嵐の前の静けさ? ~其の七~
とある部屋の一室で、濃紫色の長い髪を持つルーテは、窓から外を覗いていた。
「…………本当に、あの子はよく動いてくれるわ。私のために」
ふふっ、と口の端で笑って、彼女は星のカケラの一つを握りしめる。
「……………これで私も、少しは自由に動けるわね。この前の遺跡に狼を使ったのは失敗だったわ………。少し過信しすぎてたみたい。どうせなら」
と、彼女はカケラを握ったまま虚空に紋章を描いた。感情に乏しそうな表情で呟く。
「もう少し役に立つ幻影を使うべきだったわね」
虚空から二体の虎が現れた。グルル……と唸っているそれは、とても幻影には見えなかった。
「ねぇ、貴女もそう思うでしょ?ネフェニー」
そういい背後を振り返る。そこに虚空から現れた時天使ネフェニーは、兜の隙間から大人しそうな目を覗かせ静かに頷いた。
「ええ………。でもいいじゃない、そんなに急がなくても。もうカケラは十二個の内七個は集まったんだもの」
「…………そうね。時天使の長になるはずだった貴女と、神になるはずだった私の二人がいれば、怖れることなんて何もないわ。私達をその座から追放したノエルに仕返しをしてやらなきゃね。それと、ネサラにも」
「やめて!彼の事はもういいの………!」
ルーテがその名を口にした途端、ネフェニーは声を震わせながら叫んだ。
「それでも彼が好きって?でもそうね、憎悪の対象は一つあれば充分だわ………」
ルーテは流れて行く雲を見つめ、少しの間口をつぐんだ。
「……………それじゃあ、そろそろ私達も動くとしましょうか」
彼女は幻影の虎に何かを命じて、自らもネフェニーと家を空けた。
☆ ☆ ☆
みゆりの部屋にて。
「あれ?なんで真由美と博がいるんだよ?てかこの人がみゆりが追っかけてた例の王子?確かにすごい美人だよなぁ」
綾子は直人をまじまじと見て言った。男でここまで綺麗だと反則じゃないか。
「あ、はい、こちらが久保直人さんですわ。大勢のファンから奪取成功しましたの!」
「奪取って……」
リーナがなんか違う、と思いながら綾子同様直人を見る。
「………悪いけど、ルシフェルの方がいい男だわ」
思わず口が滑る。ちょっと待て。今自分ものすごいハズイこと言った?!言った後で顔から火が出そうになった。
「こらそこー!ラブラブ禁止ー!!」
真由美が冗談ぽく茶化す。
「あはは、いいじゃない仲良しで。それだけ相手を強く想えるってすごく素敵なことだと思うよ。……………僕も、シェルに会えて嬉しい」
ヴァイスが本物の天使のごとく爽やかな顔で笑った。
(えーー!!??なんだその変わりっぷり!?今………僕って言ったー!?)
彼の本性を知っている綾子、リーナ、ルシフェル、到、みゆりが唖然とした。先ほどまでの彼なら絶対「ちっ、また増えやがった」などと悪態をついていそうなものだが。
「本当に?嬉しい!だって私も逢いたかったんだもの。真由美の家は東国だから、中々こっちに来れなくって……半年ぶりかしら?長かったわ………」
シェルは泣きそうな声で言った。涙すら形にならないこの身だけど、今は泣きたくなるくらい幸せだった。彼に逢えた。それだけでこんなにも。
「シェル………」
ヴァイスは、世界で一番大好きなシェルを、抱き締めてあげられないこの身が歯がゆかった。自分がルシフェルを気に食わないのは、彼は大好きな人の傍にいられるから。触れられるから。
(…………醜い嫉妬だってわかってんだよ!くそっ!」
ノエルの指示とはいえ、千年も自分を封印しなければならなかったこと。そのことでシェルを悲しませたこと。それだけじゃ飽きたらず、彼女を身を持たぬ身体にまでしてしまった事を、後悔していないといえば嘘になる。あのとき、本当は世界じゃなくて彼女を選ぶべきだったんじゃないのか。
だけど、自分が選んだのは世界だった。
(要するに……ガキなんだよ、俺は)
悔やまないと決めたはずなのに、こんなところまで来た今でも、過去の決断に囚われている。
これがノエルの頼みじゃなかったら、迷わず彼女を選んでいたのに。世の中とはなんて不条理なのだろう。どうして二人とも選んじゃいけないのだろう。
ノエルを酷い人と言う奴もいるけど、自分は彼がどれだけ世界を愛していたか知っている。どれだけ周りを愛していたかも知っている。けれど優しいだけでは世界は救えない。何も変わらない。誰も助けられない。時には犠牲が必要となることもある。
大義の前には犠牲をも厭わない、それは確かに非情なことなのかもしれないけれど。
それを解っていて実行し、自ら恨まれ役を買って出る彼を、どうして憎むことが出来るだろう。
一度だけ、彼は言っていた。
「恨むなら、好きなだけ恨んでくれて構わない。それでも、誰に恨まれようと、何を犠牲にしても…………手に入れたい世界があるから」
どんな気持ちでそんなことを言ったのだろう、彼は。他人に恨まれて平気なヤツなんているわけないのに。どうして彼が恨まれなきゃならないのだろう。
天使を創ろうと初めに彼が提案しなければ、自分もシェルもこの世に存在しなかった。自分を創ってくれた親だった。自分にとっては本当に、忠誠を誓う神だった。だから。
ーー彼を、裏切れなかった。
彼の欲しがる世界を手に入れさせてあげたいと、思う自分は愚かだったのだろうか。大事な女を泣かせて。傷付けて。そうなることは解っていたはずなのに。
「シェル………泣かないでよ、僕だって………」
目頭が熱くなるのを感じた。この身が幻影でなければ本当に泣いていただろう。
「………ヴァイス、私はね、身体が無くても平気よ。だって、あなたがいるから。私は今本当に幸せなの。だから……もう大丈夫だから。あなたが苦しむことは、何もないから」
自分の気持ちを見透かしたように彼女は言った。その言葉があまりに優しすぎて、ただ謝ることしかできなかった。
「ごめん……。ごめんね、シェル………」
項垂れ、手で顔を覆うヴァイスを見て、博が低い声で言った。
「……………二人きりにさせてやれよ」
みゆりは頷いて、隣室にフューカとクロスペンダントを運んだ。
「……………僕、さっきまでヴァイスさんの本性はあのガラの悪い方だと思ってたんですけど………、本当は逆で、シェルさんと居るときだけ、素の自分に戻れるのかもしれないですね……」
到がしみじみと綾子に話した。
「そう……かもな」
他人の苦しみは、推測して解ったような気でいることしか出来ないと言うけれど、確かにそうなのかもしれない。本当の意味で彼の心を理解できる人など、いないのかもしれない。けれどそれでも、彼にはシェルがいる。そしてシェルには彼がいる。
自分にもいつか、家族愛や友情とは別に、一番に自分のことを想ってくれる人が現れるのだろうか。まだ、全然ピンとはこないけれど。