わんわんそり犬レース in 新大陸(前編)
ヒグマーとの休戦。
そして、狂犬病の騒ぎが終わり。
疲労が溜まっていた私は、軽く風邪をひいてしまいました。
大騒ぎになる犬人達。
ジョゼ様の診断で、海を渡るのは体力が全快してからということになり、リーゼロッテ大陸にしばらく留まることになりました。
新年もここで迎えることになりそうです。
そこでテレサさんが、私の世話に渡ってきてくださったのです。
そしてせっかくの機会ですからと、新大陸の多くの文化を学び、人々と交流をしていた時の、出来事になります。
『陛下、そり犬レースをやりますよ』
私の足下にお座りしている大型犬。
珍しくやる気に満ちあふれたラスカル様が提案してきました。
耳としっぽをぴんと立て、キリリと私を見上げています。
彼はマラミュート一族特有のボリュームのある白と黒の毛皮に雪玉を付け、白く縁取りされたアーモンドの目はキラキラと輝いておりました。
「マラミュート卿。雪遊びの後は、ちゃんと毛についた雪玉を取ってから入室してくださいな」
私の横で編み物をしていたテレサさんが注意します。
ラスカル様は『おっと失礼』と四肢を踏ん張り、ぶるぶると体を震わせますが、小さいけれど山のように密集した玉はなかなか取れません。
私は手元の編み棒をテーブルに置き、椅子を降りました。
しゃがみ込んで、ポケットに入れておいたコームでラスカル様の雪玉を取って差し上げます。
「それにしても、どうしてそり犬レースをすることにされたのですか?」
『カイトナに負けたくないのです』
せっせと梳く私の手に、うっとりとされながら答えてくださるラスカル様。
その横で、テレサさんが編み棒に留め具をつけて、バスケットにしまってくださっています。
誰ですか。
私の編んでいる靴下を雑巾とおっしゃる方は。
カイトナとは、リーゼロッテ大陸の北方出身の部族の方たちです。
古い文献には「馴鹿人」と表記されています。
雪にめっぽう強く、戦争が激化する前までは、ヒグマーの領域からは少し外れたところ、ツンデレと呼ばれる土地に住んでおられました。
そして彼らも変身人種です。
動物に変えた姿は、鹿人とよく似ています。どうやら遠縁らしいです。
しかし、大きな違いは角。
彼らは女性でも立派な、丸みを帯びた角が生えるのです。
ちなみに胸元のもっふりとした灰褐色の毛もチャームポイントです。
前に一度触らせていただきましたが、指通りもよく、大変心地の良い毛皮でした。
そして、彼らには大きな特徴があります。
蹄が大きく、「雪や泥に簡単には沈まない」構造になっているのです。
その利点を生かし、彼らは自治領リーゼロッテの中で運搬の仕事を主に担っております。
雪が深く、ケンネルの「車」が走りにくいところでも、カイトナは大きなそりを引き、あらゆるところを移動できるのです。
それを見て刺激を受けたのが、そり犬に一言ある方々。
主に、冬の運搬犬としても歴史を刻んできた一族の方たちです。
マラミュート一族。
ハスキー一族。
サモエド一族。
彼らは雪原や氷原を駆け抜ける、プロのそり犬を多く輩出してきました。
特にマラミュート一族とハスキー一族。
彼らはカイトナの方が雪原で軽やかにそりを引く様子に、対抗心をメラメラと燃やしたのです。
職人犬を多く輩出している彼らはひどくマイペースで、興味のあることしか真面目にいたしません。
しかし、一度はまれば恐ろしいほど執着いたします。
そして彼らにとって、目下一番興味を引いていることは――――そりでした。
目がランランとされているラスカル様は、すでに大会の準備が整っているとおっしゃるのです。
「陛下にはゴールで我らの勇姿を見守っていただきたく」
まあ、開催自体は私の許可がいるようなことではありませんが。
それにしても珍しい、ラスカル様のお姿です。
あふれんばかりのやる気に満ちた、おひげとしっぽ。
それらはぴんと立って微動だにしません。
後ろに控えていたハスキー家のキース様も、「やるぞやるぞ」としっぽをぶんぶん振っておられます。
「……お二人は素敵なそり犬で職人犬。そしてカイトナの皆様は素敵な運搬技術のあるカイトナ。それで良いではありませんか」
「いいえ」
キース様がアーモンドの目を吊り上げて反論します。
これもまた珍しいですね。
「陛下。陛下はどのような犬でも愛してくださることは知っております。ですが、男の沽券は別物です。絶対に、『あいつら』に勝たねばならないのです!」
その言葉の意味は、開催当日に分かりました。
『第一回リーゼロッテ杯 そり引き耐久レース』
庁舎の入口に、大きく横に張られた長い幕。
リンドブルム王はとうにルマニア大陸に帰られているので、杯の名前は私だけです。
踏み固められた雪の大地に集まったのは、防寒具や毛皮でもこもことしたたくさんの国民です。
建物からまっすぐに郊外まで続く大通り。その両側に張られたたくさんの大小さまざまなテント。
見学者の休憩所や、温かい飲食をさせてくださるコーナー。
そしてなぜか目ざとい商人が、怪しげなお土産を運び込んで販売しています。
庁舎を出てすぐのところにピンク色の小さな天幕を張っていただき、そこで私はダリウス様からレースの説明を受けていました。
犬足の丸テーブルと犬足の椅子に座った私。
手にはスイートワンシュと呼ばれる甘い飲み物を両手に持ち、冷たくなりやすい手を温めています。
横にはいつもの通り、コートの上に割烹着を着たレオンハルト様が、ワンシュの鍋を持って立っておりました。
『僕の毛皮は、ダシバの無駄肉なんかに負けないからね』
そして膝には、丸まったマルス様。
じんわり太ももを温めてくれる彼は、どんな湯たんぽよりも効果的です。
ちなみ当のダシバは、純人教もとい駄犬教の教会に大導師と共に遊びに行っており、お留守番です。
そして私の前に一列で並ぶ、立派なカイトナの選手の皆さん。
立派な胸の毛皮。
凛とした目鼻。
その頭の上に輝く、スコップのように長い、先の丸い角。
一番前におられる、片目に眼帯をされたリーダー・アカハナ様が人の姿に変われておっしゃりました。
鮮やかな赤い髪。勝気に吊り上がった赤い目が特徴の、スリムな妙齢の美女です。
「チーム・サンタに喧嘩を売るやつは、王立騎士団だろうが容赦しないからね。陛下、見ててくださいよ。うちらの実力をオタク犬とやらに見せつけてやるからね」
チーム・サンタ。
それは全員女性の運び屋チームでした。
冬のカイトナは、女性にしか角が生えないゆえ、人からの視線の気にするカイトナの男性は動物の姿を取らないのです。
争いのきっかけは何だったのか。
この大陸に来て仕事が終わってから暇になった中央騎士団第四部隊が、うっかり散歩中にカイトナの主食のカイトナコケの上に立ちションをしてしまったかという説。
チーム・サンタの女性が、売店でアイドル犬シリーズを買い求める第四部隊を、「オタクは犯罪者予備軍」と言って大いに馬鹿にしたという説。
第四部隊の誰かが、以前私に下賜されたリボンをアカハナ様に自慢して、「人に見せつける時は奪われるのも覚悟でやりな!」と殴られて毛を毟られたとかという説。
(どれもありそうで怖いです)
それでも両者は、そり引きに対する情熱は同じ。
喧嘩で勝敗を付ければ、互いに納得すると申しております。
ダリウス様が「それではスタート地点に参りましょう」とおっしゃり、天幕の外に出ますと、私の登場に周囲はわっと湧きました。
特に私の格好に。
赤い厚地の長いスカートに、同色のジャケット。裏地が起毛の赤いブーツ。
そして真っ赤な耳当てをして、赤いマフラーをぐるぐると巻いております。
足元のマルス様もお揃いで、赤い胴巻きをされておりました。
先頭を歩くチームサンタのリーダー・アカハナ様もご機嫌です。
『真っ赤で素敵だよ、陛下。まるでサンタみたいだ』
サンタ。
それはカイトナの間に伝わる精霊の一種のことです。
それはとてもふとっちょの老人の姿をしており、赤い服装で身を固め、カイトナたちに守護をしていました。
彼が喜ぶのはカイトナの信仰心。特に子供の祈りを好んでいたそうです。
いつもは木の神殿の中に引きこもって寝ているだけの彼は、一年の最後に、一回だけ外に現れます。
年末に、特別な祝福をカイトナたちに与えるためです。
ロボ様がいつか教えてくださいました。
『なにせ彼は出不精でしたので、歩くのが大嫌いでした。代わりにカイトナで選ばれた猛者たちが引くそりに乗り、彼らを空に飛ばせて土地を掛け回っていたそうです』
サンタが見つけやすいようにと目印にしたのは、ミモという木と赤い靴下。
子供も大人もこの日ばかりは自分の靴下をミモの木に吊るし、サンタの祝福を待ったということです。
いつしか、この習慣は大陸全土に広がりました。
そしてどの部族も、精霊サンタの日には、互いの靴下にプレゼントを入れ合う日という大陸的な行事となったそうです。
アカハナ様はふふんと胸を張ります。
「神話の時代にサンタにそりの引き手として選ばれたあたしたちだからね。体力といい、持久力といい。カイトナに勝てる人種などどこにもいないね!」
『そんなことはない!』
反論されたのは赤いそり紐を体に巻かれたラスカル様。
キース様と共にそり犬こそ最高だ! と説かれます。
にらみ合う両者。
周囲は「盛り上がってきた」と喜びます。
遠くでヨーチ様たち第七部隊の皆さまが、誰が優勝するかを掛ける「犬券」を売り歩いております。
なぜか、義兄も一緒に。
彼は『文官仕事も大切やで。でもいざという時に助かるのは金や。せっかく世界各国色んな商売に触れられる機会があるんや。俺はあちこち手伝いたい』と、上司のレオンハルト様に許可をもらったそうです。
隣で涼しげな顔をしておられるレオンハルト様は、義兄の性質を評価しています。 成長してもっと私を守れる男になれとも、おっしゃっておりました。
(もう十分に守られておりますのに)
それでも私を大切にしてくださる義兄の、心の中で感謝申し上げました。
スタートラインには、他にも見知った方がいらっしゃるようです。
第四部隊の戦車操縦部隊、子犬隊の皆様です。
確か左から順にパグ様、チワワ様、チン様。
『へくちゅん! 隊長、俺らが悪かったですからっ』
『へくちん! そもそも小型犬は一部除いて冬国仕様じゃないんです! 戦うなら戦車! そして戦車の暖房が大切です』
『へっくしゅん! それよか暖炉の前でコタツ王国産のコタツに入ってワカン剥いて食べましょうよ~」
小型犬の多くは、寒さに強くありません。
なので彼らは、犬の姿で足首までの防寒着を着込み、さらには首にマフラーを巻いて帽子まで深くかぶっております。
そして全員、そり紐をしっかりと体に結ばれておりました。
決して、逃げられないように。
私はラスカル様を見下ろします。
すると彼はアーモンドの目を細め、
『トラブルの発端はあいつらですから』
と、おっしゃったのです。
キース様も神妙にお座りをし、「そりを引くことによって、あいつらも心が清まるでしょう」と続けておりました。
スタート位置に並ぶのは、たくさんのそり引きたち。
チーム・サンタ以外にも数多くの参加者。
なぜか犬人は少ないのが気になります。
優勝者には賞金以外に、私の丁寧なブラシもついてきますのに。
斜め前で新大陸側の住民にレース上の注意をしていた、狼犬のリーダーに訊ねます。
「ロボ様は参加されないのですか?」
「私はウルフハウンド団長とともに警備を担当させていただきます。マスティフ隊長たちも、そりには特に興味がないようなので第一、第二部隊で周囲を回ります」
「ダリウス様も? 騎士団の皆様はこういった行事がお好きかと思いましたが」
ルマニアからの参加者に説明をされていたダリウス様は、精悍な顔を堅くして、静かに答えます。
「……周囲の安全を守ることも、中央騎士団の役目ですから」
遠回しに拒絶をした二人は、ある一点に視線を向けておりました。
参加者に結ばれたそり紐の先にある、二人乗りのそり。
その上に置かれた私の人形です。
本来はサンタを模した毛糸人形にするそうなのですが、せっかくのリーゼロッテ杯なので、私を模したものになりました。
可愛らしい赤い服を着た三頭身のお人形。
ただし、リーゼロッテ神を模したお顔で「へのへのもへじてへぺろ☆」となっています。
実はこのレース。
新大陸で行われるそりレースを模範に作っているのですが、評価方法が独特です。
評価項目は、三つ。
・持久力
・速力
・安全な走り
特に安全は走りとは、荷物やそりに乗る人物を、傷つけずに運べる能力のこと。
つまり――――。
下手な運転をしたら判断できるよう、
強い衝撃を与えると、私の人形の首がもげる仕様になっています。
これが理由で、殆どの犬人がレースを辞退いたしました。
優勝したら賞金や私のブラシがあるといっても、心のトラウマになるようなものはやめて欲しいそうです。私もそう思います。
それでもあえて、そり引きとして競いたい方は参加されています。
その主要なチームは以下の通りです。
マラミュート&ハスキー&サモエド組
チーム・サンタ
お騒がせ子犬隊トリオ
アフガンハウンド&白黒犬&ボルゾイ組
「!?」
私はミトン越しに瞼の上を押さえます。
そしてじっと目をつぶり、再び目を開けました。
変わらず彼らはおりました。
スタート位置には、赤茶色の大型犬の頭に乗った白黒犬。
そして後ろにはお座りをしてあくびをする、優雅な大型犬がおりました。
「きゅーん!」
『良かったねチャーリー。これが終わったら温かいスイートワンシュでも飲もうか』
『ホットプリン……』
アフガンハウンド卿が、マゾ様とレースに参加されています。
「ボルゾイ卿はお友達がいなかったはずではないのですか!?」
『リーゼ様。つっこむところはそれ?』
足下で、マルス様があきれた声を出します。
私の横でレオンハルト様が、お玉でホットスイートワンシュのお代わりを用意しながらおっしゃいました。
「白黒犬が『そり犬かっこいいからやってみたい』と言ったから、親バカが叶えたんですよ」
冬の狩りを得意とするプリン狂の美しき一族に、「ワナナむいちゃいましたプリン味を開発してやる」と囁き、足として確保した、とも。
元が取れた天才犬は、頭の上で喜び勇む子供(実年齢ははるか上)を、優しそうに見上げています。
(それにしても、なぜあえてマゾ様を)
ぼんやりと他の選手を眺めている、優雅な大型犬
その理由は、スタートを切った瞬間に分かりました。
レースの目標は、首都リーゼロッテから遙か遠く離れた巨大なミモの木。
別名サンタツリーと呼ばれます。
雪がない時期に歩いても片道半日掛かると言われるその木に向かって走り、ぐるりと一周して帰ってくるのがレースの内容です。
眼下にあるのは、長大な直線のレース場。
私の頭ほどまで積もっている雪を、第四部隊が特別仕様の戦車でならし、雪と氷で踏み固められた道を造ったのです。
ヨーチ様が率いる情報部隊による空飛ぶ戦車により中継で、彼らの活躍は分かるようになっています。
庁舎の横の小さな広場に大きな白い布が張り出され、どういった仕組みかは分かりませんが、映像というものが映し出されているのです。
沿道で応援するもの以外はみなその映像を見に集まり――――。
その中で起きている光景に、絶句していました。
「なんという……」
『あーあ。アフガンハウンド卿に許可なんて出すから』
「よっしゃ! 俺の掛けた犬券が大当たりやな。《誰もゴールできない》枠で決まりや!」
愕然とする私の横であきれるマルス様と、ガッツポーズをする義兄。
白い布に映し出されたのは、死屍累々の犬と、カイトナたち。
雪と氷の上ので繰り広げられるはずの熱い争いは、いつしか目にも当てられない地獄絵図に変わり果てていたのです。