六話 私がハマった理由はあんた
ここが多分、六話目にしてこの物語のハイライトな気がしてる。
(あと二十話くらいは作ってあるのに)
前回のあらすじ——
ついに来たわ! 出会いの舞台!
あぁー腕がなるよだれ出る
多分美しいねぇねの出会いのシーンを見たら鼻血も出るわね間違いない
じゃ、ねぇね頑張って! 私は影ながら見守るわ
……って白全然来ないじゃん!
お腹も空いたし疲れたし、ちょっとだけつまみ食いしちゃおうっと、いただきまぁす
ムシャァ、ガツガツ、ふごふご、モリュモリュ、ンガムガッ
ん? 誰か笑って……ってマティアス⁈
何故ここに、ねぇねと間違った?
何処に目ん玉つけて歩ってんのよ!
あんたの相手はあっちの美しい天使なんだからさっさっと戻ってよね!
脱兎
テラスに出たアンナは硝子戸を閉めて天を仰ぎ、大きな溜息を吐いた。
「失敗した……私がお姉様の邪魔をしてどうするのよ。付いて行かないって選択が正解だったって事? メレディアーナの行動なんて知らないわよ。立ち絵すらないんだから。それなのに導入部分にこんな罠が有るだなんて……」
アンナは仰向けていた顔を正面に戻して、夜に飲み込まれた木を睨む。
「燃えるじゃない。私がどんな過酷な環境であんたを攻略してきたと思ってるのよ」
双子の好みは元より割れているし日によって主導権を握っている方が違う。白だと言われて攻略を進め、終盤になって黒に変わるなんて事が今まで何度あっただろうか。ついでに眼鏡だって何度買い換えるハメになったことか。
飛んでくる雑言とビンタを避けながら双子の満足行くエンディングを迎える為に、苦心して苦心してゲームを進める、それが快感になっているアンナにとって、何度も見てきた展開をなぞるだけでは実は物足りないと思っていたのだ。
「面白いわラブ・バースト。こういう小賢しいところが憎くて大好きなのよ。ここはゲームの世界だけど私が生きる現実で、本編にほぼ絡まなかったメレディアーナの行動によっては原作通りに行かないってことね。
プレイヤーでありながらイレギュラーな私の存在を、どこまで消せるかがこのゲームの勝敗を左右するってところかしら。やってやるわよ、こうでなくちゃね。それでこそ私が愛するラブ・バーストよ」
ふふふふ、と低く笑った時ガサっと目の前の木が揺れて、ぷらんと足が垂れ下がった。アンナは反射的に口許を押さえて声も呼吸も殺す。葉の陰から覗く足はそれ以上動かないので、アンナはホッとして呼吸を再開する。
(危なぁい。言ってる側から失敗のフラグ立ててどうするの。気を引き締めなくちゃ)
アンナは気配を殺してそっと手摺りに近付くと、足が覗く木を見上げた。そこには夜に同化したような黒い服の青年が、木の上で太い幹に身体を預けて眠りこけていた。
(居た。黒の騎士、ノアル伯爵の子息クロード。こいつはパーティーに疲れてテラスに出てきた主人公が、この木の下で愛する人と出会う理想の形を一人語りしてるところで頭上から飛び降りて来るのよ。ワイルド演出がちょっと古い感じだけど、イケメンがそれを掻き消すのよね)
見たところまだまだ起きる様子は無いので、アンナはホッとする。
(取り敢えずここの出会いは確実に押さえておきましょう。白が今お姉様と会ってるか分からないから黒だけは絶対に。それにしてもこの男は何しにここに来てんのよ。パーティーに参加もしないで木登りして寝こけて。何周やってもこの行動だけは謎だったわ)
アンナはそろそろと木の側を離れて、テラスの端に階下の庭園に出られる階段を見つけて、小皿に盛った料理をパクつきながら庭へと降りて行った。
「出来るだけ誰とも関わらないように努めなくちゃ。メレディアーナはモブキャラでサポート役なんだから。そういえば屋敷でしかアドバイスもらえなかったのよね……って事はずっと屋敷にいなきゃいけない? それって肝心のお姉様と相手役とのイベントシーンが見れないわよね? それどころかどうやってお姉様を誘導するのよ⁈ 難題すぎるわ」
ぶつぶつと独り言を呟いて階段を降り切ると、赤い薔薇の咲く小さな庭園に着いた。中央には噴水があり、それを中心に四方に水路が作られていて、噴水から溢れた水がサラサラとその水路を流れていく。
アンナは降りてきた階段横に備え付けられたベンチに座って、一時思考を止めて庭を眺めた。
「綺麗。ゲームの世界だけど現実なのよね、すごく不思議な気持ち。シナリオがあって正解があるのに、でもここに生きる人は本物で自由もあって……」
アンナは庭を見渡す。夜の帳の下りた庭は静謐で、サラサラ流れる水音とたまに吹く風が薔薇を揺らして葉擦れの音をさせるだけだった。
徐ろにアンナはドレスの腰の大きなリボンに後ろ手に手を伸ばす。着物の帯に団扇でも挟むように、リボンの結び目の所にメガネケースを挟んでこっそり眼鏡を持ち込んで来ていた。パカッとケースを開けて、左のレンズがひび割れた分厚い眼鏡を取り出して掛ける。クリアだった視界の左端にひびが入って、世界と自分との間に透明な境界が出来た。アンナは小さく嘆息する。
「私にもシナリオがあるのかな。メインキャラクターじゃ無い群集の一人に過ぎないけど。あるんだったら、どうするのが正しいのか教えてくれれば良か——」
ガサガサッ
と急に噴水の向こう側の生垣が揺れて黒い塊が現れたので、アンナは驚いて息を止めてそちらを見た。丸々とした黒い塊は左右に揺れながらゆっくり薔薇の生垣を越えてこちらへ近づいて来る。
「え、やだ、何……」
アンナは思わずベンチから立ち上がるが、得体の知れない影に恐怖して身体が強張りそれ以上足が動かない。
バシャンッ
と丸い影が水路を踏み抜いた音が響いて、杏奈は弾かれたように小さく悲鳴をあげた。
「ひぃっ!」
「……どなたかいらしたか」
固い喋り方の男の声がして、その塊が人である事が分かった。そしてアンナはその喋り方に聞き覚えがある。
(待って、今の固い喋り方……まさか、だってまだ主要キャラと出会ってもないのに、遭遇するのは早すぎる……でも)
アンナは暗がりに目を凝らす。独特の丸々としたシルエットをした男は噴水を越えて灯りの下に出てきた。
「これは驚かせてしまったな。非礼を詫びようレディ」
(やっぱり! こいつは!)
「ストームボム!」
アンナは叫ぶように男の名を呼んだ。マシュマロのような、鏡餅のような、バランスボールのようなふっくら丸々とした体型の小男は、己を呼ばれたとは思わずにきょとんとした顔をしてみせた。
「……ボム?」
(出てきた! この世界にも! 正直諦めてた所はあったのよ、この世界は多分一周目だと思ってたから。全キャラ一周し終わって初めてダウンロード出来るあんたが、ゲームの世界とはいえ一発勝負の現実に出て来るとは思えなかったから)
アンナは震える。恐怖からではない、武者震いだ。
(正直このゲームは褒め称える程の良作じゃないわ。プレイ人口も少ないし有名でもない。絵は綺麗だけど相手役のキャラが少ないし制作陣やキャストが豪華ってことでもないからね。内容も逆ハーレムの良くある感じを程よく摘んで縒り合わせた物だし、会話や行動を選択していくだけで凝ったシステムってこともない。おまけに敵役がいないからやり返したスカッと感もない。
disってる訳じゃないんだけどね。
なのに投げずにプレイした人はもれなくコアファンに成り果てる。それは偏にあんたが存在してるから。皆が憎くて憎くてしょうがないけど大好きなのがあんたよ、ストームボム)
アンナは口許が無意識に持ち上がる。
(このゲームはね、あんたをダウンロードして初めて真価を発揮するのよ。ゲーム本体が安いのにあんたが有料で本体と同じくらいの値段だってのには当時驚いたけど、出す価値は十分にあったわ。あんたをインストールして解放されるストームモード、これが私達を熱狂の渦に叩き落としたのよ)
「レディ、人違いをしているのではないだろうか。私はそのような名ではないぞ」
(そう、ストームボムはあんたの通称。他にマシュマロマン、重ねハンプティダンプティ、笹団子なんて蔑称もあるわよ。色んな呼び方作られちゃうくらい憎まれて愛されてるのよあんたは。私だってそうよ。このゲームに私がハマった理由はあんたなんだから!)
「私の名は……」
「存じてますわ、コルドレイン・ファン・グリニドラス子爵」
アンナはそう言って割れた眼鏡越しにストームボムを睨んだ。
(平々凡々としたこのゲームに正に嵐を起こすのがストームモード。そしてその起爆装置となるのがこのストームボム。選択肢やイベントをこなしてコツコツと貯めてきた親愛度を、突如として現れるこいつが全然関係ない質問してきて、その返答によっては嵐を起こしてランダムに数値を変動させるのよ! 丁度爆弾でも爆発させたみたいにね!
最初は呆然としたわよ。トゥルーエンド確実だった相手の親愛度がガクンと減らされて、狙ってもなかったキャラから求愛されたりするんだから。高いだけのクソコンテンツだと思ったわ。でもね、繰り返す内に気付いたのよ。この人はこの世の不条理の体現者なんだって)
「……いかにも。私はコルドレイン・ファン・グリニドラスである。レディ、何故に私の名をご存知でおられるのか」
「ええ、良く知ってましてよ」
(不均衡と不平等、神の見えない操り糸、断ち切れない運命の鎖、あんたはそういう自分の力じゃどうにもならない、ほぞを噛んで涙するしかないこの世の不条理を体現した存在。
ランダムに現れて、積み上げた努力をランダムに破壊していく、絶対的で圧倒的で気紛れな神の指先。
あんたと言う存在を前にして敵わないと投げる人も居たと思うわよ。乙女ゲームにギャンブル性なんて求めて無いって怒る人もね。でもね、あんたは不条理な神の様で神じゃない。ゲームの一仕掛け。あんたが炸裂させる嵐は攻略できるの、ランダムじゃなかったのよ。
それに気付いた時、私は光を見た気になったわ。種が割れたり人体が透き通って見えたりするアレと同じ感覚よ、多分ね。
私には与えられなかったもの、抗っても無駄だと思ったもの、こう生きろと押し付けられたもの、あんたの嵐を御した時全てに打ち勝った気持ちになったわ。他人に決められた人生を、自分の手に取り戻したってね。その日から攻略してやったあの快感が忘れられない。この二年ずっと貴方の虜なの)
「ずっと現れるのを待ってたんですもの。私の永遠のライバル」
アンナはストームボムを見据えてにやぁっと笑った。その様子にボムは訝しむ様な表情をして見せる。
「……レディ失礼だが、私は貴女とお会いした事は無かったと思うが」
(この世界では初めましてだけど私は今までに何千回、何万回と貴方と闘ってきたのよ。あんたを制する事が出来れば嵐を止められる。けどね、逆に嵐をわざと起こして利用すれば、普通じゃあり得ないイベントも見れるのよ。
親愛度が全く同じ二人による同時求婚からの主人公をかけた決闘イベント、全キャラ親愛度最低で未婚選択からのお一人様エンド、逆に全員親愛度が高くて未婚なら永遠のマドンナエンド、一人を除いて全員トゥルー並みの親愛度にしてから一番低いやつと結婚からの密通三昧悪女エンド……。
あんたを完璧に攻略して初めて辿り着く事が出来る境地が沢山あるの。追加コンテンツのあんたの攻略がゲームの根幹に組み込まれてるって、確信犯的に未完成で発売してるか、このシステム作ったやつの頭がイカれてるかのどっちかね)
うふふふふふ、とアンナは低い声で笑って、下からストームボムを睨めつける。
(ここであったが何万回目。さぁ、来なさいストームボム。あんたを攻略してやるわ。お姉様の幸せな結婚の為に)
ゲーム性に無駄にこだわっちゃうのは乙女ゲーム実はほぼやった事ないからかもしれない。
(格安で手に入れたとき○モをプレイする友人を後ろから眺めていた思い出で止まってる)
お読みいただきありがとうございました。