四十三話 オーバーフロー
すべき事もせずに書いてなんとかなった……ような気もしないでもないけど……してないかも
前回のあらすじ——
誇りだなんだを振りかざしてるあんたがやろうとしてることは、弟バカにしてる事になんのよ!
ってド直球投げてやったら改心したみたいね
36のおっさんを凹ます程の危険球を投げた私は退場かも知れないけどスッキリしたし構わないわ
ところで36をおっさんって呼び続けるのはそろそろ心苦しいの。何故かって? 実質三十路だからよ?
それ以上は察さないで、約束だゾ
試合も終わったし帰ろ……って酒はマズい! 返してこなきゃ!
またこのあんまり触れたくない構造の通路を使わなきゃいけなくて辛いけど、ご都合よろしく橙に会えた!
そうよ、私に感謝なさい? あんたと弟が笑いあえたのは偏にこの私、導きの妖精の……
ん? 妖精……
あれ? 嘘でしょ? だってこれは緑のイベントなんだから
どうして、あんたまで跪いたりするのよ?
ぶちぶちぶちぶちっと、一本の枝に細かく小さな葉がびっしり茂る名までは知らない庭木を、アンナは花占いでもしているかの様にその枝が何本も丸裸になるまで朝からずっと毟っていた。
無心になれれば良かったが、毟っても毟っても頭の中が昨日の2つの出来事ですぐに一杯になる為、枝を何本剥こうとも手が止まらない。一日で2人から求愛されるなど想定外も想定外で完全にキャパシティを超えてオーバーフロー状態だった。
親愛度に関わらず結婚する事が目的のラブ・バーストでは、その決断を下すのは最終日の強制イベントなので告白は言ってしまえば通過点でしかない。
おまけにイベントを発生させなければ告白自体を避けられるので、はっきり言うと、されてもされなくてもゲーム進行上問題はない、特別なスチルが見れるだけに過ぎないイベントだ。
ただしそれはゲームの上での話であって、その世界を現実として生きているアンナには、あの告白を『通過点』の言葉で到底流せる筈もない。
あの2人の眼差しが、愛を紡いだ言葉が、あの時の鼓動の激しさと身体の熱が頭の中をずっとぐるぐるするので、その記憶から抜け出そうともがいて枝葉を毟る手も止まらないのだった。
「うー……どうしろっていうの……どうしろって……」
アンナは葉を毟りながら呻く。
「何をまんまと求愛されてるの……でも、あれは避けようがないと思うの。オリジナルでは西陽差す屋敷のホールで舞踏会ごっこして告白なんだもん。それが、あんな薄暗い映えない通路で……あれがジェレミアのイベントと思わないじゃない。そもそもジョストはライオットのイベントなんだから」
アンナはジェレミアの真剣な深緑の眼差しを思い出して、葉を毟る手を止めた。感情が昂ぶると涙を堪えられない幼く未熟な少年でありながら、あの一瞬に見せた一途で強い想いに心が揺れた。
「……ライオットにしたって、あれは夜会で親しくなって招待される、ただの親愛度大量ゲットチャンスのイベントだった筈で、告白されるなんて……しかもジェレミアのイベントと二重構造になってるとは想定しないじゃない」
今度は叙任式の様に跪くライオットの姿を思い出してまた胸がトクンと鳴った。鬣と同じ色をした包み込むような安心感を与える瞳にアンナだけを映して、無骨に愛を口にした頼り甲斐のある男に身も心も預けてしまいたくなった。
「……しかも、どっちもLockされてる。碌に会ってないのに……いつ発動してたんだか知れないけどボムのせいとしか思えない。でも経緯がどうあれ、あの状態ってことはトゥルーエンドが確約された、心からの……」
跪いた2人からあの時向けられたものは、打算や計算のない純粋な愛なのだ。それをしっかりと認識し直して、アンナは細かい葉っぱが付きまくった手で髪を掻き毟った。
「それをどうしろっていうの。あんな事言われたって、ああいうのは全部、私の様なモブのものじゃなかったんだから分かんないよ……ああいうのは、全部……」
毎晩繰り返し攻略したラブ・バースト。何度も見て聴いてきた攻略相手が囁く愛の言葉、告白のシーン。
けれどそれを自分に引き寄せて受け取った事は今までになかった。両隣で悶える双子を横目に、急な変更も考慮した攻略手順の組み立てに命を燃やしていただけで、攻略相手に一人として思い入れや特別な感情を持ったことは無かった。
例え架空の世界の話でも、どこか自分には縁のない話だと端から切り離して考えていた。
「……もっと、受け取るに相応しい人の物だと思ってたから……」
その切り離していた世界の中心に急に据えられて、この先の展開も自分の心ももう分からない。どうすればいいのか。
「……お嬢様? 何をなさっていらっしゃるんで……」
蹲み込んで項垂れていたアンナの背後から誰かが恐るおそる話しかけてきた。誰だ、と振り向くと通いの庭師の男だった。
(……庭師のおじさんか……)
そう思って返事をしようとしたアンナは、男の視線がアンナをすり抜けて後ろの生垣の木に注がれている事に気付いた。
「——やばっ!」
「お、お、お、おじょ、うさま、な、何を」
数日に一度やって来て庭を綺麗に手入れしてくれる緑を愛する庭師は、アンナが毟りに毟ってぽっかり穴が開いた様に枝を剥き出しにされた生垣の無惨な姿に青ざめていた。
「ご……ごめんなさぁい!」
庭師の男が茫然としている間にアンナは脱兎の如く屋敷に駆け戻った。
「……いけない、いけない。やり過ぎちゃった。庭師のおじさんごめんなさい、庭木ちゃんも毟ってごめん」
アンナは小さな声で謝りながら部屋に戻ろうと廊下を歩く。景観を著しく損なうほど毟ったが、結局頭の中は整理されない。
はぁ、と溜息を吐いて部屋のドアノブに手をかけるが、汚れたままなことに気付いて手を洗って来ようと、クルッと踵を返して廊下の角を曲がった所で、ドンと何かにぶつかった。
「いたぁっ!」
「すみません、不注意でした……」
聞き覚えのある声に、ぶつけた鼻を押さえながら確認すると、案の定そこに立っていたのはエドゥアルドだった。
「あ……」
あの星の夜と同じ様に気不味くてどちらからともなく目を逸らす。そして再演の様に、また少ししてエドゥアルドが話し始めた。
「すみません……お怪我は」
「大丈夫……何かご用? 今日は家庭教師の日じゃなかったと思うけど……」
「その事で、伺いました。大変申し訳ないのですが、家庭教師の任を退任させて頂く事になりましたのでご挨拶に」
え? とアンナがエドゥアルドを見ると、藍色の静かな瞳もこちらを見ていた。
「この度、少し早いですが父の任の一部を引き継いで学術指南役を務める事が決まりました。伴いまして、メレディアーナ嬢の家庭教師をお引き受けすることが難しくなりましたので退任させて頂く運びに……。後任が必要であればどなたかご紹介出来る旨はお父上にお伝えしてありますので、メレディアーナ嬢もご希望があれば……」
「あぁ……そう、ありがとう……」
アンナはぼんやりと、終わるのか、と思った。オリジナルでは主人公に別段関係ないので、家庭教師は特にいつまでということもなく続けられたままエンディングを迎える。だからこの世界でもこちらから終了を告げない限り続く物だと何となく思っていた。
メレディアーナを落とす事が目的の相手役が、落とせなかった後も側に居られる設定じゃおかしいからか、と残り一週となっているこのゲームの補正を俯瞰して一人納得していた時、不意にエドゥアルドの手がアンナの髪に伸びてきた。
「な、なにっ⁈」
アンナはバッと髪を押さえた。
「……葉っぱが」
エドゥアルドは、先程アンナが頭を掻き毟った時に絡んだ葉を髪から取って摘んで見せた。
「……沢山付いています。猫の様ですね、何処を歩かれたんですか」
「に、庭に居ただけよ。後で自分で取るから、ありがと!」
葉を取ってくれようとするエドゥアルドを遮ろうとアンナが手を翳すと、その手をぎゅっと掴まれた。
「——っ!」
「……メレディアーナ」
呼ばれて反射的にエドゥアルドを見てしまうと、ともすれば普段はぼんやりとも取れる底の見えない無表情な瞳に、今は強い意志が灯っているのが見て分かった。
「……何度もすみません。貴女の答えは分かっているんです。ただ、すごく身勝手な事と理解しているのですが、どうしても……どうしてもお伝えしておきたくて……」
手を握られて逃げられなくなったアンナは、なす術なく黙ってエドゥアルドを見上げた。
「私は……周りに、人に、あまり関心がありませんでした。興味があったのは歴史の事だけで……それ以外は切り離された世界の出来事だとどこかで思っていました」
対象は違うが、似た様な思いをアンナも抱えている。
「私が興味が無いのだから、逆もまたそうだろうとも思っていましたが、自分がそちらの世界に混ざれない取るに足りないつまらない存在だとも思っていました」
エドゥアルドの言葉に、双子の輝きを見上げるあの時の気持ちを代弁されたようでほんの少し胸が苦しい。
「けれどそれを、融通無碍な貴女が軽々と飛び越えて橋を架けてくれました。自分には出来ない、違う、持ち得ないと思った物は、自分がそうと決めて閉ざして来ただけで、手に出来るんだと気付かせてもらいました」
エドゥアルドがはっきりと微笑んだ。けれど何処か哀しそうに見えて、アンナはますます胸が苦しくなる。
「貴女のお陰で少しだけ人と関わることに、自分に、自信が持てました。貴女に出会えて変われた気がします。だから、これは貴女に応えて頂きたい訳ではなく、ただ本当に聞いて頂きたいだけの、感謝に似た気持ちなんです」
人に関心を持たず自分の世界に閉じこもっているキャラのエドゥアルドは、そう『変われた』と、トゥルーエンドの目安になる言葉を口にして、アンナの手を握ったまま片膝を床に付いた。
「メレディアーナ」
再度名前を呼ばれて、アンナは跪いたエドゥアルドの優しく揺蕩う藍色を見返す。
「貴女の事が好きです。こんな風に想ったことは初めてでした。誰かを好きになれるんだと気付けて、それが貴女で良かった。ありがとう」
そう言ってエドゥアルドは今まで見せた中で一番の笑顔を浮かべた。
その笑顔を見せるのは自分にじゃない、とアンナは咄嗟に否定するが、脳裏にあの図書館の事が浮かんで、繋いでいない方の手で、抱きしめられた感触の蘇った腕をぎゅぅっと掴んだ。エドゥアルドはそんなアンナをしばし見つめてから、ゆっくり立ち上がった。
「……聞いて下さってありがとう。また、逃げられてしまうかと思いました」
「……あ、あれは……」
「いいんです、あれは私がいけなかったので。あんな……感情に任せて抱き締めてしまう程、貴女の事を好きなのだと自分でも思っていなかったので、抑えられませんでした」
かぁっとアンナは顔が赤くなるのを感じた。この常に冷静な男が自らを抑えられないほど、強い想いを自分に向けているのだと実感してしまって胸が鳴り出す。まだ繋がれたままの手から伝わる熱が全身に広がっていくような気がした。
「……10も違いますから、貴女の返答は分かっていたんですが、あの時は……すみません、一方的にお伝えして私だけが気持ちに整理をつけて。忘れて頂いて結構です」
忘れるなどと無理な話だ。もうこの身体にあの記憶も熱も感触も蘇った後なのだから。ぎゅぅっとまた腕を強く掴んだ。
「……では、これで。突然すみませんでした。失礼します」
エドゥアルドはアンナの手を離すと軽く頭を下げて身を翻した。
アンナはやっぱり何も言えずにその背を見送ろうとしていた時、エドゥアルドは踏み出した足を止めた。
「……メレディアーナ嬢、ただ、あの舞踏会には参加しようと思うんです。だから、もし……私が貴女を……」
そこまで言ってエドゥアルドは、はぁ、と溜息を吐いた。
「自分の中に、誰かに対してこんな執着心があったとは驚いています。けれどそれだけ、自分でも把握出来ていないくらい本気だという事ですよね……」
そして振り向くと、晴れやかに笑って言った。
「あの舞踏会で私は貴女を探します。そこでもし貴女が選んでくれたら……そのくらいの希望は持っても……許されますよね」
アンナの返答を待たず、ペコッと礼をするとエドゥアルドは今度こそ行ってしまった。アンナは彼の姿が廊下の向こうに消えるまでボーッと眺めて、見えなくなると同時にその場にへたり込んだ。
受け止めるには重い物がまた一つ増えて頭をもたげる。そもそも受け止める器を擁していないのに。
あの真剣な眼差しも、全てを包んでくれそうな手も、自分にだけ見せてくれる笑顔も、受け止めるに自分は相応しい受け皿ではない。それなのに向けられるものが大き過ぎて溢れ出すから胸が苦しくてたまらない。
溢れ出したそれらが段々と相応しくないと責め立てる声に変わっていく。姉ならきっとこれを受けるに相応しい、そう思えてならない。
姉なら、姉の方が、姉だったらきっと。
そう責め立てる声に耐えられなくなって、アンナは立ち上がるとリーナの部屋まで走り出した。
この世界の主役もシナリオも責め立てる声も苦しさも全て、姉の眩しさならばきっとあの強い光の下に出来る影に消し去ってくれる。そんな気がして廊下を走って、リーナの部屋のドアをノックもなくバタンッと開いて飛び込んだ。
「お姉様っ!」
部屋の中央に立っていたリーナは突如部屋に飛び込んで来たアンナに驚いてビクンッと身体を震わせた。
窓から差す陽の光で逆光になる中、辛うじてリーナと分かる真っ黒な人影にあって何故かはっきりと認識できた見開かれた薄緑の瞳が、驚いた様子でアンナに向けられた。
普段の様子と何処か違うと瞬時に感じてアンナは駆け寄る勢いを失い、閉まりゆくドアを背にして足を止めた。
「……アンナ」
そう呟いた姉の声は至って普通で何も問題はないのに、アンナの背筋を冷たい物が伝っていく。逆光で表情は窺えないが何かが普段と違う。纏う空気が、淡く光って見える薄緑の怖いくらいに綺麗な瞳が何か違う。
なにが、と原因を探して、アンナの目がリーナの振り上げられた右手に辿り着く。窓から差す光がアンナが気付くのを待っていたかの様に、その右手に握られた物を照らして煌めかせた。
華奢なシルエットのリーナの右手に握られていたのは、切っ先鋭い小型のナイフ。
白と黒が21くらい、緑が13、橙が36、灰は23〜4の予定だったのに勝手に年取っててびっくりした。
お読みいただきありがとうございました。




