2 従者カウセル
コンコン
ノックの音が聞こえたので書類をまとめる手を止める。
相手は分かっている。ライラック城唯一のメイド、スィープだ。
「どうぞ」
「失礼いたします。リンネ様が朝食の前にお話をされたいと仰せです。ご案内してもよろしいでしょうか?」
「わかりました」
昨夜は遅かったしこんなに朝早く起きてくるとは思っていなかった。朝食前にということは信用されてはいないのだろうと考えられる。
正直に言うと、彼女が恐ろしい。圧倒的存在感。圧倒的身体能力。昨夜見た光景が脳裏に焼き付いて剥がれない。彼女を敵に回すことはあってはならない。自分の役割はとても重要だ。
「リンネ様をお連れいたしました」
「どうぞ、お入りください」
「ああ」
スィープに案内されて彼女が応接間に現れた。昨日の衣装は着ていなかった。
紺のハイネックシャツに黒い皮のぴったりしたパンツ。あれは王子の私服だ。事前に準備していたドレス類はどれもお気に召さなかったのだろうか。
明るいところで改めて見る彼女は服装も相俟ってとてもイケメ……男ま……格好い……凛々しい!そう。凛々しかった。絹のような艶のある美しい黒髪を一つに束ね、目元は涼し気な切れ長の黒い瞳。鼻梁はスッと通っており、一文字に結ばれた薄い唇。そこそこ長く生きてきた中でも稀にみる凛々しさだ。
確かに用意したドレスはどれも似合わないかもしれない。申し訳ないことをした。さすがに予想出来なかったのだ。
「お早うございます。随分お早いですが昨晩はゆっくりお休みいただけませんでしたか?」
「おはよう。気遣いありがとう、元々朝は早いんだ」
「そうですか。慣れぬ寝床で落ち着かなかったことでしょう、大変申し訳ございません」
「謝らないでくれ。素晴らしいベッドだった。それより貴殿、昨夜怪我をしていたようだが大事ないか?」
「ああ何と勿体無いお言葉。私は丈夫なだけが取り柄でございますのでご心配には及びません。どうぞこちらにおかけください」
ソファを勧めると自分も座るように促されたので末席へと座る。飲んでもらえないかもしれないがスィープに視線で飲み物を頼んでから改めて彼女へと向き直り居住まいを正す。
「さあどこからお話いたしましょうか。まずはそうですね、私の名はカウセルと申しまして、老師様の従者兼、王子の護衛にございます」
「その……頭に生えているのは角?なのか?本物の?」
彼女は怪訝な顔をしながら自分の頭に生えた角を見ながら言った。信じがたいがやはり同族ではないのか。
「ええ。本物の角でございます。我々魔族はヒト形をとっても証が残るので、この角が私の証でございます」
「待て。まぞく?聞き間違いだろうか?」
「いいえ、お聞き間違いではございません」
リンネ様は顔を青ざめ、ショックを受けている様子だった。まさか魔族を知らないとは。
「我々は魔族でございます。初めは貴方様も魔族かと思いましたが、その御身には魔族の証が現れておいででない。ヒトそのものでございます。失礼を承知でお聞きいたしますが、リンネ様は冒険者、はたまた勇者なのでしょうか?」
「冒険者?勇者?すまん、両方説明を頼む」
冒険者や勇者という蔑称を聞いても激昂されなくて一先ずはよかった。そもそもヒトなのだとすれば蔑称には当たらないのかもしれないが。
「はい。まず冒険者とは元は魔力を使うことなく圧倒的弱者であるヒトの身で在りながら、我々の僕である魔物たちを狩る事でその魔力の源を吸収し、その身に魔力を取り込めるようにすることで魔族の真似事して、主にヒトの天敵である獣を討伐する者共にございます」
彼女の頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんで見える。しかしこれ以上わかりやすく砕いて説明することは自分には無理だった。出来る限りわかりやすく説明したつもりだ。ゴリ押そう。
「そして勇者とはその冒険者が増長し、愚かにも魔族を相手に討伐を目論むゴミムシ共の呼び名でございます。昨夜の一行も勇者たちです」
「……私の知る世界では魔族が悪行を働くから勇者に討伐されて然るべきなのだが。助ける方を間違えたか?」
おっと。彼女の眉間に皺が寄った。怪訝な表情だ。その流れはとてもまずい。
「何をおっしゃいます!我らはヒトなど食べませんし、むしろヒトの天敵である獣たちが我らの主食であり、天敵を間引いてやっているにも関わらず、魔族を狩るほうが魔物を狩るより魔力の源が集まるからなどと自己中心的考えで一方的に襲い掛かってくるのですよ!
そもそも狩られる魔物たちも我々の僕ですし守ってやるのも魔族の仕事です。弱者に大人しく討伐されてやるいわれはありません!」
「な、なるほど……?とにかく私はどちらでもない、はずだ」
少しまくし立てすぎただろうか?若干引き気味な気がする。しかしここで間違った先入観を持たれたらまずいのだ。多少必死になってしまうのも許して頂きたい。
「冒険者や勇者でもないと仰るなら貴方様は信じがたい事ではございますが只のヒト、なのでございましょうか。……嘘だろおい。ゴホン!」
うっかり本音が!大丈夫、聞こえてはいないようだ。
「では我らの話に戻りましょう。まず老師様は貴方様を喚んだお方にございます。正確には召喚陣を書き魔力を込め、召喚に必要な準備をなさった方、でございますが」
「何?老師殿が?」
「リンネ様がどこから喚ばれてきたのかは後程詳しくお聞かせください。お先にこちらの状況を説明させていただきます」
ちょうどスィープが飲み物を運んできたので片方をリンネ様に差し出し、毒など入っていないと分かってもらうためにも先に一口飲む。これで少しでも信用して頂けるとよいのだが。
リンネ様はスィープに優し気に微笑みかけるとカップを口に運んでくださった。
一晩の間にスィープを気に入っていただけたのだろうか。さすがスィープだと視線を送ってみるとそこには恋する少女のように頬を染め瞳をキラキラとさせた姿があった。一晩の間に心を掌握したのはリンネ様の方だったようだ。さすがイケメ……凛々しい方だ。
喉も潤ったところで話を続けることにしよう。
「老師様はかつて高貴なる、私がその御名を口にすることも許されぬ御方の傍で宣託者として仕えていたお方でございます」
「宣託者?」
「ええそうですね、簡潔に申し上げますとお告げを降ろしこの世の行く末の指針を示すのでございます」
「予言者みたいなものか」
「はい、予言者という言葉にしても差し支えございません。
老師様はこれまで永らく、一度たりとも宣託を外したことはございませんでした。ですから百年前のあの日も、皆、誰一人として老師様の宣託を疑いようもなかったのです」
『今宵産まれる百番目の御子、歴代最強魔王となり新しい時代を創るであろう』
「その宣託に城に住む皆が歓喜し、百番目の御子が産まれる時を今か今かと待ち侘びておりました」
あの日の事は事細かに覚えている。あの場に居合わせられたのは幸運だった。
「御身を守る殻にヒビが入り、漆黒の毛並みが見えました。どのような禍々しいお姿をなさっているのかと、それはもう皆期待に胸を膨らませながら待ったのです。
ところが殻はそれ以上割れず、王子は中々ご生誕なされません。稀に魔力の器が小さい魔族の場合、殻を破る力を作れず殻の中で息絶え死産となることもございますが、歴代最強魔王となるという宣託を賜った王子に限ってそのような事があるはずはない。
不安に駆られた皆は一歩、また一歩と殻に近づいて参りました」
リンネ様の隣に立ってスィープまで話に聞き入っている。お前はこの話知っているだろ。別にいいけど。
「その時でございました。殻の中からわずかに音が鳴ったのです。その場にいた誰もがその耳を疑いました。そんなことがあるはずがないのです。殻の中から……」
聞き入る二人がゴクリと息を呑む。程よい間をあけてから続ける。
「『ヒト』の赤ん坊の泣き声がするのです」
二人の反応はまったく違った。リンネ様は不思議そうな顔をして期待外れだとでもいうような反応。スィープは顔を青くして口を手で覆った。だからお前は知っているだろうが。
「その場は騒然となり、焦った老師様はその殻をお割になりました。そこにいらしたのは、ヒトの赤ん坊の形をした王子にございました。
殻から覗いていたのは黒々とした頭髪でした。魔族は成長すれば現在の私達の姿の様にヒトに近い形をとることが多いのでございますが、それは完全ではなく、それに殻から生まれ出でる時は魔族の種族それぞれの形をしているのが常でございます。恐ろしく、禍々しく。そうであることこそが魔族の象徴であり証でございます。
鱗や毛並みのない玉のような肌、血色よく紅潮する頬、涙を流すまだ開かない瞳、噛み砕く牙のない産声をあげる小さな口、切り裂く爪のない小さく握られた御手、どれをとっても禍々しさとはかけ離れておいででした」
忘れられるはずがない。初めて王子を拝見したときのあの衝撃を。
「その後のことは想像にたやすいでしょう。
弱者であるヒトの姿で産まれた王子が歴代最強魔王となるはずがない。魔王様を筆頭にその場にいたほぼ全員がそう考え老師様を責めました。
宣託を外した咎だと老師様は魔王様の傍付から外され、王子の世話係として魔王城のある王都から遠く離れたこの地に即刻追放されました。私は元より老師様の従者ですので、老師様に付いて参りました」
腕を組み真面目な顔で話を聞くリンネ様と涙を浮かべるスィープ。だからお前は……もういいか。
「しかし老師様も私も宣託が外れたとは考えておりません。あの時より約百年。王子は健やかにご成長あそばされ、魔力の扱いも日々上達されていらっしゃいます」
「王子とは昨日の軟弱者の事ではないのか?」
「一見か弱そうに見えたかもしれませんが王子の素晴らしさは別にあるのですよ!」
「王子には誰も勝てません!」
うんうんと力強く頷くスィープからも援護射撃をもらえた。未だ怪訝な顔をされているが王子の本質に触れれば誰も王子には敵わない。それはきっとこのリンネ様も同じだろう。
「さて、そろそろ王子がお目覚めになる頃と存じます。私はこの辺りにて失礼させていただきます」
コンコン
ちょうどいいタイミングで老師様もいらっしゃったようだ。
「失礼いたしますぞ。リンネ殿、おはようございますじゃ」
「ああ、老師殿。おはよう」
「老師様、私は王子のお世話に参りますのでリンネ様への説明の続きをお願いいたします」
「ああわかった」
「ではまた後程」
礼をして部屋を後にする。
はー緊張した!怒らせたりはしていないと思うけど理解してもらえたかは自信がない。
そもそも自分はヘイトを稼ぐのが特技で、それとまるっきり逆の事を求められたのだからうまくできなくても許してほしい。がんばったと思うよ?あんなに怖いヒトを前に冷静に話ができただけで褒めてほしいよ。
王子はどうして彼女を選んだんだろうか。あとで二人きりの時に聞いてみよう。
正直もっと大人しくて可愛らしくて御しやすい子がよかったよ!本人を前には口が裂けても言えないけれどね。
続きは明日12時に予約投稿済です。