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五十八話 女神様はもっとずっといじわる

前回のあらすじ——


これが好きってことかな? だとしたらどんな顔して何て言葉を交わせば……

ってちょっと黒! 無視してんじゃないわよ! 何すかしてんの⁈ 怒ってるとか? 何かしら……

と、目の前には灰も! びっくりしたけどこの人も何にも言わずに行っちゃった! なになに? 何が起こってる?

白は私を見つけられないし、橙は人を吹っ飛ばしといて助けもせずに素通り、おまけに従兄弟の緑まで私が見えないみたい!

何これ、変化球な透明人間プレイ? 勝手に始めないで欲しい、趣味でもないし知ってるのとも違い過ぎるし。それとも釣った魚に餌をやらないの究極形態? まだ釣られてませんけど先走り過ぎじゃありません? 

彼らの豹変に思い当たるのはこの卑屈の象徴の眼鏡だけだけど……そういうこと?

 ドキドキした気持ちと少しの打算とで膨らんでいた胸の中の何かがぱちんと弾けて、ぽっかり空いてしまったその部分を容赦なく冷たい風が吹き抜けて行く。踠いて逃げて、やっと向き合って折り合いをつけられた卑屈な自分に、愛を語ってくれた彼等からはノーを突きつけられた気がした。必要なのは明るく眩しい主人公であって、暗く影に生きる卑屈な心を持つ杏奈は必要ではないのだと。


「……何がいけないの? 誰だってそんな卑屈な心なんていらないでしょ。いいじゃない、私はもうメレディアーナなんだから、明るく元気に率直に、何も気にせず生きていけば。杏奈の記憶も心もどこかに置いて、そんなもの初めから無かった顔して生きていけば……」


 そう口では明るく言っているのに、言葉にしたらした分だけアンナの心に吹く風が強く冷たくなる。

 

 これはダメだあれもいけない、全ては眩しい主役の物で自分には相応しくない。今までずっとそうやって自分を否定し続けて来た卑屈さを、自身で認められたことで姉の気持ちにも気付くことが出来た。


 やっと姉の影から抜け出して、弱く暗い自分も自分として受け入れて生きていこうと思えたのに、今杏奈に求められているのは杏奈として生きることではない。卑屈な心など一片も持ち合わせない天真爛漫な素直で明るいメレディアーナ(主役)となって生きる事だ。アンナに愛を語ったあの5人の中に、杏奈を必要とする者も、杏奈を認める者も誰もいない。


 これは現実ではあるがゲームの世界だ。登場人物には役割がありシナリオがあり、それに則って今日まで進んで来た。だからこの世界に転生し、主役として組み込まれた杏奈にももちろんシナリオがあるのだ。ただしそれはメレディアーナ(主役)としてのシナリオで、明るく眩しい彼女の紡ぐ物語には杏奈の卑屈な心は必要とされない。

 どの攻略相手も一様に、メレディアーナの率直さと明るさに心を動かされていて、そこに卑屈で後ろ向きな部分を見てくれた人はいない。何故ならそれは、彼女の中に存在しないものだから。


「——なら、どうして記憶を消してくれなかったの? チートだ無双だなんて何にも出来ないんだから、単純にニューゲームで良かったのよ。こんな風に思い知らされるなら……また、私じゃ駄目なんだって思わされるなら、こんな記憶も心も何も要らなかった!」


 必要とされないのにここにいるしかないのであれば、杏奈に出来ることは一片の曇りもない眩しいメレディアーナ(主役)の影に徹していないものとして生きることしかない。


「神様はいじわるね……私にも許されると思わせる」

 逃げて泣いて向き合って、卑屈さを心に抱えたそれもまた自分だと受け入れて、やっと自分らしく生きようと思えたのに、明るい場所へ踏み出したはずがまた影に生きる事を強いられる。


「要らない……人と比べて臆病になって、全部諦めて、人の言葉に、視線に左右される、逃げ続けた弱い自分なんか……」


 左端にひびの入った視界にぽたぽたっと丸い雫が落ちてきた。一続きだと錯覚してしまうほど限りなく薄かった世界の境界を、次々と降ってくる雫が濃く鮮明にしていく。


「そんな卑屈さを持った自分なんて……誰にも愛されない自分なんて……要らなかったのに」


 そう絞り出したアンナが地面に突っ伏した時、傍らに誰かが蹲み込む気配がした。


「レディ、どうなさった? ご気分でもお悪いのか?」

 聞き覚えのある少し偉そうな固い口調で話しかけられて、アンナは驚きで涙が止まった。


 卑屈なメレディアーナはイレギュラーだからか、今の今まで蹲み込んでいても叫ぶ様に独白していても、道行く人は誰一人としてチラともアンナを見なかったし当然足も止めなかった。その中で、何故この人だけは声をかけてくれたのだろうか、とアンナはゆっくりと傍らに蹲み込んでいる人物に顔を向ける。


「動けない様なら医者を呼ぶか、私の馬車でお送りするが、如何する?」

 心配そうにアンナを見ていてくれたのは、柔らかそうな金髪にふっくらぷよんぷよんの身体と淡い青色の空の様な瞳をしたコルだった。


「コル……」

 無意識に呟いたがすぐに無駄なことをしたと思う。この世界に杏奈は必要とされていないのだから、当然コルにも今のアンナは見えていないのだ。話しかけられたのは疑問だが、アンナとして捉えているわけではない、ただの心優しい人の対応だ、そう思った。しかし、


「……アンナ⁈ どうしたんですか、この様な場所に座り込んで……気分がお悪いのですか?」


 コルはアンナの名を呼んでいつも通りの態度で接してくれた。アンナは呆気に取られて返事もなくコルを見返す。


「どうしました? 泣いて……らっしゃいます? そんなに苦しいんですか? この大通りの先に馬車を待たせているんです、そこまで歩ける様でしたら……」

 アンナはふるふると首を振った。まだ驚いていて声が出ない。

「立てませんか? それでしたら……失礼して」


 コルがアンナを抱きかかえようと肩を抱いてそっと引き寄せたので、アンナは慌ててそれを止めた。

「ち、違うの、そっちじゃなくて、気分の方。全然何ともないの、すごく元気」

「……そう、ですか? でしたら何故泣いているんですか」


 アンナは涙を手で拭いながら言い訳を探す。本当は全て聞いて欲しかったけれど、この現象と気持ちを言葉に出来る気がしなかった。


「あ……と、転んじゃったの。怪我はしてないんだけど、こんなところで転ぶなんて情けないって思ったら、涙が急に溢れてきて……」


 上手い誤魔化しがみつからず無理のある理由だと我ながら思うが、コルはアンナをじっと見た後、特に追及はせず笑って受け取ってくれた。


「……そうでしたか、大事ないなら良かったです」

 その笑顔にぽっかり空いてしまった胸の穴を埋めてもらえた気がして、アンナはホッと息を吐いた。彼には間違いなくアンナが見えている。


「大丈夫な様でしたら、私はこれで」

 そう言うと立ち上がってすぐに去ろうとするコルを見上げて、アンナは引き留めるように問いかけた。

「あ……、何か急いでた?」

「急いでは……ただもうあまり時間もありませんので、ギリギリまで街を見ておきたくて」

「……え?」


 コルは地面に座ったままのアンナに手を差し出してグイッと引き起こして立ち上がらせた。やはり小男なのに力が強い気がする。


「明後日には故郷に帰る事になっていまして。自由に出歩けるのも今日くらいなので」

「……そっか、この辺の人じゃないんだもんね……帰るんだ……」


 帰る。そう言ったコルがこのゲーム最大の仕掛けストームボムである事をアンナは改めて思い出した。

 ゲーム中移動先にランダムに現れては不思議な質問を繰り返し、嵐を起こしてプレイヤーを翻弄する憎いけれども愛すべきお邪魔虫。彼が現れるのは自由に攻略を進められる期間、強制イベントの舞踏会前日の今日まで。

 だからこそ舞踏会で最終調整を行うにはボムに遭遇出来るアイテム『ストームボム』が必要なのだが、今のアンナは所持していない。それはつまり、コルと会えるのが今日で最後だということだ。そう気付いて、埋めてもらった胸がギュッと急に収縮した様な苦しさを覚えた。


「ね、ねぇ! コルの故郷って何処なの? またこっちに来るよね?」

 コルは困ったように笑ってみせた。

「……そうですね、いつかは。こちらへは遠いので……そう頻繁には伺えないですが」

 曖昧な答えにアンナは不安を覚える。

「遠いって、どの辺り? 私いつか行ってもいい? コルに話したいことが——ホントは、今なんだけど——ダメ、かな?」

「……辺境の、小さな……場所なので、何処とお伝えするのも難しく……本当に遠いので……いらっしゃるのは難しいかと」

「じゃあ……手紙とか、出してもいい? 宛先……」

「……辺境なので、届かないことも……」


 頑なに連絡先を明かさないコルの様子にアンナは悟る。この人もまたゲームの登場人物の一人、システムの一つ。役割がありシナリオがある。そして今、役目を終えてアンナの前から消えようとしている。

 主人公と絡む事はあっても、決して交わるわけではないお邪魔虫としての役目を、主人公のシナリオ自体には影響しない追加のシステムとしての役目を彼は終えたのだ。


「……また会える、よね?」

 そう聞いておきながら、先程からずっとコルの青色の瞳と目が合わないことが答えだとアンナは分かっている。


「そうですね……。いつかまた、お会いできたらいいなと思います。確約は出来ませんが」

 コルがさっきと同じように困った風に笑って、胸が一層苦しくなった。もう会えないのだと理解して。


「……では、これで失礼します。お会い出来て良かった」


 引き起こしてもらってからずっと繋いだままだったぷにぷにの手が離れていって、胸の穴を塞いでくれた物もまた引き抜かれようとしている。それを離したくないとしがみついた心が軋む。穿たれた時よりも何倍も虚しくて苦しくなると分かるから。


「さようなら、アンナ。お元気で」


 微笑んで去っていくコルの横に広い背を、無駄だと分かっていてもアンナは思わず引き留める。彼はボムでゲームのシステムで役目はここまでなのだから、幾ら引き留めようとももう会えない。それでも縋ってしまう程、いつの間にかアンナの中で彼の存在が大きくなっていると気付く。


「……アンナ?」

 上着を後ろから引っ張られてコルは足を止めた。


「……ねぇ、どうしてさっき私って分かったの? 眼鏡、掛けてるのに」

 行かないで、と言っても無駄だから代わりにずっと思っていた疑問を口にした。存在しないはずの卑屈な心を持った主人公が彼には何故見えたのか。コルは不思議そうな顔をした。


「どうしてとは……初めてお会いした時も掛けていたじゃないですか。それに、もしあの時そうでなかったとしても分かりますよ。眼鏡があろうとなかろうと、貴女は貴女じゃないですか」


 ハッとアンナは王立会館のあの庭を思い出す。

 初めて会った時、ラブ・バーストにハマった要因、待望のボムの登場に歓喜し震えたあの時。アンナは確かに隠し持っていた眼鏡を掛けていたが、彼はその時からアンナのことが見えていた。

 思えば象徴を身に付けていなくても、行く先々に現れた彼には卑屈な杏奈の心そのものを見せてきた。影に逃げていた過去も、影に逃げ込もうとしていた現在も。そしてコルの言葉でようやく影から踏み出せそうな未来も。彼の前ではいつも杏奈であった。


『もしもそういう方に出会ったら気付くものなのかしらね。あぁ、私はこの人を待っていたんだって』


 いつか聞いた姉の言葉が頭に響く。

 そうだ、ずっと現れるのを待っていた。ここがゲームの世界だと気付いて姉の為に生きる事が天命だと思っていたけれど、それとは関係なくただ会える事を待ち望んでいた。

 攻略相手には何の感情も持ったことは無かったが、唯一彼だけは憎らしいほど愛して止まなかった。


『あの人の傍だと、私が私でいられたからかしら』


 攻略マニアの顔でライバルとして、似た悩みを抱える同志として、励ましあえる友として。自覚していなかった卑屈な部分にも気付かせてくれたコルの前ではアンナは杏奈でいられた。そしていつだってコルはその杏奈を見ていてくれた。


 その彼と、もうこの先会うことも言葉を交わすこともない。コルはゲームのスパイスで、攻略相手との恋路を引っ掻き回す嵐の役割。攻略期間が終われば主人公と関わることは無い。

 ましてや相手役になどなり得ない。主人公の相手はあの5人と決まっていて、コルもまた邪魔をするだけのキャラクターと決まっているのだから。

 どんなに望んだとしても覆らない。それはゲームの根幹、この世の摂理。


 あの5人の目に映らないと知った時には痛まなかった胸が、今これがコルとの最後なのだと知って息が出来ないくらいに痛んで苦しい。どんなに考えても5人の中から選べなかった理由が漸く分かった気がするのに、双子の時と同じく一歩も二歩も遅かった。

 気付いていたとてどうにも出来ないものではあると知ってはいるけれど、それでもこの胸に生まれてしまった気持ちはもう消えない。


「……では、もう行きます」

 力を無くした指に引っかかっていた上着が離れて、コルは背を向けて去っていく。自覚した心が彼との別れに哀哭し、込み上げる物でアンナは声が出せなかった。


 神様はいじわるだ。人生だ、宿命だ、運命だ、とシナリオを用意する癖に台本を見せてはくれないし、ここが分岐点だとも教えてはくれない。


「……本当に、いじわるね」

 漸く掠れた声が出たときにはコルの背中は小さくなっていた。


「主役だって初めから教えてくれないし、無双できるよってゲームの世界に飛ばしたくせに、何の能力も……シナリオすらも教えてくれない」

 掠れた声が途中から涙声に変わっていく。


「この世界の主役として相手役が決まってるなら、どうして心に自由を許すの。初めから彼等の誰かを好きになるように組み込んでくれれば良かったのよ」

 ポロポロと涙が溢れ出す。


「そうすれば、絶対報われない……好きになっても仕方ない人を好きにならずに済んだのに」

 涙で滲むひびの入った視界の先にはコルの姿はもう見えない。


「主役になんてなりたくなかった。相手役もシナリオも決められてる主役になんて。例え受け入れてもらえなくても期待することは許されたもの……その他大勢のモブであれば」

 アンナはまた地面にしゃがみ込む。立ち上がらせてくれる人はきっともう現れない。


「モブのままで良かったの……世界の主役になんてならなくて良かった。たった一人あの人の中で主要な登場人物になれればそれで……その希望すら持てない主役なら……モブのままでいたかった」


 もしも定められた未来があるのに教えてくれないのだとしたら、神様は本当にいじわる。けれど、決められているともいないとも知り得ない代わりに、どんな望みも持つ自由を許してくれる。

 だけど、許された選択肢とその先を全て教えておきながら、君は自由だと、それ以外も許すふりをして微笑んでいる女神様はもっとずっといじわる。


 泣き崩れたアンナの声が大通りに響いたが、足を止めるものは誰もいなかった。

お読みいただきありがとうございました。


お尻は見えてるけどまとまるか、まとめられるか、それでホントに大丈夫なのか、と



※こっそり色を修正

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