十話 随分と優秀な守護天使
来い!と呼んでおきながら一話分待たせた男の回です。
前回のあらすじ——
来い来いマティアス来いマティアス……
来たぁぁーーーーーーっ
っしゃぁ! じゃぁ、ねぇね後は頑張って! 私は風になる!
ふふふ、出遅れたけど上手く行ったわ!
さぁ、ここからが本番……ん?
げっ! なんでこんな所にいんのよボム!
とにかく嵐は封印、休戦協定結んだんだし黙ってて!
全くなんて神出鬼没……そういえばボムの細かいこと知らないしちょっと興味が湧いてきちゃった!
って軽く聞く話じゃなかったかも……
こっちも色々思い出しちゃって、なんかボムに重ねちゃう
貴方は貴方でいいっていうのは私が言われたかった言葉
もしかしたら似てるのかもね、私達
ライバルだけど似た者同士同盟結んでもいいわ
だけどライバルよ忘れないでね!
敵「僕ちんリボンひらっちった」
またも背後から男に声をかけられ、驚いて振り向いたアンナはさらに驚愕する。そこに立っていたのが、姉と出会っているはずの白の騎士マティアスだったからだ。
「マティアス……卿」
(何よ、なんなの? なんで上手く行かないの? 大前提として私が丘に来ちゃ行けなかったの? そりゃピクニックなんて描写は無かったわよ。ゲームのフェアリーナは一人で気ままにフラフラしてイベント起こすんだから。でも現実のお姉様を丘に連れ出すには一緒に行動する以外にないじゃない。ドレスの件から私にべったりくっついて離れない——これはこれで嬉しい——んだから、一人で丘に行かすなんて無理よ、無理ゲーよ! 夜会も無理、個別も無理! 無理無理の無理よ! 詰んだわ、完全に詰んだ)
アンナは唇を噛んで顔を歪める。マティアスはその様子が目に入っているのかいないのか、柔和な笑顔でもう一度同じ事を繰り返した。
「お探しの物はこちらではありませんか、メレディアーナ嬢」
蝶でも捕まえているように指先で摘んだリボンをマティアスは風に靡かせて見せた。ヒラヒラと優雅に揺らめく緑のリボンは、紛れもなくアンナが風に攫わせた物だった。
「……そう、です。でも不思議ね、何故それが私のものだってご存知な上、ここにいらしたの?」
「何故って? 貴女がこのリボンに託したからじゃないですか」
(はぁ?)
危うく粗野な言葉が口から漏れ出そうになって、慌てて心の中に押し留める。表情までは間に合わなかったが。
「風の悪戯のせいにして、私の元へ届けた貴女の秘めた思惑。貴女が希望を託したこのリボンが私に囁いたんですよ、今一度の邂逅を、と」
にっこり微笑んだマティアスを前に、アンナは苦虫を噛み潰した様な顔をした。
(何言ってんのよこいつは。たまに繰り出すポエミーさが回りくどいし分かりづらくて苦手なのよ。絵里奈はハマってたけど……)
「それに誘われて貴女の元に至ったまでです。またお会い出来てとても嬉しいですよメレディアーナ嬢」
そう言ってマティアスは、振り払うという選択肢が頭に浮かばない程あまりにも自然にアンナの手を取ると、掌にリボンを端からゆっくり落とした。リボンが手の中に落ち切ると、波打って折り重なっていく様を何気なく見ていたアンナの視界に、覗き込む様に身を屈めたマティアスの顔が現れて、琥珀色の瞳がこちらを見てクスッと笑った。
「……なんてね」
「は?」
「アンナ!」
呼び声がして、アンナがそちらを向くと、丘の上から木立に向かって駆け下りてくるリーナの姿があった。
「リーナ姉様!」
「アンナ! 良かった、どこまで行ってしまったのかと思ったわ」
駆けて来た勢いのままに抱きついてきたリーナを、小柄故に支え切れず、よろめいてしまったアンナの背をマティアスがさり気なく片手で支えてくれた。
「貴女リボンが飛んで行った方とは全然違う方向へ風の様に駆け出して行くんだから、見失っちゃったわ」
「ね、姉様、ごめんなさ——」
ハッとアンナは気付く。
(これは、出会いのチャンス? 詰んだと思ったけど起死回生のチャンスじゃない?)
「姉様! あの、マティ——」
「マティアス卿、ありがとうございます。妹を探して下さって。前回に続いて今回も」
「礼には及びませんよフェアリーナ嬢。お困りの女性を助けるのは騎士たるものの務めです。今回も無事再会出来て良かったですね」
似た雰囲気の柔和な微笑みを交わし合う二人に杏奈は呆気に取られてしまった。
「あ、れ? 二人って面識、あるの?」
「ええ。貴女があのパーティー会場から消えた時に、探し回っていた私にマティアス卿が声を掛けて下さって、テラスに出た事を教えて下さったのよ」
「そうでしたね。今回は私の元にリボンが飛んで来て、なんだろうと思っていたら疾風の妖精が丘を駆け下りて行くのが見えて、その後方でオロオロされていらっしゃるご令嬢がいたものですから声を掛けた次第です」
ね、とでも言うふうに笑いかけるマティアスとはにかむ様に笑んで頷くリーナを見て、アンナは急に力が抜ける思いがした。
「なんだ……出会ってたのね」
(お姉様に白に会ったかどうか確認するの忘れてた。凡ミスー。無駄にジタバタしちゃって馬鹿みたい……でも出会いは済んでるんなら、この個別イベントはがっつり発動するって事よね。二人の関係もシナリオに沿ってる感じだし、助けてくれるカッコ優しいお兄さんって印象でお姉様も好感触なんじゃない? これはイケるわ。ならば来いマティアス! どうにかお姉様をトゥルーに誘導してみせるわ)
アンナは静かに闘志を燃やしてその時を待つ。リーナが何度目かお礼をした時、マティアスがついに動いた。
「しかし、こんな場所でまでお会い出来るとは、女神が祝福して下さっているのかな」
(来た! いけ、お姉様をデートに誘え! そうしたらどうにかして私がその誘いをこと——)
「これも風が運んだ縁ですから、囁きに従う事にしましょう。私は貴女が誰の肩でその可愛い羽根を休めるのかとても気になります。是非一度、二人でお話する機会を頂けませんか? 薫風の妖精さん」
そう言ってニコッとマティアスが笑い掛けたのは、姉のフェアリーナではなく妹のメレディアーナだった。
「………………………………ん?」
状況が飲み込めず固まるアンナの前で、マティアスは返答を待つ様にニコニコと佇んでいる。
(……え? なんて? この人はなんで私に笑い掛けてるの? 状況が良く分かんないんだけど……もしかして、私を、誘ってる……?)
石にでもなったかの様に動かないアンナを優しい眼差しで見つめ続けるマティアス。完全に止まった二人の間の空気を割いたのは、文字通りその間に割って入ったフェアリーナだった。
「マティアス卿、妹を探して下さったことには感謝しています。ですが、妹はまだ十六です。大人の男性と二人きりだなんて、お話のお相手が務まるとは到底思えませんわ」
アンナを背に庇う様に間に立ち、笑みを浮かべながらも強い眼差しを向けるリーナに、意表を突かれたのかマティアスは一瞬笑顔を崩した。だがすぐに笑顔を作り直して再度提案する。
「なにも難しい話をしたいわけではないんですよ。可愛い妖精さんと同じ時間を過ごして、取り止めもない会話を楽しみたいだけですから。何かご心配事があるのなら、フェアリーナ嬢もご一緒でも構いませんよ」
感情の読めない穏やかな笑みを貼り付けて食い下がるマティアスに、アンナは意を得たりと、停止していた思考がやっと動き出す。
(なーるほどね、そういう戦法か。私をダシにしてお姉様を誘うってわけね。散々杏奈として経験して来たわ)
杏奈は過去、友達らしい友達が居なかった。例え友達が出来ても、その人達が本当に繋がりたかったのは双子だったからだ。それが会話の端々に透けて見えて、自分がその為の足掛かりに過ぎないんだと思えて、段々距離を取るようになりいつの間にか話さなくなる。そんな事の繰り返しだった。
杏奈の世界の中心はその場に居なくとも常に双子であった。
(……あからさまにダシにされて、あの頃は卑屈になってたけど、今は喜んで引き受けるわ。ごく自然にメレディアーナを生かしながら、真の目的フェアリーナを誘う。流石お上手ねプレイボーイ。後はお姉様の返答次第だけど、私はどう介入しようかしら……トゥルーにするにはここで絶対に……)
思案するアンナをよそに、リーナが口を開いた。
「マティアス卿……」
アンナは息を詰める。
(待って! お姉様! ダメなの! それは罠なの! トゥルーを狙うにはここで——)
「お、お姉さ」
アンナが言葉を発するより早く、穏やかながら力強いリーナの言葉が木立に響いた。
「例え二人きりでなくとも、そういう場を持つこと自体が妹には早いと言っているんです。折角のお誘いですが、妹共々辞退させて頂きますわ」
誘いをはっきりと正面から断ったリーナの陰で、アンナは叫び出しそうになる。
(お姉様! 素晴らしいわ! そうよ、トゥルーを狙うにはここで断らなきゃいけないの! あのルックスと優しさに誘われたらホイホイ付いて行きたくなるけど、それじゃ弄ばれる他の女性と同じ。グッとこらえて断る意思の強さを見せて、マティアスを揺さぶるのが正解よ!)
抑え切れずにニヤついてしまう口許に手を当てて隠しながら、アンナは二人の表情を背後から盗み見る。微笑みながらもキリッとしたリーナの強い眼差しと、驚きの色を隠せずに姉を見つめるマティアスの視線が交差している。美しい二人の見つめ合いにアンナはうっとりする。
(綺麗、お姉様。貴女の影で私幸せ)
しばし無言で視線を交わしていた二人を断つように、リーナが天使の笑顔でニッコリと言った。
「今日はありがとうございました、マティアス卿。またいつかお会いする日まで、ご機嫌よう。戻りましょうアンナ、もうすぐ日が暮れるわ」
言い終えると、リーナはくるっと振り向いてアンナを抱きかかえる様にして戻ろうとする。マティアスは止まったまま応答が無かったが、姉妹が木立を抜ける直前、急に笑い出した。
「アハハハハハハハハハ」
突然後ろから響いた笑い声に二人は驚き歩を止めて振り返った。マティアスは参ったと言う風に額を押さえて笑っていた。
「いやいや、随分と優秀な守護天使が付いているものですね。こんなにはっきり断られるなんて。でも益々捉まえてみたくなってしまいましたよ。風となって自由に飛び回るその愛らしい羽根を、ね」
琥珀色の瞳が不敵な笑みを浮かべてリーナとアンナを射抜いた。アンナはニヤッと笑って思う。
(捉えられてるのはあんたの方よ。攻略は既に始まってるんだから。全ては私の掌の上、トゥルーエンドは頂きだわ)
リーナはマティアスを一瞥して、行きましょう、とアンナに声を掛けて木立を後にした。
暮れ始めた陽の光が、木立の葉の隙間からオレンジ色の木漏れ日となって真っ白な青年を染め上げる。遠ざかって行く姉妹の背を捉えたままの琥珀色の瞳に、差したオレンジが煌めいて燃えているようだった。
無理無理の無理と悩んだ副題。
何故悩んでいたのかと今になって思うと怖い。
お読みいただきありがとうございました。




