第2話 麻里亜の朝
月村麻里亜(52)の朝は早かった。
それもそのはずである。麻里亜は長年修道院でシスターとして働いていた。4時に起き、聖書を読み、祈りを捧げ、シスター達と礼拝し、農作業や菓子作りに励んだ。
麻里亜がいた所はフランスの修道院でカトリック異端として弾圧されている宗派でもあった。聖書のみを論拠とし、神様意外の特定の人物を崇拝しない。
プロテスタントというわけでもない。プロテスタントは資本主義、お金儲けを肯定している。むしろ、資本主義を推し進めていたのがプロテスタントだった。聖書には金を追い求めろとは書いていない。それとは逆の考えだ。富んでいるものは、貧しいものに分け与えなければならない。
この宗派はカトリックから異端扱いされ、迫害されていた。他の宗派から支援、擁護などもなく、ついに過激派に修道院が襲撃され日本に逃げてきたというわけである。
そんな麻里亜は、仕方なく妹の月子の家に身を寄せていた。他に身寄りもないし、お互い高齢独女の身。
麻里亜としては妹の月子とも仲良くしたいと考えていた。
「月ちゃん、おはよう! お弁当と朝食ができてるよ!」
麻里亜は料理は嫌いでは無い。修道院では無添加無農薬のヘルシーな料理をよく作っていた。久々に日本の添加物まみれに料理を食べたらお腹を壊した。やっぱりシスター歴が長く、色々と世の中にあるものがわからない。実際、麻里亜は月子に浮世離れ、不思議ちゃんと呼ばれる事が多かった。
今日もポムポムプリンのジャージを着ていた。修道着意外の服がよくわからない麻里亜は、ドンキホーテというお店で適当に買った服がこれだった。見た目も50過ぎには見えず30代ぐらいに見える。長年修道院で質素な生活をしていたためか、肌も髪もすこぶる健康だった。一応病院で検査も受けたが、医者がびっくりするぐらい健康だった。月子が持っている美容機器によると、肌年齢も28歳。実年齢の半分ぐらいだった。
そんな麻里亜に月子はジェラシーのようなものを感じているみたいだった。月子はスキンケアや美容に金をかけている割に効果がない。
姉妹といっても長年離れて生活していた為、仲良しでもない。麻里亜は月子の事が大好きなのにもどかしい。
そんな月子を理解する為に何でもしたいとは考えていた。できるだけ世俗的な事も否定せず、料理も率先してやっていた。
今日の朝ごはんは、トマトとレタスのサラダと、トーストにじゃがいものポタージュだ。
トーストに塗るジャムは日本の修道院で買った柚子ジャムだ。
麻里亜は日本での修道院を探しているが、なかなかピッタリな場所がない。色んな修道院を見学し、その過程でお土産で買ってきたジャムだった。修道院ではこうしたシスター手作りのジャムやクッキーなどが販売されている。値段は少し高いが、パッケージも可愛らしいのが多く、何より無添加・無農薬で子供にも安心して食べさせられる。
ちなみに弁当はハンバーグとおにぎりメインで、ガッツリ系だ。月子は研究職でいわゆるキャリアウーマンだ。昼は豪華にした方が喜ばれると思った。
「ふーん、眠い。朝ごはん食べる気力がないわ」
「そんな事言わないでよ、月ちゃん。一緒に朝ごはんを食べましょうよ」
月子は、まだ眠そうだった。やる気のない顔でトーストを齧っていた。一方麻里亜は長々と食前のお祈りをしてようやく朝食を食べ始めた。
「それって何か意味あるの?」
「食前のお祈り? あるわよ。神様に日々の恵みを感謝するのよ」
麻里亜はキラキラとした目で語っていたが、月子に反応は鈍い。月子は一般的な日本人で、キリスト教のキの字もない。
「スーパーの野菜じゃん。そんなどこにでも売ってるパンだし、感謝する必要ある?」
「あるわよ」
「ふーん」
会話は全く盛り上がらなかって。元々月子は麻里亜を何となく苦手に思っているところもあり、こうして一緒に食事をとっても、会話が続かない。
「私はこのタワーマンションで暮らせている事に感謝だわ」
「そう? 私はこのマンションを初めて見た時びっくりした。バベルの塔じゃないかと思った」
月子達が住んでいるマンションは都内にあるタワーマンションの最上階だった。眺めも抜群で、広さも十分だ。コンシェルジュもいて、カフェや図書室、筋トレジムつきだ。
長年修道院で浮世離れた生活をしてきた麻里亜は、最初は腰を抜かしそうになった。まさに聖書で書かれているバベルの塔に見えた。
バベルの塔は神様に反抗する悪魔崇拝者達が立てた大きな塔だ。しかし、神様がこれに怒り、人々が悪い思いで一団結しないように言語をバラバラにしてしまった。この話はとても有名で、海外ドラマでは話が噛み合わない人に遭遇すると「バベルの塔だわ」といったセリフが流れたりする。麻里亜は世俗的なものを研究するため、海外ドラマを毎日見ていた。こんな形でも聖書の話が隠れてあると嬉しくなるものだ。
最初はバベルの塔に見えたタワーマンション。神様が怒らないよう毎日祈っていた。しかし、再び言語をバラバラにされる気配はなく、何より生活が快適だったので、すっかり慣れていた。特に家にあるジャグジー風呂やサウナは麻里亜にお気に入りだった。それに居候の身では住めるだけで感謝だ。Thanks GOD!
「ところで月子ちゃんは海外ドラマ何ハマってる?」
麻里亜は、月子と話題を合わせるためにこんな事を言った。麻里亜は海外ドラマは履修して頑張っている。これで話が合わせられると思った。
「海外ドラマはもう飽きた。今はネット小説とかゲームや漫画が好き」
「え、ネット小説? ゲーム? どういうの?」
麻里亜は、こんな事を聞いたのは初耳だったので目を丸くした。
「いいじゃない。ところで今日は修道院探しに行くの?」
「今日はお休みする。行く予定だった修道院の神父さんがコロナにかかったみたいで」
ここ数日は、北海道や長崎などの出向き修道院を探していたが、今回行く予定だったところはキャンセルになってしまった。麻里亜にとっては理想的な修道院はなかなかない。また日本でダメだったら海外の修道院も探そうとも思っていた。
「ふーん。じゃ、私は仕事だから」
月子は弁当を持って仕事に出掛けてしまった。
「月ちゃん、お仕事頑張ってね!」
笑顔で見送ったが、月子の表情はどことなく不機嫌だった。