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魔王オレ、只今異世界で奮闘中!  作者: 秤 猿鬼
第一部 異世界で魔王
16/24

16話 変異者

 ねっとりとまとわりつく、まるで空気に感触があるかのような濃い氣配。

 それは自分が今迄に感じた事のない感触だった。


 氣脈の中に身を晒した経験はないが、恐らくこういう感覚になのだろう。

 外氣を自らの意思で取り込む意識などせずとも、己の身体全体を世界が侵食してくるような感覚は、成る程、あまりいい気分だとは言えないものがある。


 だが氣を意識的に操る鍛錬をする上では非常に得難い環境である事も事実だ。

 この濃い氣配の中では通常の人間の肉体が著しく変調を来すというのは納得でもあるが、自分には却って好都合とも言えたた。


 無遠慮に肉体の奥へと侵入してくる外氣を自身の内氣を高める事によって阻み、両腕に装備した王の器がその外氣を吸収し循環と発散させる事で状態を維持する。


 思った通りだ──。


 龍氣道の技の基本にある練氣は、この濃い氣配の外界ではかなり有効な対抗手段となり、そこに王の器が加味される事によって、それら一連の動作がより簡便に扱えるようになっていた。


 この環境下で一年も過ごせば、元の世界へ戻る頃には外氣を操るに十分な鍛錬が積めている筈だ。


 そうしていると背後からルーテシアが恐る恐るといった風に声を掛けてきた。


「シン……、その、身体の不調や異変はないのですか?」


 そう言ってこちらの様子を仔細に観察するような視線を向けてくる彼女に、自分は振り返って何でもないという風に笑って両手を広げて見せた。


「貴様、本当に人間なのか?」


 そんな不審そうな声を上げたのは、こちらを独特の爬虫類然とした目で見やるドルムント族長だ。

 彼の隣ではシグル族長や他の戦士達も不可解なものを見る目でこちらを見ていた。


「タネは簡単だ。“王の器”、こいつはあんたら言うところの魂源(マナ)を自在に操る為の代物だ。だったらそれの流れを少し操ってやるだけでオレは何の障害も無く外を歩けるって寸法だ」


 自分はそう言って軽く種明かしをしながら、外氣を操りそれを自らの腕に纏わりつかせる。

 周囲の外氣が凝縮するように渦巻き始めると、先程まで上空を漂っていた空怪魚(サリアティラーズ)のサメ型の一匹がこちらに反応して地表目掛けて垂直に下降してくる。


 そんな空怪魚(サリアティラーズ)の反応に二人の族長をはじめとした戦士達が臨戦態勢の構えを取るが、自分が集めていた外氣を霧散させると空怪魚(サリアティラーズ)はすぐに方向を転舵して上空へと戻って行った。


「成る程、本当に氣──いや魂源(マナ)に反応して寄って来るんだな」


 空怪魚(サリアティラーズ)のそんな奇妙な性質に関心を寄せていると、ルーテシアが僅かに怒りの感情を覗かせながら自分の先程の行為に対して苦言を呈してきた。


「無暗に空怪魚(サリアティラーズ)を刺激しないで下さい、シン。ここにいるのはまだ小物の類ですが、もし最大級の空大鯨(サリアチェイテ)が出てくれば、集落の一つなど簡単に壊滅するんですよ」


 ローブの奥から覗く彼女のこちらを諫めるような蒼い瞳を見返し、自分は素直に頭を下げる。

 こちらの事情を知らなかったとはいえ、どうやら迂闊な行為だったようだ。


 空大鯨(サリアチェイテ)というものが何かは分からないが、普通の人間に比べて戦闘能力で比類なき森族の彼らが警戒する程となれば、相当なものなのだろう。


「悪かったよ、次からは気を付ける」


 そう言って彼女に謝罪の言葉を述べて、上空で優雅に泳ぐ半透明の魚群を見上げる。

 こちらの魔獣という存在は空怪魚(サリアティラーズ)といい、実に興味深い。


 空を仰ぎ見ながら自分は朝靄に霞む日の光に自身の手を翳して、眼前にある自身の手に装備された王の器を見やり、その目を細めた。

 王の器が自分の予想した通りの性能を発揮した事に僅かな安堵の息が口から漏れる。


 もし王の器が期待通りの能力を発揮できなかった場合、自分は外界へと出る際にあの瘴気マスクを装着しなければならなかった。


 そうなれば、せっかく森族の一員として仮面やローブを用意しても、口元に瘴気マスクを装備していれば、正体が人間である事が相手に容易に知られる事になってしまう。


 今はできるだけ人間側に自分の正体を知られない事が得策だ。


 ただし、この王の器を瘴気マスクの代用として使う方法にも欠点はある。

 それは寝る時など、自分が意識を閉ざす場合、練氣で以て外氣を弾くという行動がとれない為に、そういった場合は瘴気マスクが必要になる。


 そうなるとメルトアの森の聖地のような場所でしか就寝などができないという事だ。


 そして聖地から人間達が築いたという砦までは、森族である彼らの足で二日程の位置だという話なので、森の中で一泊の野営をする際には必要となってくる。

 意外と面倒だが瘴気マスクは常に携帯しておくしかない。


 そんな事を考えつつ、これから向かう先の巨木の森へと目を向ける。


 まるで自分が小人になったかのような錯覚を覚えるその圧倒的な巨大な森の景色に目を奪われていると、背後でシグル族長と牙族の戦士達のやりとりが耳に入ってきた。


「シグル族長様、どうやらこの周辺にいた人間の数はせいぜい五、六人という少数のようです。足跡が結界塔の周辺に多く残されていましたが、聖地へと向かった様子はありません」


「そうか、ここを通った人間達は聖地を襲撃した者達とは別のようだな。どうやら前回の襲撃以外にもこちらの調査を目的にした者達がこの森に潜り込んでいたようだ。森の見回りを強化したくとも、広大な森を現状の人数では巡回する事は難しい。里の方も手薄にする訳にもいかないしな」


 その発言を受けて牙族の戦士達の表情が険しいものへと変化させ、ドルムント族長も厳しい顔のまま、何かを考えるように無言で己の手の中にある自身の巨大な斧槍を手の中で弄んでいる。

そうしてややあってから顔を上げたドルムント族長が口を開いた。


「ここらに人間の気配はない。人間の足でも今頃はとっくに連中の築いた砦近くまで戻っている筈だ。シンが特に体調に問題がないというのなら、俺らもとっとと先を急いだ方がいいだろう──」


 ドルムント族長がそこまで言って、お付きの鱗族の戦士達を促がし先へと進もうとしたその時、自分をはじめとしたその場の全員が何か気づいたように一斉に森の奥へと目を向けていた。


 ──なんだ、この気配は?


 気配の主との距離はまだ遠い。

 だが明らかに野生の生物の発するそれとは違い、それはひどく歪な気配を周囲に放っていた。


「ルーテシア、下がっていろ。この気配の感覚は恐らく変異者(トロルド)だろう」


 初めに口を開いて彼女を後ろへと下がるように注意を促したのはシグル族長だった。

腰に下げた曲刀の柄を掴み、その鋭い視線に警戒の色を滲ませた彼は、その狼の鼻頭で臭いを嗅ぐように動作で、相手の位置を探り当てるようにして周囲を探るようにする。


 彼の指摘した変異者(トロルド)は、確かルーテシアからの話では人間が魔獣と化したものだと聞いた。

 ではこの結界塔の周囲を探っていた人間達が、何らかの要因でこの濃い魂源(マナ)の満ちる外界で瘴気マスクを手放したという事だろうか。


 そんな事を考えていると、森の奥に立ちこめる朝靄に薄っすらと人の影が映し出された。


 徐々にその人影が濃く、陽炎のようだった輪郭がはっきりと形作られていく。

 白く霞む朝靄の奥から現れたのは、人の形をした異形だった。


 変異した傭兵が元々装備していたのだろう革鎧のその下から覗くのは人のそれではなく、灰褐色の爛れた肌に片方の異様に肥大した腕、その手には剣が握られている。


 剥き出しの歯を擦り合わせるようにして喉の奥から唸り声を漏らし、血走った目は既に正気を保っている気配は無く、その姿はまるで凶暴なゾンビといった様子だ。


「あれが元は人間なのか……元に戻る事はないのか?」


 初めて見る人の成れの果てとなった魔獣、変異者(トロルド)に真っ直ぐ視線を向けたまま、自分は誰ともなしにそんな問いを口にすると、それにルーテシアが律儀に答えを返してくれた。


魂源(マナ)狂いで魔獣と化したものはもう元の姿には戻りません。それと変異者(トロルド)となった人間は動くもの全てに襲い掛かります。迂闊に動けば飛び掛かってきますよ」


 そう言って彼女は小さく息を飲み、かつての人間だったモノを見据える。

 どうやら他に気配は無く、変異者(トロルド)はあの一体だけのようだ。


「奴をこのまま放置してさらなる変異をされても事だ。ここで確実に始末する」


 そう言って斧槍を構え直したドルムント族長の姿に、シグル族長を始めとした他の戦士達も臨戦態勢の構えを取るのを横目に、自分は彼らより先に前へと進み出ていた。


「オレがやる。外でのこいつの調子も把握しておきたいからな」


 自分は両手に装備した“王の器”を掲げ、そう言ってシグル族長とドルムント族長に視線を向けると、彼らはどちらともなく無言のまま視線だけを動かし僅かに頷いて了承の意を示すようにルーテシアを守るべく僅かに後ろへと下がる。


 人間が魔獣化し異形となった姿──変異者(トロルド)


 彼らの言によれば、既に人間へと戻る事の叶わなくなった化け物をこのまま放置すれば、あれ以上の化け物へと変異するという。

 好奇心としてはどの様な変異を見せるのか、個人的に見てみたい気もするが、ドルムント族長が言ったように里の近くにこの凶暴そうな魔獣を放置しておく事はできないというのも分かる。


 さらに一歩大きく前へと出ると、変異者(トロルド)の血走った目がこちらを捉え、明らかな敵意と共に、喉の奥から威嚇するような唸り声を上げた。


 頭上で巨木の枝葉が風に煽られ木々の騒めきが大きくなった瞬間、変異者(トロルド)の攻撃的な気配が一気に膨れ上がり、それと同時にこちらへと向けて真っ直ぐに突っ込んで来る。


 片方の肥大化した腕の質量のせいか、ややぎこちない走りではあるが、その速度は通常の人のそれよりも速く、唸り声と共に持っていた武器を振り回すようにして襲い掛かってきた。


『ウゥォォォォォァァアアァァァァ!!!』


 こちらもそれに合わせて迎え撃つべく、前へと出るように駆ける。


 変異者(トロルド)の動きは手負いの獣のように猪突猛進で、こちらへ向けられる敵意は大きいものの、特に警戒すべき気配を持ち合わせているようには見えない。

 しかし、未知の相手となれば油断するべきではない事も理解している。


 互いの間合いが後一呼吸の間で変異者(トロルド)が持っていた武器をこちらに目掛けて振り下ろしに掛かるが、自分はその攻撃を難なく躱して相手の懐へと潜り込み、相手の隙だらけの胸元に手を置く。


 ボロボロの軽鎧の下から覗く変異者(トロルド)の灰褐色の爛れた肌は、人のそれよりも固く、ザラザラとした質感を手甲越しに伝えてくる。


 その事実だけをとっても、目の前に在るのは人の形をした別の何かである事を知らしめていた。

 ──手加減はしない。


 置いた手──その手に装備した“王の器”から周囲に満ちる濃い外氣を取り込み、それを相手の肉体の内側へと透し、一気に膨張、爆発させる。


【龍氣道・震波裂孔】


 相手の体内へと送り込んだ氣の爆発的膨張に変異者(トロルド)の背中が瞬間的に膨れ上がったかと思うと、爆風が相手の背中を突き破り、凄まじいまでの爆発音と共に背後の大地を大きく抉っていた。

 その様はちょっとした隕石が地面に衝突したような光景だ。


『アァッ…………!?』


 変異者(トロルド)は血走った(まなこ)を大きく見開き、鋭く尖った歯が並ぶ口から血泡を吐き出す。

 理性の宿っていない目の奥に驚愕したような感情が僅か覗き、やがてその色を失う。


 全身がまるで糸の切れた操り人形のように膝から頽れる変異者(トロルド)の身体を避け、自分は自らの放った技の威力に驚きの声を漏らしていた。


「流石にこれだけ濃い氣の中では練氣に掛かる溜めの短さも技の威力も段違いだな……一撃の威力だけで言えばあの爺の放つ一撃に匹敵するぞ」


 常に氣脈の中にいるようなこの地は氣功術を修練するにはうってつけだ。

 ただし、技の威力が出過ぎたせいか、変異者(トロルド)の脅威性は判然としない結果となった。


「まぁ、本能で動くだけの存在に純粋な技の修練相手を望む事が間違いか……」


 それでも外界での技の感触も何となくではあるが掴めた。

 あとはこの力で相手にする人間側の砦に控える戦力とどこまで渡り合えるかだろう。


 皆の前で大見得を切ったのは自分なりの勝算があっての事で、今回のこの結果はそれをより確信へと変えるものはであるが、それでもこれだけの環境の違う世界での事だ──万事が自分の想定内で収まると考えない方がいい。


 そんな考察を経て後ろを振り返ると、そこに居たルーテシアを始めとした面々が驚きの表情でこちらを見つめる様子が目に入った。

 そんな中でやや不機嫌な様子を見せていたドルムント族長が眉間に皺を背寄せる。


「貴様、俺との勝負時には手を抜いていたな?」


 そう言って爬虫類然とした瞳に静かな怒気を上らせる彼を見て、やはり自分が思った通りの武人気質のようだと少し口元に笑みを浮かべる。


 先程の技の威力をあの場で出していれば、勝負はもっと早くに付いていたと言いたいのだろう。

 彼のような気質の者は個人的には好感が持てる。だが──、


「あの場でドルムントのおっさんを殺したりすれば、纏まる話も纏まらなかっただろ? それに、こいつはこの“王の器”を使っての力だ。純粋なオレだけの技の成果じゃねぇよ」


 自分のそんな説明にも、まだ若干の納得を得ていないような表情ではあったが、シグル族長がそんなこちらのやりとりを止めて、先を急ぐ事を提案してきた。


「シンが“王の器”の力を十二分に使えると言うなら我ら森族の利に叶う。それに、シンが砦攻略の約束を反故にした際には存分にその力を発揮する筈だ。決着はその時でも遅くはない。それよりも今は野営地までの道を急いだ方がいいだろう」


 彼のその言葉に、鱗族の長を務めるドルムントは僅かに鼻を鳴らして、その言葉に同意するように渋々頷いて、背後に控える自身の率いる戦士達を促がした。


 自分もそんな彼らの後を追うようにして森の奥、巨木の森へと入って行く。

 見るもの、聞くもの、全てものものが新鮮というのは、この年齢ではなかなかに得難い経験だ。

 幼い頃に近くの山に探検に出た時のような得も言われぬ高揚感を思い出す。


 今はとりあえず、この未知なる世界に足を踏み出せた事を楽しむとするか。


誤字、脱字などありましたら、感想欄までご報告頂ければ幸いです。

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