五十六話 ターニングポイント
言い切ることで吹かす知った風
この部分も何故か3話分になってしまいます。
前回のあらすじ——
あんた仮にも乙女ゲームの主要キャラでしょ?
そんな打算丸出しの道具扱いで世のおにゃのこが落ちると思ってんのか! バッドエンドと言えども直球強引一本槍で勝負かけるのも程があるでしょうが!
と、熱くなったら馬車がガッターン!
あっちでもこっちでもぶつかってばっかり。まぁ、ヒロインって困ったら大体転んどきゃ話が進むからね
ほらね! 進んじゃったよ!
乙女ゲーム主要攻略キャラのポテンシャルをここぞとばかりに発揮されてめっちゃ流されたけど、絶対キスさせないマンがこの世界の裏神様として君臨しているので唇の純潔は守られた
あぁ、でもこれで全員から告白されちゃった。
舞踏会まであと4日。私は誰を選ぶべきなのか……
人生において、ここがこの先の未来を決定付けるターニングポイントだ、という地点が誰にしも存在するだろう。ただ多くの場合は、それを後から振り返って自覚することになるのではないだろうか。
告白しようか迷う内に卒業式。会えなくなるその前に伝えておこうと踏み出した、あの時の勇気があったから今こうして隣にいられる……。
仕事も順調で大人の飲み方も覚えたばかり。まだまだ遊びたくて当時は軽く断ってしまったけれど、あの時あの人と結婚していれば今頃は……。
歳を重ねれば重ねた分だけ、ふと振り返ってみた時に、大小良い方にも悪い方にも「あの時」の選択にそう思う事があるだろう。その選択を迫られる現在が過去となった未来に至って俯瞰する事により、初めてそこが分岐点であったと気付き今に繋がる因果を知るのだ。
しかしアンナは違う。アンナは今現在時点で目の前で迫られている選択がこの先を左右どころ五叉六叉し、全ての選択でどういった結果を齎すのかまでを知っている。
5人からの告白に、悩みに悩んでついには舞踏会前日。ここがターニングポイントだと多くの場合気付けないのは、因果に囚われてフリーズしてしまうのを防ぐ神様の慈悲かもしれない、とアンナは膠着状態の自分の心を前にして思う。
(そう……この選択の先がどうなるか分かってる。誰を選んでもトゥルーエンドで甘々な生活。誰と結婚しても幸せになれる。
ゲームだったら『ラブバーストおめでとう! 5人の愛を爆裂させたね!』っていう金トロフィーもらえる最高の状態。なんだけど一人に絞る決め手がない……。
だってはっきりこの人だって、いつまで経っても私の心は言ってこないんだもん。皆横並びで魅力的な人達って評価に収まっちゃって……。
もういっそ全員断って、お一人様を選択して永遠のマドンナエンドしようかとも思ったけども、それって今まで悩んできた事と全く逆の結論になるのよね……。ずっと気を持たせて永遠に私を追わせ続けるって一番弄んでると思うもの。
それに正直、現実世界の奴等は跡取りだから何処かで絶対他の誰かと結婚する……。安定した生活は確保しておきつつ隠れて遊ぶ、男ってそういう小ズルさを持ってるって少なからず聞くもの。そう考えると、マドンナしたところで最終的に割りを食うのは私ってことじゃない。弄んでる側のつもりでいて、その実ただ持ち上げられて多少気持ちよくなってるだけ……結局何も得られずに側からみれば孤独である事に変わりない。
この世界の人間の寿命は知らないけど後50年くらいは生きると仮定して、やっぱりここで誰も選ばずにいたら、その残りの50年が結局のところ独りぼっちだって今の時点で確定するのよ)
王都にある治療院に入院中の母を姉と共に見舞いに来ていたアンナは、個室の長椅子に座って談笑する母と姉の横で急にガバッと頭を抱えた。
(特殊エンドは確かに魅力的よ? 攻略マニアとしては血が騒ぐ。いや、でも無理だわ。いくら魅力的でもマドンナエンド選択は出来ない、重すぎるでしょ。
50年後に振り返って結果的に、ああ、あの時が結婚するタイミングだったんだわって気付くならいざ知らず、今から、それも16の身空で、この先一片の希望も無くずっと独りなんだって分かって生きていくって、重すぎじゃない?
まだ良く分からないだけで恋愛だ結婚だに興味がないわけじゃ決してないのよ? 結婚至上主義云々って話をする気も毛頭ないけど、仮にマドンナした時にもしもあの5人の誰かをずっと一緒にいたいと思うほど好きになっちゃっても、独りになるのが確定してるから結ばれることはない……それどころか相手役が決まってる世界で全員振っちゃったら、今後その他の人と恋愛……なんてのもない?)
「あああぁあぁああっ!」
アンナは咆哮をあげてアッシュブロンドの髪を掻き毟る。急に獣の様になった娘と妹に、母と姉は驚き怯えた目を向ける。
(うううっ! それが嫌なら是が非でも誰かを選べと、真剣な愛に真摯に向き合おうとすればする程、打算が脳内を駆け巡る……舞踏会はもう明日よ? どうしたら良いの? 例え明日選ばなくたって1日延命されるだけで、次の日には最終決定しなきゃいけないんだから……私どうしたら……)
両手で顔を覆って低く唸っているアンナに、姉が怯えながら声をかけてきた。
「ア……アンナ? どうしたの? 何かあった? 最近悩んでるみたいだけど……何かあるなら話してみて?」
「……ありがとうお姉様。ちょっと幸せになるのが怖いだけなの、気にしないで」
「まぁ、幸せになるのが怖いだなんて、不思議な事を言う娘だわ」
そう言ってうふふと笑った母は、天使を産み落としただけあっていつまでも少女の様に可愛らしく、アンナよりもよっぽど妖精の呼び名が似合う。アンナはそんなホワホワしてころころ笑う母を見て、ふと思った。
「……ねぇ、お母様はなんでお父様と結婚しようと思ったの?」
「あら、貴女がそんな事を聞くなんて……結婚を考える方でもいるのかしら?」
ふわふわしている癖に妙に鋭い母の言葉に、姉の周囲の空気が一瞬ピリついた。それに気付いてアンナは慌てて言い繕う。
「あ、ううん、そんなこと、全然なくもないけど、どうしてかなぁって、興味が……湧いて……」
表情は変わらず柔和だが、未だ守護天使の顔を持つ姉の心中は計れず、リーナをチラチラ見ながら訊いたアンナに、母は笑って話し出した。
「そうねぇ……。あの人の傍だと、私が私でいられたからかしら」
「?」
抽象的な答えを捉えかねていると、母が若かりし日を懐かしんで続けた。
「あの人と出逢ったのはね、長かった戦争がやっと終わって、それまで開かれなかったパーティーや、社交界、そういう華やかな物がやっと再開され出した頃だったの」
母は少し寂しげに窓の外を眺めた。夏の空は青く、綿飴のような大きな雲が浮いている。
「単純に仲の良い人たちと平和を喜び合う会もあったけど、戦争が奪っていった物は多かったから……跡取りを亡くした家なんかも多くあって、家の存続や繁栄の為ね、出逢いを作る事を目的とした会も沢山あったわ。私もヴェール家の娘としてそういった会に参加していたの」
特措法が制定された頃なのだろう、とアンナは母の話から推定する。
「戦争が奪った物は大きかったけど、皮肉にも齎された物も少なからずあったわ。士気や忠誠を高める為にと褒賞や叙爵を大盤振る舞いしていた反動が、平和になったことでやって来たのね。それを失くして立ち行かなくなった人も大勢いたから皆焦っていたの。きっと私も。ニコニコと相手に気に入られる様に取り繕って、少しでも条件の良い良家の相手と結婚して自分の足下を安定させなければって、女神の教えの事なんて何処かへ忘れて皆仮面を被っていたわ」
普段はぽやんとしていて童話の世界にでも住んでいそうな人だが、意外にも国内の情勢や戦争についてしっかりとした私見を持っていたようだ。あのフェミ気味の伯父の妹だけはある。
そんな母は思い出に浸る様に目を閉じる。
「そんな日々が続いていた時の、あれは……そう王立会館だったわ。夏のとても暑い日で。ずっとニコニコし続けて疲れてしまった私はね、周りの人がどの人もどの人も顔に同じ様な笑みを貼り付けていて、ついに誰が誰だかも分からなくなってきて人に酔ってしまったの。少し風に当たって休もうと思ってテラスに出て……でも暫くしても戻る気になれなくて、テラスから庭の方へ降りてみたの。ほら噴水がある所」
それは偶然にも自分も降りた事のあるあの庭の事だろう、とアンナは初日の王立会館の様子を思い出す。初めて声を掛けてきたマティアスと、姉を狂わせたナイフ事件を起こしたクロード、そして待望のボムと出会った場所だ。
「暑い日だったし、静かで誰もいなかったから。私ね、噴水で水浴びしちゃったの」
「水浴び⁈ 天真爛漫にも程があるわよお母様!」
メレディアーナの貴族の娘らしからぬ天真爛漫設定はこの母譲りなのかと、母の昔語に驚愕しつつもアンナはどこか納得する。母はキャラキャラと笑って弁解した。
「水浴びって言っても足先よ? ほら水路があったでしょ? そこにちょこぉっと……その日は確か立食パーティーだったからヒールに疲れてしまって。足先を浸して涼んでいたの」
「……びっくりした。てっきり噴水に飛び込んじゃったのかと……」
「流石に飛び込まないわ、指先くらいは浸して遊んでいたけれど。そう、そうやってパシャパシャ水遊びしていたら、急に後ろから声を掛けられたの。誰もいないと思っていたから私本当にびっくりして。振り向こうとして水路に足を取られて倒れかけたの。そこを助けて下さったのが……」
「お父様? 後ろから声を掛けてきたのも」
母は嬉しそうに微笑む。
「そう、正解。咄嗟に腕を掴んで下さったけれど、あの人も水路を踏み違えてしまって、結局噴水に2人して倒れこんでビショビショになったの」
「まぁ……」
「うわぁ……お父様ってば……そこはちゃんと助けないと……」
アンナとリーナは母の話に聞き入って同じ所で声をあげた。母はそんな娘2人を見て笑った。
「私ね、紳士淑女の集まるパーティー会場で、裸足で水遊びするなんてはしたない場面を見られた上にびしょ濡れにさせてしまった事で、あの人が物凄く呆れた顔をするか酷く怒るかと思っていたの。けれどね、貴女達のお父様はどちらでもなかった。とっても楽しそうに笑って下さった。
〝私も暑くて堪らなかったんです。丁度良かった〟って仰って。
その笑顔に初めて、今までどんなに笑っていたってどの人も同じ様な仮面を被っているように思えていたのに、あの人の顔だけははっきり見えたの。
それが何だか嬉しくって、そのままずっと2人して噴水の中に座り込んでお話してしまったわ。その後風邪を引いてしまってお兄様があの人に怒ったり色々あったんだけれども……あの時思ったの。淑女にあるまじきはしたない真似をした私を笑って受け入れて下さったあの人の傍では、私は自分を取り繕ってニコニコしたりせずに、私らしくしていていいんだわって。そして、そんな私を軽蔑も呆れもせずにありのまま受け入れて下さる優しくて大らかなあの人の事を、私はとっても好きなんだわって」
「ありのまま……受け入れてくれる……」
「とっても素敵なお話ねお母様。私も心から惹かれ合うそんな出逢いに憧れてしまうわ」
ロマンチックな出会いと恋に憧れる姉の琴線に母と父の馴れ初め話が触れたのか、リーナは母の手を取り理想の恋について熱く語り出した。その横でアンナは母の言葉を思い返して一人考えてみていた。
「……私……らしく……」
面会を終え、商業区へ寄って例の如く姉と買い物をして帰ろうと馬車に揺られていたアンナは、ハッと思い出して馬車を止めさせた。
「どうしたのアンナ?」
「お母様のお話で思い出したの。私ずぅっと忘れてたんだけど、王立会館に眼鏡を預かって貰いっぱなしだったの。今受け取って来ようと思って」
「あぁ、ピクニックに出た時に確か連絡が来てたわね……それじゃあ、一度そちらに寄って——」
「すぐそこだから、此処で降りて行ってくるからいいわ。私の忘れ物だし。お姉様は先に買い物なさってて、すぐ戻ってくるから!」
「一人で行くの? やっぱり一緒に……」
「平気よ! こんな王都のど真ん中でそうそう誘拐も事件もあるわけないもの! じゃあ後でねお姉様!」
アンナは馬車からひらりと飛び降りて、心配して馬車から顔を出したリーナに手を振って王立会館に駆けて行った。
ほぼ一カ月預けたままだったが会館の職員に話をすると、アンナの忘れた眼鏡はケースと共にすんなりと受け渡してもらえた。
「おかえり、私の逃げて踠いた卑屈の象徴」
自身の手に帰ってきた眼鏡にアンナはそう声を掛けた。
姉と比べられないように下を向いて目立たないように、逃げて逃げて影になって生きてきた杏奈の卑屈さが、この度の入っていないお洒落とは呼べない眼鏡に込められている。アンナはパカッとケースを開けた。
「眼鏡のお陰で、比較して否定する声から逃げられたから生きやすくなってたの、ありがとう。でもね、眼鏡がいなくなったら、ちょっと苦しい時もあったけど、見えてなかったものも見えるようになった。声も視線ももう怖くなくなった」
見られないように隠すようにと、何処にいて何をしていても突き刺さってくる糾弾の視線を避ける為に掛けていたこの厚底の眼鏡。その視線を向ける者はもういない。あれもこれもと姉と比べて自身を否定していた杏奈はもういないのだから。
声も視線も怖くなくなった今、眼鏡に頼る事ももうしなくていいだろう。アンナは左のレンズの端がひび割れた眼鏡を取り出して掛けた。あの時は僅かにくすんで見えていた世界が、視界の左端にひびは入ったが、今は何も変わらず目に映る。
「もう大丈夫、今までありがとう」
アンナはそう呟いて、掛け納めとばかりに眼鏡を掛けたまま姉の待つ商業区の方へ向かった。
無いと落ち着かなかった眼鏡がもう必要のない物に変わって、自身の中にあった卑屈さとは完全に決着をつけられたのだとアンナは実感した。そしてもう一つの決着を付けなければいけないものへと意識を向ける。明日、ないし明後日、迷い止まったままの心に答えを出さなければいけない。
「ずっと考えてきたけど……分からない」
アンナは頭の中を整理するように小さな声で呟きながら歩く。
「でも、お母様のお話を聞いて思った。ありのままを受け入れてくれるって……それはどういう事だろうって……」
悪い方向にメレディアーナの自由奔放さを発揮しているのか、せめて令嬢らしく振る舞おうとすらもしていないアンナには、ありのままと言われてもそもそも取り繕っていないのだから常にありのままだ。言葉遣いも行動も仕草も、高位な令嬢のそれを一切意識した事がない。そのありのまま振る舞った自分を皆、認めてくれた。
「モブだって思ってたし、関係ないって思ってたから。その後もずっと、特に自分を作るようなことはしなかった……それが、私らしくいるって事なら」
偽らずありのまま。自由に思った通りに行動して、時には口調を荒げて強い言葉を使うこともあった。
「その私を特に……好きって言ってくれるのは誰かって考えたら……私が好きって思うのは……」
アンナは商業区の通りへ続く街路の角を曲がった。そして曲がった先に続く道の先から誰かがやって来るのが見えて足を止めた。従者を連れて何事かを話しながら此方へ歩いて来るその人影が段々と大きくなってくる。アンナはその人影をじっと見て思う。取り繕う事も偽る事もない、ただありのままを認めて必要だと言ってくれたのは、好きだと言ってくれたのは……。
「……クロード……」
見つめる道の先からやって来たのは、黒い衣に身を包んだクロードだった。
延ばすつもりはないのにどんどん膨らんでいく。伝わるのか不安でダラダラ描いちゃうんだろうな。
あと5話くらいなら付き合ってやるよって気持ちでいらした方すみません。
お読みいただきありがとうございました。




