F先生に影響を受け続けた半生
しいなここみ様「フェイバリット企画」参加作品
子供の頃夢中になった藤子F不二雄先生を、まさかこの歳になるまで神と崇めるとは、当時は予想だにしていなかった。
いや、この歳まで崇められる存在だからこそ神なのだろう。
F先生は私の中で何度も再評価が起きている。再評価と言っても別に評価が下がったことは一度も無い。常に右肩上がりで、最終的には神になった。
(神に対して「評価」なんて上からの言葉を使うのもおこがましいが、説明上のこと故、ご容赦頂きたい)
ファーストコンタクトは定番。子供の頃に夢中になったドラえもんを筆頭にする作品群だ。
思えば、初めて買った漫画も、てんとう虫コミックスのドラえもんの20巻だった。20巻であることに意味はない。当時は田舎の本屋に全巻揃っていることなどなく、置いてあるものを見つけて、ねだって買ってもらったのだ。
私が20巻で、姉が21巻を買った。何度も読み返したので思い入れも深く、この2冊は大人になってから何度も買い直している。
特に地底に基地を作ったり、宇宙に行ったりする話が好きだったな。
次にハマったのが、友達の家の本棚で見つけたキテレツ大百科。
まだアニメ化される前だったので、「F先生にはまだ、こんなに面白い漫画が埋もれているのか!」と衝撃を受けた。
ドラえもんと違い、主人公自ら発明するのが良い。中でも「キテレツ!なんとかして!」と友人から頼られて発明品を作るシーンが好きだった。
カッコイイ!
こんな風に周りから頼られて物を作る人間になりたい!
そう思って、「将来は発明家になる」と言うようになった。その研究課程?でMSXというパソコンでプログラミングを覚え、高校は理系を選択、大学は理学部数学科に進み、最初の就職でプログラマーになった。
リアルとバーチャルの違いはあれ、プログラミングも発明のようなものなので、ある意味夢は叶ったとも言える。
実際、「こんなツール作れない?」と同僚から相談されて社内ツールを作るのが好きだったな。本業の製品開発よりもそっちに夢中になり、怒られたことも随分あった。
だから、キテレツ大百科は自分の進路を決めた作品なのだ。
少し話は戻るが、中学の時に読んだSF短編集には人生観を変えられるレベルで衝撃を受けた。
手にした切っ掛けはなんとなくだ。本屋をフラついていた時に、「征地球論」という辞書みたいな厚さの愛蔵版を見つけたので、話の種ぐらいのつもりで買ってみた。
その表題作で、宇宙人が地球人の文化を色々説明するセリフの中に、次のようなものがある。
『カネだ。価値を具体化した道具だ』
お金は道具の一種であり、それ以上でもそれ以下でもない。その理屈に当時中学生だった自分は妙に納得し、その表現を様々な場面で使うようになった。
いまだに社内研修でも使うし、自作でもパクっていたりする。
他にも語ればキリが無いのだが、このSF短編の面白さは色々な所で語りつくされているので、ここでは省略する。
とにかく、むさぼるように読んで、「カンビュセスの籤」「みどりの守り神」と愛蔵版に次々手を出した。それでも読み足りない。
こういうのをもっと読みたい!
自分でもこういうの書けるようになりたい!
思えばこれが、創作活動をする最初の切欠だったと思う。
時は経ち、先に話したプログラマーとして就職し、数年が経った頃、発明家的な欲求はある程度満たされると、今度は創作の夢が捨てきれず退職をする。そして、漫画や絵本を書いて応募や持ち込みをする生活を半年ほど続けた。
その時に、勉強の為に色々読んでいて気が付いた。
F先生、絵が上手過ぎじゃない?!って。
絵、特に漫画というのは人の動きや構図が難しく、上手さの差が出る所だ。
F先生のキャラは、とにかくよく動く。しかもいろんな構図で動く。そして、ディフォルメキャラが様々な構図で、様々動いているのに頭身が崩れない。
これはとんでもない技量だ。
リアル路線なら、写真など資料を見て描けば、ある程度は描ける。しかし、ディフォルメされたキャラではそれが出来ない。ましてや人間でもなく、動物ですらないネコ型ロボットや、宇宙人を『ディフォルメしたキャラ』だ。これらを頭身やイメージを変えずに動きや構図を変えて描くことがなんと難しいことか。
しかも、1コマに2人以上のキャラクターが、全身で描かれ、背景もしっかり描いてあるようなコマが異様に多い。もちろんキャラクター達は直立不動ではなく、様々なポーズを取っている。これは描いてみると相当難しく、面倒な絵である。
そんな難しいコマが、1コマ1コマ目まぐるしく動きや構図が変わって展開される。
いわば、F先生は難しい絵を描くだけでなく、難しい絵を量産してしまう。しかも難しいことも面倒なことも感じさせずに。
だから、今時の漫画のような派手なコマ割りをしていないのに、引き込まれてしまうのだ。
そして・・・
神のレベルを知れば知るほど気がついてきた・・・
自分は、自分で思っているほど絵は上手くないなって・・・
実際、漫画を持ち込んでも、絵本を持ち込んでも言われた。
「絵の上手い人は山ほどいる。この程度の絵じゃ勝負できない。ただ、ストーリーは悪くないから、この世界でやりたいなら原作者を目指したら?」と。
それで一旦創作の道は諦めた。
なぜなら、当時は原作者の仕事なんてそう多くないし、食えないと思ったから・・・
そして、心機一転、ITとは全然別の業種に再就職し、なんやかんやあって結婚し、子供が出来て、子供がドラえもんに夢中になった。
そこで、子供のコロコロコミックを見て愕然とする。
現代作家と並べても、F先生は遜色ない・・・というか、一番上手いじゃん!
(個人の感想です・・・)
今でもコロコロコミックには巻末にドラえもんが載ってるのだが、別格である。
上で述べたような画力、見やすさ、構成、全てにおいて完璧。
やはり先生は神だった。
そして、忘れていた思いが再燃する。
自分でもこんな話が書けるようになりたいな・・・
ただし、絵は仕事や育児の合間でやるには時間がかかりすぎる。それにプロの編集者の方の意見を頂いたこともあり、自分の能力にも見切りが付いている。
でも、文書だけならスキマ時間で書けるんじゃないか?
もうそれで食わなくていい。仕事は仕事としてやりつつ、ライフワークとして「自分でもこんな話が書けるようになりたい」を目指していくぐらいなら、出来るんじゃないか?
Web上で書けば、携帯からでも執筆や推敲出来るし、自分の生活スタイルに合ってそうだ。
そうして、神に導かれるまま?創作活動を再開したのだった。
了
お読みいただきありがとうございます。
本当はSF短編について、もっと触れたかったんですけどね。。。
とても3000文字では収まらないので断念しました(^^;)
更に言えば絶妙なディフォルメの背景についても語りたいし、ストーリーが味わい深いエスパー魔美についても語りたい。。。