三十六話 星空そっちのけ ②
前回のあらすじ——
大丈夫、私なら出来る、落ち着いて。まずは騎士から……
って、うっさいわね、邪魔しないでよジェレミア
はぁ? 手ぇ繋げ? 誰がそんなこ……
やめて、その目で見ないで、無理耐えられない、あぁ可愛い、もう好き、シナリオ無視であんたでいいよ、飼いたい、好きぃ
……ちっ。絆された。しかも繋ぎ方も間違った。これじゃぁ逆に意識しちゃうし、急に握るとか! やめて! って前に酔っ払い!
落ちる——と思ったけどジェレミアに受け止めてもらって助かった。
あぁ……ヤバぃ、更に意識しちゃう。生意気で可愛い従兄弟に押し込めておけなくなる……
ダメダメ! 自分をしっかり持って! 全てはねぇねのために! ねぇねがこの世の全て!
そのねぇねは居ないけど橙はめっけ! プラン変更で先に橙を攻略よ! 慎重に……
敵「きゃわーん! おいら大ファンなんでしゅぅ」
…………はぁん?
相関関係で浮いた存在のジェレミアではあるが、それは相手方から何とも思われていないだけで、ジェレミア側からは一方的にライオットへの憧憬に見られるような感情を相手方に抱いていたりする。
相手への影響は微量だが、相手からの影響は非常に受けやすい、まだ確固たる自分が成熟しきっていない少年らしさが相互作用にも反映されている面倒なキャラなのだ。
つまり今、エドゥアルドの親愛度を下げる為ライオット好みの返答をすると、もれなくジェレミアの親愛度も爆上がりする危険がある。
とにかくエドゥアルドの事で頭がいっぱいで、つい関係が近い上に子供だからと侮ってしまいがちだったが、考えてみればジェレミアも同じレベルに対処を求められている存在だと気付きアンナは密かに焦り始める。
「誰かと思えば……これは奇遇ですねメレディアーナ嬢。ご体調はその後如何ですか」
そこへ気さくなおじさんを地で行くライオットから敬語で話しかけられて、ぞわっとしたアンナは奇妙なものを見る目をして思わず振り向いてしまった。
「で……ですかぁ? 何で敬語ぉ?」
そんなアンナの目を見てハッハッと笑ったライオットは、弟をその場に残してグラス片手に歩いて来ると畏って礼をした。
「こういった正式な場では御無礼があってはなりませんので。またお会い出来て光栄です、サーヴィニー公爵令嬢メレディアーナ嬢。先日は私の所用に貴重なお時間を割いて頂き——」
「やめてやめて、何か鳥肌立っちゃう。普通でいいから、お礼しなきゃいけないのもこっちだし。先日は助けて頂いて、あの、ありがとうございました」
アンナも慌てて礼をすると、後ろにいたジェレミアが大きな目を輝かせてアンナの顔を覗き込んできた。
「お、お知り合いなのかアンナ⁈」
「あぁ……うん、そうね、この前歩けなくなっちゃった所を助けてもらって」
「知り合いならなんで教えてくれないんだよ!」
「私だって会話したのは先週が初めてだからよ! もー煩いわねさっきから!」
「ハッハッハ、仲良いな。弟……か?」
喧嘩し始めた2人を止めるようにライオットが笑い声をあげると、話しかけられて嬉しかったことが一目で分かる顔になってジェレミアが元気よく答えた。
「違います、従兄弟です。は、初めましてライオット卿。僕、ずっと貴方に憧れてて、この前のトーナメントも……」
勝手にライオットにファン熱をぶつけ始めたジェレミアを置いて、アンナはその場からそっと距離を取り始めた。ジェレミアの脅威に気付いた今、ライオットを攻めるのは悪手だと思いプラン変更を余儀なくされている。
(ジェレミアは子供キャラ故の補正か、身内で元々距離が近いっていう他のキャラよりも主人公との仲にアドバンテージがある。
その差のバランスを取るために相互作用で影響されやすく設定されてるんだけど、これは逆に言うと何処でどいつにどの様に影響されるのか分かってさえいれば、終盤であっても爆速で親愛度を溜められるキャラでもあるという事よ。
つまりここでアドバンテージもそのままにあいつの推しのライオットの親愛度を上げる返事をしようもんなら、ジェレミアの親愛度も一緒に爆上がりで手が付けられなくなる……。
ライオットからエドゥアルドへの干渉は諦めて、白黒から狙った方が無難ね)
アンナは興奮して喋り続けているジェレミアと笑顔で応対しているライオットを視界に納めながら徐々に人混みに紛れていく。十分に離れた、そう思って身を翻した時グッと腕を掴まれた。
「なに⁈」
驚いて、掴んで来た腕に視線を這わせると、不敵な笑みでアンナを見下ろしているクロードと目が合った。
「あっちでもこっちでも一人でフラフラと、また飲んでるんじゃないだろうな不良妖精」
願ったり叶ったりで登場したクロードにアンナはグッとこぶしを握る。
(ラッキー! 探し回る手間省けた!)
「またって、失礼ね。そもそも飲んだことは無いんですけど」
「どうだかな……おい、それよりもライオット卿と話していたな? 知り合いか」
「また……そっちこそ毎回どこから見てるのよ……。そうよ、ちょっと助けて貰ったりしてご縁がね」
「そうか、なら卿に俺を紹介しろ。王国騎士団に僅かでも伝手が欲しい」
なんでそんな事をこの私が、と普段なら思うところだがアンナはニヤリとする。ここでこの男に媚びておけば確実にエドゥアルドの親愛度を下げられる。
野心を隠そうともしない男に協力するのは如何な物かと思う所はあるが、一先ず置いておいて二つ返事で応じようとしたところ後ろから覚えのある声がした。
「おや、この場でお会い出来るとは奇遇ですね。いえ奇遇ではありませんか。私と貴女はこの夜空に輝く星座の様に、きっと一つに繋がっているんですから」
歯が浮くポエミーな台詞をサラッと吐く人物をアンナはこの世界で一人しか知らない。そう思って振り向くと、アンナの後ろにマティアスが立っていた。
「こんばんはメレディアーナ嬢。いつもは夜空の主役の星も、今宵ばかりは貴女の美しさに引けを感じているみたいですね」
騎士Wゲットで喜ばしいかと思いきや、ニコニコと柔らかく微笑んで曇ってきた空を指差すマティアスに、アンナは一抹の不安を感じる。
「雨が降るかもしれませんね。宜しければご一緖に中へ移動されませんか? あ……と、すみません、ご歓談中でしたか。これは気付かずに……」
マティアスはそう言ってアンナの腕を掴んだままのクロードへ目を向けた。あ、とアンナは思う。
「……なんて、わざと邪魔したんですけどね」
いつもの柔和さが消えて、鋭い目つきでクロードを睨んだマティアスが、滅多に見せない悪い顔をしてニッと口の端を持ち上げた。やっぱり、とアンナは嘆く。
(鉢合わせ、これは避けたかったのに……)
白と黒は新興の貴族で、戦争真っ只中の当時、民間より志願して従軍し著しい戦果を挙げて貴族階級に成り上がってきたどちらも元は平民の家系だ。
性格こそ真逆であるが、2人はそういった境遇も似ているし、年齢も同じで騎士としての力量においても拮抗しているど真ん中のライバルであった。その為顔を合わせれば、バチバチ爆ぜる火花が見えるくらいお互いを意識し牽制しあっている。
その関係は勿論相互作用にも色濃く反映されていて、あちらを立てればこちらが立たずで、同時に2人の親愛度をどうこうしようとすると非常に難しくなる。それをいつもやらされていたわけだが。
(そこでボムの出番なんだけどいま私はストームボムを所持してないし、この場においては二人の親愛度は後回しでいいのよ。エドゥアルドを下げる事が最優先。だけど、2人揃っちゃうと……)
アンナはチラッと2人の様子を窺う。
「……人の話に割って入るとは、礼儀がなっていないんじゃないか」
「礼儀? 貴方に言われたくはないなぁ。御令嬢の腕を掴んで拘束するなんて不躾な真似をしている貴方に」
アンナの頭上でバチバチと啀み合う2人に、この状態で会話の誘導は無理だと結論を出して、一旦ここを離れ一人になった所で再度接触を試みる作戦に変えた。その間にリーナと合流してしまえば一石二鳥だ。
「お取り込み中の所悪いんですけど、私お姉様とはぐれちゃって探してる最中なの。離して下さる?」
アンナはクロードの手をぺっと雑に振り払うと2人の間からするんと抜け出た。
「待て、鼻持ちならない気取った男に邪魔をされたがまだ仕立ての件でも話が残っている」
「メレディアーナ嬢、お一人では危ないですよ。いつまたこの様な不届き者に出会うとも限らない」
お互いがお互いを面罵して睨みつけあっているうちに、アンナはご機嫌ようとスカートを翻して人の群れに急いで紛れ、リーナを探しに3階に向かう階段へと走った。
「騎士を見つけるところまでは上手くいったのに邪魔が入るなんて……1人ずつ会話パートに入れるゲームとは違うわね。でもいいわ、出現場所は分かったからお姉様を速攻迎えに行って戻れば、そう遠くへは移動しないでし——」
その時、持ち前のスキルで動線を予測しスルスルと人の間を擦り抜け続けていたアンナは、階段が間近になった油断からか、想定外に目の前で突如として進行方向を変えた人物を避けきれずにドンッとぶつかった。
「わっ!」
「! すみません失礼を、お怪我は……」
「ごめんなさい、私も急いでいて……」
よろめいたアンナはとっさに差し出された相手の手を見て固まる。今の、声は。
「……メレディアーナ嬢」
「……エドゥアルド……先生……」
ここに居る事は理解していたが会う事までは想定していなかったアンナは、図書館で強制的に告白を中断させ逃げてから、初めて言葉を交わすエドゥアルドにどういった顔をしていいか分からなかった。向こうも同じようで、気まずい空気が流れ出す中2人揃って視線を床に逸らした。
時間にしたらまだ数秒も無いだろうが、降りた沈黙がとてつもなく長く感じられ、談笑する参加者たちの声は別世界の出来事の様に遠く聞こえる。一言ご機嫌ようとでも言って去れば良いと分かっているが、何故か言葉が出てこない。そんな沈黙を破ったのはエドゥアルドだった。
「あの……あれから、お身体の方は……」
「……え?」
「落ちた時にどこか痛めたのではないかと、ずっと心配していました」
図書館の記憶は既にエドゥアルド一色だったので、脚立から落下したことなどとうに忘れていたアンナは呆けた声を出してしまった。
「あ、あぁ! 全然、元気! ほら、この通り……」
アンナが手を広げて見せるとエドゥアルドがほんの少し笑った。その笑顔に図書館の記憶が蘇ってドキッとする。
「良かった……。あの、それでメレディアーナ嬢、この前のことなんですが」
ピクッとアンナの広げた手が震えた。ここでこの前の続きが始まる予感がしてエドゥアルドの次の言葉に身構えてしまう。
「この前は突然で驚かせてしまって……すみませんでした。貴女との歳の差も考えず一方的に……」
予感が本当に形を持ちだしてアンナは焦った。告白を聞いてしまっては姉に残る可能性が限りなく0になる気がする。止めなければ、遮ってまた逃げればいい、そう思うが図書館で抱きしめられた時のように鼓動が早く大きくなるだけで身体が動かない。
「ただ、貴女に分かって頂きたいのは、あの時は勢いに任せた形になりましたが、決してあの場限りの感情ではなく、私は……」
ダメだ、止められない、告白されると思った時、
「あの時の勢いって、何の事ですか?」
そう質問してエドゥアルドを遮ったのは、3階へ続く階段から降りてきたフェアリーナだった。
「お姉様!」
「アンナ何処にいたの? 探したのよ。こんばんはエドゥアルド卿。お珍しいですね、こういった会にご参加になるのは」
リーナは階段を降り切るとゆっくりと近づいてきて、アンナを背に隠すようにエドゥアルドとの間に立った。
「星もご研究なさるんですか? それとも……今日はパーティーの方にご参加ですか?」
質問は普通の内容なのに言葉に棘がある気がして肌がピリつく。黙ってしまったエドゥアルドも同じ物を感じているのかもしれない。
「ごめんなさい、どちらでも問題ありませんのに不躾な質問でしたわね。それで、あの時ってなんです?」
「……それは……」
「先日は妹を図書館に連れて行って下さったと聞きました。この所勉強熱心で驚いていたんですけど、あの時のってその時の事でしょうか? だとしたら私もお伺いしたい事があったんです」
リーナはにっこりと天使の笑顔をみせる。美しいその微笑みが今は逆に怖い。
「何故あの日妹は1人で帰って来たのかしら。それも騎士団の馬車に乗って。何か事情をご存知でしてエドゥアルド卿?」
「……その」
「王城にお勤めで時期学術指南役であられる良識ある立派な大人の貴方が、まだ子供の妹を連れ出しておいて1人で帰すだなんて常識では考えられませんわ。何かご事情があったのではないですか? それはなんです? 隠す理由があるのかしら。もしそうだとしたら、それは貴方と世間の良識に反している事だと自覚なさっているからではないかしら? ねぇ、エドゥアルド先生?」
優しい微笑みと穏やかな声で、獲物に巻きついた蛇の様にエドゥアルドをじわりと攻めるリーナの姿に、アンナはあえて考えないようにと、早々に蓋をしていたある仮定こそが真実であったのだと気付いてしまった。
認めたくはないがリーナのこの底冷えのする恐ろしさにそうと思う以外にない。
(最悪よ……最悪のシナリオ。禁断のルートっていうのはお姉様に恋愛させるルートじゃない。お姉様はこの世界では永遠に、私の守護天使でしかないんだわ)
攻略相手を完全に敵と位置付けて対峙しているリーナの守護天使としての横顔に、そう結論に至ってアンナは目眩がする思いだった。
足下がふらついてきて記憶が戻ってから今日までの出来事がぐるんぐるん頭の中で回っている。そこかしこであげられる楽しげな声が醜怪な不協和音に変わっていく。
姉が主役でないなら、此処に転生した意味とは何だろう。
見つけたと思った自分をまた見失って、アンナは静かな怒りを敵へ向ける姉の側を一切の気配もさせず離れた。
お読みいただきありがとうございました。




