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命がけの…

作者: コオロ

恋とか愛とか。

 そのころの僕は、命を狙われていた。


 狙っているのはクラスメイトの女生徒だ。しかし彼女に恨みを買うようなことをした覚えはない。あったとしても、高校に入学してからずっと同じクラスであること以外に接点のない相手なので思い出せというほうが無理な話だ。

 それでも、確かに彼女は僕を狙っている。

 証拠と呼べるほど決定的ではないが、片鱗はあった。授業中、暇を持て余して周囲を無意味に見渡しているとき、ふと視線が合ったのだ。ただの一回だけなら偶然で済ますこともできたのだが、別のシチュエーションでも、何度も何度も同様の現象が起こったとあっては意図的な何かを感じずにはいられない。もしや、彼女は常に僕を監視しているのではないのだろうか。

 必然的に僕も彼女に注意を向けるようになり、視線が交錯することも多くなった。その度に彼女ははっとしたように目を背けてしまう。ばつが悪い、といった表情で。

 これはもう疑いようがないだろう。彼女は間違いなく僕を狙っている。

 僕はその陰謀に立ち向かう決意をした。余計なことは考えず受験に打ち込めと先生は教壇で語っているが、そんなものに構ってなどいられない。

 何せ、命がかかっている。


 *


 決意したのは良いものの、陰謀と戦うにあたって、敵の情報がまるでないというのは痛手に違いなかった。彼女との接点はきわめて薄く、共通の友人と思しき人物もほとんどいない。三年間同じクラスでありながら、僕は彼女について何も知らなかったのだ。命を狙われる理由でさえも。

 八方塞かと意気消沈していたが、このままおとなしく殺されるつもりはない。圧倒的に不利な現状を打開するには、多少はアグレッシブな行動が必要だ。例えば、彼女にこちらから近づくとか。

 チャンスは早々に訪れた。彼女が重そうな荷物を持っていたので、すかさず近寄り僕が持つと提言した。このシチュエーションならば、怪しまれても力仕事を男がするのは当然なのでほっとけなかったと言い訳できる。

「い、いいよ。大丈夫だよ、これくらい」

 幾分か慌てているようだが、無理もない。ターゲットを目の前にしているのだ。それでも半ばむりやりに僕が持つと、彼女は「……ありがとう」と顔を赤くして呟いた。どうやら、相当頭にきているらしい。

 彼女の狙いが何なのか。僕の命か、陥れたいのか、それとも単なる監視なのか。まずはそれを探る必要がある。もちろん、敵意は押し隠して、さりげなさを大事にした。勘づかれたら一巻の終わりだ。

 何せ、命がかかっている。


 *


 その一方で、諜報活動も怠らない。友人づてに彼女に関する様々な情報を得ることに労力は惜しまなかった。無論、僕や彼女の真の思惑は伏せてある。僕の問題に彼らを巻き込むわけにはいかないし、敵の手の者でないとも限らない。抜かりは許されない。

 運よく、ほとんどの聞き込み対象者が協力的で、穏やかな表情で情報を語ってくれた。彼らの「がんばれ」「応援している」という言葉は、間違いなく僕の活力となるだろう。

 彼女に近づく者――特に男――にも注意を配らねばならなくなった。いつ、僕の暗殺計画についての謀略会議をしているか知れたものではない。

 さすがにやりすぎだと思い始めたのだが、クラスメイトやその他の関係者からも生暖かい目で見られるだけだった。どいつもこいつも呑気なものだ、僕はこんなにも緊張する毎日を過ごしているというのに。

 何せ、命がかかっている。


 *


 水面下での攻防が続いたある日、彼女から手紙で呼び出された。放課後、一人で教室に来いと言う。まさか、僕が彼女の真意に気づいているのがばれたのか。とぼけても仕方がないので出向く他にはないだろう。果し合いとは予想の斜め上をいってくれたものだが。

 時間が少ない中、僕は頭をめぐらせた。なぜ、わざわざ二人きりの状況を作ろうとしているのか。翌日の教室に僕の死体が転がっていたら、真っ先に疑われるのは最後まで残っていた彼女のはずだ。もしや、アリバイ工作やトリックでも仕込まれているのだろうか。僕は、罠にはめられたのかもしれない。生まれて初めて、嫌な汗というものをかいた。

 何せ、命がかかっている。


 *


 しかし、今更引き返すわけにもいくまい。毒を食らわば皿まで――僕が教室のスライド式ドアを開けると、窓から覗く夕暮れを背景に、彼女が立っていた。

「急に呼び出してごめんね」

 謝罪から始まり、しばらくはとりとめもない雑談を続ける。油断させてブスリといくつもりなのかと密かに警戒していると、彼女の醸し出す空気が変わり、

「私と、おつきあいしてください」

 緊迫した場面にそぐわない発言をした。

 唐突な告白に危うく意識を失いかけたが、待て、これは動揺を誘う罠だ。マインドセットを済ませている僕はこのような事態にうろたえたりはしないのだ。

 つまり僕に近しいポジションに入ることで僕をいつでもどうにでもできるようにしておくというのが真意だろう。しかし、それは諸刃というものだ。

「俺こそ、よろしくお願いします」

 相手が常に俺を監視できるように、俺も相手を監視することができるのだから。喰うか喰われるか――危険な賭けだが、勝算がないわけではない。そして、負けるわけにはいかなかった。

 何せ、命がかかっている。


 *


 寄り添う口実のできる関係を装うようになってから、連れ立って外出する機会も徐々に増えていった。俺はその度に周囲から狙撃されないものかと気を配っていたが、一向にまだ見ぬ敵がしかけてくる気配はない。彼女は単独犯である可能性が強くなってきた。

 ある日遠出をすると、彼女が始めて弁当を持参してきた。どうやら、俺に食べさせるつもりらしい。

 毒が盛られていないかどうか疑うのは基本だ。人目につく場所で、彼女が犯人と推測できる凶器を使用することはありえない。この弁当に毒は仕込まれていないと判断して問題ないだろう。

 読みは完璧だ、恐れる必要はどこにもない。俺は覚悟を決めて、弁当箱の玉子焼きを口に運んだ。

 甘い。

 これは、塩ではなく砂糖が使われているのでは。そう指摘すると彼女はひったくる勢いで玉子焼きをほおばり、一言。

「……ほんとだ」

 ひどく落ち込んだ。しかし懲りてはいないようで、

「次はちゃんと作ってくるから、また食べて?」

 なるほど、これは長期戦に入ったと解釈していいだろう。この甘い玉子焼きを食べさせ続け、俺を糖尿病で死なせる――先の長いような話だが、プロバビリィと完全犯罪は紙一重だ。逆に言えば、俺にも猶予がある。それまでに対策を講じねば。

 何せ、命がかかっている。


 *


 彼女と行動を共にするうちに、ふと、彼女の任務は俺の抹殺ではなく、単に俺の行動を監視するだけではないのかと考えるようになった。それというのも、彼女はいつまで経ってもアクションを起こさないからである(料理も甘くなくなった)。季節はもう冬――大学受験が迫りつつあると同時に、高校にいられるタイムリミットも近づいている時期でもあった。

 周りの空気に流され、彼女と顔を合わせる場所も教室か図書室に限定されるようになった。その上、教科書とにらめっこをする時間の方が長いので、交わす言葉も激減。そして、俺が彼女にだけ気を配る余裕がなくなったように、彼女の俺に対する注意が弱まった。

 もう彼女は俺の暗殺を諦めたのだろうか。いや、単に彼女も受験勉強に忙しいだけかもしれない。事が済めば、いつ襲撃されるかわからない緊張感が戻ってくるだろう。最後の最後まで気を抜くわけにはいかない。

 何せ、命がかかっている。


 *


 高校生活はつつがなく終了し、俺は希望通り小都会の大学へ進学及び一人暮らしをすることが決まっていた。彼女は地元の大学に進学するらしい。

 俺は追い込まれたら真価を発揮するタイプの人間だったようで、本来なら乾坤一擲のレベルだった第一志望の試験に余裕を持って通ることができた。彼女との緊張感に満ち溢れた日々が身を締めてくれたのかもしれない。しかし、その緊張に疲れ気味であり、一度離れて勘が鈍っていた俺にとって、彼女と距離を置くことは願ってもない機会であった。今戦ったら殺られる。

 出発の日に二言三言交わして、それを境に、俺はあの暗殺者と離れることになった。見事に、平穏を勝ち取ったわけである。

 もちろん野放しにしておくわけではない。携帯電話を利用し頻繁に連絡をとることで、不穏な動きを見せる隙がないようにしている。彼女を単独犯と断定した今では、大した脅威にはならないのだが。

 そんな生活が続くうち、俺はふと気づいた。

 要注意の人物が遠くにいるのは、とても不安なことだ。見えない場所で何事かを企まれるよりは、見える場所で工作してもらった方がまだ楽のような気がしてならなかった。異常な思考だとは知りながら。

 お盆に故郷へ戻ったとき、久しぶりに会った俺にくっついて回る彼女を見て思った。やはり彼女には、目の届くところにいてもらわないと困るのだ。だが、それを安易に提案するなど論外だ。

 何せ、命がかかっている。


 *


 ひたすら緩く身の入らなかった大学生活が終わりを告げ、俺はとある企業の内定を何とかもらい世間様に顔向けできる人生の軌道に乗ろうとしていた。それはともかく、俺にはずっと決めあぐねていたことがあった。

 彼女の件だ。

 これ以上目の届かないところにいられたら、俺は駄目になるかもしれない。四年のうちに、その疑いは確信を伴ったものへと変化していた。

 常在戦場――今まで俺を奮い立たせていたのは、ギリギリの状況にあるというスリルだった。彼女という明確な敵がいたからこそ、今の俺があると言える。

 その俺が出した答えは、給料三ヶ月分の指輪だった。俺は、あえて危険と隣り合わせに生きる決意をした。

 苦肉の策ではあった。同時に、分の悪い賭けでも。しかし、俺の力を最大限に引き出す環境を築くには、彼女との間に走る緊迫感が必要不可欠なのであった。それは、彼女も同じだろうと。

 そして彼女は、俺の賭けに乗った。

 これから俺を見舞う困難は、とてつもなく強大なものばかりであろう。

 何せ、命がかかっている。


 *


 大安吉日、俺と彼女は教会にいた。

 ここまでこぎつけるのには数多くの障害があった。

 最大のものは彼女の父親だ。某シンガーソングライターのファンであるらしく、娘を奪っていく俺は一発殴られた。しかしどうということはない。殺されるのに比べれば、この程度の痛みなど心地よいくらいだ。その後、土下座して「娘をよろしくお願いします」などと言うのだから、父親というものはよくわからない。

 新居――俺の小都会での自宅だが――への荷物の配送や、その他諸々の手間のかかる作業を経て、ようやく結婚式である。これで偽装なのだから笑えてくる。

 そして俺たちは神父の前で永遠の愛を誓った。偽装だが。しかし新婚生活については、途中で俺が始末されるようなことなく、末永く続けばいいと思う。

 何せ、命がかかっている。


 *


「専業主婦になろうかな」と彼女は言ったが、家などに閉じ込めたらそこに要塞を築かれてしまう。それは避けねばならないので、共働きを提案した。どうやら俺を追撃するつもりだったらしく、彼女は小都会の職場に内定をもらっていたのだ。やはり侮れない。

 言い出した手前、家事には積極的に参加した。買い物も時間があれば俺がスーパーに寄ったし、掃除や洗濯も探り探りで習得した。お互いが不慣れだったのが幸いし、俺と彼女は家事の分担に成功したのだ。これで、家そのものを占領されることは避けられた。俺の陣地だって半分くらい残るだろう。敵に家のことなど任せておけるはずがないのだ。

 何せ、命がかかっている。


 *


 おしどり夫婦などと呼ばれる結婚生活が続き、数年の時が流れた。その中で、もはや打つ手なしと諦めてくれたのか、彼女は私に対してあまり注意を払わなくなった。子供ができたことも関係しているのだろう。最近は赤子につきっきりだ。

 子供を味方に引き入れられてはかなわないので、当初は私があやすこともあったが、彼女が育児休暇をとってからは大部分を任せている。このまま子煩悩になってくれれば、私の寝首を掻く暇もなくなるだろう。万々歳だ。

 その一方で、私は彼女が敵でなくなったことに微かな不満を覚えていた。これでは当初の目的が果たせない。何にせよ、私の中で彼女の注意レベルは「敵」から「妻」に格下げとなった。


 ところで私は、新たな敵との攻防を同時進行させていた。今度私の命を狙っているのは、会社の同僚である。何かと不出来な彼女のサポートをしているうちに、彼女は暇さえあれば私の様子を窺うようになっていた。

 私は即座にそれを察知し、迅速に対処に移っていた。妻を相手に経験済みなのだから、二度目は楽なものだ。もう何度も二人きりで飲み屋に通っている。企みを露呈するのも時間の問題だろう。

 妻は構ってくれなくなったとぼやくが、私にはやらねばならないことがあるのだ。

 何せ、命がかかっている。


 *


 その日も帰りが遅くなった。新たなる暗殺者はとても粘り強く、なかなかボロを出してくれないのだ。その手強さが、私に新たな緊張を与えていることに薄々気づいていた。最近、彼女との会合が癖になりつつある。私の注意は、同僚の女性にばかり向かっていた。

 だからこそ、妻に包丁を突きつけられる事態を招いた。

 かつては過敏なほどに気にかけていたが、それは彼女が私にいつ何をしかけてくるのかわからなかったからだ。妻として味方に引きずり込んだ今では、注意レベルの低下は避けられないことだったのだ。

「浮気してるんでしょ」

 ソンナワケナイ、カンガエスギ、ドコニショウコガ。常套句を並べて必死に説得した。彼女は憮然とした表情を崩さなかったが、とりあえず刃物は控えてもらえた。

 その後も根気強く話し合い、どうにか和解することができたが……これは、とんでもない大失態だ。

 私がバカだった。よく思い出してみろ、彼女は、私の命を狙っていたのではないか。味方を装い油断させておいて息の根を止める、そんな初歩的な戦術にかかろうとは。彼女は、本当に侮れない。同僚の女性に対する緊張など一気に解けてしまった。

 何より「妻」を味方だと思い込んだのがそもそもの間違いだ。本当に味方であれば、結婚生活が「人生の墓場」なんて殺伐としたものに喩えられるはずがない。

 とにかく私はこれから、妻に全身全霊で注意を向けねばならなくなった。だいぶブランクはあるが、あの日々をもう一度送れるのなら、むしろ望むところですらある。結婚は人生の墓場。願ったり叶ったりだ。

 ふと、愛とは、この緊張の耐えない関係こそを言うのかもしれないと思った。


 何せ、命がかかっている。

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― 新着の感想 ―
[一言] スラスラっと読みやすく、背景もしっかり入ってくる内容でした。素晴らしいです。
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