13話 弔いの火
先に向かった森族達は巨大な建造物である選定の神殿を回り込み、正面の広場からは見えなかった裏手へと向かっているようだった。
ルーテシアの背中を追いかける形で進んで行くと、その先から吹く風に乗って細かな雪のような花びらが舞い、その内の一枚が髪の毛に絡む。
その薄いピンク色の見覚えのある形の花びらを指で摘まみ、飛んで来た先に目を向けた。
選定の神殿の真裏にあたる場所──少し小高い丘となっている場所に幾本も立ち並ぶようにして植わっている堂々とした枝ぶり、その先に咲き乱れる無数の花々の姿に思わず声が漏れ出る。
「こいつは……桜か?」
しかし丘全体を覆うような形で生い茂るその桜は、自分が知る春先に花見で眺めるような桜とは違い、雄々しいまでの枝ぶりに巨木と言える程の幹の太さからは樹齢ン百年などと言われるような貫禄が漂っている。
そんな巨木の桜が見える範囲で数百はあるだろうか──小高い丘はそこだけ別の世界が広がっているような見事なまでの幻想の景色を作り出していた。
そんな自分の驚く様に、前を歩いていたルーテシアが振り返って首を傾げる。
「サクラ? あの木は“命魂樹”、別名を巫女の木とも呼ばれる、このメルトアの森のここでしか見られない木々です。私達、森族の先祖の多くが眠るこの丘を守護し、その魂を浄化するとされている聖なる木です」
彼女のその説明を聞きながら、自分は見上げるようなその命魂樹と森族に呼ばれている巨木を眺めながら、近くに寄ってその木肌に触れてみる。
ゴツゴツとした見覚えのある木肌に、その下に生命力の溢れた木々の鼓動──氣の循環を感じさせるその気配は、向こうの世界の木々とは比べ物ならない。
この世界の大氣の濃さによる影響なのだろうか。
「オレの世界でもこの木々によく似たモノが各地に植えられているが、ここまで立派な姿のモノはなかなか見ない、それがこの数とは……。圧巻というやつだな」
自分のその言葉に、ルーテシアは興味深そうに頭頂部に備わった獣耳を動かして反応を示す。
「そうですか、シンの元居た地ではこの木を“サクラ”と呼んでいるのですか。似た木々が生育しているというのは興味深いお話ですね」
そう言って彼女は桜──命魂樹を振り仰いで、その蒼い瞳を僅かに細めた。
風が命魂樹の無数の花びらを宙に舞わせ、花吹雪となって舞い散る中で白銀の長髪を風に靡かせて静かに佇むルーテシアの姿は、まるでそれが一枚の名画のようでもある。
思わずそんな彼女の姿に見惚れてしまいそうになる自分を誤魔化すように視線を逸らして、とりあえず気になった事を適当に質問する事にした。
「ところで、別名が“巫女の木”っていうのは?」
こちらのそんな問い掛けにも、彼女は命魂樹を見上げたまま丁寧な口調で返してくれる。
「この木は、かつて魔族との戦いで窮地に陥った私達、森族を救って下さった救世主ルドー様の伴侶だったと言われている巫女、ルーテ様が最初に見つけ、育てたと言われています。ですからこの墓所に咲く命魂樹は巫女が管理をしているのです」
彼女のそんな説明を耳にしながら、自分もあらためて見上げるような巨木の桜──命魂樹を見上げていると、ルーテシアの兄のシグル族長が彼女を呼びにやって来た。
「ルーテシア、葬儀が始まる。丘の広場へ急ぐぞ」
彼のそんな手短な言葉に彼女は小さく頷いて返すと、こちらに視線を向けて口を開く。
「シンも──」
そう言い掛けた彼女の言葉を自分は首を横に振る形で遮った。
「いや、オレはここから眺めるだけにしとくさ」
その自分の発言にシグル族長の鋭い視線がこちらを見やる。
一応、三長老から客人待遇として迎えられはしたが、今回のこの葬儀は昨晩の人間達の襲撃に因って倒れた森族の者達を送る為のものだ。
となれば未だ功績も示せていない、彼らの信頼を得ているとは言えない自分があの場に立つのは、参列する者達の感情としても複雑だろう。
自分は近くの命魂樹の巨木の幹に背中を預けると、兄に手を引かれながら何度もこちら振り返るルーテシアの背中を見送り、その視線を彼女達が向かう葬儀の集まりへと向けた。
多くの森族の者達が葬儀に集まっているのは小高い丘の中心で、幾本もの巨大な命魂樹が植えられている丘のそこだけは拓けた場所となっている。
その拓けた中心には大きな平たい岩が半ばまで埋まっており、その上に乾いた枝木で組んだ簡易な櫓が組まれ、その上に植物の葉で包まれた森族の亡骸が等間隔に並んでいるのが見えた。
埋葬方法を恐らく火葬なのだろう。
葬儀に集まっている数は数百人程だろうか、この里に暮らす全員という訳ではないだろうが、それでも結構な数の森族の姿があった。
今集まっている人々は選定の神殿に集まっていた時のような儀式めいた面布をした格好ではなく、自分が今袖を通しているような民族衣装を纏った者達だ。
牙族と鱗族の姿は少ない。恐らく戦士職の者が多い種族なのだろう彼らは、人間からの襲撃を警戒して多くは警戒にあたっているようだ。
現に今も葬儀の場の周囲にも武装した両部族の戦士達の姿が幾人か見受けられる。
残りは角族と耳族。
三長老の傍に、他の耳族とは少し出で立ちの異なる者が一人、恐らくその格好などから推測するに、耳族の長老といったところか。
集まった人々の中にはこちらの存在に気付いてちらちらと視線を向けてくる者もいたが、それもやがて三長老の中の一人、山羊姿の老婆であるサリッサ長老が口を開くと、先程まで騒めいていた群衆が静かになり、皆が彼女の言葉に耳を傾ける。
「昨夜の選定の儀において、儂らは不覚にもこの聖地への人間の侵入を許したばかりでなく、彼らに勇敢に抵抗した同胞達が倒れる結果となってしまった──。しかし、今この場にてはその事への遺恨を口にする事はせぬ。送る者達の前で暗き言葉を吐くのは、彼らのこれからの大いなる魂源への旅立ちを汚す事になる」
サリッサ長老はそこまで言うと一旦言葉を区切って、集まった人々を見回す。
その視線が群衆の手前に立つシグル族長へと向けられると、彼はそれを合図とするように一度頷き、手に持っていた火種となる松明を持って櫓へと進み出た。
シグル族長が松明を組まれた枝木の櫓へと近づけると、あらかじめ枝木に油か何かを染み込ませていたのか、燃え上がった炎は瞬く間にその勢いを増していく。
「骨は地へと、身は灰となって空へと還る。その魂は大いなる魂源の元へと還り、再び我らの下へと戻り、我らの子、我らの隣人となりて巡る。同胞の魂に幸いなる旅路があらん事を願う」
サリッサ長老の朗々とした語り口と共に、燃え上がった炎の先から煙が立ち上り、緩く吹く風に流されるように空に一筋の線をたなびかせる。
彼女の語る祈りの言葉は、彼ら森族の死生観を表しているのだろう。
「……輪廻転生か」
風に流され消えていく煙の筋を見上げながら、そんな呟きが口から漏れる。
森族から森族へとその魂が受け継がれるという思想は自分が考える輪廻転生とは少し違うが、こちらの世界でも似たような死生観が根付いているようだ。
桜吹雪の舞う中でそんな事に考えを巡らせていると、葬儀の炎が徐々に収まっていき参列していた人々が各々の役割を果たすように動き始める。
集落へと戻る者、焼き崩れた枝木を火掻き棒で崩し均す者、灰を集める者など。
そんな中でルーテシアがシグル族長を伴ってこちらへと戻ってきた。
「シン、これを」
そう言って彼女がこちらに何かを手渡そうと差し出してきた物を、自分は命魂樹に預けていた背を離してそれを受け取る。
手の中の彼女から渡されたそれは、昨晩、この里を襲撃に来た人間が身に着けていたあの奇妙なボンベのような代物が備わった革製のマスクだった。
自分は手の中のそれを矯めつ眇めつしてから、首を傾げるようにして顔を上げた。
「オレにこれをどうしろと?」
その自分の質問に、彼女の後ろに控えていたシグル族長の眉根が寄る。
ルーテシアも少し怪訝そうな顔をした後、思い出したように頷いてその意図の説明を口にした。
「そうでしたね、シンはこちらの世界の事を知らないのでしたか。これは人間が聖地の外へと出る際に必要な魔道具です。これが無ければ、人間はこの聖地から出る事はできません」
こちらの事情の多くを把握していない自分は、彼女のその説明にもさらに首を傾げる事になった。
しかし、すぐに昨晩の襲撃者であった人間の男が、このマスクの事を“瘴気マスク”と呼び、それを装備していなかった自分にひどく驚いていた様子を思い出す。
彼女の言葉から推測するに、今自分が居るこの聖地の外は人間が容易に足を踏み入れる事のできない環境が広がっており、この『瘴気マスク』なしでは活動する事もままならないという事になる。
そしてそれは人間だけの話であり、彼女達、森族にはこれが必要ないという事も。
「この聖地の外には何があるんだ? 人間にだけ作用する毒ガスでも蔓延してるのか?」
自分のその問いに、今度はルーテシアが僅かに首を傾ける。
「毒の類ではありません。いえ、濃すぎる魂源によって身体を蝕まれる事を思えば、人間にとっては毒なのかも知れませんね。この聖地には外界の魂源を一定の濃度に抑える結界が施されているのですが、結界の外は濃い魂源の影響で人間は長く外で活動する事ができません。よって人間はこういった魔道具を装備して外界を歩くのです」
「その魂源とはどういうモノなんだ?」
彼女達の会話内で時折出てくる“魂源”と呼ばれる存在──それはいったいどういった類のモノなのかを尋ねると、彼女からは意外な答えが返ってきた。
「魂源は全ての生命、全ての物質に宿り、大地にも大空にも満ちる世界の魂の源から溢れ出る力の事です。それは魔道具を使う上でも、魔法を扱う上でも必要となる力──シン、あなたも兄様やドルムント族長様と戦った際に自在に扱っていたのだから知ってはいる筈です」
ルーテシアの蒼い瞳がひたりとこちらを見据える。
自分はそんな彼女の瞳を静かに見返しながら、その魂源の正体に気付き、自身が両手に嵌めている王の器の手甲に視線を落とした。
「成る程ね、ここでは氣をマナと呼んでいるのか」
あちらの世界でも氣は森羅万象に宿る、星の生命力そのものであるという考えがある。
それを自在に操る術を武術として取り込んだのが、祖父から習った『龍氣道』だ。
しかしこの世界の氣は自分が元居た世界よりも随分と濃いものに感じていたのだが、それはこの場所が森族の聖地と呼ばれる、謂わばパワースポット的な場所だからかと考えていた。
実際、向こうの世界でもここのように氣配の濃い場所は霊場、気脈などの様々な名で呼ばれ、人々の中で聖地や禁域として今に伝わる場所も少なくない。
だが彼女の先程の説明では、この聖地はむしろ外界の氣を抑える役割を持たされているという事は、以前の世界とは真逆の場所だと言えた。
寧ろその類の地は、良くないモノを封じたとされるような場所だと聞く。
これほどの氣配でも抑えられた結果だとしたら、この聖地の結界の外とはどんな場所なのか。
「それ程の濃い氣──いや、魂源に人間が身を晒せばどうなるんだ?」
そんな質問を彼女にしながらも、手の中にあるマスクが『瘴気マスク』と呼ばれている時点である程度、人体に悪い影響を齎すのだろう事は容易に想像できる。
問題はどういった影響を齎すのか──その具体的な内容だ。
自分の問いに、ルーテシアの背後に控えるシグル族長の鋭い瞳がやや細くなった。
こちらがこの世界の常識を知らない事を演技で問うているのか、見極めようとしているのだろう。
自分はそんな彼から視線を戻して、答えを待つように目の前のルーテシアへと向けた。
「人間がその“瘴気マスク”なしで外界に出れば、一日も経たない内に魔獣へと変貌します」
彼女のその返答は、自分の両眼が大きく見開く程度には意外なものだった。
濃い氣配にあてられて体調を崩したり、最悪の場合、強大な気脈の力に人間の肉体が耐えられずに死に到るのかと考えていたのだが、まさか肉体が変異するなど考えもしなかった。
そして人間が魔獣と呼ばれる存在に変貌する──それは、
「魔獣とは確か、遥か昔に森族を追い詰めた内の一つじゃなかったか? 元は人間なのか?」
栄華を極めていたのであろう森族の下に天変地異が襲い、北の地から攻め入って来た魔族や魔獣に多くの森族が犠牲になったという話を思い出す。
しかし自分のその問いに、ルーテシアは小さく首を振る。
「魔獣は単なる総称に過ぎません。濃い魂源の影響を受けて、変異したものを“魔獣”と呼んでいるので、そこには動物や植物が変貌したものも含まれます。主に人間が変貌した魔獣は『変異者』と呼ばれていますが、その力は人間であった頃の数倍もあります」
彼女のその話に、自分は思わず後頭を掻いて乾いた笑いを漏らしていた。
ファンタジーな世界かと思っていたのが一転、まるで以前テレビで見たバイオテロ的な映画のような世界観に驚きしかない。
これは思っていた以上に、この世界で一年以上も暮らすのは大変かも知れないなと、大きな溜め息が自然と口から吐き出される。
しかし、『瘴気マスク』のような道具が無くては生活もままならないような世界で、人間はどうやって暮らしてきたのだろうか。
勿論、魔道具を使用して生活圏を広げているのだろう事は容易に想像できるが、自分が疑問に思うのは、この世界の自然環境に即していない人間がどうやって誕生したのかという事だ。
目の前に居るルーテシアやシグル族長のような半獣半人の森族達は、この聖地の結界の外でも魔獣に変貌する事無く、普通に活動する事ができるという。
ならば彼らはその環境に即した進化でこの地に生きているのだろうが、人間は今より文明が発達していなかった時期──例えるなら石器程度の道具しか持たなかった時代に魂源の濃い外界をどうやって生き抜いて来れたのか。
普通ならば、環境に適応できない種はその時点で淘汰されて然るべき筈だ。
環境に順応できていない人間が今の時点で存在するというのは、自分のように別の場所から突如現れるだとか、もしくは環境の方がそれ程遠くない過去に急速に変化したか──。
自然と自分の視線が近くに堂々と聳える選定の神殿を捉えるが、そこまでを思考していた自分は小さく頭を振ってその思考を中断した。
今ここで世界の成り立ちを憶測した所で答えなど早々分かる筈もない、今は自分にできる──いや、自分がやるべき事の直近の事項について考えを巡らせるのが適当だろう。
そう思い直して、自分は手の中の瘴気マスクを転がした。
「そう言えばこの瘴気マスク、元の持ち主の人間の遺体はどうなったんだ?」
思考を切り替える為の何気ない突然の質問だったが、それに逸早く答えを返してきたのは、先程までずっと沈黙を貫いていたシグル族長だった。
「昨晩の人間共の死体は、魔獣の内臓などのゴミと一緒に焼却処分だ。畑の肥料程度には役に立つ」
彼のその素っ気ない返答に、自分は小さく肩を竦めた。
丁重な扱いを受けているとは思っていなかったが、随分と冒涜的な扱いだと思ってしまうのは、やはり向こうの価値観が大きいからだろうか。
少し気を引き締めて掛からなければならないなと、自分はあらためて思い直すのだった。
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