四十五話 それが私の天与の使命
ちゃんと、繋がってるかな……
前回のあらすじ——
え、何? なんでねぇねナイフなんて……なんかヤバそう……
ヤバイと言えばこのゲーム大丈夫なのかしら
仮にも乙女ゲームの癖に、私、告られた場所がなんの思い入れも映えもない薄暗い通路and通路+廊下なんだけど……
こういうシーンって一番大事なはずだよね? どうなってんの? ここで差し込んじゃえっていうノリが見え隠れしてない?
なんて現実逃避して愚痴ってたら、ボムの上着ズタズタ、ねぇねの目ギンギン、ナイフギラギラ!
これはもしや、殺戮の天使エンドを迎える⁈
ヤバイ! 次の回の1行目に
「ブスリと刺さったナイフによってアンナはいきたえた」
とかって唐突に最終回になるかも⁈
「私のものにしてしまいたい」
トスッとナイフが小さな音を立てて絨毯敷の床に落ちた。
持ち上げられた右手は同様の動きをした左手と共に、アンナの両頬に伸ばされそっと包むように優しく触れた。
振り上げられた腕から凶刃が胸へと突き立てられる想像をしていたアンナは、予想外の姉の行動に目を丸くして驚くばかりだった。
「お……ねぇ……さま……?」
「可愛いアンナ、私のアンナ……」
そう呟いたリーナが切ない表情でアンナを見つめる。アンナも驚いて自分が映り込んだ薄緑の輝く瞳を見つめ返す。
「貴女が生まれた時にね、幼心に私気付いたのよ。あぁ、私はこの子を待っていたんだって。いいえ、逆ね。この子の為に私は生まれて来たのだって」
瞳を潤ませ頬をほんのり紅く染めたリーナは、アンナに顔を寄せて吐息の様に囁く。
「女神の下から貴女が遣わされてこの家にやって来たあの日から、ずっと、私がこの子を守るって心に誓って生きて来たの。貴女を護る。それが私の天与の使命と信じて」
リーナはアンナの頬を包む手を滑らせて耳朶を細い指で擽る様になぞると、その指にアッシュブロンドの髪を絡めた。耳元で弄ばれる髪のくしゅっと擦れる音がする。
「貴女がいつか心から愛し合える人と出会って幸せになる日まで、私が大切に守っていく。それが使命だと思っていたの……思っていたけど……でもいざそうなってみると、私以上に貴女のことを想う人がこの世にいるとは思えない」
悩ましげに眉根を寄せて潤んだ瞳の上気した顔を、リーナは更にアンナに近付け額と鼻先を触れ合わせる。
先程までのリーナの殺気に怯懦していたアンナは、急変したリーナの甘やかな声音と態度に驚きを超えて茫然としてしまう。
(何……お姉様どうしちゃったの……殺戮の天使に堕天したんじゃなかったの……? これじゃ……まるで……)
「私以上にアンナを愛し守れる人間はこの世界にはいないと、貴女に集る男性達を見て確信したの」
至近距離で恍惚に似た表情を浮かべた天使が見つめている。その美しい瞳に吸い込まれそうになってアンナの意識もぼんやりしてくる。
「誰にも貴女を渡したりしない。この先もずっと、私が貴女の側にいて守り続ける」
リーナは近付けていた顔を少し離して正面からアンナを見た。
耳元で癖毛をくしゅくしゅと弄っていた右手の華奢な指が、ゆっくりアンナの顎のラインに沿って頬に戻って来て、唇に辿り着く。
触れるか触れないかのギリギリを、丁寧に手入れのされた指先が唇の縁を端からなぞって中央で止まった。
そっと触れるその指先に、潤んで艶めく薄緑の瞳に、切なく悩ましげな表情で頬を紅潮させた姉の姿に、アンナはぼんやりとしていた意識の中、ハッと思い至る。
これは惨殺されるエンドを迎えるルートではない、と。
甘美で耽美なあの世界の扉を開いたのではないか、と。
「愛しているわアンナ」
美しい天使の唇から色めく吐息と共に囁かれた言葉にアンナは確信した。
(——百合だ! 殺戮の天使なんかじゃない、これは、禁断の姉妹間百合ルートだ! 許されざる愛の道にお姉様は堕天した! 禁断のルートは百合だったんだ!)
衝撃と淡い歓喜に首筋がザワッとした。惨殺を避けられたからか、攻略マニア故か、その歓喜が何に起因するのかアンナ自身も定かではないが、今までの驚きで止まっていたものが衝撃を受けて一気に動き出した。
鼓動が急に大きく鳴り出して、顔がかあっと熱くなる。リーナの手が触れている部分が熱っぽく感じられて頭の中が姉が発した甘い言葉でいっぱいになる。見つめ合う二人の間を甘く切ない空気が満たし、耽美な世界が広がっていくのを肌で感じて、酒に酔っているかの様にクラクラしてくる。
普段清楚なリーナの、美しく色香を漂わせる秋波にのぼせる思いがして、アンナは意識が飛びそうになった。この美しい堕天使となら百合ルートも吝かではない、そう思わされてしまう。
「おねえ……さま……」
「アンナ……」
愛おしそうに名を呼ぶリーナの声に首の後ろ辺りがぞくっとした。見つめる先にあるとろんとした薄緑の瞳に全てを委ねて溶けてしまいたくなる。
そうすれば、受け取るには重いあの告白や直面している現実の何もかもも、この耽美な世界の前に消え去る気がした。
こうして愛する姉の側で百合の世界に耽っていれば、自分の事など考えなくて良いのだ。何もかも頭の中から追い出して、ただ姉の事さえ考えていれば、もう誰も追いかけては来ないし誰の声も聞こえない。この胸の苦しさも忘れられる。そう思った。
「貴女を煩わす全てのことから守ってあげる。だから何処にも行かないで」
唇に触れていたリーナの指がまた頬に戻ると、アンナの耳の後ろ辺りを撫でていた反対の手が、輪郭を指先で確かめる様に首筋から肩へ、そして腕の上をゆっくりと移動して、脱力してだらんと投げ出されていた右手に至ると、するんと溶け合う様に指を絡めて繋がれた。
「誰にも触れさせない。この手で守ると誓うわ、私だけの愛しい妖精」
リーナは繋いだ手をぎゅっと優しく握って自分の顔の近くに持ってくると、アンナの手に頬擦りする。
「愛しているわ。ずっと私の側にいて」
愛おしむ心の込められたその仕草と言葉に、甘ったるい声に、アンナの思考も心も絡めとられて溺れていくようだった。
姉の望む通りに、姉の幸せの為に、この身で出来る全てを使って、姉の影として生きることが天命なのだと信じていた。そうでないと知って絶望してここにいる意味すら見失ったが、これが今の姉の望みなのだ。
トゥルーエンドの結婚こそ姉の幸せと盲信して当の姉の想いに心を寄せる事なくいたが、その姉は今、アンナとの百合エンドを切望している。
姉の為に、姉の影として、姉をサポートする。
今ここで姉の望みを叶えれば、その信じた使命が果たせる。けれどそれは、自分を生きる事をやめて影に徹してきた杏奈の生き方だ。
だが逃げていると言われても、やはりそれが己の生き方なのだと認めてしまえば楽になれる。そうしておけば、向けられたあの眼差しも暖かい手も穏やかな笑みも、苦しい現実の何もかもは、影が受け取るべきでないものとして今まで通り逃れられる。
『貴女に向けられたものは、真実、貴女の為のものですから』
あの言葉が耳の奥で響くが真実など知らない。それは姉の前には全て虚像になるのだから。
何もかもをその眩しい光で足下の影に押し込めてくれる。比較する目も、相応しくないと責め立てる声も、受け止めきれないあの心からの求愛も。
あの光の前では、向けられた何もかもが翳って霞む。だからあの光の下にいれば、聞こえてくる声からも突き刺さる視線からも、全てから背を向けて耳を塞いで何にも向き合わずに生きていけるはずなのだ。
姉の影になって、姉の光の下に生きていけば何とも戦わなくていい。側にいれば全て黒い影に塗りつぶされて、ただ唯一姉だけが基準となる頂きとして、正しく真実になるのだから。
「アンナ、私のものに、なって」
甘美な空気に魅了されて朦朧としてきた意識の中で、リーナがそう呟いた。甘い囁きに脳が痺れて考える事を本格的に諦めだす。
姉の影でありたい。
主役になど到底相応しくないから。
良いものも悪いものも向けられる全てを放棄して、眩い光が作る影の中に逃げ込みたい。
そうすれば、アンナをアンナとして受け入れてくれるこの優しい世界の中にいても、尚聞こえてくる姉と比較する声だってきっと止む気がするから。
『何から逃げているのですか?』
あの質問が頭の中でこだまする。
逃げている、その通りだ。ずっとずっと逃げている。
どんなに耳を塞いでも内側から囁かれる、お前には相応しくないと責め立てる声から。どこまで逃げてもずっと傍らから注がれる、違う違うと比べ続ける視線から。
姉なら、姉の方が、姉だったらきっと。何においても全てにその基準を設けて、姉と自身を比べて否定し続ける心から。
チクッと刺さった小さなトゲを育てて大きなコンプレックスに変えて、呪いをかけ続けていたのは他の誰でもない自分自身だ。
あの雨の夜の質問にようやく答えが出たが、姉の眩しさに目が眩んで頭が真っ白になったアンナには、もうそんなものは些末な事だ。
その答えも苦しさも、この眩い光の前にきっと全てが影になって消えてくれる。そう希ってアンナは姉に応えた。
「はい、お姉様。貴方が私に望むなら」
自分の一切を放棄して姉の事だけを考えて、渦巻くものはすべて影に沈めてしまえばもう苦しくない。
姉の幸せの為に、今まで通りモブとして姉の影に徹する。それが自分の天与の使命なのだと思い込ませて。
「アンナ……愛してる」
ゆっくり降りてくる姉の花弁の様な唇に、アンナは身も心も委ねた。一瞬だけコルの声が聞こえた気がして、チクンと微かにどこかが痛んだ。
おでことおでこをごっちんこして見たら、多分そこに居るのは一つ目の化け物だろ、と分かってたけど流れでそのままにした。もう少しねちっこくやるつもりだったけど全体的に抑えめになっててちょっぴりやり残した感。
お読みいただきありがとうございました。




