11話 慎の提案1
まだ使いこなせる程にはなっていない“王の器”だが、それでも多少の外氣を内へと取り込み内氣へと変換する程度なら問題はなく扱える。
全身を巡る氣の流れを制御しながら、その氣量を増して練り上げていく。
【龍氣道・龍翠氣鱗】
すると、自分の肉体全体が変色を始め、やがてその全身はくすんだ翠色へと変化する。
身体中にはまるで紋様のような筋が幾重にも走り、自身の見た目はすっかりと人の範疇に収まらないような姿へと変貌していた。
この技を発動した際に浮き出る龍紋とも龍鱗とも言われるこの独特の紋様は、変色した肌の上に色合いの異なる血管の筋が走ることによって生まれるもので、その様子が龍の鱗を纏っているように見える事からそう呼ばれるようになったと聞く。
この翠色の肌は氣量を上げ、さらに練り上げる事によって硬度を高める毎にその色合いは変わり、翠色から始まって黒色までの全四段階からなっている。
自分の今の技量では翠色の次段階である蒼色までが限界だが、いつかは爺と対等に渡り合うにはこの技の最終段階である黒色を極める必要があるだろう。
本来、大量の氣力を必要とするこの技を限られた内氣のみで使う場合、ほとんどは局所的な強化に止めて氣力の消費を抑えるのが常だが、今回は“王の器”を使って外氣を取り込んでいるので全身を強化して見せた。
少々派手なパフォーマンスの方が周囲の者達にこの“王の器”の真価を示し易いというのもある。
“王の器”があれば外氣が取り込めるので、予想ではあるがこの状態を維持したまま全力で戦っても恐らく十分程は保てるのではないか。
全身に馴染んだ外氣の調子を見るように、全身が翠色へと変化した腕を回してから拳を握る。
大丈夫そうだなと、この段階での“王の器”の使用には問題がない事を確認し、あらためて対峙する巨躯の鱗族の男を見据えた。
そんなこちらの異様な変化の様子を見ていた周囲の森族らからは、驚きとも慄きともとれるような声が上がり、それらが一つの大きな騒めきとなって耳に届く。
「貴様、本当に人間なのか……?」
そんな中でこちらに斧槍を構えた姿のドルムント族長が、その厳しい顔に眉根を寄せるようにして、こちらに問い掛けてくる。
見た目は確かに人外のような姿だが、その感想は甚だ遺憾と言わざるを得ない。
「この程度で人外呼ばわりは止めてくれよ、鱗のおっさん。オレの師匠の爺は“王の器”なしでもこの程度の事、造作もない正真正銘の化け物──そいつは褒め過ぎだぜ!」
そう言って笑うと、相手のドルムントは訝しげな表情をするが、自分はそれを無視して相手との間合いを詰めるべく一気に飛び出していった。
瞬時に間合いを詰める歩法【瞬虚歩】は使わない──というか使えないというのが正しい。
足裏の内氣を瞬間的に爆発させるようにして移動するあの技は、今の全身練氣で【龍翠氣鱗】の発動を保っている状態では同時に併用させるのは難しいのだ。
外氣を取り込む事を容易にする“王の器”があったとしも、まだまだ修練する事は山とある。
そんな思いを胸に抱きながら相手との距離を詰め、ドルムント族長の間合いへと入った瞬間、彼の手に持っていた斧槍が容赦なく襲い掛かってくる。
元々高い身体能力を有していたドルムント族長の強化した状態での攻撃は、先程の一撃よりもその鋭さが増している事がはっきりと空気を伝って感じる事ができた。
だがこちらも強化の度合いで言えば上だ──相手の重量級の一撃を真正面から迎え撃つべく拳を構えて、頭を低くしながら攻撃の機会を合わせる。
振り被ったこちらの拳の一撃がドルムント族長の斧槍の刃と衝突し、甲高い金属音を響かせて辺りに大きな衝撃波が放たれた。
それと同時に斧槍の刃に亀裂が走り、それを見たドルムント族長が思わず斧槍を引こうとする。
しかしそれは悪手だ。
引いた際の隙を突いてさらに前へと出た自分は、さらに追撃に拳を振るう。
その度にドルムント族長が斧槍でこちらの攻撃を防ぐが、一撃毎に亀裂が大きくなり、やがて最後の一撃が相手の武器の刃を完全に砕く事になった。
「くっ!?」
ドルムント族長の顔が焦りに歪むが、それでも戦意を喪失した訳ではなかった。
自身の身長程もある斧槍の柄を投げ捨てると同時に、今度はこちらに肉弾戦を仕掛けてきたのだ。
三メートルという巨人の領域にあるドルムント族長の拳の一撃は、まさにこちらを地面に叩き潰すが如き様相で、本来ならばそれをまとも受けては相応のダメージを覚悟する事になる。
しかし今は“王の器”の力を借りて全身【龍翠氣鱗】で防御を固めている状態。
少々の攻撃では傷もつかない所か、下手をすれば攻撃した側が負傷する事もあり得た。
ただそれは相手がドルムント族長のような歴戦の戦士でなければの話だろうが。
ドルムント族長の巨躯から放たれる攻撃は、やはり人間の常識的な大きさで収まる自分とは違いかなりの射程を有しており、そこから放たれる拳の一撃はなかなかに厄介だと言える。
だが本当に厄介な問題はそこではない。
相手の一撃を躱す事も、防御する事もそれ程難しい訳ではない。
練氣系での身体硬化はこちらに分があるが、元々の身体能力はあちらが上であろう事を考慮すると、拳の単純な強度などほぼ同等くらいだろうか。
身のこなしはこちらが上なので、単純なインファイト勝負なら多少時間は掛かるが沈める事は可能だが、それではいまいちパッとしない。
今の状態で複雑な練氣系の技は使えないが、単純な技なら使える筈だ。
というよりも、この程度を扱えないようでは、“王の器”を使いこなす事など到底不可能。
ならばやる事は一つ──。
内氣を全身に対流させる形で【龍翠氣鱗】の状態を維持したまま、さらにあらたな氣を練る事によって別の技を併用する。
足に纏った氣を地面に打ち付ける要領で、間合いを詰める際の一歩に込めて解き放つ。
【龍氣道・練氣歩・陽】
氣功系ではわりと初歩の技で、足先から地面に向かって打ち込んだ氣で大地を砕く技だ。
技と言ってもどちらかと言うと修練用の技としての意味合いが大きく、【瞬虚歩】などの足で氣を操作する為の前段階のもので、特に攻撃など用途はないが、それでも相手の気を逸らすなどの使い途がそれなりにあったりする。
そして今も多少加減が甘くなったせいか、踏み込んだ先の地面が派手に爆ぜて、自身の足から放射状に亀裂が走り相手の足元が揺らぐと、その影響でドルムント族長の巨体が大きく傾いだ。
「!?」
しかし相手も歴戦で慣らした戦士、崩した態勢のままこちらの脳天に向かって拳を振り下ろしてきたが、自分はそれに構わず掌底を相手の胴体へと合わせて技を解放した。
【龍氣道・透穿衝波】
ドルムント族長が放った拳の重い衝撃を感じながらも、相手の巨体の胴体に向かって放ったこちらの一撃が掌底を通じて相手の体内を貫通するように解放される。
“王の器”を行使し外氣を取り込んでの一撃。
先程の【崩山点衝】のような衝撃を放って外側から物理的に破壊する技とは違い、衝撃が相手の身体を貫通するので単純な頑強さだけでは防ぐ事は難しいだろう。
ましてや相手の「鎧鱗硬」とやらはこちらの【龍翠氣鱗】より完成度が低い為に、気功系の技を防ぐには十分な防御を発揮できない筈だ。
現にドルムント族長はその厳しい顔を歪めて、その巨体を震わせながら片膝を突き、その場に頽れるようにして身を伏せた。
「ぐはっ! ゴホッ!」
「ハハっ! すげぇな、鱗のおっさん──いや、ドルムントのおっさん。今の一撃、普通の人間なら二回は死んでるぜ? まったく、この世界はこんな奴がゴロゴロしてるのかと思うと、なんだかワクワクしてくるなぁ」
そう言って自分は軽口を叩きつつ、纏っていた【龍翠氣鱗】を解除する。
すると肌の色はみるみるうちに普通の人のそれへと戻っていく。
恐らくドルムント族長はシグル族長と並んでこの集落ではかなりの実力者なのだろう、周囲の森族達はこちらを信じられないものを見るような目で眺めていた。
気を失う程度の威力を込めたつもりだったが、どうやら予想以上に頑強だったようだ。
ドルムント族長の頑強さを考慮に入れつつも、相手を殺さないようにする為に威力の調整はした。
これから雇われようというのに、雇い主側の者に死傷者を出させれば否応なく軋轢が生じる。
それだけは避けたいが、こちらの力も十二分に示しておきたい。
そうでなければ、これから自分が提案する意見に賛同を得られない可能性もあるからだ。
自分は周囲に居るこちらを遠巻きにする森族の人々を見回すようにゆっくりと視線を動かし、自らが嵌める“王の器”を示すように手甲を晒して彼らに問い掛けた。
「“王の器”、初めに聞いた時はどれ程の物かと思っていたが、確かに、これは至宝と呼ばれるだけの事はあるな。それで、こいつをオレ以上に扱える奴が他に居るのなら、今ここで名乗り出て貰おうか? 腕に自信があるなら、彼のように異議を申し出てくれて構わない。なんなら“王の器”無しでも受けて立つぜ?」
そんな自分の言葉に、森族の人々が互いに囁き合うようにして困惑の気配を見せる。
これはただのハッタリだ。
流石に“王の器”無しで、ここにいる全員が異議を唱えて形振り構わずに挑んで来たならば、恐らく膝を突くのはこちらであろう事は想像できる。
しかし集落の実力者を倒して見せた後に、挑戦を募った所で、名乗りを上げるの者は少ない。
彼らの代表者である三人の長老はと言うと、こちらのそんな言動にもある程度の理解を示しているのか、無言でそんな成り行きを見つめていた。
シグル族長はやや不機嫌な気配を覗かせるも、特に口を挟む事なく黙って三長老の脇に控え、彼の妹、ルーテシアはやや落ち着かない様子で事の成り行きを見守っている。
そこで自分は、最後の提案をその場にいる皆に提示するように口を開いた。
「まぁ人間であるオレをいきなり信用できる訳もないだろうから、オレからある提案をしよう」
自分の言葉に周囲の耳目が集まる気配を感じながら、そんな彼らを見回すように視線を動かす。
「あんた達が直近で手を焼いているという、ギルミの森に築かれたという人間達の砦、それをオレが一人で落として見せる。これが実現すれば、オレの事を多少は信用できるようになるだろう?」
そう言って手を広げるようにして宣言すると、周囲の人々が困惑したように騒めき始め、それは事態の成り行きを見守っていた三長老達も同様だった。
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