第五話 『魔族』
俺は体を冷やす冷気に覆われ、どこか暗い場所で目を覚ます。
周りを見渡すと、石造りの壁や、鉄格子が見える。
「……そっか。捕まったのか」
俺はあの後男たちに対して出来る限りの魔力をぶつけたところまでは覚えているのだが、そこから先は気絶してしまったのか覚えていない。
覚えていることと言えば……。
「……おばあちゃん」
……アマンダが、死んだ。
俺は前の世界で一度祖母の葬式に出たことがあるため、誰かの死にはもう慣れたつもりだった。
それに、彼女に情けない姿を晒すわけにはいかなかった。
だけど、冷静にそのことを理解すると頬から零れ落ちるものがある。
「……駄目だ。やっぱり、一人なんかじゃ……!」
俺は、また誰かを守ることが出来なかった。
力を手に入れたのに。それでも、俺は前の世界の時と変わることはできなかったのだ。
「……クソっ!」
俺は怒りに任せて拳を壁に打ち付けようとすると、腕にのしかかる重圧に気付く。
それを見ると、そこには鎖で重しにつながれた俺の右腕があった。
その時の鎖の音で気付いたのか、あの時の男が鉄格子の扉を開けてこちらに歩み寄ってくる。
「……おはよう、少年。元気か?」
「この鎖を外せ! じゃないと……!」
「じゃないと、どうするんだ?」
俺は両手を動かせる範囲で前に突き出し、氷柱を作ろうとするが、魔力が鎖でせき止められているかのように一切両腕に流れてこない。
「その鎖、魔力を封じ込める力があるんだよね」
「……ふざけるな! 今すぐ外せ!」
「外す理由がないだろう? まあ、今は無理でもしばらくしたら外してあげるからさ」
「どういうことだ……?」
「こういう事」
俺の時にこたえるように男が懐から注射器を出す。
その中には、緑色の液体が半分くらい入っていた、
「少年、『魔族』って知ってる?」
「……知らない」
「そか。じゃあ教えてあげるよ。キミ、魔力って言葉は知ってるよね」
「馬鹿にするな、それくらいは……!」
「じゃあ、何の略?」
俺は小さいころから魔力という言葉は知っていたが、何かの略語だとは初めて聞いた。
言葉に詰まる俺を愉快そうに口角を吊り上げる男。俺はその表情を見て、不快感が背中を這いまわるのを感じた。
「『魔族の力』。略して、魔力」
「……だから、魔族って何なんだよ!」
「数千年前に人間が滅ぼした高い知能を持つ生物たち。おっちゃんたちはね、そいつらのことが大好きなんだ」
そう嬉しそうに話す男の目に、俺は狂気を感じ取った。
本能が、「こいつはやばい」と語りかけてくるが、鎖のせいで逃げられない。
「だから、この世界にまた蘇らせようと思うんだ」
「そんな事が……!」
「出来る。この注射があればね」
男はニヤニヤしながら注射器の中身の液体を揺らすようにゆっくりと左右に振る。
「この注射はね、魔力を増大させる薬なんだ」
「それを打って、どうするつもりだ!」
「わかんないかい? 魔力を抑えきれないほど増大させれば、人間だって魔族になれるんだ。そして、キミはその実験体に選ばれた。素敵な事だと思わないかい?」
そう言って男は立ち上がり、注射器の針をこちらに向けてくる。
「やめろ……! やめてくれ……!」
「妬いちゃうなあ。ホントはおっちゃんがやりたかったんだけどさ、おっちゃんより若い母体でやらなきゃダメなんだってさ」
「来るな! やめろ!」
「本当は、大賢者の孫である『ルーク・フィールハイド』って女の子が良かったんだけど。ルークはルークでも、アイツは男だし姓も違ったからなぁ……」
「ルーク……? そうだ、ルークはどこにいる! ルークには手を出すな!」
「出さないよ。おっちゃんの今の目的はキミだしね」
男はニヤニヤしながら俺の腕に注射を突き刺す。
俺は、暴れようとしたが注射の針が折れないとは限らないので、その光景を黙ってみていることしかできなかった。
「はい、おしまい。それじゃ、一週間後におっちゃんたちはまた来るからね」
「待て! これを外せ!」
「駄目だよ。今外しちゃったら、キミに殺されちゃう。今おっちゃんがいなくなったら、本部は大損失なんだよ?」
「本部……? 本部って、何のことだ!」
「おっと、口を滑らせちゃったねえ。そんじゃ、またね」
男は軽く腕を振り、立ち上がった。
その時……この部屋全体に爆音が響き渡り、どこか豪胆さを感じる男の声が響き渡る。
「オラァ! 積み荷返せや! あれはな、大切なワインだったんだぞ!」
「……あらら。また強いのに会っちゃったよ」
「あ! 居た! おいそこのさえねえ面したアホジジイ! テメエ、人んちの積み荷奪ってタダで済むと思ってねえだろうな!」
「ああ、もうその酒に用事はないから返すよ。ありがとね」
男は鉄格子の扉から外に出ると、もう一人の白髪で長い髪の若い男がその男に歩み寄ってくる。
「『ありがとね』だと……! テメエ、俺がこの件でどんくらい怒られたか知ってんのか!?」
「知らないよ」
「罰として便所掃除一カ月だぞ! この商会の会長が、便所掃除、だぞ! ふざけんな!」
「そうかい、そりゃ大変だ」
「……テメエ、いっぺん死んでこい!」
若い男は怒りに任せて右ストレートをぶつけると、相手の男はそれに耐え切れず吹っ飛んでいく。
「やばいね。こりゃ強い」
「さあ、今から頭下げて俺の代わりに便所掃除をするなら許してやらんこともない! さあ、どうする!」
「どうするって……こうするのさ」
殴り飛ばされた男は立ち上がり、以前のように片手を前に突き出す。
すると、壁になるかのように炎が行く手を断ち塞ぐ。
「アチッ、アチチッ! テメエ。男なら拳で勝負しろ!」
「ごめんね、喧嘩は強くないんだ」
「……クソっ! テメエ、それでも男か!」
若い男は拳を振り上げて怒鳴るが、もう相手の男からの返答はない。
その事を確認してから、男はこちらに振り向いて鉄格子の扉を蹴り飛ばす。
「おい、逃げんぞガキ!」
「え……? どちら、様ですか?」
「あぁ? そんなのどうでもいいだろうが! 早く行くぞ、てめえの女はもう外にいる!」
「でも、鎖が……!」
「ああ、もう! 男なら拳で壊せ!」
若い男は苛立ったように拳で鎖を殴りつける。
その言葉通り、鎖はひびが入り、そのまま砕けた。
男はそれを見てから頭をかき、俺を背中におぶさる。
「行くぞ、もうここに忘れもんはねえよな?」
「……はい!」
「それと、ワインは回収していく! あれがなきゃ、俺は便所掃除どころじゃすまなくなる!」
男は雄叫びを挙げながら走り出す。
彼は俺をおぶっているのにも関わらず、ワインの入っている箱を片手で持ち上げると、すさまじい速さでこの地下牢を駆け抜けていく。
俺はその背中に、少しだけ安心感を感じていた。
これが、俺と会長の初めての出会いだった。