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4.その価値は

その男は先触れなしにやってきた。対応した執事によれば、王立薬学院の関係者だと言う。

胸にはブローチなし。

ブローチなしといえば、下っ端よりさらに下の雑用や使い走りの者たちである。

薬学院関係者と聞いて一度は色めきだった伯爵だったが、明らかに低位のものと判断すると途端にやる気が萎えてしまった。

せいぜい部屋で待つと良い。どうせ何の権限もないのだ。多少待たせたところで問題などない。


準備にたっぷりと時間をかけて、伯爵は横柄に執務室へ入った。

フードを被った男は、体つきや姿勢からしてまだ若いらしい。

優雅に一礼すると「突然の訪問、誠に申し訳ございません」と慇懃に述べた。


「まったく。先触れなしとはどういうことですかな。私は忙しい身なんだがね」

どかっと座ると、輪をかけて横柄な態度をとる。

それを見た客人は小さく微笑んで見えた。

「お忙しい卿のお時間をとらせては申し訳ありませんから、本題に入らせていただきます」

そういって男はフードをとる。

中から現れたのは、日の光を受けて艶やかに光る黒髪。おとぎ話の夜闇のような深い深い紫の目を持つ美青年だった。

あまりの美しさに一瞬たじろいだ伯爵だったが、すぐにまた偉そうな態度になる。

「して、御用とは?」

「まずは私の素性から。先ほど薬学院から来たとお伝えしましたが、本日は薬学院の者としての用事ではありません」

何事かと反論しようとする伯爵を目で制した若者は言葉を続ける。


「ご見識深い卿のことですがから、説明は不要と存じますが」と慇懃に前置きを挟むと、気を良くした伯爵は話すのを許容したようだ。

「現在薬学院では、隣国の研究者を『交流』の目的で数名受け入れております」

「そんなこと知っている。とはいえ、薬学の発展が遅い隣国の研究者が『学び』のために来ているようだと聞くがな」

伯爵が馬鹿にしたように鼻をならすと、男は苦笑した。

「えぇ、全くもってその通りです。私はその『学び』に来た研究者の一人なのですが、この国の薬学の発展は目覚ましいものがあります」

「そうだろう。で、本題はなんだね?わざわざ我が国の薬学を褒めに来たわけではあるまい?」

「失礼いたしました。先日、研究所でご息女をお見掛けしましたが大変に聡明なご令嬢ですね。兄弟国である我が国にもああいった人材が集まれば良いのですが」


兄弟国。

それはここベラトニアと隣国ロワトニアの二国を指して使う言葉である。

かつてこの二国は大変広いひとつの国であった。

聡明な王には、王に負けるとも劣らない聡明な息子が二人いた。

いよいよ王が自らの跡継ぎを考えたとき、どちらの息子に王位を譲るか大変悩んだ。

息子たちも、自身のせいで継承者争いが起こるのは本意ではないとし、自らの部下にもどちらかを無理に担ぎ上げることのないようきつく厳命した。


家臣もよくこの命を守り、後継者争いは一切起きなかったと言う。

王は息子たちの判断や家臣たちの忠義にいたく感動され、国を分けて息子をそれぞれの王とした。

本来、国を分けるなど不和のもとになりそうなものであるが、賢い息子たちは王の意図をよく理解し、思いやりを持って隣国と交流したのである。

賢く仲睦まじい二人の王に親しみを込めて、民たちはこの二国を「兄弟国」と呼んだ。


というのが、この二国の成り立ちであるが兄弟王が在位していたのは、はるか昔。

今は争いはないものの、それぞれの国が好きに内政を行いそれぞれの形で発展していった。

貴族が多く、税収が豊かなベラトニアは貧富の差はあるが豊かな国となった。

反して、隣国ロワトニアは貴族が少なく貧富の差もない分、薬学など新しい分野の発展はやや遅れていた。

伯爵が客人を見下しているのには、こういった背景がある。

ましてや彼は、その『すすんだ薬学』を支える薬師の家系というプライドもあるだろう。

しかし、先日その由緒正しい家から輩出された研究員の話が上がると、伯爵は目の色を変えた。


「娘を隣国に?まさか。そんなことなどあり得ませんよ」

「えぇ、そうでしょうとも。ペスカ嬢はこの国を将来支える大切な未来の宝だ」

娘を褒められた伯爵は嬉しそうに鼻の孔を膨らませる。笑顔のままの若者はそのまま続けた。

「我が国では、そもそも薬学に携わる人材が少ない。畑を満足に維持するだけの人手もないのです」

「そんなもの、庭師でもなんでも雇えば良いだろう」

下手に出る若者にすっかり気を良くした伯爵は、いつの間にやら口調も変わっている。

年齢、位、出自、そのすべてで彼を見下していた。

「そうですね。卿もご存じの通り、実際に薬草栽培の経験がある者とない者では雲泥の差です。この国でせめてそういった文化に触れたことのある人材を、是非我が国にと思っているのですが……」

すうっと男は目を細める。紫色の瞳がさらに深みを増したように見えた。

「そこで……。こちらにはもう一人、ご息女がいらっしゃいますね?あぁ、隠さなくても結構ですよ。貴族の、ましてや伯爵家のご息女など調べればすぐ分かります」

にっこりと笑ってはいるが、有無を言わせぬ様子である。

伯爵はどうしたものかと警戒の色を強めるが、男は構わず話を進める。

「そのご息女にぜひ我が国へ来ていただこうと思うのです。薬学で高名なフォルド家のご令嬢とあれば、薬学の知識が全くないわけではないでしょう?」

「い、いや……。あの子は出来が悪くてね。姉の真似をしてやってみても、小さい頃から薬学はからっきしなのだ」

口から出まかせを並べる。

多少汗をかいているようだが、さすが口八丁でここまで渡ってきた伯爵は動揺を隠して嘘をつき通した。


「本人もそこまで興味を持っていないようだったし、苦手なものを無理やり習わせては可哀そうだろう?だからきちんとした薬学の教育はしておらんのだ。そんな子が乞われたとはいえ、隣国で薬学の仕事に就いてもお役に立てないと思うのだが?」

「そうですか。伯爵はそんなにもご息女を可愛がっていらっしゃる。でも、お屋敷でもあまり見ないと伺いますが?」

「か、可愛がってはいたよ。でも、あの子が私たちの愛情を拒むのだ。出来も悪く、愛想もなく、何もできない。本当に何をやらせても出来ないのだ、あいつは。今は下働きの真似事で精一杯になるような子なんだ。だからきっと役には立たないと……」

ここで貴重な働き手を手放すのは惜しい。その一心で先ほどとは打って変わって、リーラを貶める。

役立たずなことが伝われば、この変人もそこまでリーラのことを欲しがるまい。まるで伯爵の心の(うち)がすけるような嘘だった。


「あぁ。説明不足で大変申し訳ござません。本当に、下働きのようなものなのです。畑の番だけできるような方であれば、それで」

「し、しかし……」

「もちろん無料(ただ)で、とは申しません」

男が声を落とすと、伯爵は途端に前のめりとなった。頭の中で計算しているのが良くわかる。

あんな便利な娘を手放すのは惜しい。

惜しいが、ペスカが研究員となって多額の俸給が家に入る今、値段によってはリーラを売っても良いかもしれない。

「そ、そんな娘を売るような真似など……」

「私は国の方から人材を探してくるように仰せつかっております。何もご息女を売っていただくのではありません。卿に推薦いただいき、我が国へ来ていただくのです。もちろん、ご推薦いただいた卿には十分な『お礼』をしなくては」

先ほどまで穏やかな笑みを浮かべていた青年は、少し意地の悪い顔になる。

伯爵は今にも了承しそうな勢いであるが、金額が分からないことには簡単に返事ができない。

渋れば渋るだけ、金額が上がるかもしれない。

「『お礼』としては、これくらいで十分かと」

青年が懐から差し出した用紙には、伯爵家の規模が普通に暮らしても半年はもつ金額が書かれている。

思わずその用紙を掴んだ伯爵は食い入るように見つめる。

いまは頭の中で天秤が傾いているのだろう。


「あぁ、そうそう。由緒正しい伯爵家のご息女を『買った』と思われるのは外聞が悪いでしょう。来ていただくご令嬢も、仕事がありますし簡単には帰っていただくことも難しいかもしれません。大変心苦しくはありますが、この書類にサインを頂ければ追加でこの金額を出しても良いと……」

さらり、とさらにもう一枚の書類が出てくる。

そこにはリーラを伯爵家の人間とは認めないこと、さらに先ほどの倍の金額が記入されていた。

つまり、伯爵家規模が一年半暮らせる金額である。

そしてこの用紙は「リーラを勘当しろ」とあっさり書かれているのだった。

「親子の縁を金銭で買うようで大変心苦しいのですが、伯爵家の皆様のご心中を察するとやはり額で誠意を見せるべきと私たちは考えまして……」

こんな金額をポンと出すこの青年は何者なのか、そもそも人とはこの値段で適正なのか、親子の縁を金で売ることがあって良いのか……。

そんな疑問は伯爵の頭の中にはもうない。


穀潰しの厄介払いが出来る上に、こんな金額が手に入るなんて!


畑の管理はこの金で雇った庭師にでもやらせれば良い。

多少の金は出ていくが、入る金額を考えれば大した額ではない。王城へ納める薬くらい自分でも作成できる。

ペスカが研究員となった今、作り手の不足を訴えて数を減らすか免除を願うことも出来るだろう。なんて素晴らしいのだろう。あの役立たずにこんな利用価値があったとは!


「ふむ……。そこまで乞われれば仕方があるまい。あの子も知らない土地で学ぶ楽しさがあるだろう」

「ご理解いただけで何よりです。伯爵家の皆様にはお辛いでしょうが……」

心にもないことを言いながら、ペンを持ってくるよう伝える伯爵を見ながら、青年は薄く笑っていた。




「では、確かにお預かりいたします。こちらは卿のお辛いご決断に対するお見舞いです。お受け取り下さい」

消して軽くはない革袋を机に置くと、チャリと硬貨が擦れる音がする。

「なるべく早く出立したいのですが、どれくらいお時間がかかるでしょう?」

「え?あぁ、すぐにでも構わんよ。あの子は持ち物が少ないんだ。そ、そう、その、私たちが与えてもすぐ壊したりなくしたりするのでな」

舌なめずりせんばかりで革袋を見ながら伯爵は言う。男は大仰に悲しそうな顔をして言った。

「それはそれは……。今まで大変なご苦労があったのですね。では、明日お迎えに参ります。ご家族のお別れの時間が少なくなってしまい、大変心苦しいのですが……」

「あの子は私たちを疎んじているからな。本人もせいせいするだろう」

まったく真逆のことを言いながら、せいせいした顔している伯爵はチラチラと革袋へ目線を向けている。

早くその中身の色と枚数を数えたいのだろう。

「そうですか。では、本日中に『お礼』は運ばせます」

一礼して立ち去ろうとする青年に、伯爵は今思い出したとでも言うように声をかけた。

「そういえば、お名前を聞いていなかったような気がするが」


「大変失礼致しました。私はラウロと申します。ご無礼をお許しください」


深く頭を下げた青年に「なんだ家名も名乗れない平民か。そんな平民にこんな取引をさせるなど、隣国はよっぽど人手不足らしい」と伯爵は内心ほくそ笑む。



果たして、その平民の男が置いていった革袋にはその身分には釣り合わないほどの額の硬貨が入っていた。

上機嫌の伯爵が娘と妻を呼び寄せ、ことの顛末を話して聞かせる。

始めは召使がいなくなることに不満を漏らした二人だったが、伯爵が見せた硬貨の山と提示された金額を聞くと、手のひらを返したように喜んだのは言うまでもない。




その日の夜遅く。

リーラは父親に書斎へ呼び出された。


「隣国で薬草管理の手伝いを探している者がいる。お前はそこで働け」

突然のことに戸惑いつつも、薬草管理の仕事ができると内心喜んだのもつかの間「お前は明日から伯爵家の人間ではない」と告げられ、顔面蒼白となった。


隣国という見知らぬ地で働くうえに、下働きのような仕事だという。

薬草に関わることが好きなお前は嬉しくとも、そんな下賤のものが就く仕事に娘を行かせたとあっては伯爵家の名に傷がつく。

せめて縁を切ることで、お前はこの家に恩を返せ、と伯爵はいつものように冷たい声で告げた。

さすがにリーラも、慣れ親しんだ土地を離れ、ましてや勘当ともなると躊躇する。薬作りや屋敷の仕事などを今まで以上にすると懇願もした。


しかし、続く父親の言葉に彼女の心は完全に打ち砕かれたのだ。

「厄介者のお荷物をここまで養ってやったんだぞ。感謝してほしいくらいだ。お前の母親が死んだ時に、救護院に入れるのを思いとどまってやったのだ。最後くらい私のためになることをしろ」

もうリーラの知る父親ではなかった。彼は、我が子を道具のように思っていたのだ。

薬草園の管理をしたのは?お父様の代わりに薬を作ったのは?屋敷の仕事を一人でやったのは?すべて『家族』のためではなかったのか。

リーラはもう何も言わず深く頭を下げて、父親だった男に感謝の言葉を伝えた。



「かしこまりました。今日まで育てていただき、ありがとうございます。さようなら、お父様」




茫然自失となりながら、荷物をまとめるため小屋へ向かうリーラを義姉と義母が呼び止める。

「なぁにその顔。いつもに増して辛気臭いわぁ。あぁ、お父様に聞いたのね」

今までに聞いたことがないほど義母の声は嬉しそうであった。

しかし、何を言われてももう傷つかない。この二人とも明日でお別れだ。

「隣国なんて、大変ねぇ。この国ほど豊かではないと聞くし、生活するので精一杯なのではないの?おまけに畑での下働きなんて……。でも良かったじゃない。大好きな土遊びが一生できるわよ」

この義母はこんなに性悪そうな顔をしていただろうか、とリーラは思う。

今までは恐怖と、どこかで好かれたい一心で良く思おうとしていただのではないか。

「はい。お世話になりました。お義母様もお義姉様もお元気で」

リーラが淡々と別れの言葉を口にすると、義母は気に食わないという顔をする。

その後ろで嘲笑っていた義姉は、思わず声を上げた。

「お給料がもらえるかもわからない場所へ追いやられるなんて、自業自得ね。あんたみたいな愚図、もらってくれるだけありがたいと思いなさいよ」

「……」

言い返さないリーラに業を煮やし、一瞬怒りをあらわにした彼女は、ふと意地の悪い笑みを浮かべる。

そして、舞台女優が一番の決め台詞を言うように、大仰にリーラへ告げた。


「あんたはね、お父様に売られたのよ!愚図で、何にもできないお荷物だから、遠い場所へ売られたの!!最後に私たちの役に立ったわね!」


その瞬間、リーラの目が大きく見開かれる。

売られた―――。いくらもらったかは知らないが、金のためにリーラはあっさり父親に捨てられたのだ。溢れそうな涙をこらえ、頭を下げて走り去る彼女を見ながら、義姉だった女は勝ち誇ったように嗤った。





「お母様、お母様……!私、お母様と一緒に死んでしまいたかった……!」

小屋に戻って粗末はベッドに突っ伏すと、リーラは声を殺して泣いた。

まるで母が死んだ時のようだった。一人ベッドで泣く彼女を慰める家族はいなかった。

そして、今も。

ひとしきり泣いたあと、テーブルの上のノートに気付く。

優しい手で背表紙をなぞり、開くとそこには几帳面で懐かしい母の字があった。


『あたし、かあさまとおなじくすしになるの!』


幼い頃の自分の声を聴いた気がした。そしてあの時のように母が優しく微笑んでいる気がした。

「お母様……。私、まだお母様と同じ薬師になれていないわ……。死んでしまったら、もうなれないもの……」

リーラはつぶやくと、明日の出立に向けて身の回りの品をまとめはじめた。


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