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十二話 つまり実質三十路越え

前回のあらすじ


やったわ! 白に逆転勝利!

なんて最高の気分なの……って、ねぇねどうしたの?

え! 白が気に入らないってか嫌い寄り⁈

ぬかった、これは大誤算!

こうなったら黒にも再チャレンジを……

でもでも、ナイフ男ってバレたらやばたにえん!

だけれど、私は崖っぷちから大逆転をかました女。

自信漲る今ならやれるわ!かかってらっしゃいクロード!


かくしてアンナは次の舞台、ルレザン邸へと向かったのだった。

 邸宅の中に入るとお酒と葡萄のいい香りに部屋中が満たされていて、もう既に出来上がっている人もちらほら見受けられる程、陽気で賑やかな雰囲気に包まれていた。


「ここに居るだけで酔っちゃいそうね」

「でもいい香りだし、なんだか楽しくなって来ない?」

「アンナ、それもう酔ってるんじゃなくて? 気をつけてね、勧められても飲んで良いのはジュースだけよ」

「……はぁい」


 気のない返事をしてアンナはキョロキョロと辺りを見回す。ザワザワとそこここで楽しそうな声の上がるホールの中に今の所黒の姿は見えない。


(皆良い御身分ね、昼間から飲んだくれちゃって。人が多い分紛れるには打ってつけだけど、探すとなると大変ね。特に黒い服なんて紳士は大体そうだから探し難いわ)

「どうかした?」


 キョロキョロし過ぎたのかリーナに見咎められて、アンナは慌てる。

「あ、な、何でもないの。種類もいっぱいで美味しそうだなぁって思って」

「アンナ、お酒はダメよ」

「分かってるわよぅ。見てただけよ。いいなぁお姉様はもう楽しめて」


 軽く睨めつけて嗜めるリーナに、誤魔化す為に、アンナは分かりやすく口を尖らせて不服を伝える。


「楽しめるって言っても、私そんなにお酒が得意じゃないから……」

「やぁ、こんにちは可愛いご令嬢方。グラスはお持ちですか? 宜しければご一緒しても?」


 そこへほろ酔い加減の男性が二人程、葡萄酒の注がれたグラスを持って近づいてきた。アンナは身構える。


(……来た? これがもしイベント発動の合図なら、黒がきっとやって来る。なら私はここを離れなきゃ)


「あーあ、大人はいいな。ここに居ると疎外感感じちゃう。ジュース飲んで来ようっと」

 わざとらしくそう言って、アンナは持ち前のスキルで溶け込むように、人波をスイスイと縫ってリーナから離れた。


「あ、ちょっとアンナ一人で行かな——」

「いいじゃないですかお嬢さん、この中なら安全ですよ。さぁ、グラスをどうぞ」

「あ、いえ、わたし——」


 リーナとモブ紳士の声が喧騒に掻き消されて聞こえなくなった所で、アンナは今日も着けてきた姉とお揃いの羽の髪飾りを外して、ワンピースのポケットにしまった。そして呼吸を整えてより入念に気配を消す。


(この前は髪飾りでバレて邪魔したっぽいから、念には念を入れて今日は完全なモブ令嬢に。黒には迷わずお姉様を救いに行って頂かなくちゃ……とは言えそもそも望み薄なのよね)


 アンナは会場奥のテーブルに向かい、置かれたボトルからグラスにジュースを注いでもらい周りを見渡す。黒は未だ見つからないが、入り口付近のカウンターで、姉がお酒を勧められているのが蠢く人混みの合間から認められた。


(イベントは始まってる……と思う。慣れないお酒を勧められて困ってるフェアリーナを、見兼ねた黒が助けに入るの。最初の夜会で自分の理想を盗み聞きされたあげく鼻で笑われて第一印象が最低だったけど、助けてもらった事でフェアリーナの気持ちが黒に向いて距離が縮まって行く、そういう展開。だけど……問題があるのよね)


 ジュースのテーブル周りには人があまり居ない事に気付いて、アンナは大人が集まっているテーブルに移動して適当に混ざった。


(前提として、初回で出会ってなきゃいけない。お姉様は白とはラッキーな事に出会ってたけど、黒とは絶対に会ってない。もし昨日の白のイベントが最初に出会ってたから発動したのであれば、今日の黒のイベントは起こらない可能性が濃厚。昨日以上の賭けなわけだけど……)


 アンナは周りに合わせて笑いながら適度にグラスに口をつけ、姉の動向を見守った。リーナはお酒を手にして一口二口飲んでは紳士達を困った笑顔で躱しているが、一組やり過ごすとまた別の一団に囲まれて……を繰り返している。


(来い! クロード!)


 期待を込めて暫くそのループを眺めていたが、アンナは何度目かで諦めて溜息を吐いた。


(——負けた。黒は来ない。やはり出会いが先になきゃダメか。この個別イベントは、夜会に参加してからリベンジに来るしか無いわね。でも……今から夜会に参加したとして、初回と同じ展開になるかしら。それとも黒ルートはもう潰れたと思うほか無いのか……)


 アンナは飲み干したグラスを眺める。向こう側に見えるその他大勢の群衆達が歪んで背景に溶けている。


(……仕方ないわね。そもそもナイフ男ってバレたら全部パーなんだから、最初から無理だったのよ。いいわ、急ピッチで残りの三人を同時進行で開拓してお姉様に選んでもらう事にする。白の勝利に浮かれて思いあがってた……悔しいけど潔く負けを認めて切り替えましょうアンナ)


 アンナは空のグラスをテーブルに置いて、黒の代わりにリーナを救出に向かおうとする。が、ふと、テーブルの上に置かれていた果実酒の満たされたグラス達に目が行った。心の奥で何かが囁く。


(お酒……杏奈も飲んだ事ない。十六までしか生きてないから。今のアンナ《わたし》も十六だから、当然飲んだ事ないしまだ飲めない……でも、通算で考えたら私三十二年生きてるのよね。つまり実質三十路越えなのよ。飲んだって、許されるんじゃないかしら)


 アンナはゴクッと喉を鳴らして、シュワシュワと炭酸が弾けている淡いピンクの果実酒に手を伸ばす。大人達が顔を赤くしていつもより何倍も大きな声で笑いあう、享楽に誘う魅惑の飲み物だ。


(後でお父様とお姉様に怒られたって、黒ルートが終わった以上ここにはもう来ないんだから構わないわ。どうせ周りは誰も見てない、なんたって私は完璧なモブキャラなんだから。誰にも咎められやしないわ。実質三十路だしね)


 アンナはグラスを手に取り弾ける泡を見つめる。そしてキラキラシュワシュワする液体を揺らして、悦楽の笑い声をあげる背景を透かした。


「この悔しさを癒せるのは、きっとこの液体だけだわ。いただきまーす」


 小さく呟いてグラスの縁にくちづけると、クイっと傾けて中身を滑らせた。だが、薄ピンクのシュワシュワが唇に触れる直前、グラスを持っていた手が大きな手に掴まれて、一滴も口に入る事なくグラスが唇から離れていった。


「あ?」


「とんだ妖精だな。公爵令嬢が聞いて呆れる」


 聞き覚えのある低い声が頭の上から降ってきて、アンナは目を見開いて振り返る。アンナの背後に立って見下ろしていたのは、出現を待ち侘びていたクロードだった。


(なんで、いまさら……)


「お前にはまだ早い」

「いった!」

 掴んで持ち上げたアンナの手をグイッと捻り、持たせたままでいる果実酒を、クロードはそのまま飲み干してしまった。


「あ、ちょっと!」

「お前はこっちだ」

 代わりに目の前でジュースの入ったグラスを揺らされてアンナは憤る。


「いいのよ私は実質三十路なんだから! 誰も気付いてないんだし! 離して!」


 クロードは掴んでいた手をパッと離してアンナを睨む。

「どう見ても十五、六だろうが、吐くならもっとマシな嘘を吐け。それにこんな小さいのが酒に手を伸ばしてたら誰でも気付く」


 クロードは小柄なアンナの頭を掴んで、わしゃわしゃとアッシュブロンドの髪を掻き乱した。


「お父上から叱責される前に止めてやったんだ感謝しろ。公認なわけじゃないんだろ、コソコソやってたもんな」

「いつから見てたのよ……なんで完璧なモブの私に気付いたの髪飾りも付けてないのに、と言うか何処に居たの……」


 散々目を凝らして探したが見つからず、リーナが何度絡まれても現れなかったクロードが、何故か急にアンナの目の前に居る。


(何でか分かんないし突然で驚いたけど、しかしこれは白の様な逆転の好機!)


「まぁ、私の事はどうでもいいじゃない」

 アンナは頭に乗せられていたクロードの手を払うと不適に笑って言った。


「……なんだ急に」

「貴方私が誰だかきっと知ってるのよね」

「……脅す気か? 立場が逆だぞ。今窮地なのはお前の方だ、サーヴィニー公爵令嬢メレディアーナ。今し方の事をお父上に報告してもいいんだぞ」


「分かってないわね、そんなことどうでもいいの。貴方ここに何しに来てるの。いい? 妹の私が居るって事は姉のフェアリーナもいるって事なの。そしてそのお姉様は慣れないお酒を勧められまくって困り果てて助けを待ってる。絶好のお近付きチャンスなの。分かったら私に構ってないで早く行って助けてきて」


 アンナは入り口の方を指差してそう言い放った。クロードはチラリと入り口付近を見て、

「……エバーラインの天使フェアリーナか」

 と呟くとすぐにアンナに向き直った。


「どこにいるって?」


「は? 何処って入り口の近くで絡まれて……」

 アンナは自分が指差した方を確認するも、そこには既にリーナの姿は無かった。付近に目をこらしてもリーナらしき人影は見受けられない。


「あれ? お姉様何処行っちゃったの? せっかくクロード来たのに」

「嘘が多いなお転婆妖精」


 クロードが鼻で笑ったのでアンナはカチンと来る。大分騒いで既に周囲に存在を気づかれ始めているがアンナは止まらない。


「嘘じゃないわよ! さっきまでそこに居たんだから! 貴方がさっさと出て来ないからお姉様が待ちくたびれてどっか行っちゃったんじゃないの!」

「何故俺のせいになる。何の話をしている」

「出会いと展開の話よ! 初日に出会っとけば今日だってスムーズに行ったはずなのに、貴方が私に構うからややこしい事になってるの。今だってそう、機を逃してる! まだ取り戻せるから急い——」


「別に逃してない」

「…………え?」

 思ってもない答えが返って来てアンナの気勢が削がれた。


(逃してない、って何? もう出会ってるってこと? そんなわけない、お姉様はこいつが樹上にいる間一歩もテラスに出てないし、庭でもすれ違ってすらいない。このルレザン邸でも、私はお姉様から目を離してないんだから、こいつが接触してないのは知ってる。それで何が逃してないのよ)


 アンナが怪訝な表情で考え込んでいるとクロードがゆっくり近づいて来た。

「出会いの話だろ?」


 距離を詰められて不穏な物を感じたアンナは後退るが、すぐにテーブルにぶつかってそれ以上退がれなくなる。それを視認していながら尚もクロードは接近し、殆ど上半身がテーブルに乗り上げてしまう程上体を沿って距離をとるアンナに、顔を至近距離まで近づけた。会場の煌びやかな装飾が反射しているのだろうか、妖艶な紫色の瞳が艶めかしく光った。


「だったら俺は俺の望み通り、目的は果たした」


 その紫に映る自分を見ながら、アンナは目の前の男の口から発せられた言葉の意味を捉え兼ねる。

「……どういう意味?」


 ——バシャッ


 と、急にクロードが濡れた。突然の事で状況が理解できずに、目の前の光景をただ脳に送るだけだったアンナの耳に、客達の驚きの声に混じって強く澄んだ声が響いた。


「妹から離れなさい、不埒者」


 声の主はいつの間にか横に立っていたリーナだった。空のグラスを突き出しているのを見て、リーナがクロードにグラスの中身を頭からかけたのだと理解した。


「ね、姉様、あの」

 アンナは焦る。リーナとクロードをついに出会わせることが出来たが、状況がすこぶる悪い。ともすればテーブルに押し倒されそうになっているとも見え兼ねない体勢に、いつの間にかなっていたからだ。


「ち、違うのよ、これは、ちょっと足が縺れちゃっただけだから」

 クロードがナイフ男の正体だと気付かれず、かつ今の状況を乗り切れれば二人の出会いは成功し、その上うまくいけば本来のシナリオに軌道修正出来る、とアンナは策を巡らせる。が、知る由もないクロードは、頭から酒をかけられて黙っているはずもない。


「……やってくれるなフェアリーナ嬢。随分と血の気の多い天使もいたものだ」

 顎に滴る雫を手の甲で拭いながらクロードはリーナを睨む。


「あんたちょっと黙ってなさいよ。私が今修正の道を考えてん——」

「血の気の多いのは貴方でしょう。前回に続き今回まで。私の妹に何をしているのケダモノ」


 前回、と言う言葉にアンナは固まる。恐らくも何もドレス事件のことを言っているのは明白だ。つまり姉はナイフ男の犯人を知っていた事になる。


「……ケダモノとは酷い言い掛かりだな。俺は何もしていない」

「何もしていない? 貴方が先日のパーティーで妹のドレスを破いた事は知っていましてよ、クロード卿。騎士としてのなけなしの良心でしょうか、置いていかれた上着の飾りの意匠がノアル伯の物でしたからすぐ分かりましたわ。白を切るのは止したらいかが? まして今は現行犯ですもの、ね」


(お姉様……慧眼過ぎるわ。全部知ってたのね。終わった、これでホントに黒は無い。シナリオ的にもお姉様の心情的にも)


 アンナは言葉を失い青ざめる。黒ルート開拓の為の何もかもが何の意味も為さないどころか、端から潰えていたのだ。あのパーティーでの己の愚かな行いによって。


「……なんと説明したんだお前は。虚言妖精め」

「事実しか言ってない。むしろまだ望みを持ってたから名前は伏せて庇ってあげたくらいよ」


 クロードがアンナを睨んで小声で詰問するのに合わせて、アンナも小声で答えて睨み返した。その様子にクロードはチッと舌打ちをする。


「ややこしくしてるのはお前の方だ。何とでも言えたものを馬鹿正直に答えるからこんな事になる」

 自分のせいだと言われてアンナは憤って声のトーンが上がる。自覚があった分、痛い所を的確に突かれて一瞬で火が付いた。


「私のせいだって言うの⁈ 何度も言ってるけど貴方が間違えずにお姉様の所に初めから向かってればねぇ」

「俺は何も間違えてない、間違えてるのはお前だ。パーティーで後先考えずドカ食いして死にかけて、今度は酒まで飲もうとしてた。良家の子女の肩書きが泣くぞ。俺はそれを救ってやったんだ」

「救ってやっただぁ⁈ 恩着せがましい事言うんじゃないわよ! そりゃ、パーティーの時は助かったけど、基本的にあんたがやってんのは私の攻略の邪魔じゃない!」

「アンナ! お酒ってどう言う事なの⁈ ダメって言ったでしょ⁈」


 ザワザワと傍観するしかない招待客に囲まれて、三人は言い争いをヒートアップさせていく。このままでは収拾が付かなくなると思われた時、快活な笑い声が群衆を割った。


「ハッハッハッハ。なんだなんだ盛り上がっているねえ! んん? もう被ってしまったのかいノアル卿。先を越されたなあ!」


 酷く陽気なその声はルレザン侯の物だった。手には果実酒のボトルと短めのサーベルを持っている。バチバチと睨み合っていた空気を一変させる陽気な主の登場に、三人は言い争いを止めた。


「さぁ皆さんお待たせ! 飛んでいくコルクにご用心。遅ればせながら皆で被ろうじゃないか! それサブラージュ!」 


 侯はボトルに沿ってサーベルを滑らせると、カキンと小気味良い音をさせて瓶首ごとコルク栓を切り飛ばし、炭酸果実酒を辺りに撒き散らした。きゃーっとはしゃぐ声がそこかしこでして、直前迄のピリピリした空気が、侯がコルクを切り飛ばすごとに急速に薄れていく。

 

 ボトルから吹き出た果実酒は雨の様にわざと振り撒かれ、侯の豪快な笑い声と客のきゃぁきゃぁ言う楽しそうな嬌声で、また享楽の世界へと会場中が戻っていく。その中で黒と姉は黙ってお互いを睨み合い、アンナはその間で気まずい顔をして二人を見交わした。

 

 そんな狂乱の会場において異質な沈黙を先に破ったのはリーナだった。

「アンナいらっしゃい、帰るわよ。お父様には言付けを頼みましょう」


 目は依然クロードを睨んだままで、静かにそう言ったリーナに底知れぬ恐ろしさを感じて、アンナは大人しく従い姉の側に行く。リーナはアンナを自分の背に隠して、降ってくる酒の雨を浴びながらクロードに言った。


「金輪際、私のアンナに近付かないで。ご機嫌よう、クロード卿」


 リーナは口許だけで笑みを作ってみせて身を翻し、アンナを抱えるようにして会場を後にする。アンナはひたすら初日の失態を後悔して下を向いてリーナに付き従った。


「……ハッ」

 その背後でクロードが急に失笑した。アンナはチラリと振り返る。


「なんとも豪気な天使に守られている。だが下手を打ったな。俺は壁が高ければ高い程乗り越えたくなる男なんだ」

 

 同感、とアンナは口には出さず思った。そして同時に遅いとも思う。

(でも残念ね、あんたが今さら燃えようと、お姉様の選択肢の中にあんたはもういないわ。黒ルートはこれでおしまいよ)


 アンナは一度も振り返らない姉をチラッと見て、また軽くクロードを振り返る。

(悔しいけど、あんたの攻略は失敗。越えるには高すぎたハードルだった。投了ね)


 狂喜の背景に飲み込まれかけているクロードは、それでも余裕そうに笑みを浮かべ、紫の強い眼差しはブレる事なくこちらを見ていた。


「必ず俺の物にしてやるぞ、貪婪の妖精」

伝統の儀式を酷い使い方したのでしかるべき団体から叱られるんじゃないかという一抹の不安。


お読みいただきありがとうございました。

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