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フレームのある世界

作者: 白胡麻もち

 薫子(かおるこ)さんは、雨が好きだ。

 しとしと、さあさあ、ぴちゃぴちゃ、ざあざあ。

 目を閉じ様々な雨音を聴いて、その中で物語を空想するのが楽しいのだそうだ。




 薫子さんは、傘が好きだ。

 人々が差す雨傘が寄り集まり、色々なデザイン、様々な色が見られる様はまるでファッションコンテストのようで、それを上から眺めるのが面白い。と、彼女は雨が降る度に言っていた。




 薫子さんは、紫陽花が好きだ。

 散歩中、お気に入りの傘をくるくると回しながら、雨に打たれる紫陽花を眺めては艶っぽい笑みを浮かべる。

 近所の紫陽花分布図を作り上げる熱心さに掛けては、彼女の右に出る者はいないだろう。

 僕も調査員として駆り出されているが、彼女は近所どころか日本全国を目標にしているので、完成の兆しはない。




 薫子さんは、服が好きだ。

 特に紫陽花に似た色の服を好む傾向にあり、梅雨の時期になるのに合わせて落ち着いた色味の紫やピンク、青といった色の服を買いたがる。


 服の色がやや派手だから、傘はいつもこれといって特徴のない、透明なビニール傘だ。ちょっと味気ないんじゃないかと言ったら、彼女は「傘の裏側を見てごらん。雨が伝って流れていくでしょう。これを眺めるのが良いのよ」と恍惚とした表情で語っていた。


 僕にはよく分からない感性だけど、彼女が好きならと僕も透明のビニール傘を使っている。丁寧に使う彼女とは違うせいか、よく傘立てから盗まれがちで困っている。




 薫子さんは、蛙が好きだ。

 くるくる、ぐわぐわという鳴き声も良いらしいが、あのフォルムがたまらなく可愛いのだと見かける度に力説される。

 でも僕は蛙が苦手だ。だから彼女が紫陽花に乗っている蛙を取ろうとすると慌てて止める。だって蛙なんて触ったら、彼女の手を握れなくなってしまうから。


 膨れっ面の薫子さんに「えい」と蛙を僕の傘に乗せられた時のことや、飛んだ蛙が僕の服に飛び付いてきた時のことは今でも忘れられない。


 雨が降るデートの日、薫子さんご所望の可愛い蛙を求め、爬虫類専門店に行ったこともあった。

 僕は蛙コーナーに足を踏み入れる勇気がなく、一悶着あった結果、生きた蛙を諦め雑貨屋でカエルグッズを漁ることと相成った。


 その日は一日カエルグッズを求める流浪の旅になったけれど、生きた蛙に彼女との時間を邪魔されるぐらいならば、安いものだ。




 薫子さんは、長靴が好きだ。

 傘を持っているから必要なさそうなものなのに、いつも雨の日には長靴を履いている。

 服に合わせて色々と取り揃えていて、今時のレインシューズなんかも持っているけれど、お気に入りは昔ながらの形の長靴だ。特に水玉柄をよく好んでいる。


 紫陽花色のワンピースと、透明な傘、水玉柄の長靴。そして、鞄に付けた黄緑色のカエルのマスコット。

 これが梅雨の時期の、彼女のスタイル。


 いつだって自分を曲げない彼女は、このスタイルを貫き通す。

 きっと何年先でも、梅雨の時期には透明な傘を差し、紫陽花色の服を買い、長靴選びを楽しみ、鞄にぶら下げるお供のカエル選びに夢中になるのだろう。

 そして何年先でも、その隣に僕がいて、地味な色の服を着て、彼女と同じ透明な傘を差し、服を選ぶ傍らで話を聞き、スニーカーの靴底をびちゃびちゃにし、カエルグッズ探しをさせられるのだ。


 それは僕にとって嫌なことじゃない。彼女の隣に僕がいる、それが嬉しいことだから。

 いくら梅雨が鬱陶しくても、彼女の好きな季節だから、僕も好きだ。


 薫子さんが笑ってくれる。生き生きとしている。

 それだけで僕にとっては、とても価値のあることで、まばゆいものだ。

 世間一般には嫌かもしれないが、僕と彼女にとっては、巡る季節の中で一番楽しみな時期だ。今年の梅雨が待ち遠しい。

 今日も彼女は、梅雨の訪れを待ち侘びている。




 僕は、薫子さんが好きだ。


 雨がよく降る季節に出会った女の子。その子は透明な傘を差し、紫陽花色のワンピースを着て、水玉柄の長靴を履き、カエルのマスコットを鞄にぶら下げていた。


 梅雨が好きなのだと彼女は言った。

 僕は梅雨の時期が一番嫌いだったので、その良さがよく分からなかった。


「いずれ分かるよ」とその時彼女は言ったけど、あれは予言か何かだったのだろうか。

 彼女と付き合っていく中で、僕はまんまと思惑にはまり、梅雨の良さに気がついてしまった。


 しとしと、さあさあ、ぴちゃぴちゃ、ざあざあ。降る雨の音はその日その時によって違うし、取り立てて興味の無かった傘の内側から見える世界が、とても綺麗に思えるようになっていた。

 紫陽花の花弁が雨に打たれて震える様は見てて飽きないし、店先でカエルグッズを見掛けるとつい彼女のことを思い出す。

 ようやく格好良いレインシューズも買えたので、今度から雨の日は僕もスニーカーの靴底をびちゃびちゃに濡らさなくて済むのだ。


 これから先、僕は彼女の隣にいたい。

 梅雨が好きな彼女の隣で、彼女を好きでいたい。

 雨の中、跳ねる水溜まりに笑う彼女のことを、ずっと、ずっと見ていたい。


 雨が嫌いだった僕を変えてくれた女の子。

 楽しむことを教えてくれた女の子。


 彼女の、薫子さんの隣にいれば、嫌なことなんて忘れられる。


 彼女はいつだって笑顔で、何でも楽しんで。

 何だって輝かせてしまう、そんな力があった。


 雨の日の君は何倍にもまばゆいから、僕は他の男に取られまいとあの日、勇気を振り絞って君に告白したんだよ。

 勇気を出して良かった。

 お陰で今日も僕は、透明な傘を差し、君の色が映える地味な服を着て、新品のレインシューズを履いて、この場所で君を待っていられる。





 雨が嫌いだ。

 じめじめじとじとと、鬱陶しいから。

 


 傘が嫌いだ。

 人々の差す傘が邪魔くさいから。



 紫陽花が嫌いだ。

 陰湿な花に思える。



 服が嫌いだ。

 選ぶのもたいして興味がない。着られればいい。



 蛙が嫌いだ。

 鳴き声が煩いし、気持ち悪い。グッズも見たくない。



 長靴が嫌いだ。

 何でこんな物買ったんだ。無駄じゃないか。




 空が一番大嫌いだ。


 彼女を連れていってしまったから。





 END.


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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすくとても丁寧な文章で、難しい言葉は使っていないのに、頭のなかで情景をしっかりと想像することができました。 大切な人がそばにいるというそれだけの事で、鬱陶しい季節も愛しいものになる…
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