8話 異世界での一夜
儀式の間である大広間から伸びる通路を抜け、神殿の外へと出て空を見上げると、そこには満天の星空が頭上を覆っていた。
大きな青白い月が頭上に浮かび、その光が目の前の光景を浮かび上がらせている。
視界の先に広がるのは広大な月明かりをも遮る闇色の深い森だ。
神殿周りは拓けているが周囲はぐるりと森の木々が犇めき、時折吹き付ける風が森の枝葉を揺らしてそれが木々の騒めきとなって森全体が脈動しているように見える。
何処にでもあるような森の景色。しかしこの世界に満ちる空気の気配は、自分が元居た世界である地球とは違う事が感覚的にだが理解できた。
──随分と空気の気配が濃いな。
そんな感想を抱きながら暗く深い森との境界線の傍近くに目を向ける。そこには恐らく森族達が暮らしているのだろう家屋の輪郭がぽつぽつと連なって見えた。
夜の月明かりだけでは詳しく見えないが、木製の柱に壁、屋根は樹皮を重ねたようなどこか荒い檜皮葺造り思わせるような家屋が森の傍に幾つも建ち並んでいた。
どこか時代を感じさせる欧州の田舎に見るような古い集落だが、その基礎となっている家屋の土台や周辺に伸びる道などは丁寧に敷き詰めた石材などによって構成されており、何となくちぐはぐさのようなものを窺わせる。
最初に見た第一印象で言えば、古代の都市遺跡の上に田舎の集落が築かれている──という雰囲気と言えば分かり易いだろう。
そしてその印象は遠からずも的外れではない筈だ。
確信を以て言えるのは背後を振り返った際に、自身の視線の先に見える光景が語っていた。
そこに聳えるのは巨大なピラミッド状の建造物だ。
全体の表面は鈍色の硬質な建材に覆われており、どこか金属製の近代建築を彷彿とさせるが、その表面には複雑怪奇な紋様が刻まれており、その威容はどこかSF映画に出てくる異星人の建造物のようにも見える。
周囲に建ち並ぶ家屋に用いられている建築技術とはかけ離れたそれらを眺めていると、先を行くルーテシアが振り向いて声を掛けてきた。
「どうかしましたか?」
面布の奥からこちらを不思議そうに見る視線を向けてくる彼女に、自分はその問いに対してどう言って返すべきかと、巨大な建造物と集落の様子を交互に視線を運びつつ脳内で言葉を選ぶ。
「いや、なんて言うか──随分と大袈裟な建物だな、これは……」
周囲の集落の建物とは比べ物にならない巨大ピラミッド建造物だ──そんな事を口にすれば、それは翻って集落の建物がみすぼらしいと言っている事と同義である事から、苦し紛れに思わずそんな言葉を漏らしていた。
しかし口にした後に、内容があまり変わっていない事に気付いて眉を顰めてしまう。
そんなこちらの様子を可笑しく思ったのか、ルーテシアは面布の奥から微かな笑い声を漏らす。
「ここはメルトアの森の中心、私達が聖地と呼ぶ場所。かつて私達の先祖が築き上げた都市の跡地です。あの巨大な“選定の神殿”もその当時のものがそのまま使われています」
彼女のその答えに自分はあらためて背後に聳える選定の神殿を見上げる。
ここまで建築技術に乖離があるにもかかわらず、この建造物を彼女らの祖先が築いたという事は、どこかで文明の断絶があったのだろうか。
そんな疑問を頭に浮かべていると、ルーテシアがさらに言葉を継いでこちらの疑問に答えた。
「私達の祖先は遥か昔、高度な文明を築いていたと聞いています。この都市の跡地はその最たる証拠です。ですが、ある時に突如起こった天変地異によってその文明も一夜にして滅んだそうです」
「天変地異?」
彼女の説明に自分は見上げていた巨大な神殿から視線を移し、ルーテシアに疑問を向ける。
これ程の技術を持っていた種族が一夜にして滅ぶ程の天変地異に興味があったのだ。
失われた古代文明──そこに浪漫と興味を掻き立てられるのは単純に個人の趣向なのか、それとも年頃の男子であれば概ね同様の反応を示すものなのか。
兎にも角にも興味本位での自分の個人的な問い掛けにもかかわらず、彼女は特に含んだ様子もなくそれに答えてくれた。
「ここより北の地、天変地異によって開いた巨大な大地の穴──私達が“黄泉の門”と呼ぶその場所の影響によって、地上には大量の魔獣や魔族が溢れ、この大地を蹂躙したと伝えられています」
「魔獣? 魔族?」
いよいよ以て現実世界ではない単語の数々に驚きの言葉を漏らすも、その単語の一つにある疑問が新たに湧いて首を傾げる事になる。
「少し聞きたいんだが、その地上に溢れたモノの中にあった“魔族”というのは、さっきここに襲撃を掛けてきた人間達がおたくらの事を指した言葉じゃなかったか?」
そんな自分の疑問に対して反論するように声を上げたのは、先程から黙って後ろから付いて来ていたルーテシアの兄、シグル族長だった。
「我らが魔族などと、人間共が勝手にそう言っているに過ぎん! 奴らは我らを討つ大義名分が欲しいだけだ! 我らは古来より森族であって、魔族などでは決してない!」
シグル族長は狼顔の眉間に皺を寄せて、牙を見せて唸るような表情でそう吐き出した。
その彼の嫌悪ぶりから見て、本当に人間という種が信用されていないのだと分かる。
まぁ、人間は見た目で他者を判断するのは常であり、それは半獣半人である彼らが人間という見た目を嫌悪の対象として見ている事も同様であり、同じなのかも知れない。
それと同時に、本当に魔族という種族がこの世界には存在しているのだという事も。
そんな怒気を孕ませたシグル族長から視線を外し、自分はルーテシアに顔を向ける。
兄の怒りに対して、彼女からは何処か寂しげな雰囲気が醸し出されていた。
彼女のそんな雰囲気に疑問を感じながらも、自分が次の疑問を口にしようするが、ルーテシアは先へ案内しようとこちらに背中を向けた。
「とりあえず、あなたが今晩過ごす事になる部屋まで案内します。食事も用意しますね」
そう言って先を行く彼女の背中を自分は足早に追いかける。
その自分の背中を彼女の兄であるシグル族長が無言の圧力をこちらに向けながら付いて来た。
集落に近づくと、そこそこの規模があるようで、幾つもの家屋が建ち並んでいる。
しかし表には人の気配はほとんど無く、時折吹く風にのって森の木々の騒めきが聞こえるだけだ。
どうも屋内からはこちらに向ける視線の気配が複数ある事から、無人ではないようだが。
それにしても選定の神殿周りには多少の篝火が置かれていたが、集落周辺には光源になるようなものが空に浮かぶ月以外に無く、薄暗く見通しが悪い。
肩越しに後ろを振り返ると、シグル族長の瞳が光って見える。
やはり狼だからだろうか、夜目が効くので街灯の類はあまり必要としないのかも知れない。
それにしても無言のまま目を光らせた巨躯の狼男がすぐ背後に立っているというのは、なかなかどうして緊張感のある場面だなと暢気な感想が頭に浮かんだ。
やがて目の前を歩くルーテシアが一軒の家屋の前で足を止めた。
彼女の目の前に建つ家屋を見ると、二階建ての木造家屋のようだ。
その家屋の扉を開けた彼女は、そのままこちらに入るように促してきた。
中へと入る際に靴を脱ぐような場所は無く、そういった観点は西洋風ではある。
ルーテシアが奥へと向かい、そこにあった大きな暖炉に火を入れると、部屋全体が少し明るくなって全体が見渡せるようになった。
現代の住宅事情から考えれば随分と簡素な造りだというのが個人の感想だろうか。
入ってすぐの部屋はリビング兼キッチンのような場所なのか、暖炉の傍には調理器具のような鍋やらフライパンなどが置かれており、その手前──部屋の中央に大きな木製の食卓がある。
その食卓の上には黒い厚手の布を被せられた高さ三十センチ程の円筒状の物が置かれており、食卓に備えられた椅子は全部で四脚──座る為の数は足りそうだ。
天井は身長が高い者が多い森族に合わせてか、随分と高い位置にある。
そんな室内を見回していると、ルーテシアが食卓の上に置かれていた円筒状の物に被せていた厚手の布を取り払う。
中から現れたのは円筒形のガラス筒──その中には仄かな温かみのある光を放つ水晶柱が収められていて、部屋の中に暖炉の火以外の明るさが増える。
「おぉ、なんだこれ? すげぇな?」
自分はその現れた摩訶不思議な現象を利用した代物に目を丸くして覗き込む。
用途はランプなのだろうが、どういう仕組みで光っているのか分からず、純粋に驚きの声を上げる自分の様子に、ルーテシアとシグル族長が互いに顔見合わせてこちらを見やる。
「?」
自分はそんな彼らの反応に首を傾げた。
それを見たルーテシアが面布の奥から笑みを漏らす気配を見せる。
「シン様──いえ、シンでしたね。あなたは本当に別の世界から来たのですね」
ルーテシアのそんな言葉を継ぐように、シグル族長は眉根を寄せたまま口を開いた。
「“灯火水晶”など、それ程珍しい代物ではない。お前の元居た場所ではどうやって夜の明かりを確保していたんだ?」
彼の心底不思議そうな顔を見て、自分は元居た世界での明かりの源である電気の仕組みを考えるが、如何せんそういった事を上手く説明できるような知識はない。
「オレらのとこじゃ、電気──小さな雷の力を使って明かりに利用してるんだよ」
合ってはいなが、間違ってもいない、そんな曖昧な回答を口にしつつ、とりあえず食卓に並べらえてあった椅子の一つを引いてそこに座る。
「雷を明かりに使うなど、物騒な発想をするのだな。お前の世界というのは」
そう言って柱に背を預ける形で立ったままのシグル族長が、自分の曖昧な回答に感想を述べる。
自分はそんな彼の言葉を適当に流しながら、ルーテシアの方に視線を向けた。
すると彼女はいつの間にか暖炉の傍に寄っており、そこに掛けられた鍋の中を覗き込んで、徐に中のスープらしきモノをお玉で器によそい分けていた。
そんなルーテシアの背中を黙って眺めていると、やがて彼女は盆のような物の上に先程のスープをよそった器と、その横にまるでナンのような平たいパンのような物を載せて戻ってくる。
「今日はこんな物しかありませんが、良かったらどうぞ」
ルーテシアがそう言ってこちらの前にその盆を置くと、彼女は自分の向かいの椅子に着席してから自身の眼前に掛かっていた面布をゆっくりと捲り上げて、今まで隠していた素顔を晒した。
自分は出された食事の盆に目を向ける事なく、露わになった彼女の素顔を凝視する。
面布の下から現れたその素顔は、先程の神殿内でちらりと見えた時の予想通り、人の顔のそれであり、彼女が兄と呼ぶ半人半狼のシグル族長とは全く違っていた。
長く艶やかな白銀の髪に、長い睫毛と凛とした少し切れ長の蒼い瞳は食卓の上に置かれた灯火水晶の明かりを受けて、その光彩が仄かに光を反射して光っていた。
少し高い鼻筋に整った顔立ち、薄く笑みを浮かべるような唇は、透き通るような白い肌の上で淡い桜色が差しており、全体的に白い顔立ちの中で瞳と唇に強い印象を相手に抱かせる。
自分の元居たあちらの街中で歩けば、大抵の男が彼女を視線で追い掛けるだろう事は明白だ。
うちの母親も随分と美人の部類に入る方なので、大抵の美人は見慣れているつもりだったが、こうして目を釘付けにされるような事は初めてだ。
若干、背後からシグル族長の得も言われぬ刺すような気配が無ければ、もう少し眺めていたいのだが、今はとりあえず彼女の素性を尋ねた方が良さそうだ。
「……あんたは人間、なのか?」
自分は思わずそんな言葉を彼女に向けるが、そうではない事は自分でも理解している。
彼女の頭頂部に見える大きな尖った獣耳、そして彼女の背中──腰元から垂れる艶やかな毛並みの白銀の尻尾などは人間には無く、それはシグル族長と特徴を同じくするモノだ。
一瞬、彼ら森族の者は男女でその姿が大きく異なるのかと考えたが、それも違うだろう。
神殿内で会った三人の族長の一人──確かサリッサ長老と呼ばれていたのは、山羊姿の老婆だった事を考えると、女性が人に近い姿を持っているという訳ではなさそうだ。
そんなこちらの疑問を余所に、ルーテシアは静かに首を横に振ってこちらの問いを否定する。
「私は勿論、人間ではありません。が、人の姿を持つ私は森族でもないのかも知れません」
そう言って僅かに目を伏せるルーテシアに、シグル族長が異を唱えた。
「馬鹿な事を言うな、ルーテシア! お前は間違いなく我ら牙族の同胞、私の妹だ! お前のような優しい心根を持つような者が、あの卑劣な人間などと同じものか!」
シグル族長は強い口調でそう断言するが、彼のそんな言葉にルーテシアは少し寂し気な──憂いのある瞳を一瞬こちらへと向けて、やがて寂しげな笑みを浮かべてこちらに視線を向けた。
「兄様が失礼を言いました」
ルーテシアは小さく頭を下げて、先程彼女の兄が言った発言に対して謝罪の言葉を述べる。
自分はそんな彼女に軽く手を振って何でもないという仕草で小さく笑って見せた。
シグル族長が言うように、卑劣な人間などそこら中にごまんといる。
自分は人間が高尚な存在であるなど言うつもりは毛頭ない。
そんな自分の態度に、目の前のルーテシアと後ろに控えるシグル族長は意外そうな表情でこちらを見て、互いに顔を見合わせている。
「シン、あなたは変わっていますね。普通、人間は私達森族──いえ、彼らが言うところの魔族からの侮辱には随分と敏感に反応するのですが」
彼女のその言葉に自分は僅かに肩を竦めて見せた。
「言っただろ、オレはこの世界の人間じゃないってな? オレ達の世界にはあんたらのような種族はいない。だからか、もっぱら争う相手は同じ人間同士──卑怯も卑劣も歴史の中に積み上げてきた事を知る人間の一人としては、特に反論する気もないよ」
戦場を渡り歩いて来たという爺──祖父からは人間の見せる醜さなどを事ある毎に聞かされて育ったのだ、その手の話には事欠かない。
今に思えば、年端のいかない子供に聞かせる話ではなかったと思うが。
「ところで、あんたは人間でも森族でもないと言うなら、いったい何だ?」
自分は脱線していた話題を始めの質問へと軌道修正するべく、そんな問いを再度彼女に向ける。
それを受けて彼女──ルーテシアが小さく礼をして口を開いた。
「私の名は牙族のルーテシア・ベルトリオ。私のこの姿ですが、私のように人の姿を持って生まれる者が時折、森族の中に出るのです。そのような者を私達は“忌み子”と呼んでいます」
彼女が語ったその話で、自分が神殿内で見た面布をしていた集団の中に、彼女と同じような獣の要素の少ない者達の姿が幾人か思い脳裏に浮かぶ。
人のように二本の足と手を持つ姿でありながら、その顔は獣のそれと同じ森族。
その中で時折生まれるという“忌み子”の存在だが、どうやら人間と森族の間で子を成したからという話でもないようだった。
ルーテシアとシグルの両親はどちらも森族──牙族の出身らしく、数代前まで遡っても人間と結ばれたという話もないという。
どういう理屈で彼女のような存在が生まれるのかは、ルーテシアやあの長老達も知らないようで、そんな問題が異世界へと来て数時間もしてない自分に分かる訳もない事だけは分かった。
とりあえず今晩は出して貰った食事を摂りながら、この世界や彼らの今の状況を知る事から始めるのが一番建設的だろう。
そんな事を思考しながら、自分は出されたスープを匙で掬って口に運ぶのだった。
誤字、脱字などありましたら、感想欄にまで頂けます幸いです。