4話 見知らぬ地
自分の目の前に広がるのは、先程まで見ていた見慣れた日本の地方都市の風景ではない。
あちこちに置かれた篝火の明かりに照らし出されているのはどこか異国の神殿といった趣──その独特の紋様に彩られた床や壁、周囲には規則的に立ち並んだ柱に高い天井の上部は明かりが届かずに濃い影に覆われており、そこが広大な空間を持つ屋内である事を示していた。
その異国の神殿の内部には実に多くの人々の姿が目に映るが、それらの者達の姿、恰好は自身の知る日本の街並みを行き交う人々とはかけ離れていた。
自分が今現在立っている場所は周囲より一段高くなった大きな祭壇か、円形の舞台のような場所で、その周囲を取り囲むようにして立っているのは一様に顔に面布を垂らして顔を隠した者達。
彼らの格好は雰囲気で言えばどこかの祭司か、もしくは神官という感じだろうか。
色合いや装飾は抑えめではあるものの、その意匠はインドのサリーなどを彷彿とさせる。
しかし彼らの姿で一際目を引くのは、その面布や衣装の下から覗く人のそれとは大きく掛け離れた様相──張り出した大きな角や、獣のような耳、美しい鱗や毛並みの肌を持つ手足だ。
中には面布を付けていない者で、顔が狼であったり、山羊であったり、はたまた爬虫類のような顔を持った者達の姿があり、それらを踏まえて見れば、周囲に居る面布の者達も端から覗く特徴を見れば、彼らと同様の姿をしているのであろう事が想像できた。
獣と人とが掛け合わされたような──物語などの創作の世界で見るような姿。
サブカルチャー的な仮装──所謂コスプレのようにも見えるが、それらに作り物のような雰囲気はなく、むしろ気配を探ればその身に流れる氣からそれが血の通った生物のそれである事が分かる。
そして自分の目の前で膝を折り、何やら祈りの姿勢のまま面布の奥から驚きの感情を覗かせている彼女もまた、獣と人との特徴を併せ持っていた。
頭頂部には白銀色の獣耳を備え、手は人のそれと変わらぬ様子を窺わせるものの、衣装の下から露わになった腕や足には耳と同じ毛色の柔らかな毛並みに覆われている。
膝を突いた姿勢だが、その身長は恐らく百八十半ばはあるだろう。
女性として見れば大柄ではあるが、衣装の下に収まる豊かな胸と全体的に丸みを帯びた曲線は女性特有のものだと言える。
彼女だけは周りの者達と少し雰囲気を異にしているが、それが何かは判然としない。
そしてそんな彼女の背後に目を向けると、そこには目を抑えて呻く男の姿があった。
身に纏っているのは金属と革とを繋ぎ合わせたような鎧としか形容のできない代物、手に持っているのは血の付いた大振りの剣で、恐らく作り物などではないのだろう。
口元には何故かマスクに空気ボンベのような金属筒を横に装着したような、ガスマスクに似た代物を装備しており、そんな出で立ちの人間が多数、神殿内にその姿を見る事ができる。
周囲を見回してみると皆一様に目や顔を手で覆い、呻き声を上げながらヨロヨロと歩く姿に、血を流して倒れている者など、この場が尋常でない事は一目瞭然だ。
見た所、獣の姿をした人々と人間との争いの渦中である事が察せられる。
見た事もない場所、見た事もない人々──そんな緊迫した場に放り出されれば、とりあえずは事情を手近な者に尋ねるのが普通だろう。
しかし、こちらが口を開く前に、目の前の獣耳の女性の背後で呻いていた人間の男がようやく目を凝らすようにして此方の姿を認めると、驚きの顔でもってこちらに持っていた武器を向けてきた。
「な、何だ貴様は!? 何処から現れた!?」
「あぁ?」
とても友好的な反応とは言い難いその問い掛けに、ついいつもの癖で威嚇的な返しをしてしまう。
するとその男の近くにいたもう一人が緊迫した様子で警戒を促す言葉を向けてきた。
「おい! そいつ、この瘴気の森の中でマスクも付けずに平気な顔してやがる、人間じゃねぇぞ!」
男のその言葉に、武器を向けていた男も驚きの顔をしてあらためてこちらに視線を向けると、その表情はみるみると険悪なものへと変わっていった。
「貴様、人の姿を模した魔族かっ!? こいつら、とんでもねぇモノを生み出しやがった!」
男のその言葉に眉間の皺が深くなる。
正直な所、全く以て現状の理解が追いついていないこの状況で、謂れのない敵意を向けられるというのは甚だ不快なものでしかない。
自身の苛立ちと共に内から漏れ出る覇氣に、剣を向けていた男が僅かに怯んで後ろへと下がる。
素人が感じ取れる程の漏れではなかった筈だが、やはり恰好などから見てそれになりに戦いなどに身を置く者だという事だろう。
しかし、そんな男の反応を知ってから知らずか、後方に控えていた大柄の別の男が、周囲に散らばった者達に大声で指示を出した。
「何をやってる!? 他の戦士共が出払っている隙に、ここ連中は例外なく皆殺しだ! その人間型の奴は確実に仕留めろっ、いいな!?」
どうやらあの大柄な男──と言っても自分と同等くらいではあるが、あれが司令塔なのだろう。
先程まで動きが緩慢になっていた人間達の動きが戻り、こちらに武器を向けていた男と、その近くにいたもう一人、さらに追加でこちらに向かって駆けてくる男が、手に持った武器を振り上げて襲い掛かって来た。
手に持った凶器。明確な殺意。
相手の命を刈り取らんとするその行動は、自身が求めていた命のやり取りの場だった。
湧き上がる衝動は渇望していたものを得た歓喜か。
それとも自らの力を振るえる場を見つけた狂喜か。
「ハハっ!」
思わず喉の奥から漏れ出た笑いに、自身が祖父から言われた言葉が脳裏に過る。
自身の鍛え上げてきた力を相手に振り下ろしたいだけではないのか──確かにそういったものが全くないとは言わないが、だからと言って目の前の状況を黙するのは断じて否だ。
武器に殺意を纏わせた男達が自分へと殺到する中で、間に挟まれる形となったのは白銀の獣耳を持つ顔を隠した女性──このままでは彼女を巻き込む事になるのは自明だ。
自分は咄嗟に前へと出ると目の前の彼女を押しやるように除けて、向かって来る男達を迎え討つ。
向かって来る人間と、呆気に取られている人ならざる者──種族的な話で言えば自分もあちらの人間側の筈だが、どうもあちらさんは自分を彼女と同じ“魔族”という括りに入れたいようだった。
振り下ろされる殺意の剣は当たれば確実に肉を裂き、骨を砕く威力が備わっている。
剣筋もしっかりとしており、素人のそれでない事は明白──だからこそ、こちらも容赦はしない。
男の剣を左手の甲で軽く流し、それに意識が流れたのを機に一歩間合いを詰めると、握り込んだもう一方の拳に瞬間的に体内の氣──内氣を収束させて男の顔面を打ち、相手の体内に自身の氣を移動させ、それを体内で爆発させるように解き放つ。
【龍氣道・震波裂孔】
浸透氣功に類するこの技は、相手が内氣を以て防ぐ事が出来ない場合、相手の体内を確実に破壊する必殺の技となる。
まるで水風船が盛大に破裂したような音が響き、男の頭が文字通り木端微塵に吹き飛ぶ。
しかし中身は水のような綺麗なものではなく、粘度のある血肉だ。
周囲に鮮血の血飛沫を撒き散らしながら、男の身体がぐらりと大きく傾ぐ。
男の血肉を浴びた近くの者が悲鳴を上げて、少々技の威力が強すぎた事を悟る。
そんなこちらの様子を見て向かって来ていたもう一人の男の顔が驚愕の色に染まり、慌てて踏み込んでいた足を止めようと踏ん張るが、時は既に遅い──。
「そこはもうオレの間合いだ」
頭を失って倒れる男の身体を躱し、さらに一歩を踏み込んだ足は身体を大きく前へと進ませる。
相手はいつもの爺とは違うのだ──威力のある一撃を放つ必要はない。
軸足を起点に相手の顔面に蹴りを放つと、「ゴキン」と盛大な鈍い音を響かせて男の首が明後日の方向にねじ曲がり、男の身体は蹴りの勢いをそのままに壁に叩き付けられた。
残った一人は明らかに怯えの色を顔に滲ませるが、一瞬の判断の誤りが命取りだ。
足に集中した氣を爆発させると、足元の地面が爆ぜる。
【龍氣道・瞬虚歩】
相手との間合いは瞬時に詰まり、振り抜いた拳が相手の鎧を大きく凹ませ吹き飛ばす。
吹き飛んだ先で柱に背中を強打したのであろうその人間の男は、それ以降ぴくりとも動く事はなく、その場に身を横たえるようにして倒れる。
武装した三人の男を倒すのに掛かった時間は、せいぜい瞬き三回ほどだろうか。
この程度の相手ならば残りは内氣で強化した拳だけで決着はつきそうだ。
視線を向けた先──神殿内と思しきこの場に居る武装した人間の数は三十弱といった所か。
そんな思考を巡らせながら、握り込んだ拳を開いて自らの手を眼前に晒す。
初めてこの拳で人を殺した事になるのだろう──だというのに、自分の中の精神は小波が立つ事も無く、自身の拳に付いた血糊を軽く振って飛ばし、小さく息を吐き出した。
以前にも山奥で鹿や熊を素手でその命を絶った事があるが、どちらかと言えばあちらの方が自分としては心が痛んだものだ。
獣が放つ殺気と、人間が放つ殺気。
相手に求めている結果は同じであるのに、何故こうも質感──とでも言うのだろうか、明確に違いを見せるそれは何とも言葉にし難いものがある。
そう思って大きく息を吸い込む。
気持ちを切り替えるように小さく頭を振って次の相手を探すように周囲に視線を向けると、周りに散っていた人間達が一斉に慌てたように後ろへと下がり始めた。
「な、なんだ、あの野郎!? に、人間が爆発したぞ!? 魔法なのか!?」
「う、動きがまるで見えねぇ! 何なんだ、あの化け物は!?」
まさに浮足立つという言葉を体現するような騒ぎに、今まで劣勢だった獣姿の人々──獣人達は今が反撃の機会とばかりに、手近にいた人間達に襲い掛かり始めた。
「今が反撃の好機だ! 人間達をこの神殿内から一掃せよ!!」
そう言って吠えたのは、少し腰の曲がった姿の巨漢の爬虫類姿の男だ。
武器を持った獣人の数は少ないが、先程の自分の手痛い反撃に及び腰になっている連中に追撃の形となれば相手はたちまち劣勢の立場となるだろう。
戦いの中で流れというのは時に数の不利を覆す。
武器を持っていた獣人達もそれを理解しているのか、動揺で背中を見せた人間達に次々と襲い掛かった結果、その攻撃で人間側の何人もが致命傷を負って床に伏せる事になった。
「怯むな! 戦力はこちらの方が多い! 数の有利を活かせ!」
しかし奥に控えていた大柄な男のその言葉と共に、不用意に踏み込んだ獣人の男の一人を斬り伏せた事で奮起したのか、周囲の武装した人間達が再び戦意を持ち直すかのような動きを見せる。
流れが変わりそうになった所へその流れに間髪入れずに楔を打つ、ああいうのを歴戦の戦士というのだろうか──その動きから見ても先程の三人よりも闘いがいのありそうな男だ。
だが彼らには残念な知らせかもしれないが、獣人側の有利は揺らがないだろう。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「今度はなんだっ!?」
突如、神殿の入り口と思しき場所付近にいた人間達から断末魔の声が上がり、隊長格の男が不審の声を上げてそちらに視線を向けると、神殿内に武装した獣人の一団が流れ込んで来る。
外部から近づいて来る多数の気配には既に気づいていた。
今この場に居る人間達とは違う気配──しかし、この周囲に居る多くの獣人達よりは大きな気配を宿した者達──それらの者達が神殿内を制圧しようとしていた人間達に一斉に襲い掛かった。
現れたのは獣人の戦士達──なのだろう。
彼らの顔は皆が狼のような姿で、身長は全員が二メートル以上という大柄な体格に、手には大振りの曲刀、革と金属を合わせたような使い込まれた鎧を身に纏い、その狼の姿に違わぬ俊敏な動きで敵である武装した人間達を次々に斬り伏せていく。
「ちっ! 陽動部隊の連中、もう下手を打ったのか!?」
個人の戦闘能力で言えば、体格などを見てもやはり武装した人間よりも獣人の戦士達の方が上なのだろう──次々と討ち取られていく人間達の様子を見て、隊長格であろう男が吐き捨てるような言葉と共にその鋭い視線を巡らせ、舞台の上で未だに呆然としている白銀耳の女性に目を止めた。
その男の意識の先が彼女に向かうのを感じて、自分はそれよりも早く踵を返すと瞬時に彼女の前へと移動して男の視線の前に立ち塞がった。
男の考えは謂わずとも知れている──重要人物っぽい彼女を盾に、この場から有利に撤退、もしくは事を運び目的を達成しようというのだろう。
こちらを彼ら──獣人達と同じように敵視してくる者に、そんな有利を握らせるつもりはない。
相手を挑発する為に、自分はそんな男の前で不敵に口元を歪めて嗤って見せる。
すると男の表情が苛立ちに歪み、憤怒の色を滲ませるが、すぐにこちらへの視線を切ると傍に控える者達をまとめて撤退の姿勢に入った。
街の不良程度ならばこういった安い挑発で爆釣りなのだが──実際に隊長の周囲に居た幾人かの男達はこちらに武器と敵意を向けてきたが、隊長格の男はやはりこういった荒事などに場慣れしているようで、挑発には乗るなとばかりに彼らをすぐに制して見せた。
隊長格の男を中心とした集団はどうやら精鋭のようで、獣人の戦士達からの追撃からも上手く立ち回って被害を抑えながら動いている。
獣人の戦士達の数はおよそ十数名といった所で、個々の戦力は高いがこの広い神殿を封鎖できる程の数ではなく、最初に神殿内に居た人間達を奇襲する為に突入した事もあって、全員を封殺できる状況にない。
自分が追撃に出ればそれを成す事は容易いが、この人間と獣人の入り乱れた状態で此方が初見の者達の前に乱入すれば、どちらからも攻撃の標的にされかねない。
ましてや混乱するこの場に、背後の彼女を置いて前に出るのは、先程の件もあってあまり得策とは言えず、どうしたものかと、意識を背後で僅かに動く気配を見せた白銀耳の彼女に向けた。
その自分の意識が背後に向かった瞬間、今までの獣人の戦士達よりも大きな気配が神殿内に飛び込んで来て、その者がその場にてあらん限りの大音声が響き渡らせた。
「ルーテシア! 無事かっ!!?」
下部に「なろう勝手にランキング」のタグと前作の漫画版の宣伝を追加してみました。
お陰様で、「骸骨騎士様」の漫画はⅠ巻が既に11刷まで重版されるまでになりました。
ご興味のある方は一度読んで頂けますと幸いです。m(__)m