第十二話 『紅き月』
俺は夜の街を一人歩いていた。
どこか……この街には、なにか秘密があるのではないかと思ったからだ。
勿論、確証はない。だが、この街の様子はおかしい……と言わざるを得ない。
この街の月明かりは、草原の上にある月とはどこか、現実味を帯びていた。
手を伸ばしても届かないと、はっきりわかるような現実味が。
街には何一つ人影すらなかった。
しゃべり声も明かりも、何一つ。
夜もある程度騒がしいクロフォードと比べて、とてつもなく寂しい印象を受けた。
俺はそんな中誰かを探して歩き始める。
それを止めるように強い向かい風が吹くが、気にせず前を進む。
ある程度進んでいると、ふと嫌な予感……というか、本能がこれ以上進むことを禁じてくる。
だが、俺はこの先へ進む足を止められない。何故だか、止まらないのだ。
しばらく歩き続けると、不意に空が赤くなる。
上を向くと、ぼんやりと紅い月が浮かんでいた。まるで、この世のものではないように。
俺はそのおぼろ月に頭をやられたように、定まらない視界で前を歩き続ける。
しばらく歩き続けていると、人の話し声が聞こえてくる。
その話声の数は、一つ、二つ……いや、数百は優に超えている。
そのいずれも楽しそうで、笑い始めたりふざけておどけている者もいる。
俺はそれを見て、本能に反し『楽しそう』と思ってしまったほどだ。
しばらく見惚れていると、俺の肩をたたき見知らぬ男が笑顔で話しかけてくる。
「キミも、紅い王子様の謁見を許された人かい?」
「……?」
「隠すことはない。紅き会話を託されたものなら、心で通じ合うと太陽の彼も言っていた」
……何を、言っているんだ?
しばらく考え込んでいると、その様子が面白かったのか急に男が声をあげて笑いだす。
「ふはは。そうか、花吹雪の案内人か、キミは。それならば、キミこそ水平線を託された教皇だ」
「……何を、言っているんですか?」
「いや、地平線だって彼を受け入れた。ならば、教皇もとなるのが道理だ」
不味い、話が通じない。
それにこの男は俺に話しかけているのに、視点は月に向かっている。
俺は肩に乗せられている腕を振りほどき、逃げるように走り出す。
怖い。怖い。怖い!
だが、男はそんな俺の姿も愉快に見えるようで、笑いながら追いかけてくる。
「そこから先は水平線を超えた、はるか万里の真理を超えた宇宙が作り出した! 今なら、彼ならば受け入れてくれる」
恐怖で声も出ない。
とにかく、逃げなくては……!
そう思って走り続けていると、今度は違う人だかりにぶつかってしまう。
その人だかりを避けようとすると、また違う人だかりが目の前に現れる。
俺はあまりの恐怖に膝がすくみ、その場で膝をついてしまう。
俺は、ここで死ぬのか? それに、水平線の教皇? 何を言っているんだ?
そう思って一生懸命肩で息をしていると、その肩に後ろから腕で捕まれる。
「うわあああああっ!」
「わっ! ビックリしたな。驚かさないでおくれよ」
「……え? ルーク?」
「そうだけど、どうかしたのかい?」
俺は見慣れた彼女を見て、少しだけ落ち着く。
まず初めに気付いたのは、俺は物凄い汗をかいていたこと。そして、紅い月はもうどこにもなかったこと。
月を見上げると、ただ静かにぼんやりと浮かんでいた月に戻っていた。
「なんでだ? これも、太陽の彼とかいうやつの仕業……?」
「……何を言ってるんだい? それに、なんでそんなに息を切らしてるの?」
「俺は、水平線の教皇なんかじゃないよな!? 紅き会話って……それに、太陽の彼って……!?」
「落ち着いておくれよ! なんだか今日のセンリ怖いよ……?」
「そうか、そうだよな? 俺はセンリ・ブリュンスタッド。オックスフォードの犬なんだよな!?」
「それ以外に何があるんだい!? 痛いよ、離して!」
俺はいつの間にか力任せにルークの肩を掴んでいたようで、急いでそれを離す。
「……ごめん。なんでもない」
「……本当にどうしたんだい? 何か、嫌なものを見たとか……?」
「嫌なもの……」
『見た』。何故かその一言が俺には言えなかった。
嫌なものだった。変なものだった。それに、どこか気持ち悪かった。
叶うのなら、もう二度と見たくない。
何も答えない俺に違和感を感じたのかルークが顔をのぞき込んでくるが、それでも俺は何も答えられなかった。
しばらく沈黙が続いていると、どこか涼し気な、聞いたことのない少女たちの声が響く。
「彼は見たの」
「彼は触れました。人間の夢という狂気に」
俺が立ち上がりその声をする方を見ると、二人の銀髪の少女が、こちらを見つめていた。
どこか、先ほどの男のように焦点が会っていないように感じる目で、こちらを見つめていた。
「初めまして。『シュガー』と」
「『ミルク』です。以後、お見知りおきを」
「……キミたちは、彼をこんな風にしたのかい?」
「こんな風、とは?」
シュガーとミルクは同時に首をかしげて、訳が分からないといった風にこちらを見つめる。
その目には、どこかもう正気はないような気がした。
「彼は魔族として目覚め始めたの。私たちはその後押しをさせていただいただけ」
「あとは彼自身の意思ですが、抑えることはできても止めることはできません。いつか、必ず魔族になります」
「……何を言ってるのかわからないよ」
俺も何を言っているのか分からないが、一つだけわかっていることがあった。
こいつらは、敵だ……!
「気付かれたの」
「流石魔族様。勘が鋭いですね」
俺は肩にかけていた鞄から武器を手に取る。
俺の武器。それは……『盾』だ。
「盾、なの」
「そのような武器では、私たちは倒せませんが」
「ちょっとセンリ! どうしたんだい?」
「下がってろルーク、こいつらは危険だ……!」
俺は盾の先端に氷の刃をつけると同時に、その二人に切りかかる。
だが、その攻撃は簡単に躱され、そのまま地面に突き刺さる。
「力任せでは当たるものも当らないの」
「この程度ですか。ガッカリです」
「まだまだァ!」
俺は地面に突き刺さった氷を砕き、また新しい氷を盾に装備する。
「なんと」
「凄い判断力。先ほどの言葉、訂正します」
感嘆に満ちた少女二人の声を無視して、そのまま切りかかる。
すると、今度はシュガーの方に少しだけ手ごたえがあった。
「お見事なの」
「流石は魔族様。ここまで成長なさっていられるとは」
「だけどここまでなの」
「私たちは魔族様の実力を測りたっただけですので。それでは失礼します」
「待て、まさか逃げる気じゃ……!」
俺が手を伸ばして二人を制止しようとすると、いつの間にか彼女たちは消えていた。
俺は彼女たちの気配が完全に消えた後、茫然としているとルークに話しかけられる。
「センリ、彼女らは一体……? それに、魔族様って……?」
「わからない。……もしかしたら、この街の裏に何があるのかもしれない」
俺は盾を鞄にしまうと、城に向かって歩いていく。
それを見送るように、空の月は夜空に浮かんでいた。




