12話 慎の提案2
話を聞いていたルーテシアも驚きの表情でこちらを見やるが、彼女の兄であるシグル族長だけは興味深そうな表情で黙ったままこちらに視線を向けている。
人間達が暮らす森の外と、今現在、自分が居るこのメルトアの森の間にはもう一つの森があり、それが先程自分が話に出したギルミの森だ。
以前はそのギルミの森には多くの耳族が暮らしていたそうだが、数年前に攻め入ってきた人間達に追いやられ、今はメルトアの森を睨むような形で頑強な砦が築かれているそうだ。
今このメルトアの森に居る多くの耳族は、そのギルミの森から逃れて来た者達だと聞いた。
その為か、森族の中でも耳族達の多くがこちらを遠巻きにしながらも。その大きく長い特徴的な耳が先程の話に対して興味を示すような反応を示しているのが窺える。
ギルミの森にある砦は聞いた話によれば、千人単位で兵士が常駐するような大規模な物ではないようだが、それでもメルトアの森とギルミの森を繋ぐ要所を堅牢な砦と数百の兵士が抑えているようで、昨夜の襲撃もここから森へと侵入してきた人間達によるものだという。
“王の器”を所持している今、数百程度の数の砦を落とす事は不可能ではない。
懸念は人間側にいるという強者──四英雄とかいう存在が砦に詰めていた場合、単独での砦攻略は一気に難しくなる事だが、その心配はあまりしなくてもいいとも考えている。
そのような戦力が砦に常駐しているのならば、昨夜の襲撃にも加わっていてもおかしくなかった筈だが、それが無かった──人間側の事情があまり把握できない為にあまり断定する事はできないが、可能性は低いとみて大丈夫だろう。
すると先程まで咳き込んでいたドルムント族長が、片膝を突いたままの姿でゆっくりと顔を持ち上げると、先程のダメージの残る息苦しそうな声音で問いを発した。
「成る程、口惜しいが“王の器”に認められたと言うのは事実のようだ。この俺が未だに手足を動かすのに精一杯とはな……。その力を振るえば、確かに貴様一人でも砦の一つを落とす事も可能なのかも知れんが、貴様が“王の器”を持って人間側に寝返らないとどうして言える?」
ドルムント族長のその言葉に、今まで困惑気味だった森族の者から次々に同意を示すような声が上がるが、こちらの実力に一筋の光明を見た者も少なくなかったのか、全体的には肯定と否定が分かれるような形で口々に意見が交わされ、雑然とした雰囲気になった。
無論、彼が懸念している事はもっともな話なので、これに対する提案も用意はある。
「だったらオレが砦を落とすまでの間、すぐ後方に控えてオレを見張ってればいい。せっかくだ、アンタらが攻めあぐねていた砦の正面門をオレが最初に叩き潰してやるよ。そうすりゃ、オレが向こうに寝返ったとしても、アンタらは開いた正面から数で押して制圧するぐらいはできるだろ?」
自分はそう言って口の端を持ち上げるように歪めて、やや挑発的な笑みでもって相手のドルムント族長や、その周囲にいる森族達の反応を見返した。
単独でドルムント族長を下す程度の力を見せつけはしたが、それでも多数で掛かって倒せないと思わせる程に圧倒的な力を見せつける事はしていない。
砦にあるという頑強な正面門を破壊する事を第一条件とすれば、仮にこちらが人間側に寝返ったとしても、後方に見張りとして控えた森族の戦士達がその高い戦闘能力で以て、正面門を突破して砦を制圧し、ついでに寝返った自分を討つ程度の事はできるという判断になる筈だ。
実際の砦の正面門がどれ程の防備であるかは、実際にこの目で確かめて見ない事には何とも言えないのだが、そこはそれ。今振るえる自身の力を信じるなら、後はそれに賭けるだけだ。
先程まで割れていた森族の意見がこちらの意見を肯定的に捉える雰囲気に流れていく様を感じていると、ここにきて三長老の一人、鱗族のダリオス長老があらためて今回の結論を口にした。
「これを以て“王の器”の後継者をシンとする事に異議のある者はおらんな?」
厳粛な雰囲気を漂わせたその声音に人々の騒めきが収まっていくと、やがて肯定する意を示すかのように誰もが口を閉ざしてその場に静寂が訪れた。
「ではシンには己の宣言通り、ギルミの森の砦攻略を成して貰う事に異議は無しとする。シン、お主も我ら戦士の戦列に加わるのであれば、己が吐いた言葉の責は負って貰うが、構わないな?」
ダリオス長老の老獪そうな爬虫類の瞳がこちらを視界に捉えてヌラリと光る。
自分も手っ取り早い功績を手に入れる為に吐いた言葉でもあるので、問題ないという風に黙って頷き返して、返事をした。
「オレが吐いた言葉だ、文句はねぇさ」
そんなこちらの対応受けて、三長老達が互いに視線を絡ませ頷き合うと、今度は牙族のオルク長老が同じく牙族のシグル族長と、未だに息の荒い鱗族のドルムント族長達に視線を向けた。
「では昨晩の死者達を送った後、シグル族長は牙族の戦士を率いてシンと共にギルミの森の砦へと出立する準備を。ドルムント族長は、鱗族の戦士達をこの里の警備に──」
「待ってくれ!」
「待って下さい!」
オルク長老のその今後の予定を告げる中、唱和するように言葉を上げた者が二人。
一人はようやく己の足でその巨体を起こしたドルムント族長と、もう一人は先程まで黙していた巫女のルーテシアだった。
二人が同時に声を上げた事により当事者達は互いの視線を交わし合い、次いでその視線がオルク長老へと向かうと、彼の言葉を待つようにその場に静寂が生まれる。
それを受けてオルク長老が先に話の続きを促がすように視線を向けたのはドルムント族長だった。
彼はそれに応えるように小さく頭を下げると、その視線をこちらへと向ける。
「ギルミの森の砦には俺も着いて行く。もしもの場合、シグル族長だけでは手が足りないだろうし、里の警備には鱗族の戦士達を置いておけば問題ない筈だ」
彼のその提案に、三長老達が目配せをするように互いの顔を見合わせると、その中の一人である鱗族のダリオス長老が了承するように頷いて、オルク長老が決定を口にする。
「ではドルムント族長はシグル族長と共にシンの後方部隊の一員として、ギルミの森の砦へと向かって貰おう。……それで、ルーテシアは何用か?」
オルク長老の蒼眼が孫娘でもあるルーテシアに向けられると、彼女は小さく一礼してから皆の中一歩、抜け出すように前へと出てきた。
「ギルミの森への同行、私も御一緒させて下さい、オルク長老様!」
その透き通るような、明朗な言葉が彼女の口からはっきりと告げられると、それを聞いた祖父のオルク長老を含む三長老や、彼女の兄であるシグル族長が驚きの表情をした。
それは周りで聞いていた森族の人々も同様だったが、その中で唯一、彼女に興味深そうな表情を向けたのはドルムント族長だった。
人々の口から驚きの声が上がる中、真っ先に反対の言葉を口にしたのは彼の兄であるシグル族長だ。
「駄目だ、ルーテシア! お前が人間共が巣食うあの砦に赴くなど、到底容認できるものではない! 巫女のお前がそんな危険を冒す必要がどこにある!?」
そう言って捲し立てるシグル族長に、彼女は祖父譲りの蒼い双眸をひたと逸らさずに向けて、ゆっくりとだが、力強い声音で自身の意思を口にする。
「彼──シンをこの地に呼んだのは儀式を執り行った巫女の私です。私は巫女として彼が成す一切の行動に責任と、それを見届ける義務があります。それに私はこの里では、それなりに魔法を扱える方ですから、いざという時に両族長様の手助けはできるつもりです」
そう言って毅然とした態度で兄のシグル族長を見返すと、彼は眉間に皺を寄せるようにして唸るような、呻くような声を喉奥から漏らした。
ドルムント族長はそんな二人のやりとりを面白そうに眺めている。
彼女の言う「いざという時」というのは、自分が彼ら森族を裏切って“王の器”を持ったまま人間側に寝返った時の事を指しているのだろう。
その点は彼らとしても懸念事項である事は理解しているので特に思う所はないが、自分が驚いたのは彼女──ルーテシアがシグル族長と共に戦える力を持つという話の方だった。
最初に神殿内で見かけた際の彼女の印象には、特にその気配に戦いを生業にする者のような特有の気配は無く、見た目通りに神官や巫女の類だと思っていたのだ。
すると最初に神殿内で人間の襲撃に後れをとったのは、自分との想定外の遭遇に意識を奪われている間に不意を突かれたという所だろうか。
ただ、彼女自身の口ぶりから窺えるのは、戦えるとは言ってもシグル族長やドルムント族長に比肩する程ではないという認識なのだろう。
だが彼女の戦う手段は魔法という、向こうの世界では空想とされた技術となれば、彼女の実力がどれ程のものなのか、今の自分に図る事はできない。
現に今、目の前に居るルーテシアには、シグル族長らのような武人の纏う研ぎ澄まされた独特の気配のようなものを感じないので、その実力のおおよそすら把握する事も叶わない。
恐らく二人の族長達と対峙した際、シグル族長が見せた氷の刃や、ドルムント族長が放った石の礫など、あれらが魔法だったのだろう事は察する事ができる。
この世界では魔法を扱える者が相応の数が居るとなれば、その使い手を逸早く察知する事ができないというのは、なかなかに油断のできない状況だ。
そんなこの世界の考察をしていると、ルーテシアの提案を吟味するように三長老達が二言、三言言葉を交わしての後、未だに何か反対意見を口にしようとしていたシグル族長を視線で止めて、牙族のオルク長老がこちらに視線を向けながら口を開いた。
「ルーテシア、お主も森族の一人として自身の行いに覚悟をもって責を負うと言うのであれば、我らが兎角と何かを言う事ではないだろう。がしかし、シン──お主の方はそれで良いのか?」
その長老の問いに自分は首傾げてその言葉の意を問い返すようにした。
「お主が元の地へ戻るには巫女の中でも最たる力を持つ彼女──ルーテシアの協力が無くば難しいだろうと、我らは考えている──となれば、彼女を危険な人間の前に連れて行くのはお主としても避けたいのではないのか?」
彼のそんな質問に導かれるようにルーテシアの視線がこちらへと向けられて、自分もそんな彼女の視線を見つめ返して自身の顎先を指で撫でる。
こちらに向けるルーテシアの蒼く透き通るような瞳には、己の堅固な意思を滲ませた気配を窺わせる。それはまさしく、狼の姿を持つ牙族の勇ましさを感じさせた。
確かに、これから前線へと赴くにあたって彼女を連れて歩くのは、自分にとっても相応のリスクを伴うのだろうが、あのややシスコン気味のシグル族長の心配する言葉を撥ねつけて彼に二の句を告げさせない様子を見るに、意思を曲げさせるのは相当に骨が折れるのだろう事は、ひしひしとその場の空気感が伝えていた。
ならば自分が口にする言葉はあまり残されてはいないだろう。
そう思って自分は口の端を持ち上げると、視線を眉間に皺を寄せて苦悩する姿を見せているシグル族長へと向けて口を開く。
「オレは彼女の意見に口を挟む事などしないさ。それに、オレにとっても彼女は大切な存在というなら、彼女に降り掛かる火の粉程度、振り払ってのける力は持ち合わせているつもりなんでね」
ルーテシアの実の兄が彼女の身を心配して反対の姿勢を示し、それに彼女が反発したのなら、自分は彼女の意見を尊重して賛成側へと入る事によって少しでも得点を稼いでおく方が賢いだろう。
少々打算的な決定ではあるが、なにせこのメルトアの森の里では自分の味方になってくれそうな者は今のところ彼女だけとなれば、少しでも印象を良くしおく越した事はない。
そんな自分のシグル族長への皮肉を利かせての返答に、皮肉の先の本人が眉間の皺を深くした。
どうやらあまり彼女絡みの事で彼を挑発するのは、止めた方が良さそうだ。
少し手遅れかも知れないが──小さく溜め息を零して向き直ると、三長老達も結論は出たとばかりに頷き持っていた杖で石畳を叩くと、その場に居る森族達に向かって声を上げた。
「ではこの話はここまでとする。墓所での弔いを済ませた後、牙の戦士達は準備を整え、明朝、里を発てるようにしておくのだ!」
オルク長老のその言葉に、周囲の森族達は了承の意を示すように一斉に頭を下げると、今度は長老達を先頭にして、選定の神殿の脇を抜けるような形で皆が移動を始めた。
そんな彼らの移動に、シグル族長やドルムント族長なども黙って付き従う。
ルーテシアはそんな彼らの背中を見送り、振り返ってその視線をこちらへと向けてきた。
「ありがとうございます、シン。私の同行に理解を示して頂いて」
そんな丁寧な謝辞を述べる彼女に、自分は小さく笑って肩を竦めて見せた。
「特に礼を言われるような場面では無かったと思うが、まぁ、あなたがオレを呼び出した事で後ろ指差されない程度には成果を示せるようにしますよ」
そう言って自分は丁寧なお辞儀をして、彼女を他の森族達が向かった先へと促すようにする。
すると、そんな自分を彼女は随分と奇妙な者を見る目で見つめ返してきた。
「あなたは本当に変わった人間ですね……。この森に来る人間は皆、私達森族を忌避か侮蔑の目でしか見てこないのですが、あなたは少々好戦的な面はありますが、接する態度には特に含むものがあるようには見えません」
ルーテシアはそう語りながら、こちらの真意を観察するように蒼い瞳の奥の瞳孔が窄まる。
狼の血を引く種族特性なのか、それとも彼女独特のものなのか──ルーテシアの切れ長の蒼い瞳に見つめられていると何となく落ち着かないのは何故だろうか。
慎重に相手との距離を測る様は、まさに野生の狩猟者のそれを思わせる。
自分はそんな彼女に笑って返した。
「言葉が通じ、人を襲って食べる訳でもなし。この世界で得られた僅かな知識では、大きな偏見なども持ちようがない──それに母からは、女性には丁寧に接しろと固く言われてますので、ね」
人間とは大きく掛け離れた姿であれば、普通ならば忌避感が大きく顔を覗かせるのだろうが、幸か不幸か、自分の元居た世界では彼女らのような姿をした存在は多くの創作物──映画や小説、漫画といった類に顔を出し、受け入れられている土壌がある。
なので愛護の対象にはなっても、嫌悪の対象には見れない。
今も、彼女の腰裏から伸びる白銀の毛並みの尻尾を触ってみたいという欲求と戦っている最中だ。
それと普段粗野な物言いが多い自分だが、女性に対する言葉遣いなどは徹底して母親に矯正され、つい口を滑らしでもすれば背後から拳骨が飛んでくる錯覚に身構える程だ。
墓所へと移動する他の森族達を追いかけながらそんな事を思い出していると、不意に後ろに不穏な気配を感じたような気がして思わず後ろを振り返って何度か辺りを見回してしまう。
居る筈のない気配を感じてしまうあたり、ある意味爺より畏怖の念があるのかも知れない。
そういう点で言えば、女性を敵に回す事の無いように教育された事は良かったと言うべきか。
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