第四話 『祖母』
俺とアマンダはそのあとルークを家に担ぎ込み、目に見える擦り傷に薬を塗って包帯を巻いてからからしばらく寝かしていた。
俺はいつか『親を大切にしているか』について彼女から聞かれたことがある。それに含ませた意味がこれなのなら、気付いてやれなかった俺は彼女に合わせられる顔を持っていない。
「……んう。センリ? 何で……どうしてここに?」
「ルーク、今はじっとしてないと駄目だよ」
「え? 父さんは? 自分は何故ここにいるんだい?」
「落ち着いて。順を追って話していくから」
俺は起き上がろうとするルークの肩を抑え、ゆっくりと話し始める。
ルークの様子はというと、口調自体は落ち着きを持って接していたが、表情に明らかな焦燥の色が見えた。
「……ルーク、俺達はキミの養父である『ダーラ・ガレシア』からキミを引き取ることになった」
「え? それは、どういう事……かな?」
「それからは私が説明するよ」
俺が言葉に詰まってるとアマンダが柱の陰から現れる。
「初めまして、あたしは『アマンダ・フィールハイド』。ルークの祖母だよ」
「……初めまして、『ルーク・ガレシア』です」
「初めまして。ケガの調子はどうだい?」
「……もう痛みはありません。ありがとうございました」
「そうかい? そりゃよかった」
アマンダは嬉しそうに目を細めてルークを見つめる。
ルークはというと……どちらかというと、アマンダを警戒している様子だった。
「それと、敬語は使う必要はないよ。今日からはこのアマンダがルークのおばあちゃんになるんだ」
「どういう、事ですか……?」
「もうダーラの馬鹿に顔を合わせる必要はないってことさね。ここが、今日からアンタのうちだよ」
アマンダの言葉に普段は冷静なルークの動揺が見て取れた。
そして、しばらく彼女は黙ってアマンダを見つめているとその二つの瞳から涙が零れ落ちていた。
「おばあ、ちゃん……?」
「どうしたんだい? ルーク」
ルークは零れ落ちている涙を必死に手で隠そうとすると、アマンダはそんな彼女を優しく抱きしめる。
「大丈夫。もう、大丈夫だからね……」
「おばあちゃん……! おばあちゃん……!」
アマンダの腕の中で泣き続けるルーク。俺はこの瞬間にやっと彼女の事を理解することが出来た。
彼女は、ずっと耐えてきたのだ。自分の中の少女を殺して、大人に振舞っていたのだ。
それが、やっと今日崩れる日が来た。
「センリ……これから、よろしく……!」
「うん、よろしくね!」
ルークが家族になった日から数年が経ち、俺は7歳、ルークは9歳になっていた。
不思議なことに、俺たちの姓は統一されることはなかった。アマンダ曰く、『心でつながってりゃもうそれで家族』らしい。
ダーラはというと、あれから一回もその姿を見ていない。ルークも最初の内は連れ戻しに来るのではと怯えていたが、そんな気持ちも次第に薄れていったように思えた。
「センリ、センリ?」
「……え?」
「聞いてたかい? 薬草取り終えたんだから、そろそろ帰るよ」
「……そっか。薬草取りに来る途中だったな」
「途中じゃなくてもう終わったんだよ。」
……ルークが指摘した通り、彼女の持っているかごにはたくさんの薬草が入っていた。
俺は草原から立ち上がり、尻を軽く払う。
「それよりもそろそろ帰らないと日が暮れちゃうんじゃないかな?」
「そうだな。それじゃ帰るか」
俺達がいつも通り薬草のいっぱい詰まったかごを持って帰宅している間、俺たちはたわいのない話を繰り返していた。
「今日の夕飯は何か?」という話題や、「アマンダは何歳なのか」なんて話題だ。
だが、その日は圧倒的にいつもと変わってしまっていたのだ。
「家が、燃えている?」
ルークのその一言によって、俺たちの日常は変貌した。
「センリ、走るよ!」
「え? ちょ、待てよ!」
俺は急に走りだしたルークの背中を追いかけるように走り出す。
その日より、自分の足が遅い事を呪ったことはないだろう。
しばらく走り続けていると、俺たちの家が見えてくる。
炎によって原形を保てなくなっている俺達の家が。
俺達は言葉も出ず立ち尽くしていると、不意に後ろから男性の声に話しかけられる。
「よ。お前たち、ここの人?」
俺はとっさに振り向くと、そこには白髪の混じったさえない中年の男が立っていた。
その男は感情のこもっていない目で、ただこちらを見つめている。
「……あなたは誰ですか?」
「悪いな。話したらおっちゃんが怒られちまう。だから、一つだけ教えてやるよ」
男は口角を不自然に片方だけ吊り上げると、両手をポケットの中に入れる。
「おっちゃんは、多分君たちの敵だ」
その言葉を合図にしたのか、どこからかさら覆面した人間が現れ俺たちを囲うように立ちふさがる。
「ルーク、俺が隙を作るから、その隙に走れるな?」
「……え? なんて言ったんだい?」
まるでさっきまでの話を聞いていなかったかのように聞き返すルーク。
その目には、燃えた家しか映っていなかった。
「いいから、走れ!」
俺は両手を前に突き出し、先程の男に向けて氷柱を飛ばす。
俺はアマンダやルークに魔法を教えてもらったおかげで、氷柱を一日に十発まで作ることが出来るようになったし、それを放出することも教えてもらった。
しかも、形はいびつだが、腕を前に突き出さずに氷を作り出すことが出来る。
だが、その氷柱は男にたどり着く前に溶けてしまった。
「少年、悪いな。誰も逃がすわけにはいかないんだ」
「まだまだ!」
俺はもう一度両手を前に突き出して氷柱を作り出す。
その後ろに、三個の氷も同時に生成し始める。
「すごいねえ。おっちゃん、驚いちゃったよ」
男は感心したように顎に手を添えてニヤニヤする。
俺はそんな男の顔に一撃でも与えるためにすべて放出する。
「そうだね、キミなのかもしれない」
男はその氷を軽く片手ではじくと、そのまま俺の目を見る。
「ちょっと眠っててもらうよ」
男はそうつぶやいて俺に向かって歩いてくる。
それを迎え撃つために氷を作り出そうとするが、頭が割れそうなほど痛いため、集中することが出来ない。
「……その子たちから離れてもらおうか」
「あらら。強いのが来ちゃったよ」
聞きなれた声が耳に入る。
それと同時に飛んできた氷柱が、俺を取り囲んでいた人間に正確に命中する。
「まだ生きてたんだな。燃やされて死んだのかと思った」
「はっ、氷属性が燃やされて死んだら世話ないね」
「おばあちゃん!」
俺は茫然自失になっているルークに聞こえるように叫ぶ。
ルークもそれが聞こえたらしく、嬉しそうに顔を上げる。
「さ、今のうちに逃げなさい」
「悪いけど、それはさせない」
男はそう言って片手を横に突き出すと、俺たちを囲うように炎が燃え広がる。
「そして、これで終わりだな」
「……え? なにを、するんだい?」
急に男に首根っこをつかまれたルークが驚いたように男を見つめる。
それを見て愉快だったのか、また不自然に口角を吊り上げ、彼女ののど元にナイフを突きつける。
「うん。そういう事だから、とっとと死ね」
「……ルーク!」
「少年、お前もだよ。さっさと地面に膝をつけて頭の後ろに手を回しな」
「やめろ! 殺すんだったら、俺だけを殺せ!」
「うん、駄目だね。この婆さんを生かして置いたら、多分俺が安心して眠れない」
「クソがァ!」
俺は地面に拳を打ち付ける。
そして、男の言う通りに地面に膝をついたところでルークが冷静につぶやく。
「……殺していいよ」
「え?」
「もう、いいんだ。おばあちゃんも生きてたし、それが知れただけでもう幸せなんだ。友達も守れるしね」
「うーん……キミ、俺の話聞いてた? 俺はキミの生死なんてどうだっていいんだ。俺はね……」
男は話を途中でやめると、いつの間にかアマンダの後ろに立っていた覆面の人間にナイフで腹を貫かれる。
「ガ……ァッ!」
「こいつを殺さなきゃ安心して暮らせないのよ」
「おばあちゃん!」
アマンダは立っていられなくなったらしく膝から地面に崩れ落ちる。
俺はそんなアマンダの姿を見て、立ち上がろうとするが男はそれを見越していたらしく、俺の足を思いきり踏みつける。
俺はどうすることも出来ずアマンダを見つめていると、彼女が独り言のように話しかけてくる。
「……センリ、よく聞きな。あんたは、本当はこのババアの子じゃないんだよ」
「……知ってたよ。もう、とっくに」
「でもね、本当のアンタの父親は……まだ、生きている」
「え……?」
俺は予想外の言葉に返す言葉が出なかった。
父親が、生きている……? どういうことだ、俺は捨て子じゃないのか?
「だから、アンタの父親に……『アルフレッド・ブリュンスタッド』に、このババアが死んだことを伝えに行きな」
「……おばあちゃん」
「もう、大丈夫だよ。センリは、弱い子なんかじゃない。一人だって十分にやっていける」
「……わかったよ。絶対に見つける」
俺はアマンダに微笑みかけると、アマンダもこちらにむけて微笑んでくれる。
だが、ルークだけはアマンダの死を受け入れようとはしていなかった。
「やだよ、おばあちゃん……! いかないでよ!」
「……ルーク。あんたと過ごした日々は、私にとって大切な宝物だよ。だから、泣かないで……笑って、見送っておくれ」
「出来ないよ、そんなの……! 一人にしないでよ!」
アマンダはそんなルークに困ったように苦笑を浮かべる。
自分の腹を抑えながら、あやすように微笑み続ける。
「大丈夫。アンタは一人なんかじゃないさ。センリがいるだろう?」
「でも……おばあちゃんが一緒じゃなきゃ嫌だ!」
「……おばあちゃん、か」
アマンダは最後に寂しそうに微笑み、一つだけ呟いて地面に倒れた。
ルークはアマンダの最後の言葉が聞き取れたようだが、俺には燃え盛る炎のせいで良くは聞こえなかった。
ただ、『ルーク・フィールハイド』。そう聞こえた気がした。