五十二話 女、三十路ともなれば恋だ愛だの夢物語よりも打算的な現実
残り5話くらいって書いてからどんどん膨らんでこの部分結局3話分になりました。なんと!
前回のあらすじ——
何処に連れて来られたのかと思ったら女神の丘
ここ本当に好きなんだねー、なんで? と思ってたけど、麦畑がとっても綺麗! なるほど!
こんなキラキラのシチュエーションで、こんなキラキラのおめめした人に告られたら
告られたら……
告られたら…………
そりゃ流されるでしょ! ああ、もう! 悩みがまた一つ増えた! しかも強烈に眩しいやつが
今日もアンナは悩んでいた。一人分増えたおかげで昨日よりも更に。
それに加えて他の3人の告白には突然で驚きもあったし、あの時にはまだ姉にこそ相応しいものと思っていたので彼らの言葉を否定する気持ちがあったが、昨日のマティアスの告白は違う。
はっきりと告白されると分かっていて、そしてそれが間違いなく自分に向けられていると分かった上で受け止めた。戸惑いも、ある種の罪悪感もなく、素直に受け取ることを自分の心が許したものとして。
だからだろうか、あの求愛の余韻がいつまでたっても醒めやらない。ずっと頬が熱いままだし、目を閉じると金色の煌めきが目蓋の裏を占拠する。
この煌めきがあの麦畑のものかマティアスの瞳の色か判断がつかなくなってきた時に、背中に回された腕でグッと身体を抱き寄せられる感覚と、唇が触れる寸前まで近付けられたマティアスの顔を思い出して、煮え立つように頭が熱くなる。
「あーーーーっ! もーーーーっ!」
そして頭の中が振り出しに戻る。その繰り返しで一向に自分の心が定まらなかった。
「わかんない、わかんないよ……もうちょっと昨日の記憶が薄まってから、落ち着いて考えた方がいいのかな。でも、残り何日? 舞踏会が現実でどうなるかは分かんないから……そうしたらもう、今日入れても5日しかない。決まんないよ」
アンナは一人自室のベッドに転がってのたうち回る。
「どうしたらいいの……あんな、真剣な告白を……心からの求愛を選べるわけない。だって、考えれば考えるほど、皆素敵な人で、カッコよくて頼りがいあって可愛いくて綺麗なんだもん。その人達が全員、心から私を愛してくれてるって分かってる状況で……選ぶなんて」
アンナは両手で熱くてたまらない顔を覆って呻く。そして頬をパチンと叩いた。
「……逆に考えるってのはどう? 誰もが心から愛してくれてる今、プラス方向には振り切ってるのよ。マイナス面で考えて減算して、絞っていくの。
まずはジェレミア……あいつは若くて将来性って意味では、まぁカッコ良く育つのも分かってるし、永遠に年下で恐らく可愛いくて、それがずっと一直線で好きでいてくれるのはポイント高いけど、どうしてもイザベラがくっついて来る。
直接的な攻撃はジェレミアが防いでくれるとしても、この先の生活にはあの鬼婆との縁が切っても切れずに見え隠れすることになる……むぅぅ……ここは悩ましいところね」
アンナは仰向けになったままで腕を組む。
「次はライオット、あいつは既におっさんで、これから先もどんどんおっさんなんだけど、時期騎士団長と目される、なんだったら英雄的ポジションの人だからまず失職はないわ。元々侯爵家で辺境ではあるけど領地もデカいし、平和な世界では隣国との貿易拠点としてより栄えるかも……安定という意味では太鼓判。
でも、酒乱まではいかなくても酒好きではあるし、悪い方に人望が転がると毎日毎晩友達とどんちゃん騒ぎかもしれない……。コミュ障陰キャのカテゴリーにいる私にそんな苦行の毎日が耐えられるかしら……」
アンナは陽キャ集団に放り込まれて、陽キャ的気の遣われ方でグイグイ中央に押し出され次々話題を振られるも、ついて行けずに場が白けていく想像をしてげんなりする。
「……そういうのって慣れるのかしら……それとも持って生まれた受容体か何かで決まってるのかな……。
置いとこう、その次はエドゥアルド。彼は王城勤めの学者でもあり高貴な身分の人達の学術指南なんて立派な職業も継ぐ身。安定中の安定、エリート中のエリート。
でも普段はあの性格よ? もし不興を買ったら? 職を解かれて王城から叩き出されるかも。しかも彼は王都住まいで収入を確保できる領地はない。再就職も……王城がダメ出しした学者を雇ってくれる所あるかしら……そしてあの性格よ? 厳しそう、そんで凄く落ち込んで暗くなりそう……安定に見えて常に背中にスリルが張り付いてる状態なのかも……」
アンナはむむぅと唸って眉を顰める。
「最後にマティアス。あの人は……本当に優しくてロマンチストだから、少女漫画的な毎日が送れるかも……でも、将来性で言ったら無職濃厚な上に後々は住む場所まで追われる可能性……。
そうならなくてもあの人の周りで囀ってるご令嬢方の、怒りと悲しみと妬みと嫉みがこちらに向くってことはないかしら⁈ それが何よりも恐ろしいわよ、女って女に嫌われることが地獄の一歩目になるんだから……」
頭を押さえて悩んだ挙句にうんうん唸っていたアンナだが、はたと気付く。
「……あれ、私いま、全部好きだとか何だとか一切考えてなかったよね。あの人達の将来性だ安定性だ生活だで考えてたよね……」
思い返してみてアンナは、損得で彼らを比べた自分に幻滅した。彼らは心からの愛でもってアンナに求婚してくれているのに、その自分は何の感情もなく至極打算的でシビアな目線でもって真剣な愛に対して答えを出そうとしている。アンナはそんな自分と答えが出せそうにない状況に嫌気が差して、枕にボフンッと顔を埋めた。
「……でも……しょうがないじゃない……だって、私、実質三十路超えなんだし……。女、三十路ともなれば恋だ愛だの夢物語よりも打算的な現実へと舵を切りがちなものでしょう。どんなに少女少女して妄想世界に生きてたって、日に何度かはリアリストになる瞬間があるのよ、だから嫌になっちゃうんでしょ……って、メレディアーナはまだピカピカピチピチの16歳よ! 恋もしたことないね!」
アンナは自分で発した言葉に自分で怒って枕を叩いた。羽毛のたっぷり入った枕はボフッと空気を吐き出す音を立ててアンナの手を飲み込んだ。
「……そう、したことない。自分の事として考えたこともない。恋って何、好きって何? 出会ったら気づくだとか何だとか姉様言ってなかった? 無いよそんなの、私はお姉様に出会わせるのに必死だったんだから。もう全然わかんない」
アンナがそう嘆いて枕に顔を埋めると、コンコンとドアがノックされて珍しく父が顔を覗かせた。
「何を一人で騒いでいるんだ。ピカピカでないだとか、廊下まで響いていたぞ」
「……でないじゃない、ピカピカだ、って言ったの。何かご用事?」
アンナは暴れて乱れた髪もそのままにベッドから降りて父の下まで行く。
「ああ、ほれ、今週末は王宮で舞踏会だろう? 仕立てて預けたままのドレスをそろそろ受け取って来てはどうかと思ってね」
「……私が? なんで? 誰かに取りに行ってもらえばいいじゃない」
実にナチュラルに、使用人を多数抱える公爵家の娘らしい発言がアンナの口から出た。
「いや……でも……、最後の調整があるかもしれないだろう」
それに対してなんだか父が焦って見えるのでアンナは訝しむ。
「……調整って、お姉様が張り切っちゃって先月の内に散々やったし、その時点で出来てたんだから今更直すことなんて……仮にあっても間に合わないでしょ? あと数日しかないんだから」
「それは……そうなんだが……そのぉ……」
「……なに? どうしちゃったのお父様」
父はしどろもどろになってモゴモゴと何事かを喋ると、一旦腕組みをして唸ってからアンナに向き直った。そしてゴソゴソと懐に手を入れると内ポケットから数枚の紙束を取り出してアンナに握らせた。
「リーナには内緒だぞ、怒られてしまうからな。それで好きな物を買っていいから、とにかく行って来なさい。場所は分かるな? 王都の舞踏会用のドレス専門の仕立て屋の……」
「それは分かるけど何急に、なんでお金なんて」
「いいな、くれぐれもリーナには内緒だぞ」
父はアンナにそう言ってウィンクしてから部屋を去って行った。アンナは思いがけず手に入れたこの国の通貨を握りしめてその背に問いかける。
「ねぇ! だから結局なんで行かなきゃいけないの?」
父は振り返ってもう一度ウィンクしてみせただけで、何も答えはしなかった。
その日の午後、お金も受け取ってしまったし部屋にいても堂々巡りの為、アンナは従者を連れて言われた通り王都の仕立て屋に来ていた。リーナの監視も最近は緩く、ピアノのレッスン中だった事もあってすんなり屋敷を出て来られた。
仕立て屋に話をするとすぐに持って来てくれたが、やはり預けていたドレスに今更手直しを加える所もなく、恙無く受け取り店を出る。
このドレスは王宮の舞踏会専用の特殊な染料を使って作られていて、仕立てを許可されている店舗は王都に数件しかない。この染料と言うのが暗闇で淡く光るようになっていて、逸話に因んで誰が誰だか見分けがつかなくなるように薄暗くした会場で、夜空の星か月影の如くこのドレスに身を包んだ令嬢達をほんのりと浮かび上がらせる仕様になっている。リーナは去年の成人の時に新調したばかりなので今回は初参加のアンナの分だけ仕立てていたのだった。
「私が受け取らなきゃいけない理由があるのかと思ったけど……何にも無いじゃない。お父様のあの態度は何だったのかしら」
馬車に荷物を載せる従者を眺めながらそう思っていると、通りの向かいの店の商品がふと目に入った。
「あ! ちょっと見てくる!」
アンナは言うよりも早くその店の前まで駆けて行き、店内から街路に向けて展示してあるショーケースの中のアイテムを、店の外ガラスに張り付いてまじまじと見た。
「これが、ストームボム! 丸くって黒くって手の中に隠れちゃうくらいの……何なの? 何に使う何なのこれは? 何にも書いてないけど……。あ、こっちは女神の風切羽ね。へー、思ったより小さい。募金のアレっぽいし色がいっぱいある……のかな? 自分で色を付ける? ふぅん……」
アンナはそこまで説明書きを読んでハッと閃く。物凄く不自然な流れだったが、父がどういうわけかお小遣いをくれたのだ。それは即ちアイテムを買えと言う天啓なのでは、と。
アンナは嬉々として値札を見る。ストームボムさえあればコルに会えるのだ。そうすれば悩みすぎて答えの出せなくなったこの求婚問題にも、きっと一石を投じてくれる言葉をかけてくれるだろう。あの時、杏奈の押し込めて来たものに気付かせてくれたように。
そう期待したがすぐにそれは打ち砕かれた。目当てのストームボムが手持ちでも貯金箱をひっくり返しても到底足りない、べらぼうな値段だったからだ。
「……そうだ忘れてた。これってば消耗品の癖に恐ろしく高いんだった。だから暇な時間は全部お父様に媚びてたのよね……」
アンナが落胆して店の前でガックリ肩を落とした時、ガバッと後ろから腹の辺りに男の腕が回されて、グッと後ろに引き倒されそうになった。
「——っ⁈ なにっ——⁈」
倒れかけた所を男の小脇に抱えられるような形で後ろ向きのまま引き摺られていく。
(やだっ! 誘拐⁈)
驚き慌てたアンナが暴れるも、男の腕はびくともしない。抵抗虚しくそのまま背後に止まっていた馬車に放り込まれてしまった。
「いった……なに⁈ 本当に誘拐⁈ 寂れた街道ならいざ知らず、こんな王都のど真ん中で⁈」
そんな馬鹿なと思いつつもアンナの心に段々と恐怖が染み込んできた時、ガタッと馬車を揺らして誘拐犯が乗り込んで来た。
「——! え……あんた……」
澄ました顔をして乗り込んで来たのは誘拐犯改めクロードだった。
主人公が引きこもり気質すぎて
お読みいただきありがとうございました




