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魔王オレ、只今異世界で奮闘中!  作者: 秤 猿鬼
第一部 異世界で魔王
17/24

17話 死者の谷

 辺り一面に聳える木々がいずれもビルの高さに相当するこの森の中では、遠くの景色というものは一切見通す事ができない。


 それは森の中で方向や位置を把握する事が困難である事を示している。


 木々の間には十分な間隔が開いており、下草もそれ程高く茂ってはおらず、森の中を進む上での困難さは決して高くはないが、そもそも道らしい道などが全くない。


 四方を見渡しても何処も彼処も同じような景色ばかりで、このメルトアの森に暮らす森族の彼らの案内なしでは今の自分では森の中を自由に行き来する事など到底不可能だ。


 人間達はこんな森の中を進み、よくもあの森族の暮らす里まで辿り着けたものだと感心する。

 事前に何度も森の中を斥候などが調査に入っていたのだろう。


 位置の把握が難しい見通しの悪い森だとしても、里までの道程を確定してしまえば、後はその道を使って戦力を送り込むなり、大部隊の為の道を整備するなど色々とやりようはある。


 そう考えると、先日の里を襲撃した人間達の部隊は威力偵察の可能性もあった。

 何にしても、このメルトアの森は既に森族だけの領域ではなくなっているという事だ。


 そんな事を考えながら、ふと木々の間から覗く僅かな空の色を振り仰ぐ。

 既にその色は茜色から濃色の藍色が滲み出し、すぐ傍にまで夜が忍び寄っている事を示していた。


 視線をそんな夜の帳が下りつつある空から戻し、周囲の様子を見回す。


 中心に聳える一際大きな巨木を中心に残して周囲の木々を伐採し、その伐採した木々を木材として切り出して、周囲を囲うように木材と土で少し背の低い壁が築かれている。


 ここはメルトアの森で森族が活動する際に利用する野営地の一つらしい。

 こういった野営地がこの森には幾つも点在しているという。


 中心に聳える巨木の根本には裂け目があり、その裂け目を潜ると中はくり抜かれた空洞となって雨風が凌げる天然の小屋となっている。


 流石に今回引き連れている戦士の数、五十数名を収納する程の広さはないが、それでも見張りを兼ねた交代制で一泊するには問題ない造りと広さになっていた。


 そんな大樹の小屋の外では、道すがら拾い集めた薪を組んで焚火が焚かれている。

 夜の森を徘徊する魔獣除けの意味合いが大きいらしいが、中には火を恐れない魔獣などもいる為、見張りも欠かすことができないそうで、その話からもここが過酷な環境である事が窺えた。


 何にしてもこの大森林を単独で踏破するのはかなり厳しそうだ。


 そしてその厳しい大森林に生息する魔獣の中で火を恐れ、夜の脅威となっている一体が自分の目の前に転がっていた。


 それを一言で言い表すならば巨大な蜘蛛だ。

 全長は二メートル弱もある暗褐色の被毛に覆われた巨大なタランチュラ型の蜘蛛。この大森林に多く生息する夜行性の魔獣の一種で、森族の者達からは大蜘蛛(アラニア)と呼ばれていた。


 肉食で、蜘蛛特有の隠密性を兼ね備えたその巨大な夜の死神は、森族の戦士であっても不意を突かれれば危険な魔獣の中の一種だという。


 特にここへ来るまでの道中に襲われたという訳ではない。

 この野営地へと着いた後、何人かの牙族の戦士達が森へと入り、そこで仕留めてきた獲物だ。


 ではなぜそれをわざわざ野営地にまで運んで来たのかと言えば、その答えは目の前にある。


 戦士の一人が、既に動かなくなった大蜘蛛(アラニア)の太い足の一本を持ち上げ、装備していた大振りのナイフでその足を根元から斬り落とし、さらに節の部分で分割するように切り分ける。


 それを木の枝を串にして刺し、焚火の近くの傍の地面に炙るような形になるように刺していく。

 ここまでの行為を見せられれば、大蜘蛛(アラニア)が何の為に運ばれてきたのか理解できる。


 全く以て気乗りはしないが、食用にする為だろう。

 他の戦士達は御馳走が手に入ったといった雰囲気で盛り上がりを見せているが、蜘蛛──しかも牛程の大きさもある蜘蛛を焼いて食べるというのは正直遠慮したいところだ。


 しかし全員が全員、焼き蜘蛛を歓迎しているという訳でもないようだった。


 森族の中で唯一、その端正な顔を曇らせている者が一人──戦士の手によって捌かれていく大蜘蛛(アラニア)からあからさまに距離を取り、若干顔を青くさせている者。


 自分は唯一の仲間を見つけたと、そんな彼女に近づいて声を掛けた。


「ルーテシアさん、ルーテシアさん。もしかしなくても、あれを食べるのか?」


 恐る恐る聞くこちらの質問に、彼女はちらりと大蜘蛛(アラニア)に視線を向けた後、小さく頷いて返した。


「里では好まれて食べられてるものです……けど、私は苦手で。その……見た目が、ちょっと」


 そう言って彼女は僅かに苦笑いをしてそっと視線を大蜘蛛(アラニア)から外す。

 その意見には大いに賛同する。


 見ようによっては巨大蜘蛛も巨大な蟹に見えなくもない。

 実際、蟹を苦手とする者の中には蜘蛛に酷似したその姿を忌避する者もいると聞くが、だからと言って反対に蟹が美味しそうに見えるからと言って蜘蛛も同様に美味しそうに見えたりはしない。


 もしかすると暗褐色の被毛に覆われた体躯ではなく、茹で蟹のように赤い体躯であればもう少し印象は変わったのだろうかと、そんな試案をしていると大蜘蛛(アラニア)の太い足に生えていた暗褐色の被毛が焚火の炎に炙られ、周囲にやや焦げた独特の臭いが立ちこめる。


 生き物が焼ける匂いというよりも、どこか薬臭い──そんな香りだ。

 そんな臭いを放つ煙の筋を視線で追っていると、ルーテシアが小さく溜め息を吐く。


大蜘蛛(アラニア)の被毛を焼いた際に出るこの臭い、これは他の虫系の魔獣を遠ざける効果があるので、野営する際にはわりと必須な作業の一つなんです」


 彼女のそんな説明に、自分は成る程と頷いてあらためて串焼き状に並べられている大蜘蛛(アラニア)の光景を視界に収めながら鼻をひくつかせる。


 ようは蚊取り線香のような効能があるという事なのだろう。


 そうこうしている内に大蜘蛛(アラニア)の焼ける匂いに変化が見られた。

 先程までの薬臭さが無くなり、何か香ばしい匂いがすきっ腹の嗅覚を刺激する。


 焚火の周りでは森族の戦士達が、焼き串と化した蜘蛛の足を手に取り、それぞれが手持ちのナイフでそれを半分に切り、内側に詰まっている白い身に噛り付き始めていた。


 その光景は、モノを見なければ実に美味しそうなバーべーキューの一幕に見える。

 そんな食事の風景を眺めていると、ドルムント族長が両手に焼きたて串を持ってこちらへと歩み寄って来ると、片方の手に持っていた串をこちらに差し出してきた。


「シン、貴様の分だ。貴様には明日、我らへと約束した砦攻めを行うのだ。食って力を付けなければそれも覚束んだろ? 貴様の為に一番太い根元の部分を持って来てやったぞ。食え」


 そう言って彼は爬虫類然とした独特の光彩を細めるようにして笑い、手に持っていた白い湯気の立つ焼き蜘蛛の串をずずいと目の前に持ってくる。


 人間とは少々顔の造りの違う鱗族のその顔は、笑みを浮かべると何やら邪悪な企みを企てているようにしか見えず、自分は思わず目の前の串とドルムント族長に交互に視線を動かす。


 まるで爺が放つ殺気をまとも受けた時のような、嫌な汗が首筋に伝わり、人知れず喉が鳴る。


「いや、オレは──」


 何とか気持ちを落ち着けながら、乾いた笑みを浮かべたまま断りの返事を返そうとして、はたとその口から出る続きの言葉が止まる。


 自分は今、森族からの信頼を勝ち得る為に今回の砦攻めを提案し、実行しようとしているのだ。

 ここで彼らが普段食する物を断るというのは、そんな彼らの信頼を勝ち得る前に不信感を抱かせるような行為ではないだろうかと。


 こういうのは連帯感と言えばいいのだろうか──「同じ釜の飯を食う」というのは、それだけで一種のコミュニケーションと成り得るものだ。

 そんな機会を食わず嫌いで逸してしまっていいのか。


 一応自分も海外──それも戦場へと出ると決めた際に、日本のような豊かな食事情は望めないだろうと、ある程度の粗食でも耐える覚悟は幾らかはしていたつもりだった。

 しかしまさか、異世界へと来て巨大な蜘蛛を食べるという覚悟はしていなかった。


 自然と森族達からの視線が自分に集まっているのを肌で感じる。

 隣からのルーテシアの視線もそこに含まれていた。


「分かった……貰う」


 覚悟を決め、ドルムント族長から焼き蜘蛛の串を手に取り、大きく深呼吸をした。

 ──これは黒い蟹、これは黒い蟹、これは黒い蟹!


 頭の中で呪文のように唱えて、目を閉じ大蜘蛛(アラニア)の足の白い身に一気に噛り付く。

 最初の感触は、歯に伝わる押し返すようなしっかりとした弾力。

 この白い身は足の筋繊維なのだろう。


 味は意外な事に淡泊でやや甘味があり、その見た目とは随分と印象が違う。

 しっかりと熱の通ったそれは、味と感触から随分と蟹に似ていた。


 否、これは文字通り、見た目にさえ目を瞑れば、巨大な蟹肉と言って差し支えないだろう。


「意外といけるな……」


 自分の脳内で蟹と蜘蛛が美味な食材という認識で統一されたからだろうか、二口目に齧り付いた時には先程までの抵抗感は随分と薄れ、それは食べ進む毎に無くなっていた。


 ドルムント族長はそんなこちらの様子に肩を一度叩いて、満足そうな顔で去って行く。


 そうやって夢中になって大蜘蛛(アラニア)の足を貪っていると、ふと隣からの視線に気付いてそちらに顔を向ける。そこにはルーテシアが僅かに自分との距離を取るようにして座っていた。


 そしてこちらの視線に気付いた彼女は、その蒼い瞳に映る自分を視線から外す。

 自分はそれを見て思わず手に持っていた焼き串から口を離した。


 周りを見回してみると、森族の戦士達がこちらを感心したような目で見ている姿が目に入る。

 森族の者達に少しは親近感を覚えて貰えたのかも知れないが、ルーテシアからは距離を開けられる結果になってしまった。


 ──少し選択肢を間違ったか……。


 小さく溜め息を吐き、今度は傍らに配られた乾燥クッキーのような代物を手に取る。

 これは野営などの際に戦士達が持ち歩く糧食の一種のようで、出発前に各自に配られた物だ。


 口に含むとボソボソとした食感で瞬く間に喉の水分を奪っていき、思わず咳き込んでしまう。

 味は僅かな塩味だけで、あとはひたすら粉っぽいだけという非常に食欲の湧かない代物だった。


 まさか蜘蛛の足の方が美味いと思うような日がくるとは思ってもみなかった。


 携行性や保存性を優先させている糧食にとって味は二の次なのだろうが、日本の豊かな食事に慣れている自分にはなかなかに辛いものがある。

 森族の食事情も追々なんととかして改善しなければならない課題だろう。


 そうでなければ、自分は食事に釣られて彼ら森族側の陣営を裏切ってしまいかねない。


 とりあえず、これから向かう人間達の砦で台所を漁る事を頭の片隅のメモに書き止めながら、再び蜘蛛の足の焼き串に齧り付くのだった。





 翌日、巨木の木々の隙間から覗く空に朝日の白みすらも見えない早朝。

 森の中は未だに夜闇が辺りを覆い、視界の先を照らすのは僅かな月明かりのみだ。


 そんな暗闇の森の中でも獣の目を持つ森族の彼らにはたいした障害ではないようで、まるで昼間の森を進むのと変わらない速度で森の中を歩いて行く。


 彼らの足について行くには普通の人間では少々つらいものがあっただろう。


 自分の場合は脚力には不安はなかったが、それでも彼らのように夜目が効く訳ではないので、彼らの隊列の中央に位置して、先導して貰う形で森の中を進む事になった。


 やがて森の中にも日の光が満ち、時折短い休憩を挟みながら黙々と森の中の道なき道を進み、木々の密度が少し疎らになり始めた頃、ようやく目的の地を眼前に捉える事ができた。


 既に木々の間から覗く空はやや日の傾きを表すように薄い夕焼け色が混じり始めている。

 そんな夕日に照らし出されているのは、鬱蒼と茂る巨木の森の中にひっそりと建つ人間が自身の領域を主張するかのように築いた石造りの砦の姿だ。


 周囲の巨木のせいでもあるが、その砦は然程大きいものではないように見える。

 そして砦の手前には巨大な地割れのような谷が南北に境界線を引くように横切っていた。


 “死者の谷”と呼ばれるあの谷が今居るメルトアの森とギルミの森を分ける境界となっていると、ここへと来るまでにルーテシアから説明を受けた。


 谷の幅が一番狭くなっている場所は目視で三、四メートル程だろうか。

 そこを塞ぐような形で砦は築かれている。


 砦の入り口は木製の跳ね橋になっており、砦から谷を渡る際に降ろす仕組みのようだ。

 逆に跳ね橋を上げてしまわれると、容易に向こう岸へと渡る事ができそうにない。


「死者の谷とやらを下って向こう岸へと上り、背後から強襲すれば落とせそうに見えるが……」


 森族の身体能力は極めて高く、頑丈な石造りの砦と言えども足場のある反対側へと回り込めば彼らだけでも容易に攻略ができそうに見えたのだ。


 そんな自分の発言を受けて、ドルムント族長やシグル族長を始めとした森族の戦士達が無言のまま大きく肩を竦める様子を見て、彼らが何を言わんとしているのかを察する。


 “それができれば苦労はしていない”という事なのだろう。

 戦士達の軽い失望のような視線の中、ルーテシアだけはこちらに丁寧にその事情を語ってくれる。


「死者の谷を下れる場所は確かにあります。ですが、あの谷底はここよりも濃い魂源(マナ)が充満していて、私達森族ですら一日を待たずして肉体が変異し、昨日遭遇した人間の成れの果て、“変異者(トロルド)”と同様の化け物になってしまいます」


 彼女のその説明を継ぐように、今度はシグル族長が小さく肩を竦めて口を開く。


「それに谷底は無数の空怪魚(サリアティラーズ)の巣窟──深い谷を下って上ってとしている内に四方から襲われて、文字通り死者の仲間入りだ。生きて這い上がる事のできない谷──それが死者の谷だ」


 どうやらあの谷は文字通りの境界線の役割を果たしているようだ。

 聞くところによると、この“死者の谷”は“黄泉の門”と呼ばれている地を中心に四方に幾つも伸びており、ギルミの森と人間の領域もこれによって隔たれているという。


「成る程、ギルミの森へと入るには、あの砦を通る他ない訳か……」


 谷が一番狭い場所ならば人間でも身軽な者なら飛んで渡る事はできるが、荷物や装備の重量があればそれも無理な話だ。


 しかし森族の身体能力であれば、ある程度の荷物を抱えたままでも行き来できてしまう──だからこそ、この二つの森の玄関口であるにもかかわらず、この場所に彼らは橋などの拠点を設けるでもなく、単なる通り道としてしか活用していなかったのだろう。


 そこを人間達が拠点化してしまい、彼らは通る道を失くしてしまった訳だ。

 それを考えると身体能力が高いというのも考えものだな。


 何にしても、砦の規模からして常駐している兵力は然程多くはない筈だ。

 この規模であれば、今の自分でも落とす事は可能だろう。


 ではまず挨拶にでも出向くとするか──。


誤字、脱字などありましたら、感想欄までご報告頂ければ幸いです。

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