10話 王の器の真価
「馬鹿な!? 敵を斬り伏せる剣でもなく、仲間を守る盾でもなく、ましてや己の身を守る鎧ですらない、手の甲を守るだけの“王の器”など聞いた事もないぞ! 長老達はこのような様の物しか授からなかった人間を“王の器”の後継者として認めたのか!? それで納得ができるのか! シグル、貴様に聞いているのだ!? “王の器”の前任者はお前の父だったのだぞ!?」
ドルムント族長の上背と身幅のある体格から降り注ぐ言葉は、周囲に集まっていた他の森族や、彼の部下だろう他の鱗族の戦士達に伝播し、彼の言葉に同意の姿勢を見せ、その場は俄かに騒がしくなっていく。
しかし名指しされたシグル族長は、その狼顔の眉根を寄せて牙を剥き出し抗議の声を上げた。
「そんな事は百も承知している! しかし、既にこれは三長老様方によって決定した事項──」
両者の視線が絡み合い、その場に言い知れぬ緊張感が生み出される中、周囲の集まっていた人々の垣根が分かれて、その中から話に出ていた三人の長老達が姿を現した。
「ドルムント族長、その話は既に結論が出ている。我らには残された時間も、選択肢も多くは残っていない……それは貴様もよく理解しているだろう?」
そう言って最初に言葉を掛けたのは三長老の一人、鱗族のダリオス長老だった。
こういった小規模な部族集落での長老の立場というのは、自分が思っているよりも確固とした地位であるのか、巨躯を誇る武人といったドルムント族長であっても一瞬怯むような様子を見せる。
「しかしダリオス長老! 後継者が俺達の敵である人間──しかも碌に使いこなせるようには見えないこんな奴に、森族の至宝である“王の器”を託すなど──!」
ドルムント族長のそんな抗議に、自分は思わず口角を上げて笑いを漏らしてしまう。
「くくく」
先程まで騒めいていた場にいやに響く形で自分の押し殺した笑い声が響く。
そんなこちらの様子を目敏く見つけたドルムント族長が、不愉快そうな声を上げてこちらを威嚇するように近づいて来た。
「何が可笑しい、人間!? 逃げ場のないこの現状で余裕じゃねぇか!? “王の器”の選定に選ばれたとしても、その程度の加護では貴様を殺して奪う程度の事、造作もないぞ!?」
その全身から溢れる殺気と覇氣──それはまさしく彼の見た目に寸分違わず猛獣のような気配を滲ませており、それを受けた周囲の同族の戦士達までもが怯み後退りさせる程だった。
まるで粘り気を帯びたような濃厚な覇氣は、普通の者なら声すら出せなくなるだろう。
しかし自分にはそれを遥かに上回る氣配の持ち主を知っている──。
それを思えば、構える程の事でもない。
自分はそんな意思も込めて巨躯のドルムント族長を見上げるような形で相手の目を見返し、その視線の前に自分が嵌めている手甲を翳して見せた。
「あんたら森族の至宝だというこの“王の器”だが、歴代の所有者はその真価を誰にも説明してこなかったのか? それとも気付かずに使っていたのか、どっちだ?」
自分のその問い掛けに、シグル族長を初め、三人の長老達も訝しげな視線をこちらに向けてくる。
そんな様子を見れば、彼らがこの“王の器”の真価を正しく理解している者はいないのではないかという事が察せられた。
自分はその場で小さく溜め息を吐くと、自らの両手に嵌まった手甲に意識を向ける。
それだけで、世界を満たす万物の氣が吸い寄せられてくるような感覚と共に、自らの肉体の周囲に氣流が生まれ、それが加速度的に増加して激しくなっていく感覚に思わず笑みが浮かぶ。
その様子を見ていたシグル族長やドルムント族長らは、逸早くにこちらの変化に気付いたのか、警戒するような形で後ろへと下がって構えを取った。
「この“王の器”は本来、形などに意味はない。こいつが至宝だと言われた所以はこの力だろう?」
そう言いながら、自分は激しく渦を巻く大氣を掌握し、それを一気に膨れ上がらせると、瞬時にその力を解放して周囲へと解き放って見せる。
その解き放たれた氣流は放射状に、突風を伴って周囲の人々の間を駆け抜け、さらには周りに広がる森の木々を大きく揺らして、あちこちから鳥たちが一斉に飛び立つという光景を生み出した。
そんな様子に周囲に居た森族達が呆気に取られた様子でこちらを見やる。
確かにこの“王の器”は持ち主によってその形状を変えるという、男の子心を擽る要素を含んではいるが、本当の真価はそんな所にはない。
先程自分がやって見せたように、この“王の器”という代物は、この世に満ちる万物の源流となるエネルギー、その外氣を容易く扱える事にあった。
氣とは世界を構成するエネルギーであり、この世の万物には大なり小なりそれが内包されている。
それは地上に生きる生物、人間、動植物だけでなく、巨大な岩から小さな小石のように、あらゆる無機物にも含まれている。
自身の肉体の内に宿る氣を内氣、自然界に満ち、大気や大地に対流する氣を外氣と呼んでいるが、この“王の器”という代物は、そんな外氣を取り込む補助をしてくれるのだ。
内氣はある程度の鍛錬などによって強化、操作できるようになる事から比較的その習得は容易な部類に入る。実際、武術の達人や一流のスポーツ選手などは多くがこの内氣を意識的、無意識的に関わらず活用し、己の肉体や感覚を強化するなどして使っている。
しかし、外氣を扱うとなると話は別だ。
自然界に満ちる無尽蔵の外氣はそれを操るのも、ましてや己の肉体に取り込む事も困難で、それができたのは、過去も現在もほんの一握りの存在だけだと言われている。
実際に外氣を操るなどの芸当ができる存在は、自分も一人しか知らない。
祖父──龍道寺宗衛門、いや爺だけだ。
過去、こういった外氣を操る力を体得した者は仙人だとか、魔女だとか呼ばれていたという。
その力は山を裂き、川を湖に変え、外氣を取り込んだ肉体は老いさえ遠ざける事も可能だとか。
うちの爺もそのせいなのか年齢不詳の存在で、本人から聞いた話が本当ならば戊辰戦争時代から生きている事になるので、その年齢は優に百五十歳を超える事になる。
それでいて未だに老いの気配を微塵も見せないのだから、傍から見ればほぼ妖怪の類だ。
そんな嘘か本当か分からない話はともかく、外氣を操るというのは人外の力を得るに等しい事であり、その力を容易に扱えるようになる“王の器”というのは間違いなく至宝と言えるだろう。
限りのある内氣を使って全力で戦うとなれば自分でも五分かそこからが限界だが、無尽蔵の外氣を使えるのなら、その枷は理論上無くなると言っていい。
ただし、問題が全くない訳ではない。
強大な外氣を容易に操る事ができると言ってもあくまで補助であり、実際に操る“王の器”の所有者の練度によって扱える力は大幅に制限されるだろう事は、先程の感触で既に分かった。
無茶な使用をすれば、それこそ自身の肉体すら壊しかねない。
それでも、習得する事さえ困難だと言われる外氣の操作を実際に体感できるというのは、今後の自身の目標となる者へ一歩でも近づける可能性を得られる事になるので願ってもない事だ。
正直、今この“王の器”の手甲を装備したままで爺に挑んだとしても、勝てる見込みはほとんどないと言いきれる程に相手との実力差は離れている。
しかし、“王の器”で自在に外氣を操れるようになれば、いずれそれが無くても外氣を操る術を会得できるだろう事を考慮すれば、自分がこの世界へと呼ばれた意味は大きい。
さしあたっては目の前のドルムント族長達にこの“王の器”の真価を示した上で、彼らが納得するだけの戦果や功績を上げなければこの地での円滑な活動は望めないだろう。
思考の中でそんな結論に至ると自分は早速それを実行に移すべく“王の器”に意識を集中し、周囲に溢れる大氣へと干渉すると、すぐにその反応が手に取るように返ってきた。
これだけ強大な氣だ。肉体へと取り込んで内氣とするには些か大袈裟過ぎて今は十分に扱えないが、皆にその威力を実感させるには持ってこいだろう。
自分の周囲をまるで嵐のような氣流が発生しているこの状態は、他者から見れば半端ではない圧力を伴って周囲の者達への威嚇──もといはったりとなっている筈だ。
氣を直接視る事ができない者でも、生物的な感覚が危険を察知する為だ。
予想通り、“王の器”を通して干渉する強大な外氣の圧力に、周囲の人々が慄くように後ろへと下がる中、二人の族長──シグル族長とドルムント族長にそれ程の動揺は見られなかった。
さすがにそれぞれの種族の戦士達を纏める立場の者だけの事はある。
両者とも、向こうでは見られなかった強者である事は間違いない。
「ハッ、魂源を幾ら搔き乱した所で、それを扱いきれないようなら話にはならんぞ!」
そう言って身の丈程もある斧槍を構えて、吼えたのはドルムント族長だ。
彼はその巨大な斧槍を構えた姿のまま、内から溢れる闘氣を隠す事なくこちらへと向けてくる。
ドルムント族長の言い分はもっともな指摘であり、また彼が求めているのはその証左──となれば、この誘いに乗らない訳にはいかない。
「だったら、オレがこいつの所有者に相応しいかどうか、あんたが直接確かめてみたらどうだ?」
自分はニヤリと口元に笑みを浮かべながら、そんな挑発を口から吐き出す。
そんな自分の言葉に、ドルムント族長の闘氣が一気に膨らみ、斧槍を持つ手に力が込められた。
「いい度胸だ、人間!! その身が砕け大地へと還る事になっても知らんぞ!!」
ドルムント族長がそう言い捨てると、まるで獣の咆哮のような雄叫びと共に斧槍を振り上げて一気に自分との間合いを詰めてきた。
その反応は三メートル近い巨体を思えばかなりの速度で、それだけで彼が鈍重な体格に任せた単なる力自慢ではない事が分かる。相手の肉体の隅々まで氣が充実している様子から、内氣をそれなりに使いこなせているようだ。
幾分かの距離が開いていた筈の間合いは、瞬き一つの間に消滅し、今まさに振り上げられた斧槍が明確な殺意と共に振り下ろされようとしていた。
その圧倒的な威圧と殺気の前に、ただの人であれば抗う事は叶わなかっただろう。
しかし長年に渡って彼以上の強者と渡り合ってきた経験を持つ自分には何の問題もなかった。
風圧を伴って振り下ろされる斧槍はまさに必殺の一撃。
瞬時に引いた身体のすぐ傍──紙一重の距離でその圧倒的な破壊の嵐が通り過ぎる。
空気を切り裂く斧槍の一撃がヒリヒリと肌を焼くような感覚に、自分の口元が思わず笑みの形に変わるのを抑えられずにいると、相手のドルムント族長からの威圧が一層強くなった。
振り下ろされた斧槍はかつての古代都市の整備された路面の石畳を砕き、その衝撃が地面を伝って足裏へと響く。
硬質な石畳に走る放射状の亀裂は、それだけ先程の一撃の重さを表していた。
一撃の威力は爺の拳に匹敵するぐらいか。
だが、それはあくまで内氣を使わずに強化されていない拳での話だ。
この程度の威力なら直撃したとしても対処を誤らなければ問題はないが、むしろ相手から放たれる殺気に反して一撃の威力はこちらの予想より下回っていた。
本来ならばあの体格と、発する闘氣から予想される威力はもう少し上の筈だ。
これはこちらを舐めているというよりは、こちらの実力をある程度認識した上で、あえて挑発的に猪突猛進な振る舞いを以て実力を図ろうとしている──という節がある。
単純そうに見えて、その実はやはり鱗族の長を務めているだけの事はあるという事なのだろう。
だからと言って人間への不信感が嘘という訳でもないようだ。
相手の斧槍が直撃した石畳から反転するようにその切っ先が上向き、軌道を変えて今度は振り上げながら突くような形で迫ってくる。
切っ先の狙いはこちらの心臓。
その動きはまさに歴戦の戦士のそれであり、標的を確実に捉える為の振りだ。
だがそれでも、その一撃が自分へと届く事はない。
「温いぜ、鱗のおっさん」
自分は小さくそう呟くと、口角を上げて剥き出しの歯を見せるように笑って見せた。
相手がこちらのそんな様子に反応し、視線がこちらへと止まる。
その隙を突いて、自分は後ろの軸足に力を籠め、内氣を体内で爆発、解放させた。
【龍氣道・瞬虚歩】
空気の層の隙間に入り込むような感覚と共に、自身の身体が斧槍の間合いの内側へと瞬間的に移動し、ドルムント族長の巨躯の足元で右の拳を引いた姿で上を見上げた。
その刹那の時、相手のドルムント族長とこちらとの視線がぶつかり、次の瞬間に眼前に出現した幾つかの氣の塊の気配が生まれたかと思うと、そこに拳より小さな石の礫が出現する。
『打ち据えろ!』
ドルムント族長の吼えるような声と共に、石の礫が主の命に従うようにこちらに狙いを定める。
これと同じ現象は昨晩のシグル族長との対峙でも経験していたので、特に慌てるような事はないが、昨晩はすっかりこの異世界の事情に夢中になり、その原理を聞く事を忘れていた。
自分の顔面へと打ち下ろされるように射出される幾つかの石礫を難なく手甲で弾き落とし、こちらとの間合いを稼ごうと後ろへと下がるドルムント族長に向かって内氣を込めた拳を解き放つ。
【龍氣道・崩山点衝】
「ぐおっ!?」
体内で練り上げた氣が拳から一気に前面へと解放され、その衝撃がドルムント族長の巨躯を捉えると、人間から見れば巨人とも思えるような巨体は軽々と遥か後方へと吹き飛ばしてしまう。
そのドルムント族長の巨体を受け止めたのは、広場の先に建っていた比較的大きな家屋だったが、その木造の壁を易々と貫いて派手な音共に煙が衝突と共に開いた大穴から吐き出された。
「ぁあぁぁ、私の家がぁぁ~~~~!!?」
周囲に詰め掛けていた森族の人々の中からそんな悲痛の声が上がり、少々派手に吹き飛ばし過ぎたかと反省はしつつも、何も先の原因が自分だけの行為に因るものではない事を確信していた。
先程の一撃【崩山点衝】は練り上げた氣を中段正拳突きと共に相手に叩き付ける技だが、相当の威力に引き上げるのは相応の氣量を練り上げる間が必要になる。
今回は一瞬の隙を突いての攻撃だった為、溜める時間はほんの数瞬。
今の自身の技量では、その一瞬で多くの氣を練り上げるまでには到っていない。
となれば、先程の大きく派手に吹き飛んだように見えるのは、恰好だけと言える。
あの一瞬でこちらの攻撃の威力を弱める為に、敢えて自ら後方へと飛んで逃れたのだ。
巨体の割には随分と身軽な躱し方だ。
それに──相手の身体に拳を当てた際の感触を思い返せば、ほとんど攻撃は効いていないだろう事も容易に想像ができた。
案の定、壊れた壁面の穴から顔を出したドルムント族長は余裕の表情で広場に歩み出てきた。
しかしそれでも、その表情には少なからずこちらに向けた驚きの感情が覗いている。
「テメェ、本当に人間なのかよ……。この俺をここまで軽々吹き飛ばす、ましてやさっきの一撃は“王の器”を使った様子すらねぇ。素での能力で言えば、先の牙の族長デルタを倒した人間──四英雄とか称していた奴よりも上じゃねぇのか」
ドルムント族長はそんな事を言いながらゴキリと首の骨を鳴らすように肩を回す。
そんな彼の話に出てきた人間の四英雄という言葉、今の自分にはなかなかに興味深い。
自分が今に身に着けている“王の器”の前任者、ルーテシアやシグル族長の父だったという者を倒した人間は、確か同じく森族の至宝である“王の器”を所持しているという話だった。
間違いなく強者の部類に入るだろう人間──それと同格と思われる存在が合わせて四人。
そんな者が人間側にもいるというのはなかなかどうして、これからの事を思えば抑えようのない高揚感が湧き上がってくるというものだ。
だが、今は目の前の事に集中するのが肝要だ。
傷一つ負っている様子のないドルムント族長は、吹き飛ばした時と明らかにその身に纏う雰囲気が変わっており、さらには赤褐色だった鱗がやや濃色に変化している様子が見てとれた。
「人間の一撃にしてはなかなかだったが、俺は少々の攻撃では倒れんぞ!」
そう言って吠えたドルムント族長は、握っていた斧槍を振って空を斬る音を響かせる。
その様子に、周囲の森族達から歓声のような声が上がった。
「おぉ、あれは救世主ルドー様より授かったという鱗族の秘術“鎧鱗硬”だ!」
「ドルムント様が人間相手に本気を出されるとは、なんという事……」
騒めく森族達の間から漏れ聞こえるそんな会話を耳にしながら、自分は相手を見返し笑う。
「なるほど、鱗のおっさんの切り札ってやつか。いいねぇ」
こちらのそんな反応に、ドルムント族長の爬虫類然とした光彩が窄まり、その表情が変化するが鱗族の表情の機微は読み取れない。
相手は小さく長く息を吐き出すと、油断なく手に持った斧槍を構え直してから口を開いた。
「鱗族の強靭な肉体をさらに強化し、攻防共に引き上げる“鎧鱗硬”。俺のこの肌には生半可な武器での攻撃では傷一つ付かんぞ。悪いが本気でいく」
相手の闘氣が膨れ上がる様を眺めながら、相手の全身に隈なく目を向ける。
ドルムント族長の肉体変化には覚えがあった。
内氣を使っての肉体強化の更に上、肉体を文字通り鋼と化す練氣功系の技の一つ。
昨晩、シグル族長と対峙した際、自分が両腕に使った龍氣道の【龍翠氣鱗】に通ずるその技はなかなかに習得難度の高いものだ。
それを扱える者がいるとは素直に驚きだ。
しかし、自分の知るそれらよりは氣の効率が悪いというか、全体的に完成度が低い。
──ならば完成された技を見せつけて、この問題を解決するとしよう。
そう考えた自分は、口元に挑発するような笑みを浮かべながら準備運動するようにその場で軽く跳んで、相手のドルムント族長を見据える。
「鱗のおっさん、そいつを誰に教わったのかは知らねぇが、本当の練氣功ってやつを見せてやるよ」
自分は周囲の者たちにも聞こえるような声でそう宣言すると、両手の手甲を構えて“王の器”の力を借りて、周囲に満ちるこの世界の外氣へと干渉した。
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