ルルの失踪
ジョニーから話を聞いたその日は特に何も起きなかった。
敢えて言うなら、家に帰宅したらサタンが正座をさせられてルルに説教を受けていたくらいだろうか。
別に珍しい光景でもないので特に気にならなかった。
その日のルルもいつも通りの感じだった。夕ご飯を食べ終えれば、進んで母の家事手伝いをして、サタンと共に入浴をした後は部屋に入ってくつろいでいた。
そう、何も変わらないいつもの姿だった。
俺もその姿に安心したのか、いつも通りに過ごして、少しばかり疲れもあった為か次の日の為に早めに睡眠を取ることにした。
そして、朝であった。
まだ、空も暗い中突然俺の部屋のドアが思いっきり開かれた。
「剣!剣はいるか!」
声の主はサタンだった。
慌てたように入って来たサタンは、流石に時間が時間なだけあっていつもよりかは声を抑えていた。
それでも、俺の安眠を妨害するには十分すぎるほどの声量ではあった。
この女はもう少し、声を抑えるということを覚えた方がいいと思う。
「何だよ…。まだ、いつもの起きる時間より全然早いだろうが。」
俺は眠そうな声でサタンに言う。
側に置いてある時計を見ると、まだ4時前だった。
流石に早すぎる。
俺達の弁当を作るために母が起きるくらいの時間だ。
そんな早い時間に俺を起こして、どうしたというのだろうか。
「ルルが!ルルがいないんだ!」
サタンの顔が泣きそうになっていた。
ここまで動揺した表情を見るのは流石に初めてだ。
それくらい、緊急事態なのだろう。俺も同じように、眠気が一瞬で覚めてしまった。
「いないってどういうことだよ。散歩とかに行ってるわけじゃなくて?」
たまにウルの散歩で早朝に起きて、行くことは知っている。
もしかした、それかもしれないと思った。
「違う!それならウルがいないはずだ。ウルはちゃんとゲージの中にいるし、そもそも行くとしてもパジャマ姿だ。着替えを済ませた状態でいなくなっているのだ。」
サタンが俺の肩を揺すりながら言う。
まだ寝起きで頭がしっかり動いていないのだから、あまり激しく動かさないで欲しい。
そして、サタンが1枚の手紙を俺に見せてきた。
「私の枕元にこれが置いてあった。内容はまだ見ていないが、字の筆跡的にルルが書いたモノだ!」
俺は、サタンから封筒に収められた手紙を受け取る。
封筒には『お姉さまと皆さんへ』と書かれていた。
確かに、これは一大事な予感がする。
俺は、布団から起き上がると服がしまってあるタンスから制服を取り出した。
「皆には連絡してあるの?」
俺はすでに制服姿のサタンに尋ねる。
サタンは頷く。
「もちろんだ。今からリヤドの家に集合だ。そのまま、イギリスに向かう。」
どうやら、俺と同じ考えだったようだ。
状況は分からないが、とりあえず何が起きたかは知る必要がある。
手紙の内容に関しては、全員が揃ってから見る予定なのだろう。
俺は、急いで制服に着替えると軽く歯磨きと顔を洗った。そして、1階で朝ごはんの準備などをしていた母に少しリヤドの家に行かないといけないと言うと、家の外に出た。-
-リヤドの家に到着すると、すでに俺とサタン以外の全員が集合していた。
ルシフェルとクレア、そしてアリスもそこにはいた。
「ルル様がいなくなったってどういうことですか!?」
ルミナが来たばかりのサタンに慌てたように尋ねる。
「落ち着け!私だって状況が分からないのだ。とりあえず、起きた時に残されていたこの手紙を読むぞ。」
サタンはそう言うと、封筒の封を切ると1枚の手書きで書かれていた紙を机の上に乗せた。
広げると、そこには丁寧で整った文字が書かれていた。
「ルル様の文字ですね…。」
ルミナがポツリと言う。
俺もそれに同意するように頷く。
よく見ている、ルルの筆跡だ。まるで書道のお手本に選ばれるかのような見慣れた文字だった。
「時間もないから私が読むぞ。」
サタンが紙を持ち上げると、軽く手紙に目を通した。
『突然の報告で申し訳ありません。いきなりですが、私は今回の縁談を受けようと思います。恐らく、お姉さまは認めないと思いますがこれは私自身が決めたことです。だから、何の連絡もなしに姿を消したことは許してください。これまで、10数年間。こんな私のことを妹として大事に育ててくれてありがとうございます。もし、可能ならば私が結婚をすることについて祝福してくれたら嬉しいです。猪突猛進な性格ももう少し落ち着くといいなと思います。そして、ルミナさんとリヤドへ。同級生ということもあり、随分と長い付き合いになりましたね。ルミナさんは私がいなくても、人と仲良く出来るようにしてください。リヤドも、もう少し愛想がよくなるといいと思いますよ。そして、クレアさんへ。あまりお姉さんのルミナさんをイジメないであげないでくださいね。あまりやりすぎると、怒られてしまいますよ。ルシフェルさんへ。お姉さまやクレアさんと一緒に悪ノリするのは程々に。アリスさんはもう少し、自己主張をしてもいいと思いますよ。クレアさんとも仲良くしてくださいね。そして、最後に剣さんへ。短い間でしたが、とても楽しい日々でした。お姉さまやルミナさんとも仲良くしてくださいね。今まで、皆さんには本当にお世話になりました。急に姿を消したことについて、申し訳なく思っています。さようなら、いつまでもお元気に。
ルルより』
徐々に震えたような声になりながら、サタンが最後まで読み切った。
そして、最後に両端で握っていた紙をグシャっと握りしめた。
この女にしては、よく最後まで我慢出来たなと思った。
途中で破り捨てるかと思っていた。
「…ルル様は結婚を決めたのですか?」
ルミナが状況を理解出来ずに、サタンに尋ねる。
サタンは、紙をクシャクシャと丸めると地面に叩きつけた。
「知らん。私は何も聞いていない。」
そう言うと、机をバンと右手で叩いた。
アリスが余りにもの剣幕に怖がり、ルシフェルの陰で震えていた。
「…行くぞ。こんな所で油を売っている暇はない。すぐにでもウィザード家に行ってお父さまに状況に聞く。」
サタンの目がギラギラと光っていた。
これはもう何を言っても止まらないなと思った。
俺は地面に転がっている手紙を拾い、再び目を通した。
「すぐにでも、って言うけどどうやって行くんだよ。今まで、転移魔術はルルちゃん任せだっただろ?」
俺はサタンに尋ねる。
足元では、ウルが寂しそうにクゥンと鳴いていた。
自分も連れて行けとうるさく吠えていたのでとりあえず連れて来たが、どうしようか。
「安心しろ。もしもの時を想定して、ルシフェルにウィザード家に直接行けるように繋げてもらっている。」
サタンはそう言うと、ルシフェルを見る。
「了解です。今すぐに用意すればよろしいですか?」
ルシフェルはサタンの視線に気づくと、魔法陣を瞬時に足元に出す。
俺達は、サタンに続くようにして魔道具を使い、分身体を作ると魔法陣の中へと入って行った。
眩い光が輝くと、一瞬の内に見慣れたウィザード家に立っていた。
流石は元“始まりの大天使”を自称するだけはある。
恐らく、ここはサタンの部屋だろうか。所々にファンシーな飾りが見える。
サタンは軽く、周りを見渡した。
すぐに、部屋のドアが開くとメイド服姿のゼノヴィアが現れた。
「サタン様、キール様がお呼びです。」
「分かっている。とりあえず、今の状況は?」
どうやら、すでに来ることは伝えていたみたいだ。
コイツにしては行動が早い。
「ウィザード家でも混乱しています。何せ、突然ルル様から手紙が送られたかと思うと結婚すると書かれていましたから。」
キールの部屋へと向かう途中にゼノヴィアが状況を説明する。
どうやら、すでにルルはヴェネーノ家にいるらしい。
相手側に娘を奪われてしまった状態なので、キールとしてもどう対処すべきか迷っているらしい。
加えて、誘拐といった話ではなくルルが自らの意志で行ったことだ。返して欲しいと言っても拒絶されてしまえばそれで終わりという完全に積んだ状態らしい。
「お父さま!お母さま!ただいま戻りました!」
サタンがバンとドアを開ける。正面の机にはキールが座っており、サタンの母であるミラが憔悴した顔で側に立っていた。
「来たか。まあ、お前から連絡来たすぐ後にこの手紙が来た。正直、こちらとしては何も出来ない状況だ…。」
キールがサタンに手紙を渡す。
俺は横からその手紙を見た。
正直、英語で書かれていて何も読めない。
「ヴェネーノ家にはルルのことについてもう言っているのですか?」
手紙に軽く目を通したサタンが尋ねる。
「一応はな。だが、ルルの意志だの一辺倒だ。正直、こちらとしては手の出しようがない。」
頭を抱えたキールがサタンに答える。
サタンはギリっと歯ぎしりをするような音を出していた。
すると、ノックをする音が聞こえるとゼノヴィアが入ってきた。隣には以前会ったことがあるルルの部下のルーシーと呼んでいた少女がいた。
「ルーシーを連れて来ました。」
ゼノヴィアはそう言うと、軽くお辞儀をして部屋から出て行った。
ルーシーが緊張しているかのような顔で立っていた。
「すまない、突然呼んで。ルルについて聞きたいことがあるのだ。」
キールはルーシーに言う。
恐らく、今回のルルが結婚を決めた理由を聞こうとしているのだろう。
そして、俺はすでにそれを何となく分かっている。
恐らく、昨日のジョニーとの会話で出てきた孤児院の件が関係している気がする。
孤児院については、ルーシーも関わっているので恐らく知っているのだろう。
「申し訳ございません。ルル様から言うなと固く言われていまして…。」
ルーシーはそう言うと、俯いた。
ミラがルーシーを見た後に、サタンの方に視線を向ける。
「ずっとこの状態なの…。別に怒らないし何も責任に問うこともないから教えて欲しいんだけどね…。」
部屋にいる全員の視線を一身に受けるルーシーがそこにはいた。
俺はため息をついた。
サタンのことだ、無理やりにでも言わせようとするだろう。
正直、この際だから言った方がいいと思った。俺が言う分なら、ルーシーがルルに怒られることはないだろう。
まあ、その怒るルルはもうこの場にいないのだが…。
「孤児院の件で脅されていたらしいよ。」
俺はサタンに言う。ルーシーはどうしてそれを知っているのだ、という表情をしていた。
「昨日、ジョニーって人がお前とルルちゃんがいなくなった後に教えてくれた。」
その瞬間だった。サタンが俺の胸倉を掴んだ。
「どうしてそれを昨日の時点で言わなかった!」
顔を真っ赤に紅潮させたサタンが俺に怒鳴った。
俺は落ち着いた表情で、サタンに答えた。
「言うなって言われたからな。ただ、本人がもういないのなら言ってもいいかなって思っただけだよ。」
正直、遅かれ早かれこうなっていたと思う。
俺が昨日の時点で言ったところでそれは変わらなかったと思う。
「ルーシー。剣を連れて孤児院に向かってくれ。事情を聞いて来て欲しい。」
サタンは俺の胸倉から手を離すと、俺を睨みつけてきた。
「私は、今からヴェネーノ家にお父さまの許可証を貰った上で交渉に行く。剣。これは命令だ。ちゃんと事情を聞いて、私に教えろ。いいな?」
サタンはそう言うと、リヤドについて来い、と言うと部屋から出て行った。
命令って別に俺はお前の部下になったつもりなんてないんだけどな。
俺はそう思うと、大きくため息をついた。




