と噂が飛び交っていた。
直接保育士に問う親も居たが、保育士達は共有した情報を漏らさず、何も問題はないと返答するだけ。
母親と離れ、保育士の横を通過する時、口を尖らせ下を向く女児とその母親が保育士と話をしていた。
昨日、キーホルダーを無くした。と。
一華の胸がざわついたが、聞き耳を立てる。
「どこかで落としたんだとは思うんですが…」
親は仕方ないのにといった顔で、子供の背に手を当てながら園に落ちているかも知れない。と、話す。
保育士は見つかれば連絡すると返すが、子供は探して欲しいと繰り返し訴えていた。
親はため息を付き、こんな我がまま言わなかったのにと嘆く。
それを聞いた保育士はギクリとし、クレームを恐れ「気に入っていたんだね」と、子供を擁護した。
「自我が出てくる頃なので…」
園長が後ろから声をかけた。
貫禄のある園長の言葉に、納得した様に頷くと元持ち主の母親は帰って行った。
仕事に行くのだろう。
クラスに全員が揃うと保育士が淡々と事務的な挨拶を済ませ、キーホルダーの話を最後にした。
一華は誰かが自分を言いつけるのではないかと緊張したが、誰も見ていないと言う。
心底安心した彼女は、保育士の見つけたら知らせてねと言う言葉に、鼻で笑った。
キーホルダーは二度と見つからない。
「大事だったのに」
と涙ぐむ、持ち主の女の子の声が、斜め前の四人掛けの机から聞こえる。
「落としたら嫌なモノは持って来ちゃいけないよ」
隣の子が慰めなのか、親から良く言われる言葉なのかを浴びせた。
「誰か拾って持ってったかもよ」
「帰り道ならわからないもん」
三人に言われ、そうかなあと返す。
気落ちした声に罪悪感が芽生えた。
今からでも、明日にでも持って来て返せば…。
「また、買って貰えば?」
「うん…そうする」
その言葉を聞いた瞬間、罪悪感に返そうと思った心がスッと消えた。
代わりに一華の手が服の裾を掴んで、力が入る。
なんだ。
買って貰えるのか。
言えば買い直して貰える彼女と、無くせば買って貰えない。
それ所か、そもそも欲しいとお願いしても買ってさえ貰えない自分との差が明白に思え、嫌になる。
家に帰っておもちゃ箱の中を見る。
昨日と変わらずキーホルダー自体はキラキラとしているが、それが「良いモノ」だと思えなくなっていた。
そして…一番ボロボロの人形の服の中に入れて包み、隠した。
おもちゃ箱の底に。
結局、キーホルダーは道の何処かで落とし、出て来ないと判断されたのか新しい「同じ物」が次の日には鞄にぶら下がっていた。
何日か過ぎた頃、一華はおもちゃ箱のキーホルダーを忘れ、持ち主の女の子も保育士もキーホルダーの事は記憶の中から消えた。
一華はまた、ふとドアの無い荷物置きに目が行った。
青い鞄からはみ出ている赤い車のぬいぐるみ。
所々、染みが付いていて…お世辞にも綺麗とは言い難く、自分が持っている従兄弟のお古と大差がないように感じた。
「汚…」
ぼそっと吐き捨てる。
しかし、その下にも何か見えている気がした。
絵本を片付けに行くフリをして、荷物置き場へ近付いた。
自分の鞄置きの隣…赤い車のぬいぐるみが入っている鞄が置かれている下に、絵本を戻しながら中を覗き込む。
赤い車のぬいぐるみの下。
陰になっていてよくは見えない。
それを見るには車のぬいぐるみを出すしか無く、汚い車を出すのは鞄を開けるしかなかった。
怒られるかもしれない。
でも、あの事があってから皆、優しいし…一華の言う事を聞いてくれる。
鞄の持ち主の男の子をちらりと見た。
その視線に気が付いたのか、男の子が立ち上がって近付いて来た。
「どうしたの?一華ちゃん」
鞄から出ている車を指さす。
「あ、落ちかけてる!」
いそいそと鞄に突っ込もうとする。
「教えてくれてありがとう」
男の子は満面の笑みで礼を言うが、車のぬいぐるみは何かが邪魔をして上手く鞄に入って行かない。
鞄を開けると車の下の物が出て来た。
青い車のぬいぐるみ。
「僕ねー車が好きなんだー」
にこにこと言う。
汚い赤い車と綺麗な青い車。
同じ物の…色違い。




