九話 人間生きてりゃ少なからず何かと戦ってる
前回のあらすじ
白とも黒とも出会えなかった上に、ドレス切られてねぇねとパッパが激おこぷんぷん!
ヤバイ!夜会にもう行けない!
アドバイザーとして本来の業務に就けばいいかと思ってたら、ねぇねも引きこもりになっちゃった!
出会ってくれない!万事休す!
ここは一つ起死回生、個別イベントに私は賭ける!
来い!マティアス!
約五千文字分読んでくださった方がいたらごめんなさい、これでまとめられました。
あと今回長めです。
丘に着く頃にはお茶をするのに丁度良い時間帯で、見晴らしの良い場所を選んでアンナとリーナはシートを広げた。長閑さを象徴する同様にシートを広げた人々がちらほらといて、それを目にしてアンナは馬車の殺伐と言ってもいい空気からやっと解放された。リーナも同じ心持ちなのだろう、バスケットを詰めていた時の楽しそうな顔をようやく取り戻していた。
「たまには遠出してみるのも良いわね。開放感があるもの」
「まだ暑くなる前の良い季節だし、ピクニックに来て正解ね」
姉妹はやっと心から笑い合って、バスケットからお茶と軽食を取り出して摘みながら、夜会前の二人に戻って仲良くお喋りを始めた。暖かで和やかな時間を堪能し、なんて幸せなんだろうと噛み締めながらも、アンナは姉に気取られぬようにチラチラと四方に視線を走らせ周りを気にし出す。
(来いマティアス。ここがダメなら夜会に行かなきゃならない。今の時点でそれは避けたいのよ。お願い、来て!)
ニコニコと笑顔をキープしながら内心は必死に祈るアンナに、丘の奇跡か女神が微笑み、キョロキョロと動かす目の端に丘に向かって来る白色を捉えた。
「来た!」
思わず叫んだアンナに、フルーツを口に運んでいたリーナが驚いて取り零す。
「な、何が?」
「何でもないの、蝶、かな? 蝶がいたのよ、そう蝶!」
アンナは横目でザッと白色の正体を確認し、マティアスだと確信する。
(白い頭髪、白基調の衣装……間違いない、マティアスだ。勝ったわ)
ニヤッと笑いそうになって慌てて堪える。
(落ち着け、同じ間違いはしない。是非このイベントはこの目で見たい所だけど私欲を封じろ。マティアスが私を認識する前にここを去り、お姉様と出会ってもらうわ)
アンナは片側に寄せて髪を緩く纏めていたリボンを素早く解くと、それをわざと風に攫わせる。そして大袈裟に騒ぎ立てた。
「あぁっ! リボンが風にぃ! ちょっと探して来るわ、お姉様待っててぇ!」
言うや否やリーナが言葉を発する前に、アンナはリボンを追いかける体で脱兎の如く姉の下を走り去った。気配も消してもはや風となって、ピクニックや休憩している人々の脇を服を巻き上げて駆け抜け、アンナは木立の中に飛び込むと太い木の裏に身を隠す。
はぁはぁと息を切らして、にぃっと持ち上げた口の隙間から自然と笑い声が漏れた。
「ハハハハハハッ、これでついにお姉様はマティアスと出会う。本来だったら早々にデートに誘って来る軟派さを見せて来る予定だけど、初邂逅だから流石にないかしら。まぁ出会いさえすればこっちのもの。お姉様が気にいるようなら攻略開始よ」
「何が開始なのだ?」
木立の影から姉の様子を伺っていたアンナは、背後から急に声を掛けられて驚いて飛び上がった。
「ひゃああぁぁあっ!」
「すまない、それほど驚くとは思いもよらず……」
聞き覚えのある声と喋り方にアンナがバッと振り返ると、そこに居たのは丸々ふっくらとしたストームボムだった。
「なんでこんな大事な時にこんな所に居るのよ!」
「そう申されても、後からやって来たのはレディの方で……」
困惑気味に首を——頭と身体の境目はほぼないのだが——捻るボムを前にアンナは顔を歪める。
(気付かなかった、油断した! 神出鬼没のこいつの存在忘れてた! 誰とも何にも進展してない状況でこいつと会っても仕方ないのよ。それどころか余計な事してお姉様とマティアスの邪魔されたら困るわ)
「しかし奇遇である、またお会いするとは。レディこそ何故ここに——」
「ストップ! 今後私に質問しないで、一時休戦といきましょう」
アンナは右手を突き出し掌を向けてボムの言葉を遮った。
「……休戦とは如何な。我々は元より何も戦わせてなどいないと思うが」
「人間生きてりゃ少なからず何かと戦ってる不毛な生き物なのよ。何がとか細かい事はいいから、一先ず休戦協定を締結して頂戴」
突き出した手を横向けて握手を求めたが、ボムはその手を当惑顔で見つめるだけで一向に取ろうとしないので、業を煮やしたアンナが無理矢理にボムの右手を握った。ふっくらぷにぷにの厚みのある柔らかい手だが、そのぷよぷよに似つかわしくないマメだろう固い部分が所々当たった。
「はい! これで結んだ。今から質問は無しよ、あと私の邪魔をすることもね」
アンナは一方的に言い放って木の影から姉の様子を窺い始める。しかし丘を少し下ってしまったことで姉の様子はおろかシートを敷いた場所さえも見えなくなってしまっていた。
「あぁっ、見えない。無事出会ったのかしら……これが上手くいかなかったらどうすればいいの? 白は捨てるしかないのかしら。でも黒は既に難しそうよ。お姉様の様子じゃナイフ男ってバレただけで卒倒し兼ねないもの。だからここでなんとか……」
ぶつぶつと呟いていると、じっと顔を見られている感じがしたので振り返ってみると、またも存在を忘れていたボムとバチっと目が合ってアンナは慌てる。
「ま、まだ居たの? 何か用?」
「いや……レディが、その、ずっと手を掴んでいるので……」
言われて初めて気付く。意識に無かったがアンナはボムの手をずっと握ったままぷにぷにと弄んでいたようだった。
「やだ、ごめんなさい、なんかぷよぷよしてて触り心地が良かったからつい」
アンナはパッと手を離して謝った。ボムは軽く照れたように笑っていた。
「なんで黙ってるのよ、言ってくれればすぐ離したのに」
「いや、質問も邪魔もしてはいけないとなると、何と声掛けして良いものかと考えあぐねて」
「……貴方、相当真面目ね。融通が利かないとも言えそうだけど」
一方的に取り決められた事を律儀に守る者に対して、発令した側が何とも酷い事を面前で言うのだから怒りそうなものだが、ボムは快活に笑い飛ばした。
「ハハハ、その通りだ。私はそう、融通が利かないのだな」
尚も笑うボムを前に何がそんなに面白かったのか訳が分からず、今度はアンナが困惑する。その様子に気付いたボムが苦笑しながら弁解する。
「すまない、レディの様に面と向かって私に指摘してくれる者がそういないから、的を射た事を言われてつい可笑しくなってしまって」
そう言われてアンナは今自分が良家の子女である事を思い出して、あまりにも率直に物を言い過ぎた事を少し反省した。
(こいつといるとゲームしてる感覚になってつい素が出ちゃう。でも今の私は公爵令嬢なんだからプロのモブとしては気をつけなくちゃ、この世界から浮いちゃうわ)
「……不躾な事を言って申し訳ありませんでしたわコルドレイン卿。ご不快になられたのな——」
「いいや不快になど。とても愉快だ。初めてこの地に来てみて良かったと思えたほどだ」
「え? この丘に来るの初めてなの? 珍しいわね、この国の人って女神信仰が根付いてるから縁のある場所や物を大切にしてる設定じゃ無かっ……ありませんでしたこと?」
ついつい素の自分が口の端から出てきてしまうので何とか語尾だけ取り繕ってみるアンナに、ボムは軽く微笑んだのか目を細めて肉に埋もれさせた。
「……私は、王都からは離れた場所の、出身で……中々此方に来る事が無いのだ」
「ふぅん。だからいつも街中で迷ってるのね、納得……ですわ。貴方も婚か……あー、交流会に参加しに王都まで来、いらっしゃってるってことなの、ですかしら?」
令嬢っぽさを意識して演出しようとするとどんどん不自然になっていく。自覚するくらいなのだから、ボムにはさぞおかしく思われていることだろう。案の定笑い声を漏らし出した。
「……レディ、気を遣うことはない。畏って喋べらずともそのままの方が良い。私も……私も無理するのを止めることにしますから。お互い普通に喋りましょう」
ボムの口調がガラッと変わって、気位の高そうな感じから穏やかと言うより気弱に感じる程雰囲気も変わった。予想外の変わり様にアンナは面食らう。
「……え? それ、素なの?」
「そうです、ちょっと無理していました。威厳とか、そう言う物を求めて。そうあらねばと思っていたのですが、こういう所が融通が利かないと言われる部分かもしれませんね」
偉そうで自信ありげだった態度と打って変わって、困った様に笑って肩を落とすボムは元々小男なのに更に小さく見えた。
(えー、何この裏設定。知らないんだけど。そもそも攻略キャラでもない追加のシステムだから、キャラとしての説明が名前ぐらいでほぼ謎だったのよねこの人。ゲームの世界が現実になるってこういう裏側を知る楽しみもありそうね。やはりボムにはこの世の可能性が詰まっているんだわ)
ただの障害物でありゲームを面白くするエッセンスに過ぎなかったボムのキャラクターとしての背景に、ラブ・バーストのマニアとして、ある種の攻略欲を掻き立てられたアンナは俄然興味が湧いてきた。
「ねぇ、なんで威厳なんて求めてたの? その方がモテそうだから? 王都から離れてるって地方の人なの? どの辺り? なんで王都まで来たの? やっぱり婚活? 貴方子爵名乗ってるけど、グリニドラスって有名な貴族?」
身を乗り出して矢継ぎ早に質問するアンナに圧倒されて、ボムは苦笑する。
「休戦協定では質問は禁止のはずでしたが、レディには適用されないんですね」
「あ……それは……」
「ハハッ、いいですよ。私は世継ぎなのですが……父がね、偉大なのですよ。偉大過ぎてその後を継ぐのが私では、到底力不足なんです。自身でもそう思いますし、皆もそう思っている事でしょう。だからせめて、形だけでもと父の様に振る舞ってみているのですが……中身の無い猿真似でいけませんね」
困った様に笑いかけられて、小難しく抽象的な質問を重ねてゲームの秩序を掻き乱す憎らしくて堪らないお邪魔キャラに、随分と繊細で深刻そうな設定が付いているものだ、とアンナも困った顔をしてしまう。
「……偉大って、何がどう偉大なの?」
「そうですね……父は今の様に平穏でなく、まだそこかしこで戦争や紛争が絶えなかった時代を生きてきた人です。当然父も剣を取り戦って来ました。騎士でもありますから。その武勲は語るに及ばず輝かしいものですが、何より今ある平和の為に先頭に立って尽力した人なのです」
「……ふぅん」
ゲーム冒頭の常にスキップしていた時代背景の部分に触れる話に、アンナは正直頭が付いていかず生返事をした。不要と思っていた一応の設定が、いざその世界で生きてみると、連綿と続く河の如く流れる歴史となって生きているのを感じはしたが、頭に入ってくる気配は全くしなかった。
「これからの時代、騎士としての武功は求められなくなるでしょう。存在意義も変わるかもしれない。それ故に生じる摩擦を抑えて、勝ち得た平和を恒久の物とすることが後を継ぐ者のすべきことでしょう。父であったなら……きっとそれが出来ると思います。ですが私では、足下にも及ばない。同じ様に振る舞って、同じようにしてみても、到底父にはなれない」
同じなのに何かが違う。それは杏奈にも憶えのあることだった。同じ服を着て、同じ事をして、容姿とて大きく掛け離れてはいないのに、それでもやっぱり違うのだ。
「皆私の中に父を見るのです。何を求められているのか、それが分かっているのに、そうなれない自分が情けなくて」
杏奈を見る人の価値基準の中には常に双子が在った。そのフィルターを通して見る杏奈は、どうしても輝く双子には劣って曇って見える。比すればきっと誰であってもそうなるのだろうが、その上で意図せずとも殊更に杏奈は双子の側に居て、あまつ同じ格好をして行動を共にした。ましてや血の繋がった姉妹であった。それ故に杏奈の中にあるであろう双子に相似する部分を常に探され、比較され、そして求められてきたのだ。何故なら杏奈を計る物差しの基準は双子で、至高の頂きもまた双子だったからだ。
「泣き言を言っていてはいけないんです。だからせめて形だけでも父の様になろうと無理してみましたが、思い知るだけでした。父とは違う自分を、父にはなれない自分を」
「……いいんじゃないの」
ボムの姿に自分を見てしまったアンナは、つい口からそんな言葉を溢してしまった。意表を突かれた様にボムが俯き加減だった顔をあげてアンナを見た。
「……だって、違うんだもの。私とあの二人は……貴方とお父さんは、別の人間なんだから。なれなくても、違くても、当たり前で良いと思うの。だってお父さんはお父さんで、貴方は貴方なんだから」
そう言ってくれる人が居たなら、そう自分で言えたなら良かったのに、と思う言葉を口にした。雪だるまの様なもう一人の自分が此方をじっと見つめてアンナの言葉を聞いている。
「重なる部分がある程、どうしたって比べられる。だけど、貴方はお父さんの様に立派にはなりたくても、お父さんそのものになりたいわけじゃ無いんでしょ? だったら、貴方のままで貴方のやり方でいいじゃない。貴方がお父さんの分身になることより、きっと大事なのって託された物を守っていく事なんじゃないの? 後を継ぐって、そういう事でしょ?」
双子に対する憧れは確かにあった。双子の様になりたいとも思った。だがそれは決して自分で無くなる事を意味したわけでは無かった。双子とは違うという自覚のあったその自分を、ずっと比較され続け、その度に相違を指摘され否定されてきた。
次第に自分とは何かが分からなくなって、何かに憧れる事も意識を向けることも杏奈はやめた。
挙動の全てにおいて端から違いをチェックされる。だが求められる物にはなれない、違う生き物だと分かっているから。そもそもそれになろうとしているわけでは無いから。
それでも探る様な視線も、比べる声も止まない。その度にチクンと何かが刺さって痛む。
それならば比較対象から外れればいいと、息を殺して存在を消して影の様にただ在ろうと努めた。それが求められるものには到底なれない、暗い水底に残った自分の残骸を守る唯一の手立てだったから。
「この世界では自分として生きていいはずでしょ。ここは愛と自由と祝福の世界なんだから」
私は逃げたけど、とアンナは思う。自分を諦めて影に徹してそれが正しいと思って生きた様に、ボムの中に見た自分にこの世界でまでそう思って欲しくは無かった。思い込んできただけで納得していなかった自分に気付いてしまったから。戦わずに逃げた自分に失望していた事に気付いてしまったから。
それきり黙っていたアンナを前に、ボムがゆっくり口を開いた。
「……レディ、ありがとう。そんな風に言ってくれた人は今までにいませんでした」
「……私もよ。こんな風に言葉に出来たのは初めて」
呟く様に優しく言ったボムにアンナもポツリと喋った。
「ごめんなさい。きっと失礼な事を言ったわ、貴方の事情も知らないのに。つい自分と、重ねてしまって」
俯くアンナにボムは餅のようにふっくらと微笑む。
「いいえ、とても嬉しかった。ずっと苦しかったんです。父にならねばならないと、自分で自分を否定するのが。だから貴女の言葉ですごく楽になりました。きっと言ってもらいたかった言葉だったんです。自分でいて良いんだって誰かに言ってほしかったんだと思います」
ボムは立ち上がり幾分晴れやかな顔で振り返ると、アンナのよく知るボムの態度で快活に言った。
「レディありがとう! 私はもう少し偉大な父の影と格闘してみることとする。自分らしくある為に。貴女に出逢えて良かった」
そしてアンナに向けて右手を差し出すと、また本来の口調に戻って、
「出来れば今後も交流して頂けたら嬉しいのですが、協定を破棄して終戦を宣言し、同盟を組むのは如何ですか? 私達はきっと似た者同士の様だから」
アンナはしばしボムの円な瞳を見つめて、ニッと笑うと立ち上がって差し出された手を握った。
「いいわ。ただし似た者同士としての同盟なだけで、協定の方は破棄しないわよ。天使が開戦の喇叭を吹き鳴らさないだけで、貴方はライバルに変わりなくて私はいつだって臨戦体制なんだから」
「……なんだか複雑な関係ですね。そもそも何のライバルなんでしょう」
「こっちの話よ。今に見てなさい、絶対攻略してやるわ」
「良く分からないですが、一先ず置いておきます。改めて、私はコルドレイン・ファン・グリニドラスと申します。同盟相手のお名前は、伺ってもきっと無礼ではありませんよね」
そう言ってボムがニコッと笑って目を埋もれさせた。律儀に協定を守りつつ名前を聞き出す会話術にアンナは舌を巻く。
「……貴方ってなんだかんだ、口が上手いと言うか、何がとは言わないけど所々手馴れてる感があるわよね」
「手馴れて……心外です」
「まぁ、いいわ。私はメレディアーナ・フォン・サーヴィニー。アンナでいいわよ。親しい人はそう呼ぶの」
「光栄です、レディ・アンナ。では、私の事は……コルとでも呼んでください。今日はありがとう。名残惜しいですがそろそろ行かなくては……またお会い出来る日を楽しみにしています。次は貴女のお話しを聞かせて下さい。それまでお元気で」
「ええ、コルも元気で」
コルはまたニッコリ笑うとマントを翻してのしのしと丘を下って行った。自信を取り戻した様な足取りの後ろ姿を見送ってアンナは自然と微笑んだ。
「貴方は貴方としてなすべき事を頑張ってね。さて、私も私としてなすべき事をなさなくちゃ……そういえばリボンをすっかり見失っちゃったけど、どこ——」
「探し物はこちらですか? 風の妖精さん」
いや、これこそハイライトかもしれない。
まぁ、つまり、ボムです。
お読みいただきありがとうございました。