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ショッピングモールは、しばらく訪れていなかったからか、様相がすっかり変わっていた。店舗の位置が変わり、以前はあった店が消え、新しい店が入っている。化粧室の場所まで澪の記憶にあるものではなく、外観はまったく変わっていなかっただけに衝撃と戸惑いが大きい。まるで初めて訪れた場所のようである。
日曜ということもあってひとで溢れかえっている。迷子にならないように布瑠部の後をついて回りながら、澪はきょろきょろとあたりを見渡した。見れば見るほど、すっかり様変わりしてしまっている。
落ち着きのない澪に、布瑠部が苦笑をこぼした。
「都会に出てきたばかりの田舎民みたいだな」
「失礼な。久しぶりに来たから記憶にあるものと違いすぎてびっくりしてるだけです」
「へえ? そんなに違うか?」
「あの洋服屋さんとはんこ屋さん、前来たときはなかったですよ。あのコーヒー屋さんは本屋さんの隣にありましたし、電器店は一階にあって……」
見て回りながら違いを発見するたびに報告する。毎度毎度律儀にうんうん相槌をくれる隣人が、はしゃぐ子どもを見守る親のような眼差しをしていたのは見なかったことにした。
ワイシャツを新調するという布瑠部の目的を達成した後は、適当にテナントを冷やかしながら歩く。その途中で、夏物の服をいくつか見繕った。セール様様だと澪がほくほくしているのを、布瑠部は目を細めて見守っていた。何故そんな目で見られなければならないのか。澪は目を据わらせる。
「布瑠部さーん、ちょっとお手洗いに行ってきますね」
本屋に寄ってしばらくたったころ、彼女はシュリンク包装されていないのをいいことに小説を開いて吟味している布瑠部にそう声をかけた。返ってきたのは「んー」という心ここにあらずなものだったが、気にせずその場を離れる。
(インクの匂いは好きだけど、どうにもトイレが近くなるんだよねぇ。……トイレ、混んでそうだなぁ)
なにせ今日は日曜日。目をやる先すべてにひとがいる。
案の定混みあっていた化粧室の列に並び、用を済ませて出たときには十五分ほど経っていた。慌てて本屋に戻ろうとしたところで、腕を引かれてたたらを踏む。何事かと振り返れば、柔和な顔つきの男が呆然と澪を見つめていた。
「……みおちゃん……?」
目を見開いて虚ろに呟くその反応に既視感を覚える。それが何だったかを探る前に、人違いだと否定した。我に返ったらしい男の手はするりと離れていったが、視線は澪に固定されたまま離れない。観察するようなそれに、澪は居心地の悪さを感じて身じろいだ。
「あの……?」
「あ、ごめんね。雰囲気が知ってる子に似てて。……今いくつ?」
「えっ」
人違いだというのに、男に澪を解放する気はないらしい。戸惑いつつもつい答えそうになって、簡単に個人情報を渡しすぎだという布瑠部の言葉を思い出した。出かかっていた言葉を慌てて飲み込む。
不審者然としていない不審者への対応はどうすればいいのか。まごついていると、本日二度目、後ろから肩を強く引かれてよろめいた。「榊!」と焦燥に駆られた声が耳朶をつく。
「うっわ、……布瑠部さん?」
尋常じゃなく取り乱した様子の布瑠部に目を瞬かせる。彼は大きく息を吐き出しながら「……よかった、ちゃんといた……」と今にも泣きそうな声で弱々しく呟いたかと思えば、次の瞬間には目を怒らせた。
「お前な……! 離れるときは声かけろ!」
「ええええ……。かけましたよ、ちゃんと。お手洗いに行くって」
「聞いてないっ」
「ちゃんと言ったのに聞いてないのは布瑠部さんが悪いです」
至極尤もな澪の反駁に、布瑠部がぐっと詰まる。うろ、と決まり悪そうに目を泳がせ、もう一度、肺すべての空気を押し出すように息をついた。そしてようやく、澪越しの暫定不審者に気づく。
「松田? 何やってんだお前」
「浮気調査」
「思いっきり仕事中じゃねーか。働けよ」
口を挟む間もなく、ぽんぽんと交わされる会話に澪は目を白黒させる。お知り合いですか、と聞けば端的に幼馴染だという回答をもらった。世間は狭い。
「働きたいのはやまやまだけど、さすがに俺、化粧室には入れないからね。その子に声をかけたのは、──みおちゃんに似てたから」
すっと、布瑠部の目が細められた。幼馴染の睥睨にも動じず、松田は飄々と肩を竦める。剣呑な空気に体を強張らせたのは澪だけだ。
「……布瑠部」
どこか窘めるような声に呼ばれ、布瑠部は肩を揺らす。捨て猫を拾って親に咎められた子どものような顔で「わかってる」と吐き捨てた彼に、間髪入れずに「どうだか」と返す松田は容赦がない。
「…………あの、わたしその辺の服屋さんにいるので」
ひとり蚊帳の外で居心地が悪い澪は、じりっと一歩後退った。終わったら呼んでくださいと続けようとした言葉はしかし、横目に何かを捉えたらしい松田に遮られる。
「あー、大丈夫だよ。ごめんね、俺ももう仕事に戻らないといけないから」
眉尻を下げてそう言った彼の姿は、瞬く間に雑踏に紛れて見えなくなる。布瑠部も布瑠部で、瞑目して一度吐息を漏らすと、何事もなかったかのような顔で踵を返した。
「いい時間だから飯食ってから帰ろうか。何食べたい?」
「……鯖の味噌煮定食」
「女子大生とは思えないチョイスの渋さだな」
からから笑う横顔は見慣れたいつもの布瑠部だ。
フードコートで席を押さえ、とりとめのない会話をしながら定食をつついた。途中、定食の玉子焼きが甘くないことに動揺した澪を布瑠部が笑ったことで、塩派か砂糖派かの味付け論争が勃発した。決着のつかないまま食事を終え、買い忘れを思い出したと立ち上がった布瑠部がチョコバナナパフェを澪に買い与えてから席を離れる。大人しく待っておけということらしい。扱いが子どもに対するそれとまるで変わらない。布瑠部は確実に澪のことを子どもか何かだと思っている。
(うーん……、〝みおちゃん〟かぁ)
澪を誰かと間違えた松田の顔に覚えた既視感の正体がようやくわかった。初めて会ったときの布瑠部だ。
(布瑠部さんも最初、みおって読み間違えてたし)
果たして偶然だろうか。柄の長いスプーンを銜えながら思案する。──と、正方形のテーブルに影が落ちた。すぐそばに立つ人の服が視界を掠め、澪は顔を上げる。ひくりと頬が引き攣った。
「榊さん、だったよね? ひとり? 布瑠部は?」
「……お買い物に行ってます」
「ふーん、そっか」
聞いてきたくせに、松田から返ってきたのは随分と気のないものだった。落ち着かなくてつんつんパフェをつつく。勢いあまってホイップに沈んだバナナを救出して顔を上げると、いつの間にかテーブルを挟んだ対面の席に松田が腰を下ろしていた。え、と固まる澪をよそに鞄を探った彼は、営業スマイルとともに名刺を差し出してくる。
「さっきはごめんね。興信所で調査員をやってる松田良樹っていいます。布瑠部とは小学校からの付き合いで、年はあいつと同じ二十七」
「はぁ。……榊澪です。二十歳で大学生やってます。布瑠部さんはアパートのお隣さんです」
「……あのアパート、単身者向けだよね。ってことは一人暮らしで、布瑠部の隣ってことは二〇二号室かな。だめだよ、そんなに簡単に住んでるところ教えちゃ」
「……」
わかりやすく閉口して目を逸らした澪に松田が苦笑を漏らす。それから、頬杖をついてつくづくと不躾に澪を眺めやった。
「んー、顔も少し似てるのかなぁ」
似たようなやり取りを初対面の布瑠部ともやったなと遠い目になっていた澪は、独り言のようなその呟きを捉えてきょとんとした。少し躊躇って、おそるおそる聞いてみる。
「……みおちゃん、ですか?」
「ん? うん、そう。布瑠部の妹なんだけど、榊さんに似てる……っていうより、近い、かな。うん、近い」
自分の言葉に納得したらしい松田は何度もうんうん頷くが、澪からしてみれば意味が解らない。近いってなんだ。
自然と下がった視線の先で、パフェのグラスが汗を掻いている。アイスはすでに溶け始めていて、澪は慌ててスプーンを突っ込んだ。だいぶ緩くなってしまっているそれに苦い顔をしつつも、コーンフレークに搦めて口に運ぶ。
「まぁ顔が似てるっていうのは、みおちゃんが生きてたらこんな感じなのかなっていう俺の想像でしかないんだけど」
ガリっと硬さの残っていたコーンフレークを噛み砕いた音が、嫌に大きく響いた気がした。生きていたら、という言葉が、一瞬にして動きの鈍くなった澪の頭をぐるぐると回り始める。
ごくりと息を呑んだ拍子に、まだ十分に咀嚼できていない口の中のものが咽喉を通り過ぎる。つっかえるような苦しさに顔が歪んだ。
「十年前に七歳で行方不明になって、結構ニュースとかで取り上げられてたんだけど、知らないかな」
「知らない、です」
「まあ、十年前っていうと榊さんは十歳か。そりゃ知らないよね。三年前にやっと見つかったんだよ。それで」
「あの。……わたしにしていい話なんですか、それ」