14話 カドナ砦
人間の住む土地の中心部から大きく外れた辺境の地。
その最南西に位置するだろうこのカドナ砦は、未だ人の侵入を頑なに拒む、巨木の生い茂る鬱蒼とした瘴気の森に人間が築いた橋頭堡のような存在だ。
個々の身体能力が人間を大きく上回る魔族を相手にする為、カドナ砦全体は頑強な石造りになっており、メルトアとギルミと魔族の間で呼ばれている二つの森を唯一繋ぐ要所を抑える事によって、メルトア側の森の奥地へと魔族共を封じている。
否、現状は魔族達を封じる事を役目とされているといった方が正しいだろう。
元々人間の住まない瘴気の森にこの砦が築かれた理由は、アルドバーン帝国の現皇帝ティオス・ファミリア・アルドバーンが瘴気の森攻略を指示したからに他ならない。
今や補給路が引かれた後方に広がるかつてのギルミの森は、三年前の侵攻で魔族達を追い出す事に成功し、アルドバーン帝国の辺境領の一つとなっている。
ただし、帝国領とは言っても人間が暮らせる環境にあるのはこのカドナ砦を含めて三ヶ所のみで、その他は未だに多くの魔獣が闊歩する魔の森に変わりはない。
侵攻から一年でこの小砦は築かれたが、そこから先の侵攻は当の皇帝の命によって一時停止され、今はここを時折襲撃にやって来る魔族撃退と監視を主な任務としていた。
カドナ砦の構造は一年で築かれたにしては堅牢な造りではあるが、その規模は大きくなく、常駐している兵力も二百名前後の兵士だけで、後は彼らを補佐する為の要員が五十名弱程度。
決して大きくない戦力ではあるが、魔族側の散発的な襲撃を防ぐ程度は造作も無く、最近に到ってはその散発的だった襲撃も見られずに、砦内では一部やや弛緩した空気が流れていた。
砦内の一階中央、やや開けた場所となっているのは中庭兼訓練場となっている場所で、そこでは定期的な模擬戦闘の訓練が行われている。
訓練に参加している者は皆、やや草臥れた軽鎧を身に纏ってはいるが、その練度はなかなかに高い水準を保っているようで、この砦が少々の事態では動揺しない事を窺わせた。
しかし、そんな真面目に訓練をこなす兵士達を冷ややかな目で見つめる者達もいる。
砦内に設けられた普段兵士達が食事を摂る為に集まる食堂が訓練場に隣接しており、食堂内に並べられた粗雑なテーブルに着いてカードゲームに興じながら、窓から覗く訓練風景を面白いものを見るような目で眺めている者達。
彼らが身に纏う軽鎧は外で訓練している者達よりも手入れが行き届いているのか、簡素な平兵士の物でありながらも鈍い光沢を放っており、両者にはあからさまな差異が見受けられる。
そんなゲームに興じる兵士の一人が、テーブルに置かれたカードの山から手札を引いてその絵札を確認し、顔に嘲笑を貼り付けて周囲の者達に視線を向けながら、軽口を叩くように口を開いた。
「魔族も襲って来ない中で、よくもクソ真面目に訓練なんてしてられるよなぁ?」
開かれた食堂の窓から、これみよがしに漏れ聞こえる周囲の者達に同意を求めるようなその兵士の言葉に、訓練中だった兵士の幾人かが反応示すように身体を一瞬、強張らせる。
そんな様子を眺めていた食堂の兵士の中の別の一人が、面白そうだとばかりに口元を歪めると、さらに言葉を継いで煽るような口調で大きな独り言を喋り出した。
「仕方ねぇさ、連中は俺ら生粋の帝国兵と違って、元ストラミス王国兵の二等市民なんだ。ちょっとでも素行が悪けりゃ仕事を失くす立場を少しは慮ってやれよ。ハハハハ」
兵士はそう言って嗤うと、他の者達も同調するにように嗤い声を上げる。
それを見て訓練していた兵士の多くがその動きを止め、彼らの視線が食堂の窓から覗く帝国兵士へと向けられると、それを受けて帝国の兵士はますます調子づいて囃し立てた。
「そういや連中の上官だった男、グレアム少尉だったか? バッカ中尉殿に目を付けられて、監視小屋みたいなロアン砦の方に一人左遷されてたっけなぁ? あんな所に飛ばされたら、勲功なんて望める筈もなし、引退するまで森を眺める事になるだろうよ! ハハハハ」
「貴様らぁ!」
帝国兵士らの喜々とした声に、元ストラミス王国兵だったと言う者達が青筋を立てて、武器を所持したままの姿で食堂へと殺到しようとする。
しかし、そこに鋭い一人の男の声が割って入った。
「やめろっ! 今は訓練中だ!!」
重苦しい雰囲気が砦内に立ちこめる中、そう言って訓練中の兵士達の間から割って出るように姿を現したのは、まだ若い青年の兵士だった。
身長は百八十センチを超えている、年の頃で言えば二十代半ばといった所か。
がっしりとした体躯に、やや癖毛の金髪、頬には大きな刀傷の痕がある精悍な顔つきと、多くの女性の視線を射止めるような顔立ちは他の男達にしてみればあまり面白くないものだろう。
しかし彼が手に持った使い込まれた模擬槍を重苦しい空気を振り払うように軽く一閃して見せると、空を切り裂くような鋭い音が鳴って、先程まで調子よく声を上げていた帝国兵達が苦々しい表情と共に口を閉じる。
相手を帝国に占領された元ストラミス王国兵だと蔑んでみても、その実力ではこの場にいる誰よりも手練れである事は、帝国兵の彼らも十分に承知していたからだ。
そして目の前に居る青年が軍の階級においても彼らより上である事も起因している。
彼の名はアルク・ソーン下士官。
アルドバーン帝国に攻め滅ぼされたかつてのストラミス王国兵の一人だが、このカドナ砦の指揮官補佐を務めており、この砦では指揮官のバッカ中尉に次ぐ階級だった。
「魔族の襲撃がないからと呆けているが、この森の脅威は魔族だけではない。訓練を行う気がないのなら、せめて邪魔だけはしないで貰えるか?」
そう言ってアルク下士官は冷ややかな視線の奥に怒気を込めて、訓練を放棄して遊び惚けている帝国兵らを一瞥すると、彼らがそれ以上何も口を開かない様子を見て視線を訓練をしていた者達へと戻して、訓練を再開するように指示をする。
そうしてアルク下士官自身も踵を返して訓練場へと戻って行く姿を、食堂に屯していた帝国兵達は実に面白くなさそうな表情で小さく悪態を吐く。
そんな両者のやりとりの様子を砦の上階から眺め下ろしていた者が一人いた。
年齢で言えばアルク下士官と同じぐらいだろうか。
身長は百七十センチ程で、やや腹回りが自己主張する体格はやや肥満気味。
整髪剤である香油で撫でつけた茶色の髪に長いもみあげと、あまり軍人らしからぬ体系ではあるが、彼はこのカドナ砦の指揮を任されている立場にあった。
バッカ・クーソ中尉。
アルドバーン帝国貴族、クーソ伯爵の三男である彼は、家督を継げない立場の為、家長から軍務に就くように命じられて渋々と軍に入った口だ。
しかし生来の貴族特有の高慢さや横柄な態度は周囲との軋轢を生み、やがて彼は軍部の中央から前線の小砦であるこのカドナ砦の指揮官に回され、今に到る。
文明から遠く離れた辺境へと飛ばされた当初はその処遇に不満を漏らし、周囲に当たり散らす毎日だったが、当時の指揮官補佐に前線での功績を以て中央へと返り咲くという方法を提言されてからはそれを目標とするようになった。
だが、新しい目標を定めた矢先、帝国は瘴気の森攻略を一時凍結という判断を下し、今は散発的に襲撃にやって来る魔族や、森奥から姿を現す魔獣の対処にあたるという、どう足掻いても功績となりそうにない任務をこなす日々を過ごしている。
「クソッ! 私はいつまでこの辺境で燻っていなければならんのだ!」
バッカ中尉はそんなカドナ砦でのこれまでの経緯を思い出し、目の前に広がる鬱蒼とした魔の森の景色を苦々しい表情で睨み付けていると、自然と口からいつもの愚痴が吐き出されていた。
碌な娯楽も無い、この閉塞した空間に閉じ込められたまま、終わりの見えない日々の経過は彼の心に言いようのない焦燥感を生み出し、こうしていつも苛立ちの言葉を口に上らせている。
このカドナ砦の後方にある旧ストラミス王国領と瘴気の森の境界には、帝国が瘴気の森侵攻の際に初めに築いたバララント要塞があり、そこまで行けば多少の文明と娯楽にありつく事はできる。
しかし、そこのバララント要塞を任されている上層部の人物と彼とは決定的に反りが合わないという問題もあって、ここの指揮を放り出してバララント要塞へと引き籠る事もできない。
だからと言って功を焦ってカドナ砦の手勢のみで瘴気の森の奥へと攻め入っても、碌な功績どころか、部隊を壊滅させかねない事ぐらいは、彼の少々足らない頭であっても容易に想像がついた。
そもそも魔族や魔獣が跋扈するこの瘴気の森をこれ程の短期間で攻め入る事ができたのは、帝国の新しい魔導技術と、なんと言っても四英雄の活躍によるところが大きい。
そんな帝国が誇る強大な戦力も侵攻の一時凍結によって今は本国へと戻っており、それらを欠いた現状で本国の命を無視し無茶な真似をして、万が一でも甚大な被害でも被れば、自身の首が胴から切り離される事は想像に難くなかった。
そして彼が焦燥するもう一つの大きな要因は、ここ最近、このカドナ砦を経由してメルトアの森の奥地へと纏まった数の傭兵部隊が投入された事もその一因だった。
傭兵とはもちろん軍人ではなく、平民や元軍人などで構成された武装集団で、本来ならば小砦とは言え、帝国の皇帝の命によって築かれたこのカドナ砦を一介の傭兵部隊が拠点として利用し、そこを経由して魔族の地へと足を踏み入れるなど許される筈もない。
しかし、その傭兵部隊を派遣してきたのは皇帝から旧ストラミス王国領の多くを所領とする事を許された大貴族、メルキオ・ユガート辺境伯だった為、バッカ中尉も迂闊にその傭兵部隊の進行を妨害する事ができなかったのだ。
そもそもこのカドナ砦の建つギルミの森へと入るには、旧ストラミス王国領からバララント要塞を通る必要がある為、そこの検問を傭兵部隊が通過したという事は、それは軍の上層部も今回の件を把握しているという事でもある。
そんな印状を得ている部隊を、一介の小砦の指揮官でしかないバッカ中尉が止められる筈もない。
もっとも、派遣された傭兵部隊の数は百名程と傭兵の部隊としてはそこそこの戦力ではあるが、たったそれだけの数では随分と戦力が落ちたとは言え、未だ魔族の巣窟となっているメルトアの森を攻略できるとは到底思っていない。
辺境伯が傭兵部隊を瘴気の森の奥地へと派遣したのは、瘴気の森侵攻再開に向けた威力偵察か、はたまた魔族の拠点を把握する為の調査──そんな所だろうか。
痛かったのは、来るべき日の為にと斥候部隊を森の中へと放ち、魔族達の住処を突き止める為に探っていた極秘地図を傭兵部隊からバララント要塞指揮官の名で供出するように要請された事だ。
秘密裏に進めていたにも関わらず、後方の要塞方面に情報が筒抜けしていた事に怒りが込み上げたが、考えようによっては帝国の為に自ら率先して情報収集していたと弁明もできる。
上に上手く説明する事ができれば、この手柄も自身の勲功として認めさせる事もできるだろうと、その場で考えを改め直した。
何にしても、しばらく動きの無かった侵攻作戦にようやく動きがあったのだ。
自分がこの辺境から抜け出すには大きな勲功がいるが、それには十分な戦力も然る事ながら、敵方の情報を一つでも多く把握し、来るべき侵攻作戦再開の際に、他の者を出し抜く必要がある。
その為に、邪魔だった以前の指揮官補佐を貴族の伝手を通じてロアン砦へと左遷させたのだ。
今は奴の部下であったアルク下士官を指揮官補佐に据えて、この砦を回している。
彼も奴同様に目障りな存在ではあるが、何かと押し付けるには便利でもあった。
バッカ中尉は、訓練場で声を上げて訓練に励むアルク下士官とそれに倣うかつてのストラミス王国兵の姿から視線を外すと、殺風景な砦内の室内に目を向けた。
「とりあえず、傭兵部隊が再びこの砦に戻った際には、私自ら歓待して連中が何を目的として派遣されたのかをそれとなく聞き出すとするか……。私は何としても辺境から中央へと戻るのだ」
そう言ってバッカ中尉は固い決意を言葉にして、薄っすらと口元に笑みを浮かべるのだった。
誤字、脱字などありましたら、感想欄までご報告頂ければ幸いです。