表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/31

プロローグ

ゆるゆる設定の恋愛・微ファンタジーです。

―――癒やせ 癒やせ

       懐かしいあの日の思い出のように―――


*********************************************


ふと目を開けると傷んだ木の梁が目に入る。

外はまだ薄暗いが、やや開いているカーテンの隙間から昇り始めた朝日が差し込んでいるようだ。

小さな埃が雪のようにキラキラと舞っていた。


「さむい……」


リーラシア・フォルドはひとつ身震いをする。

暖炉に火を入れて、部屋が暖まるまでに戸棚から昨日の残り物のパンを出す。

すっかり固くなったパンを薄いスープに浸し、流し込めば簡素すぎる朝食は終わりだ。

昨日は珍しく食べられるパンが届けられた。大抵はカビが生えて、屋敷の人間が食べられなくなったものである。

カビの生え始めた部分をナイフでそぎ落とし、わずかに残った可食部を大切に食べる。


痩せぎすの体をボロボロの服に突っ込み、外へ出ると朝露でぬれた緑が目に飛び込んだ。

冷たい朝の空気を目いっぱい吸い込んでから、白い息を吐き出す。あかぎれだらけの手をこすって水を汲む。

伯爵家の次女とは思えない、いつもの彼女の一日の始まりだった。


リーラシア・フォルドはれっきとした伯爵家の息女である。

代々宮廷薬師を輩出するフォルド家。名家と言われたのも数代前までの話で、ここ100年程は過去の功績にしがみついている斜陽の貴族だ。

当主でリーラシアの父でもあるフォルド伯爵は、宮廷薬師になれるほどの実力もなく、辛うじて宮廷に薬を卸して名誉を保っているのだった。


しかし、薬師というのは食い扶持には困らない仕事だった。戦や国境沿いの小競り合いがあれば、いくらあっても薬は足りないし、疫病や大きな戦争がなくても怪我や病気をしない人間などいない。

有事の時に備えている備蓄の定期的な入れ替えは発生するため、何かと重宝される職種である。

王族や王城に仕える騎士団が使用するものは宮廷薬師が作成するものの、民が使用するものは登録された薬師が納めたものを王城が管理し、供出する。

値段はそれなりに高く、流通量もそこまで多くはないため、日常的に薬が使用できるのは限られた裕福な人たちのみだった。


薬が作成できる人間が限られる、というのも大きな理由だ。

薬、いわゆるポーションは普通の人間では作成できない。薬草などの知識はもちろんだが、作成の過程が複雑なのである。適切な手順、抽出に適切な温度や素材の見極め……といったものがあって初めて効果が保証された薬が完成する。

庶民が薬草を煎じて飲んでもそれなりに効果はあるが、薬とは雲泥の差である。

そういった事情が、彼を幸いにも貴族の座に残らせているのであった。


「水やりをしたら、今日はあっちの肥料と間引き。今年は暖かくなるのが早いから、種まきを早めても良いかも」

広い薬草の畑に水をまきながら、リーラシアはひとりごちる。薬師の伯爵家にふさわしく、つつましい敷地の半分以上は薬草関連の施設となっている。

畑、温室、林。そのすべてを彼女が一人で管理していた。専門知識が必要となるため、通常の庭園を管轄とする庭師には手が出せない。

そんな薬草園の隅に、小さくボロボロな小屋が建っている。リーラシアの家である。


フォルド家には、娘が二人いた。長女のぺスカ、一歳下のリーラシア。

後妻である母親譲りの燃えるような赤毛と父親と同じ薄い緑の目を持ったぺスカは、実に貴族らしい娘だった。

お金をかけて磨き上げられた外見、常に新しいドレスや貴金属を身に着け、わがまま奔放に育っている。屋敷の誰も、両親ですらぺスカを窘める者はいない。

妹のリーラシアはといえば、死んだ母親似の薄いすみれ色の髪と、誰にも似ていない深い紫の目の持ち主だった。

今やその髪の毛はくすみ、灰色に近い色合いをしている。肌も荒れていて、とても姉妹には見えない。


リーラシアの母が生きている頃は良かった。優秀な薬師でもあった彼女は、リーラに様々なことを教えて愛情深く彼女に接した。しかし、病に倒れあっけなく亡くなってしまう。

元からあまり家に寄り付かなかった父親は、母の喪が明けるとすぐに新しい妻だという女性とリーラの姉だという女の子を連れてきた。

ほどなくして姉の我儘が増長し家の財政を圧迫するようになってから、意地汚い両親は気付いたのだ。


「この子や薬草や草花が好きだから、世話をさせたら良い」と。


敷地内の薬草園とはいえ、管理するのは大変だった。朝早くから夜遅くまでかかることがほとんどだった。

だんだんと屋敷での食事が出されなくなり、私物が減らされていった。その代わり、敷地の隅の小屋に荷物が運ばれるようになった。使用人や家族と顔を合わせる頻度も減り、終いには日に一度貧相な食事が柵にかけられ、屋敷に行くと胡乱な目を向けられることになる。

彼女はそれを受け入れた。もともと引っ込み思案な性格と、草花が好きだったこともある。

屋敷の誰もが自分を歓迎していないような、両親や姉から疎まれているような雰囲気を幼心に感じてもいた。義母の顔色を窺い、義姉にいじめられ、たまに会う父親にため息をつかれないよう視界に入らないよう過ごす。

そんな生活を送っていた彼女にとって、薬草の世話をしたり薬を作る仕事は大変に心休まるものだったのだ。

草花を見ていると心が落ち着く。一人で薬を作っているとわくわくする。まるで母が生きている頃のようだった。

そうしてリーラは独りぼっちになった。


「今日は……ポーション1ダースに、解毒薬8本。ちょっと多いわね」

夕方、食事がかけられている柵のところまで向かうと、食事の籠の下に木箱が置いてあった。美しいガラス瓶と共に薬の指示が書かれたメモが入っている。

ガラスを割らないように注意しながら木箱を小屋へ運ぶ。使い込まれた器具を確認し、材料を取りに一度外へ戻った。

「最近は生育が良いから、サルバスは少なめでこれくらい……?ジイラはそろそろ足りないから明日乾燥させなくちゃ」

瑞々しい薬草を摘んで小屋に帰り、何百回と繰り返した作業に取り掛かる。

そう、父親が自分の名で宮廷に卸しているポーションは全てリーラシアが作っていた。

「少しは家に貢献でもしろ」というのは父親の言である。薬師の家であるため、父やその血を引く義姉も作成できるはずだがそんなことを疑問に思うのは、とうの昔にやめてしまった。何より、自分が楽しいからやっているのだ。


井戸の水はそのままでは使えない。一度沸かして、消毒する必要がある。

湯冷ましを用意してから、薬草を入れて再び火にかける。


―――おどれ おどれ さざ波のように

   おどれ おどれ 春の風のように―――


歌いながら優しくかき混ぜていると、淡い色がにじみだす。

朝焼けの前のような、夜の終わりのような不思議な色だった。

紫とも藍色とも言えるその色は淡く発光している。この光は、正しく薬ができた証だ。

満足そうにほほ笑んだリーラは、冷ました薬を瓶に詰めていく。


「明日も晴れるかしら。今のうちに干す準備だけしておこうかな」


静かな小屋での生活。

不満はないが、希望もなかった。ただ、漫然と過ごしていくだけの日々。

同じ日々を繰り返すための準備をして、今日も夜が更けていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ