2話
「おや、聞こえてないのかね。それとももう死んだか?」
軟弱な生き物だ、と禍津日神はせせら笑った。
「兄様、しっかり……!」
兄を抱きとめた美子の掌は赤色に染まっていた。絶えず流れ出てくる血液に美子は青ざめた。
「み……こ……」
尊は声を振り絞り、美子の手を弱く握った。
「あめ、の、はばきり、を持って、逃げろ……!」
深手を負いながらも、尊は美子と自身の役目のことを考えていた。その瞳は今にも閉じそうではあるが、まだ光は捨てていない。
兄のそんな姿を見ても、美子はその場を立ち去らなかった。
「……嫌だ」
「みこ……」
「兄様を置いて行けない!」
キッ、と頭上に居る禍津日神を睨んだ。
「ほう」
それに対し、禍津日神は小動物のように美子を見た。
美子の頭の中は混濁していた。自分を庇い深手を負った兄。その兄に怪我を負わせた、目の前に居る人ではない、何か。周りの悲鳴や肉を斬る音。刃が擦れ、断末魔が轟き、血生臭さや焦げ臭い匂いが立ち込める。巫女の衣装がちらほらと舞うが、最初の時と比べると数が少ない。もう既に戦線離脱した巫女達が居るのだ。これでは時間の問題だろう。
「小娘一人でわらわを倒せるとでも?」
まるで邪神だと美子は思った。それと同時にあざ笑う禍津日神に怒りや恐怖を感じた。
禍々しい気配と堂々とした佇まい。人を恐怖で支配する厳格さ。
勝てない、と本能的に思い知らされる。
だが、ここで立ち向かわなければ兄はどうなるか。美子は自分が立ち向かうべき試練に歩みを進めた。
「当然でしょ。私は兄様の妹よ」
刀を構えた掌が小さく震えた。恐怖心を押し殺そうと唇と嚙み締める。
「ほう。こやつの妹か」
品定めをするような眼差しであった。それに負けじと美子はまた睨み返した。
「威勢のいいことだな」
邪神は嫌らしい笑みを浮かべた。
「だが、これで終わりじゃ」
禍津日神が袖を一振り仰いだ。すると再び熱が籠り、太陽の光が激しく照らし出す。
そして美子は気が付かぬ間に、自身の胴を貫かれていた。
「かはっ……!」
そのまま床に倒れ込む。上手く力の入らない手で腹をさすれば、血液がどくどくと流れ出ていた。
「げほっ……ごほっ……」
口から血反吐を吐く。生温かい血が頬を汚し、視覚と聴覚がぼやける。ゆっくりと意識が切り離されていく。
「人間よ、聞こえるか」
ふと、何者かが美子に語りかけた。
「え……?」
意識が朦朧とする中、美子にはその声だけがはっきりと聞こえた。
「我は天羽々斬」
天羽々斬と名乗る何者かの声が、美子の脳内に語り掛ける。
「剣の魂を解放しろ」
その言葉に導かれるように、美子自身の血液で朱印を描く。すると朱印が光ると同時に、古い布に巻かれた光輝く剣が現れた。
美子が剣を握りしめると、突如として突風が吹く。風に包まれ、いつの間にか服は巫女装束に変わった。頭にある冠には鏡の装飾があり、首には勾玉の首飾りが掛けられていた。
「なに、これ……?」
いつの間にか変わっていた装いに美子は動揺した。だが、兄を助けるため、天羽々斬を守るため、美子は立ち上がる。光を全身に纏い、天羽々斬を正面に構えた。
「はっ!」
美子が剣を一振りすると、光の奔流が禍津日神を貫いた。光は膨れ上がり、やがて爆発する。
「素晴らしい。これが天羽々斬の解放せし真なる力か……」
その声を聞いたと同時に、美子は意識を手放した。
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「……ん」
美子は目を覚ますと、どこか暗い部屋に居た。何も無い簡素な部屋だ。意識が覚醒した美子は、体に違和感を感じ始めた。
「えっ、なにこれ!?」
手首や足を、縄で拘束されていたのである。美子は縄を解こうと動き回るが、固く食い込んだ縄に皮膚を痛められて終わるだけであった。
「誰か助けて!」
その声は虚しく、部屋の中でこだまするだけであった。






