七話 これは流石にワイルドが過ぎる
ちょっと長くなってしまった気がします。でも一繋がりの出来事だから切るのも難しかったのです。許されたい。
前回のあらすじ——
くそっ! やってくれたわ白のやつ!
ねぇねの出会いが上手くいかなかったじゃない!
けど、一筋縄じゃいかないこのゲーム、そこが私を燃えさせる
一先ずこれ以上邪魔しない様に庭で時間を潰そっと
綺麗な庭ね……え、なに、あの黒くて丸い……
やだ、こっち来る、ぎゃぁっ!
!
!!
!!!
ストームボム!!!!
愛してやまないこのゲーム、私がハマった理由はそうあんた!
私の心を虜にしたこの人に、この世界でも会わせてくれるだなんてありがとう女神!
ここであったがうん万回目、必ず攻略してやるわ!
と、アンナは戦闘モードに入ったのだが、直ぐに思い直してベンチに座った。そして徐ろに置きっぱなしだったお皿に手を伸ばしてムシャムシャと食べ始めた。直前まで獲物を狩る様な目付きで睨めつけられていたストームボムことコルドレインは、アンナのその様子にさらに怪訝な表情を深める。
「……レディ、その、先程から私には貴女の言動も行動も、理解し難いのだが」
アンナはフォークを口に運ぶ手を止める事なく空を見て言った。
「あぁ、お気になさらないで。貴方の仰る通り知人と勘違いしてました。無礼を働いた事はお詫びしますわ。こちらはスルーしますので、そちらもスルーなさって下さい」
「スルー……」
(そう、今ここであんたとやり合ってもしょうがない。まずお姉様に相手を選んで頂かなくては。熱くなって気持ちが逸っちゃったけど冷静にね。ボムがこの世界にも存在する事が分かったんだから、この先も遭遇のチャンスはあるわ。勝負はその時よ、今は落ち着きなさいアンナ)
アンナは出来るだけ視界からボムを外して意識の外に追いやり、気持ちを落ち着かせる為に皿の上の美味しい料理に集中し始める。次々に料理を頬張り、その度に至福の表情を浮かべデザートも持ってくれば良かったと思っていた時
「ハハハハハハ」
己を無視して食べ続けるアンナを見てボムがふっくらした頬を揺らして笑い声をあげた。ついさっきもマティアスに笑われているので、食べる姿がそんなに可笑しいのかとアンナはちょっとカチンとくる。
「……何?」
モグモグしながら若干苛立った声を出すアンナに、ボムが釈明する様に笑っていった。
「失礼した。この様な場において貴女のようにむしゃむしゃと夢中で食事をする女性が珍しくて、つい」
尚もパクパクと口に放り込みながら、アンナはそういう事かと納得する。ここに来ている令嬢は皆、にこにこしているだけで食事には手を付けない。婚活しに来ているのだから当然食事に興味などあるはずが無い。それなのにアンナがかぶりついていたから物珍しかったのだろう。
「悪かったですね、食い意地張ってて。だって誰も食べないなんて勿体無いし失礼じゃない。こんなに美味しいのに」
「いや、その通りだ。手をつけずに捨てては作り手にも食材にも生産者にも失礼だ、貴女は正しい。笑ったことは詫びよう。だが決して嘲ったわけではない。余りにも幸せそうだったから、つい私もつられたのだ」
こいつめ、とアンナは警戒する。
(私は今やり合う気はないのよ。ムダに嵐を起こされても困るから、さっさと行って欲しいのに何で去らないの? もしかしてもう始まってる? そっちがやる気ならやってやるけど、こんな序盤で出会ったこと無いからデータが足りないわ……無傷で捌けるかしら……)
アンナはごくんと口の中の物を飲み込んで、ボムをそれとなくこの場から去らそうと誘導してみる。
「時にコルドレイン卿、貴方もパーティーに参加しにいらしたんじゃないの? なぜ生垣の向こう側に?」
「あぁ、それは、その……恥ずかしい話だが、私は少しばかり方向音痴で……出口を探していたのだ」
ボムは顔をほんのり赤くして恥ずかしそうに応えた。作中に描かれる事はないし、そういう物だと気に留めてもいなかったが、もしかしてボムが神出鬼没なのは方向音痴だからかとアンナは思って少し可笑しさを覚えた。
「入ってきた所から出ればいいだけなのに」
「それが分からなくなってしまうのだ。中は何せ人も多いし、外に出たと思ったらどうも庭だったようで」
「それは方向音痴とはまた違うんじゃないの? 意外と面白い人なのね。愛とはなんだとか、国に求める物はなんだとか観念的と言うか哲学的と言うか、小難しい事ばっかり聞いてくる堅苦しいキャラだったから驚きだわ」
ボムはまたきょとんとした顔をした。
「あぁ、ごめんなさい独り言。後ろの階段登って右手にガラス戸があるからそこに入ったら会場よ。入り口は人が出入りしてる所を良く観察すれば分かるんじゃないかしら」
「これはご丁寧に、感謝申し上げる。助かり申した。時にレディは会場へはお戻りにならないのか?」
「私? 私は……」
アンナは応えかけてハッとしてフォークを動かす手を止めた。
(今、質問、された……?)
グッとフォークを握る手に力が入る。
(戻らないのかって聞かれた。これってただの会話? それともボムとしての質問? いつもの小難しい質問じゃないけど、もし変化球だったら……序盤も序盤で出会うなんて完全にイレギュラーなんだからなくはないかも。慎重に、今回は嵐を避ける選択をすれば何も問題ないけど……待ってよ! 選択肢は? 選択肢は出ないの? 選べないのになんて答えればいいのよ!)
アンナは逡巡した結果、無難に答えていなすことにした。
「……私は姉の付き添いとして来ただけなので、あまりこういう集まりに興味がなくて。そういう貴方は? 始まったばかりでもうお帰りなの?」
(無難に会話っぽく答えてみたけど、どうなの? 姉ってワードは出さない方が良かったかしら? こんな序盤で、まだ全キャラ出会ってもいないのに数値変動させられたら困るのよ、お願い!)
質問仕返されたボムは、少し考えるように下を見てから言った。
「いつ来ても同じだからな。皆にこにこしているだけで、私を見てなどいない。興味があるのは釣り書きだけなのであろう。私は然程魅力的な釣り書きでもないようだし……このみてくれではな」
フォルムや地位を自嘲するボムにアンナは、あ、気にしてたのかと思う。自信というか気位の高そうな口調や振る舞いから、そんなことを気に掛けているとは思ってもいなかった。
「……気にしないで話してみればいいのに」
「そこにまず至らぬ。同等の価値の物であれば、次に求める物は外見の良さのようだからな」
「まぁね。なんだかんだ綺麗事言っても結局そこなのよね。どんなに中身が悪魔でも見た目が天使なら八割増で良く見えちゃうものだもの。おまけにあいつら外面がかなり良いから騙し続けられるのよね。それでストレス溜めて私を捌け口に使うんだから堪ったもんじゃないわ。周りの奴らもちゃんとあいつらのこと見ろってのよ。ちょっと馬脚がチラ見えした程度で理想と違うとか大騒ぎして、んなもんあんたらが思いこん——」
アンナはつい双子の事を思い出してヒートアップしてしまい、ハッとしてボムを見る。ボムは憐れむような目でアンナを見ていてちょっと気まずい。
「レディ、貴女も何かお辛い事があったようだな」
「……あー、そうね、主役が回ってこない類の人が経験する事は人並みに。あんな悪魔が側にいたんだからそれ以上かも。だけどいいの、今私は幸せだから。大好きなお姉様の為に自分の能力を生かせるし、美味しいお料理まで堪能出来てるんだから」
アンナはにっこり笑んで見せた。ボムも、そうか、と柔らかそうな癖毛の金髪を揺らしてふっくらと微笑んだ。
「ではその至福を邪魔せぬ様にもう行くとしよう。長々とすまなかった。最後に宜しければ名を伺いたいものだが」
「……貴方にわざわざ憶えて頂く様な名前はないわ。私はただのモブキャラだもの、畏れ多いわ」
「……そうか、相分かった。ではこれで失礼する。良い時間をありがとう、割れ眼鏡のレディ」
そう言ってボムはのしのしと階段を昇っていった。
「割れ眼鏡のレディ? なんて呼び名で呼ぶのよ。確かにひびは気になってるけど……」
アンナは眼鏡を外してひびを確認してみる。それ程酷い割れではないが目立ってはいる。
「直さなきゃいけないのは分かってるけど替えが無いのよね。これがないとやっぱり落ち着かなくて……」
ふぅと溜息を吐いてアンナは夜空に輝く星を見上げる。
「どこの世界も同じよね。大事なのは上辺なんだわ。誰も中身なんか見てないし、そんなもの必要じゃないのかも」
手に持った眼鏡を星に翳してみると輝きが幾分か曇って、星とアンナとの間にひびが入った。
「……同じ様な物を比べたなら、ひびなんて入ってない方が良いに決まってるものね」
アンナは眼鏡を脇に置いて伸びをした。
「んーお腹いっぱい。流石に食べすぎたかなぁ……そういえばボムは回避できたのよね? もし炸裂したら嵐の演出ってあるのかしら……考えてみたら当然だけど選択肢も出ないし、ボムの攻略は中々骨が折れそうね。でもその方が燃えるって物——うぅっ⁈」
急に腹部に強い圧迫感を覚えてアンナは呻いた。次々と胃の中に詰め込んだ物によって腹部は膨れ上がろうとしているのに、それを押さえつけようと外部から物凄い力が加わってくる。
多少の慣れと興奮とで失念していたがコルセットでこれでもかとウエストを締め付けていたのだ。平時でさえ苦しいのに今は満腹、はち切れるのが先か上から吹き出るのが先かといった窮地だ。
(ぬかった! モブ令嬢達が飲み食いしない理由はなにも婚活に集中しているからだけじゃ無かったのね、コルセットで食べれないからなのね。これは盲点……いいえ浅慮浅薄? とにかく私が馬鹿だった、白もボムも笑うはずよ、自ら首を締めていたのにヘラヘラしてたんだから……)
バタッと地面に両手を付いて四つん這いになりアンナは苦悶の表情で呻き始める。
「うあぁ……しぬ、ホントに死ぬ……うぐぅ……うぇえ……だ、誰か、助けて……苦しいぃ」
半泣きで来るはずのない助けを求めていたその時
「煩いぞ、何してる」
頭上から男の低い声がした。誰かを確認出来る余裕があるわけもなく——した所で知り合いのはずもないが、アンナは泣きながら藁にもすがる思いで助けを求める。
「コル、コルセッ……苦しいのぉっ……お腹……死、ぬ、助け……て」
「苦しい? ……あぁ」
一拍何かを確認して納得したような間があってから、返事をして男が上から降って来た。アンナは苦悶の表情で地面と睨み合っていたので見てはいないが、男は階段の上部から手摺りを越えて三㍍近くある高さをひらりと飛び降りて来ていた。
「おい、助けてやってもいいが文句は言うなよ」
這いつくばるアンナの前に降り立った男は不遜な態度でそう言った。
「うぅ……うぐぅ」
アンナはコクコク頷きながらくぐもった声で答えた。するとすぐにシュリッと金属の擦れる音がして男が屈んでアンナに身を寄せた。
「では失礼、お転婆なご令嬢」
グイッとドレスの背中側がコルセットごと思いっきり引っ張られて腹側が瞬間的に強く締め付けられた。もう逆流すると思ったと同時に背中に何か冷たい物が当たって、次の瞬間ブチブチブチッとコルセットの紐が切られた。
「きぃやぁぁぁぁぁああぁああぁあぁっ!」
下着を破られてアンナは反射的に大声で叫んだ。男は短刀をコルセットと背の間に差し入れて、きつく締め上げられた紐をドレスごと裂いたのだった。アンナはずり落ちそうなドレスを瞬時に押さえて男に向き直って罵倒する。
「なんて事すんのよあんたぁ! いくらゲームでもやっていい事と悪い事があんでしょうが! これは流石にワイルドが過ぎるってもんで、なんだかんだ古臭い演出でもクロードの登場くらいが許されるワイルドの——」
「喚くな、文句は言わない約束だったはずだ。助けてやったんだからまず礼を言え」
そう上から物を言う男は、先程まで樹上で眠りこけていた黒の騎士、クロードだった。
「————!」
アンナはそれに気付き言葉を失って凍りつく。この男にはリーナがテラスにやって来るまで樹上で寝ていてもらわなければならない。それなのにまたもや自分の存在が姉のシナリオの邪魔をしてしまった。
「大体自業自得だろう。あんなにバクバクと食べていればそうなることくらい分からなかったのか」
「……見て、たの?」
「丁度ガラス戸の前のテーブルにいただろう。積まれた料理が次々消えていくのが外からでも良く見えた。余りに呆れたから途中で寝たが、その後ずっとこの庭で喋っていたな? それで煩くて起きた」
くぅっ、とアンナは唇を噛む。姉の為を思いした行動が裏目裏目に出ている。姉のサポートに徹すると言いながら、出会いのシーンをゆっくり鑑賞しようと我欲を出したからだろうか。
(それに加えて食欲だわ。今日のこの惨事は全て食欲のせいよ。こいつに言われた通り自業自得、私の欲の深さのせいね……でもこいつにだけは言われたく無かったわ)
クロードは元々上からな物言いで俺様系だが——それがいいんだと亜里奈は落ちたのだが、バッドエンドになると強欲さと非情さを前面に押し出してくるキャラだ。
落とし切ったリーナには終わったゲームのように興味を示さず、念願だった公爵家の後継者の地位を手に入れ高笑いする。リーナがそれを詰ると、跡継ぎが産まれるまでは置いてやる、興味があるのはお前の血だけだと言い放ち屋敷の一室に幽閉する冷酷野郎なのだった。
「挙げ句まだ食べていたんだろう? 見下げた食欲だな。それを助けてやったんだからまず礼を言え」
短刀を鞘にしまいながら礼を要求するクロードを睨みつつも、確かに胃の内容物をぶち撒ける惨事は免れたので、奥歯を噛んでアンナは言葉を絞り出す。
「……窮地を救って頂いてありがとうございました。でも貴方も謝るべきよね? 乙女にこんな事して!」
アンナはドレスの胸元を押さえてクロードにせめても噛みつく。
「謝る? 俺が? 不名誉な罪を被せられる危険を冒してまで助けてやったのにか」
そう言ってクロードが忌々しそうに顔を顰めると、テラスからアンナを呼ぶ声が聞こえた。
「アンナ? 何処なの?」
「リーナ姉様」
柔らかく澄んだ声は聞き慣れたフェアリーナのものだった。
「ほらみろ人が来た。これで俺は婦女暴行の汚名を着せられかねない」
テラスの方を振り返っていたアンナにバサッと着ていた上着を投げて寄越して、クロードは苛立った口調でそう言った。頭に被さってきた上着に視界を遮られたアンナがそれを退けると、妖艶さのある紫の瞳で真っ直ぐにみつめるクロードの顔が間近に迫っていて、不覚にもドキッとするとガッと頭を掴まれた。
「じゃあな、暴食の妖精」
そう言って指でアンナの髪飾りをカツカツと小突いて、クロードはそのまま庭を突っ切って夜に消えて行った。
「あ、ちょっと待って! 今リーナ姉様がテラスに出て来たから、せめて会ってって! ちょっと! クロード!」
「アンナ? 下にいるの?」
暗がりに向かって叫んだアンナの声を耳聡く聞きつけて、リーナがテラスの階段から降りて来た。
「アンナ、こんな所にいたのね。ずっと探してたん——」
「お姉様! 早く追って! まだ間に合うから! 片方だけでも出会っておいて、自己紹介して来て!」
「一体どうしたのアンナ、急に居なくなるし、また変なこと——ひぃっ!」
リーナはアンナのドレスの背がコルセットごと破られているのを見て悲鳴をあげて卒倒しかかる。アンナは慌てて立ち上がり、リーナの腕を掴んで身体を支えた。ガクンッと反れた上体が止まって、リーナも反動で失いかけた意識を持ち直す。
「あ、アンナ……あな、た……何が」
「姉様お願い、私の事は置いといてあいつを追って! 行っちゃうから!」
「あいつって……誰かいたのね、もしかしてアンナに酷いことした奴なの⁈ 衛士を呼ぶわ待ってて」
キッと滅多に見せない怒った顔で言って、会場に戻ろうと素早く身を反転させたリーナをアンナは抱きついて必死で止める。
「違うの違うの、そうだけど違うの! 総合的に見たら助けてもらったの! だからだから、そう、お礼をしなきゃいけないから、いいから追って出会って来て!」
「アンナそんな格好で助けてもらったって、何があったか——」
「どうかなさいましたかご令嬢方」
二人の話し声を聞きつけてか、テラスに人が幾人か出て来てこちらを伺っている。リーナは返事を仕掛けたが、事情も分からないし、アンナのあられもない姿を多くの人目に晒す事になるのを躊躇って口を噤んだ。リーナの気遣いを感じ取ってアンナが代わりに返事をした。
「暗がりで足を取られてしまっただけです。お気になさらず」
テラスの人影は納得したのか、お気を付けてと声を掛けたきりで降りてきはしなかった。リーナの方は納得していない様子だったが。
「……アンナ、本当に何かされたわけじゃないのね。何ともないのね」
「されてない! されて……ないない! だから——」
「分かったわ。事情は後で聞きます。今日はもう帰りましょう。そんな格好でウロウロさせるわけには行かないもの」
「お姉様聞いて、黒が」
「アンナ、後で聞くと言いました。いらっしゃい、庭を回って出ましょう」
いつも優しい姉の言葉にピリッとした物を感じて、アンナは何も言えなくなった。
絶対的自信を持って攻略なんて余裕だとタカを括っていたのに、姉とメインキャラをまともに出会わせることすら出来なかった自分が不甲斐ない。その失敗の原因が全て自分である事も情け無く思う気持ちに拍車を掛けた。
肩に羽織った男物の黒い上着を悔しさの現れのようにぎゅうっと掴んで、黙って姉に従いアンナはパーティー会場を後にした。
ワイルドのセオリーとはなんぞ。
お読み頂きありがとうございました。