嵐の前の静けさ~其の四~
「なによ、まさか言えないようなやましいことしてたんじゃ……」
そう言いかけると、突如博の目付きが鋭くなった。
「しっ! なんかさっきから跡つけられてるぜ……やべぇ感じだな」
「あ、やっぱり私の気のせいじゃなかったんですね……」
「え?! は?!」
つけられてる?誰に?そんな気配は全然しないし、つけ回されるような事した覚えもないんだけど。
「とにかく真由美、このままじゃ危険だ、早く助手席に……!ヤツを撒くぞ!」
いつもはしない、兄の真剣そのものの顔……。こういう時は兄は絶対ふざけない。それだけは信用できる。……………多分。
「わ、わかった」
急いで助手席に乗る真由美。シートベルトを締めるカチッとした音がした瞬間。
「いっくぜー!!」
博は有り得ないくらいの猛スピードで出発した。
「ぎゃーーーーーーーっっ!!!」
真由美は車自体ほとんど乗ったことがない。にもかかわらず、いきなり絶叫マシン並のスピードを出されて、怖いなんてものじゃなかった。屋根がないので、シートベルトをしていると判っていても吹き飛ばされそうだ。ましてここは森の中。まともな道はついていないのだ。
恐る恐るスピードメーターを見ると、110キロは出している。浮いているシェルはともかく、なぜ兄は平気なんだ。
「ちょ、ちょっと!人巻くぐらいならそんなスピード出さなくていーじゃん!怖いからもー止めてよ!」
真由美が必死に兄に頼む。だが兄は真面目な顔を変えずに言った。
「…………誰が人だって言った?」
「え?だって魔物はクロウ倒したからもういないはずだし……」
「魔物は、な。狂暴な野性動物なら、今もその辺にゴロゴロいる。特にここは森だからな。俺の察知によると、そいつ二メートルはあるな。しかも狂暴な肉食獣。おまえ、喰われたいか?」
「やだよ!」
「だったら我慢するんだな。心配すんな。森を抜けさえすりゃヤツも追って来ないだろ……っと」
眼前に広がる樹木の間を縫うように、さも余裕だと片手でハンドルを回し、一つにもぶつからず森を抜ける。もはや神業だ。兄がこんなに運転が上手いなんて思わなかった。
そして、ふとこの派手な車を見て思った。
「て、ゆーか、お兄ちゃん……車なんて、持ってたっけ?」
まるでジェットコースターに乗っているかのような高速で、恐怖で言葉がつかえながら問う。
「あー、この車か?借りたんだ」
「え?誰に?」
兄に車を貸してくれるような友人がいたとは驚きだ。世界を股にかけて無茶苦茶やってるようなこのバカ兄貴に。どこのお人好しだ。
「あー…真由美は知らねぇかも。久保直人っての。昔医療都市の国立病院に入院してた時同室でさぁ。年は離れてるけど、瑚湖と俺と直兄とゆっきーと、ゆっきーの兄の明人で幼馴染みだったんだ」
意外にも兄の顔は広かったらしい事実に真由美は驚いた。まぁ病人仲間というのが何とも嫌な感じだが。
「瑚湖なら知ってるけど……。でもなんで望月君が幼馴染みグループなの?」
「ゆっきーの兄貴の明人が……俺はあっきーって呼んでんだけど、俺らの担当医だったんだよ。そんでまぁ、ゆっきーとも会う機会が有ったわけ。今はあっきー瑚湖と結婚しちゃったから、ゆっきーは瑚湖とは義姉弟ってことになるわけ」
「へー……。あの瑚湖の旦那で望月君のお兄さんか~。どんな人なんだろ?」
真由美はあの猪突猛進型の、今は女医の彼女を思い浮かべて言った。
「あっきーか?一言で言えばアホだな」
「…………どんな人か知らないけど、あんたにアホと言われるのは心外だと思うわ…………」
兄以上にアホな人間がいるとは思えないし、思いたくもない。
「そうですか?博さんて結構まともですよ、ああ見えて」
シェルが真由美の鞄から少し顔を出した。
「シェル、あんたまでおかしくなっちゃったんじゃないの?!どこをどうみたらアホじゃなく見えるの、コレの!」
だんだんスピードに慣れてきて普通に喋れるようになってきた真由美は、怒声を上げた。
「真由美ー、それ酷くねぇかー?」
「ふーんだ!どうせその幼馴染みグループ?だってお兄ちゃんがみんなをからかっていじめてたんでしょー!!」
「んなわけねーだろー。俺上から四番目だったんだぜ。一番下はゆっきーだったけど。あ、でもあっきーは上っぽくなかったな……っと」
再び急カーブ。博は目を前方に注視しながらハンドルを動かす。
「そういえば……博さんて心臓悪いんじゃなかったんですか?こんな絶叫マシン並みのスピード出していいんですか?」
「あーっ!そうだよ俺ってば心臓悪かったんだよ!すっかり忘れてたぜ!」
今まで何ともなかったところを見ると、本当に心臓が悪いのか疑わしいが。
「まぁあれよ。成せばなるってやつ?」
「ぜんっぜん違います!!」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。……それにしてもよく貸してくれましたね、こんな高そうな車……」
シェルがあちこち車の細部を見て、その精巧さに感嘆する。
確かにこんな最新型の車をぽんと貸すのがどんな人間か、興味がある。きっととんでもないお人好しか、あるいはバカだ。
という真由美の予想に反して、バカ兄貴はとんでもない言葉を口にした。