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わんわん泥んこ収穫祭 (リーゼロッテ女王陛下 視点)

 ケンネル王国には、大きな農業地帯がいくつもあります。


 秋が深まると各地で毎年収穫祭が行われます。

 昔は王族を招いた大きなイベントにしていたそうです。


「合唱祭に並ぶ秋の二大祭りですから。特に今年は一都市とはいえリーゼ様が参加されますし、賑やかになりますね」


 テレサさんが私の髪を編み込みながら教えてくださいます。

 そんな私は、なぜか青い作業着を着込んでおりました。


 マルス様が扉の向こうで「リーゼ様まだあ」と訊ねてくるので、テレサさんが「レディーの準備を急かしてはなりません!」と叱ります。

 義兄の「まあまあ、マルス様。あれやで。最近太ってきたから服が入んないんや」と宥める声も聞こえてきます。

 失礼な。私は標準体形です!




 私が参加する収穫祭は、王都から一番近い農業地帯・チカトです。

 一帯では各町ごとに産業が盛んです。

 ある町では高級マメの栽培。ある町ではバウイモの生産量がケンネル一。さらにある町では巨大な放牧地で美味しい家畜が育っています。


 チカトブランドはケンネル王国で一番の人気。

 とりあえず『チカト産使用』と銘打つだけでも売り上げが違うと、わんこ製菓のコンニ・チワワ氏もおっしゃっておりました。


 そしてこの収穫祭の別名は、

『アイアル様! こんなにふくふくになりましたよ祭り』

 だそうです。


 心身ともに健康なわんこを美徳とするわんこ教では、この祝祭は


「たくさん自然の恵みを収穫できました。これらを美味しく調理して美味しく食べて、健康的な犬になります!」


 と、今は亡き初代王アイアル様に報告する行事でもあるのです。


 言い伝えによると、アイアル様はいつでも犬人の食事を心配していたそうです。

 それゆえに、皆様が太ってきた晩秋に行事は行われます。


 併合されたユマニティの住民たちにも、似たような行事があります。

 ただし純人教としては「人智を尽くして天命を待った我々」を互いに祝い合うという認識です。


 純人教徒である文官のアントン様は、ここのところデブデブとしたダシバのポスターが売れていると教えてくださいました。

 豊かさの象徴として、祭りで大人気だそうです。


(それでも豊作に感謝し、収穫を皆で祝うのは同じですよね)


 とてもわくわくしています。

 どのような作物や家畜がこの国にはあるのでしょうか。

 農作物や酪農・養殖の品評会はもちろん、聞くところによるととても美味しい出店がいっぱい開かれるのだとか。


 わんこクリームソフトや焼きワンタンやホットドックの王道。ワンダー焼きやミステリアスボーンにミステリアスミートといった謎の食べ物。

 祭りならではの名物屋台が出るそうです。


 ああ、どれも食べたいです! 


 毎日運動して美味しいご飯をもりもり食べるようになってから、私の胃袋はだいぶ拡張されました。

 本日はマルス様や義兄、レオンハルト様たちに全部の屋台の目玉商品を買ってもらって、こっそり天幕の中で食べる予定です。


(ワンダー焼きはふくふくソースが決め手と聞きましたし、ミステリアスミートは有名なメーカー・ワン清が麺に載せて提供すると聞きました。ああ、どんな味なのでしょうか)


 そうやって妄想をたくましくしていると、そばで寝ていたコロシバがコロリと寝返りを打ちました。

 とてもむっちりした手足です。


「はっ」


 一瞬おデブ注意と言われた気がして、私は我に返ります。

 しかも食べ物のことばかり考えていたら、作業着のことをすっかり聞きそびれておりました。






 風が心地よい快晴の会場。


 マルス様の護衛で、既にコンテストの終わった作物を見学しました。

 ダシバは面倒くさがって歩かなかったので、後ろで義兄が無理矢理ハーネスをつけて引きずっています。


 義兄は、ダシバ係だけが仕事ではありません。

 今日は各地の収穫祭の調整に忙しいレオンハルト様の代わりに、秘書官として私の希望を叶えてくださいます。事前に話を通して段取りしたのも義兄で、おかげでじっくりと産物を眺めることができております。


 巨大なワボチャ。人の頭ほどに太ったワブに、山盛りのバウイモ。

 中には犬の時のテレサさんくらいに大きなキャンベツもありました。これは殆ど塩漬けや酢漬けになるのだとか。

 チーズなどの加工食品もずらりと並んでいます。


 他に気になったのは、ワープやバウといった家畜に紛れて鎮座する、巨大なまん丸い卵。


 思わずまじまじと見つめてしまいます。

 そこに、農宝のシャー・ペイ会長が解説をしてくださいます。




 ちなみに農宝とは、


 「農業をするわんこは皆国の宝。ちょっとでも良いものを作って王族に誉められたいから領地を越えて繋がっちゃおうぜの会」


 の略です。


 近年は情報網が整備されたせいで、領地を越えるどころか、近隣諸国とも領主の許可を得ず独自に販売しようとしては代々の会長が捕まっています。

 彼らは、第五部隊に常に監視されている団体でもあるのです。




「この卵は大きいですね」

「プリン用の卵です。アモという家畜から取れる最高級の卵です」

「プリンのための卵があるのですか!?」

「ええ。犬人はとりわけプリンが好きですからね。あらゆる卵がプリンのために試されているのですよ。貴族の中には常に美味しいプリンが食べたくてこのアモをわざわざ庭で飼育されている方もいますね。農宝を通せと言っても聞かないBゾイ一族とか」


 しわしわのお顔をさらにしわしわにして、さりげなく匿名を交えて誰かを批判しています。


 私はまじまじと卵を見つめました。

 白い卵はダシバよりも大きく、どれだけ大量に美味しいプリンが作れるのか気になります。


「人から買わないのですか」

「生み立てを加工するのが一番美味しいのですよ。ただアモは全長十メートルもあるし、都会の庭で飼われると朝鳴いて五月蠅いから、迷惑きわまりないんですよね。私の屋敷の隣のBゾイ屋敷はそれでもやりますけど」


 ため息をはく会長。

 流通だけでなく、ご近所トラブルとしても某一族への恨みが深いようですね。


 そして「ああ、アモの卵は王宮にも出荷していますし、今日の農宝が出した屋台でも『アモーレ・プリプリン』の名前で製品が売られていますよ」と教えてくださいました。


 すると、隣に立っていた副会長のチャウチャウ氏(文官のチャウチャウ氏の親戚らしいです)がちゃうちゃうと左右に手を振りました。


「会長」


 こそこそとチャウチャウ副会長が会長に耳打ちします。

 会長が一瞬血管を浮かべて赤くなり、次に青くなり、そして白くなりました。

 私に謝ってきます。


「失敗しました。今日は女性職員が売り子だったところをBゾイのMゾ野郎に狙われました。見事にプリンの在庫を喰い尽くされたそうです。しかも女性職員の財布で賄ったとか」

「なんだと、またMゾ隊長か!」


 対象が貴族で、かつ私の前であることをおもんばかっての匿名なのでしょう。

 ですが、匿名が匿名になっていません。


 マルス様と義兄が後ろで爆笑しています。

 一方でダシバは興味がなく、あくびをするだけです。


 ふと脳裏に爪切りが思い浮かび上がりましたが、マルス様が後日ブラッドハウンド料理長に作ってもらおうと提案してくださったので、流すことにします。

 



 次に見たのは、家畜追い込み技術コンテストです。

 犬人は狩りが得意ですが、一方で牧畜も得意分野です。

 飼料管理も経済活動も、家畜の追い立ても、ほぼ一人でできてしまいます。


 これにはたくさんの犬人の参加があり、大いに盛り上がっていました。

 眺めていると、中には見知った方もいます。


「あそこにいるのは行商人協会のケルピーさんですね」

「一族が家畜の追い込みが得意らしいかね。特にワープの管理は評判だよ」

「名前だけ聞くと逃げ足の速そうな家畜やな」


 彼は背中に『小売りのご用命はケルピーまで!』という張り紙を貼って走っています。

 他にも著名なシープドックさんや、ボーダーコリーさんやコーギーの……あれ?


「あれは第五部隊のコーギー卿ですよね。確かコーギー男爵はこの辺りに領地を持っていましたし」

「ほんまやな」

「コーギーのやつ一位取ったのになんだか暗そうだね。まあ、いつものことだけど!」


 小型犬の部であっさり優勝しておきながら、背中の優勝賞品の豆俵を担いでスゴスゴと退散していきます。


「まるで罰ゲームのように見えのはなぜなんやろな」

「あいつ、一体何が楽しくて生きているんだろうね」


 私にも分かりません。




 本日女王陛下として表彰しなければならない大イベントに向かう最中、元気な保育園児五人組が私に声を掛けてくださいました。みな作業着と麦わら帽子を付けています。


どうやら『体験! こどもお芋掘りコーナー』が目的のようです。


 ポメラニアン家のヤドヴィガちゃんはふんわりした髪を麦わら帽子に詰め、ピンクの長靴をはいていて、とても可愛らしいです。


「リーゼロッテ様、お芋堀りのコーナー楽しいよ! ワンモイモなの! 甘いのよ!」

「いっしょにいもを引きぬこうよ! やきいももでるよ!」


 一緒に走ってきたのはレオンベルガー大臣の息子のシュレーダー君。 

 紐で結んだ麦わら帽子を放り出して、髪をピンピンにさせています。


「ちなみに地面から焼けた芋が出るわけではありませんからね。たかが子供の芋掘りですが、陛下が来てくださっても僕は一向に構いませんよ」


 後ろからゆっくり歩いてくる屁理屈幼児のダニエル君。

 一緒に参加してほしいようです。


「芋!」

「きゅーん!」


 次々と私を誘ってくださいますが、最後の赤い子竜のプラトン君と白黒子犬君は「イモ!」としか叫んでいません。


 唯一人型を持たない白黒犬のチャーリーは、かわいらしい足形マークの作業着風エプロンをつけていました。


(あれ? チャーリーは確かアフガンハウンド領で暮らしていたはずでは)

 しれっと保護者たちの集まりに混じっているアフガンハウンド卿。

 野良着に麦わら帽子に赤い首輪。そして長靴を履いて準備は万全です。


 その様子を保護者仲間であるワイバーン卿とレオンベルガー大臣が、複雑な顔で眺めています。


 マルス様が突っ込みを入れます。


「ねえねえ、マスードさん。たしか永久追放令を受けていたんじゃなかったっけ?」

「チャーリーが友達に会いたがったんだよ。ならばどうにかするのが保護者の役割だよね。それに法なんて所詮は言葉の羅列。穴だらけの法文なんていくらでも抜け道があるよ」

「そうなんですよねえ……」


 レオンベルガー大臣がため息をつきます。

 法の抜け穴を、すっかり元天才犬にやられてしまったようです。


「……法務局長のドーベルマン卿が泣きますよ」

「別にあいつのこと好きでもないし」

 

 にべもありません。

 






 さて、私が作業着を着ていた理由。

 それはこれから行われるイベントのためです。


 『本日のメインイベント』と垂れ幕が掛かった高台にある、パラソルのついた女王専用の椅子。

 私が椅子の足下に怪しい影がないか伺っていると、お二人の隊長に声をかけられました。


 今回警備として周りを囲む騎士団は、ジョゼ様たち第八部隊と、第三部隊隊長のアポロ様です。


 アポロ・フォン・グレードデン様は第三部隊の隊長。

 なのに殆ど見かけたことがありません。


 そもそも第三部隊の方は、隠密を主体とする第五部隊の皆様よりも、さらに見たことがありません。


「グレートデン卿も警備してくださるのですね」

「(こくり)」

「本日はたくさんの家畜が生きたまま連れられていますから。第三部隊が海から戻ってきて当然です」

「家畜ですか?」

「ええ、何が媒体になるか分かりませんからね」


 媒体?

 もう少し訊ねようとすると、「選手は入場してください!」というアナウンスが掛かりました。




 高台の下に視線をやると、そこは広大な畑。

 灰色でなだらかな表面。どうも泥の畑ようです。


「泥ですか」

「ええ、泥です。これがないと始まりません」

「そうだよ、これがないと始まらないよ!」

「(こくり)」


 マルス様が目をキラキラさせて興奮すると、アポロ様もうなずきました。

 「男の子は特に大好きですからね」とジョゼ様が苦笑します。


 頭上でアナウンスが掛かりました。

 どうやらヨーチ様がアナウンサーをされるようです。


『レディースエンッジェントルワン! 今年最後の大イベント「泥んこわんこ競争」が開始されます! 

 ルールは簡単。泥の海に飛び込んでゴールにあるボールを手に入れるだけです。

 皆様準備はいいですか? たらいの準備もいいですか? 終わったらちゃんとお風呂に入る覚悟はできていますかー!?』


 泥んこ遊びですか!


 わん!

 と、あちこちで気合いの入ったかけ声が響きます。


 気を良くしたヨーチ様が拡声器を高々と持ち上げました。


『わんこのロマンは泥まみれ! 各地の予選を勝ち抜いた猛者たちがこの会場に集まっています! 特にここ三年連続優勝している王者・ハリーに勝てる犬は現れるのか!』


 ずらりと畑の隅に並んだ犬たち。


 見知った顔にホット・ドック・ダックスフンド様もいらっしゃいます。

 彼は『穴掘り犬の脚力をなめちゃいかんですよ!』と、鼻息荒く、泥の海を睨んでいました。

 第四部隊の皆さんが旗を持って応援しています。 


「勝てよー」

「負けろよー」

「お前がビリになる方に千ワンコ掛けてるんだ」

 旗には『最高のスライディングで笑わせろホット・ドック』と書かれています。

 彼らは全く勝負する気がないようですね。




 そして――――――そこにはなぜか。

 更によく見知った、筋肉質の中型犬。

 

「……なぜバーバリアン様が。新大陸にいるのではなかったのでしょうか」


 むすっとスタートラインに座り込むバーバリアン様。

 他の犬はバーバリアン様を遠巻きにしてお座りしてます。


 くすくすと笑いながらマルス様が教えてくださいました。


「ヒグマーの群れのボスを仕留める時に、誰が『撃・閃通〇抜刀牙』を決めるかで揉めて、ロボさんと喧嘩になったんだよ」


 ジョゼ様がため息をつきます。


「結局ヒグマーどころかロボ殿と相打ちになって、こっちの入院施設に送り込まれていたのですよ。全く迷惑な」

「(こくり)」

「そして、治りかけで逃げ出して空母を奪ってリーゼロッテ大陸に向おうとしたんやけど、第三部隊と第一部隊に鎮圧されてな。首輪を奪われて『これを返してほしくば嫁の代わりに内政をするか、平和な泥んこレースでもしていろ』と宰相が言ったんよ」


 そして内政をするくらいなら地味でもいいからレースをしたいと申し出た、と。


 ダシバを脇に担いだ義兄も笑っています。

 眉間に皺を寄せたジョゼ様は「そうしたら地方予選に勝ち残ってしまってこの有様です」と肩を落としています。


「泥は沈みやすいから、筋肉で重い犬なんかは不利なんだけどね」

「マルス様。ピットブル卿はどうやって勝ち進まれていったのですか?」

「まあ見てれば分かるよ」 




 すると、後からやって来た犬に大きな歓声が上がりました。

 ヨーチ様がマイクを振り回します。


『栄えある三年連続優勝犬、ハリー選手の登場です!』


 トテトテとやってきたのは白い毛皮に黒いぶち模様の小型犬。

 あちこちに跳ねた毛が特徴的です。


 周りの期待の声を一身に浴びても、彼は全く動揺せずにスタートラインに座りました。


 ヨーチ様がインタビューに駆け寄ります。 


「ハリー選手! 本日の調子はどうですか?」

『まずまずだね』

「ちなみにハリー選手は毎回家名を登録されないのですが、その外見。ワイヤーフォックテリアですか? それともジャックラッセルテリアですか?」


 ハリー氏はマスコミ犬からの追求を、ふっとクールに笑って交わしました。


『どっちでもいいじゃないですか。どうせ泥にまみれれば、皆同じ泥犬さ』

「ほうなるほど。深いですね。可愛い顔してクールに決めてくださったハリー氏が、今年も優勝するのか? それとも新たな勝ち犬が現れるのか!? 

 全選手、スタート位置についてください!」


 やる気に溢れたダックスフンド隊員や多くのわんこ。

 そしてクールに決めているハリー氏。


 そして。


 やる気がなさそうに見えて、とても嫌な予感のするバーバリアン様です。


 ヨーチ様が拡声機を持ち直します。


『では。よーい』

『文句言うなよ』


 どん!




 はじけ飛ぶ犬たち。







 私はあんぐりと口を開けました。

 バーバリアン様がスタートラインから飛び込もうとする犬たちに、飛び込んだのです!


 次々と仕留めて気絶させていきます!


『ふん。こんな勝負にライバルなぞ存在しない。最初から潰してしまえばな!』 

「きゃん!」


 私は思わず立ち上がりました。


「何をしているのです!」

「まあまあ、リーゼ様。これもまた勝負のうちなのですよ」

「ジョゼ様、こんなのはずるいです! こんなのダメです!」

 

 怒る私に、マルス様が教えてくださいます。


「泥んこ競争のルールはただ一つ。『泥の海を踏み越えてボールを手に入れる』なんだよ。スタートラインから出たらそこは無法地帯。殺しと重傷者さえ出さなければ何をやっても許される。究極の競技なんだ!」

「どこが平和な競技なのですかー!」

「宰相曰く、『ケンネル比』だと平和なんやて」


 泥が飛び、犬が飛ぶ。

 恐ろしい泥仕合です。


 バーバリアン様の攻撃を掻い潜ったハリー氏は、すいすいと泥を泳いでゴールに向かいます。

 一方でダックスフンド隊員は姿が見えません。


「あれ、どこに」

「(すっ)」


 アポロ様が人差し指を向けた先は、ゴール近くの泥の山でした。

 むくむくと山は大きくなって破裂し、泥だらけの胴長犬が現れます。


『ぷはーっ! 穴掘り犬登場っ!』


 彼はなんと。

 ぬかるむ泥に潜り込んで、掘りあがったのです。


 誰よりも早い位置に付けた泥の胴長犬は『報奨は自分のものですよっ!』と泥の上をズボズボとは歩き出しました。

 しかし後ろからハリー氏がぐんぐんと迫ってきます。 


「本物の泥んこ犬はさすがだね。地力が違う」


 マルス様が感心しています。


 このまま胴長犬と泥んこ犬がゴールを競い合うかと思いきや。

 空から何かが降ってきました。

 

 それはハリー氏に激突して泥に埋もれさせ、その勢いで胴長犬の首に噛み付き、泥に沈めました。

 必死に抵抗していましたが、やがて気を失ってしまう二人。


『言ったはずだ。ライバルなんてみんな潰してしまえば、いないも同然だとな』


 バーバリアン様……貴方って犬は!


 ジョゼ様が指揮をして、第八部隊が回収に向かいます。

 周りの観客からは避難の嵐です。


「「ピットブル最低だぞ!」」

『ふん。勝ってから言え。きちんとルールの範囲内でやっただけだ』

「「フェアプレイの精神はどうした!?」」

『うちの一族にそんな単語は存在しない』


 非道です!

 周りの非難を一身に浴びゆっくりと泥を踏みしめる、喧嘩に飢えた極悪犬ヒール


 私は手を握りわなわなと震えます。


「………(すくっ)」






 ふと。

 会場の空気が変わりました。

 

 ヨーチ様が興奮して叫びます。


『おおっと。なんとただ今、追加参加者が現れました! 

 ルールではスタート合図が終わってから参加しても構わないのですが……。

 もうピットブル卿はゴール寸前ですよ!? どうするのですか、グレートデン卿!?』


(アポロ様!?)

 そこには超大型犬がスタートラインに立っていました。

 観客はどよめきます。


「第三部隊のグレートデン卿だ!」

「泥んこ競争には向かない超大型犬だぞ!?」

「どうするんだ?」


 アポロ様は私とジョゼ様をちらりと見ます。

 そしてスタートラインで力をため、ゴール付近まで勢いよく跳びました。

 正しく、跳んだのです。凄まじい脚力です。


 そのままバーバリアン様の前の泥に飛び込みました。

 跳ねあがる泥しぶき。

 バーバリアン様は、頭から泥を浴びています。

 

『ぺっ。グレートデン。貴様どういうつもりだ』

『………』

『まあ、いい。喧嘩を売っても買わないお前がやる気になったのなら、喜んで買ってやろう』


 臨戦態勢を取るアポロ様に、バーバリアン様の目が喜色に染まります。

 どれだけ喧嘩をしたいのでしょうか。 


 バーバリアン様がアポロ様に突進し、泥が跳ねあがります。


 衝撃に耐える巨体を支える両足は、ズブズブと泥に埋まっていきました。

 やはり重量のあるわんこに、深くぬかるむ泥は向かないようです。

 

「ああ、アポロ様が埋もれてしまいます!」

「大丈夫大丈夫。ほらゴールを見てみ」


 義兄が私の肩をポンと叩いてくださると、そこには。




『ゴールおめでとうございますー!』 


 観客の歓声とヨーチ様のアナウンス。

 ゴールにはボールを抱えたハリー氏が誇らしく立っておりました。

 愕然とするバーバリアン様。




「スタートラインに第八部隊の隊員も参加させておいたのですよ。いつピットブルに気絶させられても強制的にたたき起こせるようにね」


 私の隣で、ジョゼ様がしたり顔をして腕を組んでいます。


 どうやらバーバリアン様の容赦ない勝ち方は地方予選から有名だったらしく、本選では救護部隊も選手として準備しておいたとか。

 隊員が気を失った選手の顔を叩いて目を覚まさせ、意識が戻ったらまた泥に放り込む作業を繰り返していたそうです。それもどうかと。


 すっかりへそを曲げて、お風呂も拒否して会場から出て行ってしまったバーバリアン様は放っておいて。

 私は優勝犬のハリー氏に報奨を与えます。


「優勝おめでとうございます。よく頑張りましたね」

『はい!』


 泥まみれの小型犬を持ち上げて、褒めて抱きしめてあげるのです。

 それが何よりもご褒美なのだとか。


『ああ、ようやく。ようやく、泥にまみれて手に入れた勝利を実感しております!』

「ちゃんと先王の様に優勝賞品の作業着(着用済み)も差し上げますよ。後日待っていてくださいね」


 泥まみれになる私。ぱたぱたと揺れる泥まみれのしっぽ。


 作業着が必要な理由はこれだったのですね。

 わんこに喜んでいただけるのなら、私も幸せです。




 そして皆にお祝いの言葉をたくさんいただいたハリー氏は、そのまま帰ろうとしました。

 ん?


「ハリー様。皆さん後ろでお風呂に入っていますよ。大きなタライを用意しておりますから、早く入ってください」


 ぎくり。と固まるハリー氏。

 まさか……。


「お風呂が嫌いなのですか」

『い、いえ、まさか!』

「私がブラシをするのでもだめですか?」

『え!? 女王陛下のブラシ!? い、いや……』 


 彼は深呼吸を一つして、クールさを取り戻してこうおっしゃりました。


『男は過去を振り返ってはならないのです。それは、どんな泥にまみれていようとも』


 クールに、そしてギクシャクと硬直しながら去っていきました。

 やはりお風呂が嫌いなようです。






 全てのイベントが終わって、泥だらけの帰り道。

 日が大分傾いておりました。


 私とマルス様、義兄と脇に挟まったダシバ。

 帰り道の私たち、保育園児たちが声を掛けてきます。

 大きなワンモイモを両腕に抱えていました。もちろん、作物の殆どは保護者たちが担いでおりますが。


「今夜のご飯はワンモイモなんだ!」

「芋なのよー」

「芋なので地味なご飯になりますがね。仕方ありませんね。それでも陛下が食べてくださってもいいのですよ。ええ、構いませんとも」

「芋!」

「きゅーん!」


 明日は園児が収穫した芋を使ったおやつを、料理長が出してくださるようです。

 楽しみですね。


 夕焼けがまぶしくなって目を細めると、マルス様が麦わら帽子を付け直してくださいました。

 畑は黄金色に輝き、遠く山の峰々は赤く染まります。


 ああ、ケンネルは今日も心豊かな国です。

 わんこが皆喜びにあふれた、素晴らしい国です。




 長い影が覆う帰り道の向こう側から、聞き知った声が聞こえてきます。


「ああもう、終わっちゃうじゃないか!」


 向こうから歩いて来るのは、マメタ様とロボ様です。

 その後ろには狼犬の皆様がぞろぞろとついてきます。銘々に屋台のご飯を歩き食べしながら。


「ようやく着きましたよ! 本当に狼犬の皆があちこちで寄り道をするから……!」

「仕方ないなお豆様。本国は興味深いものでいっぱいなんだ」

 

 しーしーと細い枝で歯を掃除するロボ様。

 肩には包帯を巻いています。どうやらバーバリアン様とやり合った後のよう。

  

「そういって度々屋台に立ち寄るのやめてください! 

 僕は早く泥んこ競争に参加するんだ! そして、優勝して陛下に、だ、抱きしめてもらうんだ! 

 ―――――は。この香りは陛下!?」


 私に気がついて動揺するマメタ様。

 マルス様が呆れて教えてくださいます。


「お豆君さあ。本当~に間が悪いよね」

「な、なんだよ」

「とうに終わったよ、泥んこ競争」

「だあああああああああ!」


 マメタ様は突然叫ぶと犬に変わって、夕日に向かって走り出しました。

 なんとなくダシバも走り出しました。


「わう—————ん!」

「わうーん」


 マメタ様の心の叫びが夕日に響きます。

 適当なダシバの鳴き声も響きます。




 今日は頑張ったわんこも、頑張りようがなかったわんこもいっぱいおりました。

 しかし夕の陽は、どなたにも平等に降り注くのです。 

 

(今日という日が無事に終わったことを、アイアル様の墓前に報告しませんとね)


 私は今日も、素敵なわんこたちと共に生きております。


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