八話 初見殺しもいいとこよ
正直にはっきりズバンとお伝えすると、ここはブリッジなので読まなくても大丈夫です。
何の展開もありません。ちょっと不穏なだけです。
時間と脳のキャパと目の酷使の節約をなさってください。
前回のあらすじ——
と、思ったけど今闘り合う必要ないしスルースルー
ボムもスルーしてどうぞ帰って
え? 方向音痴で帰れない? 意外に面白キャラじゃない
ボムはとにかく追い返したし、これから……
うっ⁈
な、何⁈ 苦しい!
こ、これは…… 乙女の危機
助けて誰か! って思ったら誰か来てくれた
あぁ救世主、何でもいいから助けてください
……って言ったけど、下着ごと服破るとかあり得ないわ!
乙女ゲームのワイルドの上限を確認してから出直して……ってわぁお! クロードだぁ!
ちょっ、どうして、おまっ、ここに、
あ、人が来たと思ったらねぇねだ! ラッキーこのまま出会ってくれれば……ってちょっと行かないで!
あぁ! ねぇねも衛士とかいいから、黒を追ってお願い出会って!
どうしてこうも何もかも上手くいかないのぉっ
それからが大変だった。帰りの馬車の中の空気は張り詰めまくり、呼吸をするのすら気を遣うレベル。向かいに座るリーナはずっと真顔でアンナを見ているが一言も発さず、瞬きすらしているか分からなかった。
決して悪い事をしたわけではないのに、アンナは謝ってしまいたい気持ちになってずっと下を向いていた。
そんな時間が数十分続いてやっと屋敷に着いたと言うのに、二人を心配して待っていた父に目敏く黒い上着の事を突かれて、うっかりその下の秘すべき破れたドレスを見られてしまい、怒り狂った父が不埒者を殺すとサーベルを持ち出して来たのを必死で宥める事になった。姉の取り成しもあってなんとか父には矛を納めてもらい、今に至っている。
「さ、聞きますよアンナ、お父様の分もね。何があったのかしら」
部屋着に着替えはしたものの、一息もつく事なくリーナの部屋に呼ばれたアンナは気まずい顔をする。
「お姉様本当に、何にも無かったのよ」
「何も無くてドレスは切れません。それどころか、し、下着まで」
リーナは珍しくアンナを睨んで、爪が食い込んで痛いんじゃないかと心配になるくらい強く拳を握る。普段見ないその様子にアンナは動揺してしまって、取り繕いつつもつい本当の事を言ってしまう。
「お姉様、何も無いのよ、本当に。ただちょっと浮かれて食べ過ぎたの、それでお腹が苦しくなって、近くを通った方に助けてもらったの。やり方は、ちょっとワイルドが過ぎるって言うか、まぁ、ナイフでコルセットをザクッとやってもらったんだけど」
「ナイフ? 怪我は⁈」
「平気よ、刃物の扱いに長けてる人みたいだったから。パーティー会場でまで持ち歩いてる人なんだから当然かしらね、変わってる」
ハハ、とアンナは乾いた笑いをあげた。もしナイフ男の正体が知れても、リーナに悪印象を与えないように気を遣う。まだ誰を狙うとも、どころか出会ってすらもいない段階で黒子のはずのアンナの発言によって選択肢を狭めてしまってはマズい。初手で手痛く失敗している分、取り返そうとアンナは必死になる。
「その人がいなかったら、私は乙女の尊厳を上からぶち撒けて失うところだったわ。だから、すごぉく感謝してるの、上着も貸してくれたし紳士的じゃない? ね、ね?」
「……本当に? 嘘は吐いてないのね? 隠している事もないわねアンナ?」
嘘は吐いていない、少し盛っているだけだ。隠していることは無くはないが、世の中には知らない方が幸せなことが多々ある、これはそういう類だ。
「無いわ。自分の食欲を恥じているだけよ」
リーナはしばしアンナをじっと見つめて、はぁーっと大きく嘆息した。
「良かった。服を破かれて良かっただなんておかしいけれど、アンナが酷い事されて脅されたりしているのでないなら良かった。私てっきり弱味を握られでもして庇っているのかと思っていたから」
「お姉様……」
「でも上着も残していってるし、怪我もさせられてないし、本当に貴女の言った通りなのね。何ともないなら、良かった」
「……心配させてごめんなさい」
心底心配してくれている事がひしひしと伝わって、アンナも心から謝罪した。リーナは椅子から立ち上がると項垂れたアンナを優しく抱きしめる。
「本当よ。急に居なくなるし、見つけたと思ったらあんな格好で……気を失いかけたわ。もう勝手に何処かに行ったりしないで頂戴。手が届かなければ守ってあげられないんだから。大好きよアンナ、もっと自分を大事にして」
ぎゅうっと抱きしめるリーナを抱きしめ返してアンナは謝る。
「はい。心配させてごめんなさい」
(ごめんなさいお姉様、白とも黒とも上手く出会わせてあげられなくて。お姉様の為に良かれと思った事が全部裏目に出てしまったの。でもお陰で分かった事がある。私が私欲を封じる事がこのゲームの攻略法なんじゃ無いかって。これから先はより存在を薄く、影のように在っても気に留められぬよう、徹底的に自分を消してお姉様の黒子に徹します)
「大好きよお姉様」
(次こそは攻略してやるから、待ってなさい白黒。私に火をつけた事、後悔させてやるから!)
自室に戻ってきたアンナはベッドに寝そべって天蓋を睨んでまんじりともせず、ひたすらに攻略の作戦を練っていた。
「この世界は現実ではあるけどゲーム通りの世界観で、まだ導入部分だけど進行もゲームのシナリオ通り。だからこれから起こる事が私には分かる。これは強みね」
アンナは腕を組んで顔を顰めた。
「だけどそれが慢心を生んだ。展開を知り尽くしていただけに、そうならない事があると思ってもいなかった。余裕で楽しむつもりでいたのに、まさか相手役が主人公と出会わないなんて……想定外すぎるわよ。
そしてそれを引き起こしてるのが恐らくは私の存在……作中にメレディアーナは登場すれどシナリオには絡んでこなかった。せいぜいが姉の相談相手、後はシステムの案内役だった。だから私がお姉様に付いて回らなければ、通常通りに進行出来るはず」
アンナはそこまで言って歯を食いしばる。
「でも、それだと、何のイベントシーンもこの目で拝めない。お姉様のあんな顔もこんな顔も見れない。何の為の現実よ、妹よ!
あああ、見たい見たい見たい! 止め絵じゃなくて動画で見たい! 美しいお姉様が意中の相手を前に頬を赤らめる姿を間近で見たいの! 脳内フォルダに保存したいの!」
アンナは狂ったように頭を掻き毟り足をバタつかせて喚いた。一頻り暴れて、疲れたアンナは力無く横たわる。
「この欲が、失敗の原因よね。分かってるわ……心を鎮めなさいアンナ。何の為に私はこの世界に転生したの? 気付いたはずよ、愛するお姉様の為だって。則天去私の境地に至るのよ。己の欲を捨て、女神の言葉通り私の持てる全てをお姉様の幸せの為に使うの」
すーはーと深呼吸を何度かしてアンナは決意したように、もう一度天蓋を睨みつける。
「よし、私はもう屋敷を出ない。役回り通り、ここからお姉様への助言を通してどうにかして攻略してやるわ」
その為の作戦を練る内に流石に疲れて来て段々と意識が睡魔に負けていく。
「……なんか今日は記憶が戻ってから色々あり過ぎて疲れた。やるべき事は分かったから、後は明日にしよう……あれ? そういえばわたし、めがねどうしたんだっけ……」
思い出そうとする内にアンナはいつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌日からアンナは昨夜の決意通り今後婚活イベントには参加しない事にした。好都合な事にドレスの一件で、父はうるさく社交会への参加を促して来ることはなかった。姉に関してもアンナを伴おうとする事もなかった。これで本来のメレディアーナの様に、屋敷に居てアドバイスを行う環境が整ったように見えた。
が、ここでまたも想定外の事が起こる。屋敷に籠り人との余計な接触を避けるアンナと同様、リーナもまた社交会はおろか一人で外出する事もほぼ無くなったのだった。
(まさかお姉様まで婚活しなくなるなんて……これは非常にまずいわ)
あのパーティーでの件が余程効いたのか、リーナは常にアンナといて、過言では無いくらい片時も離れない。それとなく社交会への参加を促しても、軽く躱されてしまう。それが何度も続いて無為に時間が過ぎていく為アンナは焦っていた。
(お姉様が私を思ってずっと側に居て下さるのは嬉しい。だけど、まだ主要な二人とすら会ってないのに、このままずっと外に行かなかったら仲を深める機会がどんどん失くなっていっちゃう)
ラブ・バーストは初心者や初見でも優しい設計で、主要キャラの白と黒とはゲーム中に何度か開かれる夜会に出向けば会う事が出来る。会話中に出る選択肢も無難に選んでさえおけば、キャラ毎の個別イベントを例え一度も起こさなくても、まずノーマルエンドは迎えられる仕様になっている。裏を返せば何も考えずにある程度は稼げる分、個別イベントは選択肢の難易度が高くなり親愛度が容易には稼げず、トゥルーエンドに辿り着くまでには中々骨が折れるのだ。
だから今のリーナの、誰とも顔を合わせてすらいない現状が続くようでは、平易に稼げる工程が過ぎてしまい、後から急ピッチで出会って親愛度をあげるにしても、場合によってはノーマルエンドすら怪しくなってくる。特に助言しか出来ない今のアンナの立場上、トゥルーエンド以外是としていないし狙ってもいないのに、そこまで漕ぎ着けられるか非常に悩ましかった。
(まさか初手の悪手がここまで尾を引くとは思ってもいなかったわ。どうしたらいいの、付いて行ったらイレギュラーが起こる可能性……かと言って助言キャラに徹しようにも、既にミスってるからお姉様が相談に来る相手がいなくて上手くいかない……。
あぁもう、何がチートで無敵無双よ、悩みまくりよ! 人生って選択の連続なのね改めて思い知ったわ。その上言わば私は預言者なのに予言したことが起こらないんだから、こんなヘボ能力何の役にも立ってないわよ。詰みゲーじゃないこんなの! 優しい設計はどこ行っちゃったのよ! 初見殺しもいいとこよ!)
アンナは一人地団駄を踏むが、幾分イライラを発散させられただけで何の問題解決にもならない。もはや作戦の変更を余儀なくされている事は明白だった。
(こうなると夜会にもう一度一緒に行くしか無いか……でもそうなって来ると、今度はお父様の反応がネックよね……。場合によっては行かせてもらえないかも知れないし、あぁ、本当にあの日の事が悔やまれる……もはやここは勝負に出るしかないかもしれない)
アンナは長椅子に腰掛けて本を読んでいるリーナの方を向く。
「お姉様」
リーナは本から目を離し、窓際に立つアンナに優しく微笑みかける。
「なあに、アンナ」
「最近二人で出掛けて無いと思わない?」
「そう言えばそうね」
「お天気も良い事だし、久しぶりにピクニックに行くのはどうかしら? お姉様のレモンカードのサンドイッチも食べたいし」
「まぁ素敵な提案ね! 今からなら午後のお茶に丁度いいもの、早速準備しましょう。何処まで足を伸ばそうかしら」
「私行きたい所があるの」
「良いわよ、何処かしら?」
姉を誘導する事に成功し、よし、とアンナは心中でガッツポーズを取る。
「女神の丘!」
女神の丘は国の直轄領の南西に位置する。名前に女神が付く様に、大昔国が大飢饉に襲われた際この丘に降り立った女神が眼下の荒地に輝く種を撒き、光の速さで育った作物で国を飢饉から救ったという言い伝えに由来しているらしい。
サーヴィニー領は直轄領の南側に隣接しているので、丘までは馬車で数十分で行ける。当日に思い立って足を伸ばしてみても不自然ではない場所だった。
(丘へ連れ出すまでは上手く行きそう。この後が賭けね。現れるかどうか……)
アンナはキッチンでバスケットに軽食を詰めるリーナの様子を横目で見て、丘に着いてからの事を案じる。
(出会って無い状態で発動するのか甚だ疑問だけど、夜会に付いて行くのはリスクが大き過ぎるから、こっちに切り替えて賭けてみるしかないわ)
アンナはキャラ毎に設定されている個別に仲を深めるイベントを起こして、なんとかリーナと攻略対象を会わせようと画策していたのだった。
丘で出会える人物は白の騎士マティアスで、彼の場合は休日の昼過ぎから夕方までの間に丘に居ると現れる。
(欲はかかない。お姉様と出会ってもらうだけで良い。無難な受け答えさえして貰えれば親愛度に大きな増減はないもの。後から幾らでも取りに行ける。だからお願い、どうか現れてマティアス)
アンナは祈りながら、準備を終えて何だかウキウキと楽しそうなリーナと共に馬車に乗り込もうとする。すると執事が屋敷から出てきてアンナを呼んだ。
「メレディアーナ様、会館の方からご連絡が」
「会館……あったのかしら?」
「はい。預かっているとの事です。人を遣りましょうか」
「……いいわ、私の不注意だもの、自分で取りに行く。近くに寄ったら取りに伺うと伝えて頂戴」
かしこまりました、と執事は下がって行った。馬車に乗り込んだアンナにリーナが不思議そうに尋ねる。
「何があった、なの?」
「あぁ、眼鏡よ。この前のパーティー会場に置いて来ちゃったの」
「いつ持ち込んでたの? 気付かなかったわ」
「やっぱりあれが無いと落ち着かないから、こっそりね。庭に降りた時に掛けて……」
庭の単語にピクッと反応したリーナに気付いてアンナは口を噤んだ。予想以上にドレス事件は姉の心に衝撃を与えていたようだ。これでは黒の方を選択肢に入れるのは難しくなるかもしれないと思いアンナは奥歯を噛み締める。あの夜の選択がつくづく悔やまれてならない。
「……今日の帰りに会館に寄って受け取って来る?」
姉は動揺を悟られまいと——アンナは既に気付いているのだが——穏やかに会話を続けた。
「遠回りになっちゃうから遅くなるといけないし、また今度でいいわ。落ち着かないだけで見えないわけじゃないから、ありがとう姉様」
アンナも合わせて穏やかに応えるが、二人の心中は会話とは裏腹に複雑なことが、車内に流れる空気の微妙さに現れていた。
ね?
お読み下さった方がいらしたとしたら、本当にありがとうございます。