ベッド上の攻防(第五部隊副隊長キャバリア視点)
今日は晴れのち曇り
ところによってわんこが降るでしょう
「くちゅん」
ベッドの中で陛下がくしゃみをされた!
なんということだ。
最近冷え込んで来たので、ニューファンドランド夫人が毛布を多めに増やしたというのに。
陛下はなかなかお太りになれない。
しかも元々冷え性で、運動も頑張っているはずなのに改善しない。
更に秋が深まったせいで、実にお可哀想なご様子。青白い手先が見ていて辛くなる。
私、チャールズ・フォン・キャバリアは第五部隊副隊長としてではなく。
天蓋に潜む怪しげな屋根裏犬としてではなく。
品の良さに溢れる騎士犬として。
貴女様を助けて差し上げたい。
だが。
ベッドに犬は上がれない。
陛下は「昔はダシバをゆたんぽにしていましたから」とおっしゃる。
しかし!
犬人にとって陛下のベッドの中に入り込むなど死ぬほど羨ま、いや万死に値する行為。
そのような輩はたとえ元上司のマルチーズ様であっても、天蓋に潜む我々が許さないのです。
「くちゅん」
ああ、またくしゃみをされた。見ているこちらのしっぽが震えてしまう。
無意識に手が、駄犬を求めて探っているご様子。
だが、陛下は理想の多頭飼いを目指し、自身で涙目になりながら駄犬の寝る場所を遠く離したのです。今やつは部屋のはずれのバスケットの中で、腹を晒しいびきをかいて寝ています。
以前代わりに抱いていた「れおんくん」とやらも、壁際に飾ってあります。花柄のパッチワークにお色直しをされて。
ベッド下からもぞりと這いだしたのはマルチーズ様。
くーんと鳴き、人の姿になって薄手の毛布をもう一枚かけていらっしゃるが、陛下のふるふる震える様子は変わりません。
眉間に皺を寄せて、目の端をキラリと輝かせました—————それは危険な光!
彼は白い犬になり。
前足をベッドに掛けます。
『マルチーズ様、それはなりません!』
その瞬間に、一人の第五部隊隊員・キースボンドが天蓋から飛び降りました。
フォールわんこ!
しかし流石は前隊長。とっさに前足でキースボンドを躱して、後足で首を叩き意識を落とします。
音を立てずに相手を転がす技は流石ですね……いえ、感心している場合ではありませんでした。
私は数人を連れて慌てて飛び降ります。
フォール! フォール! フォールわんこです!
不穏な動きをされたマルチーズ様を、小型犬三人で囲みます。
『マルチーズ様、これはどういうことです』
『どういうって、緊急事態じゃないか。リーゼ様は寒くて震えている。しかもわんこのぬくもりを欲している。ならば僕が温めて差し上げないとね!』
『護衛犬ならばベッドの上を守らずどうするのです!』
『護衛犬だからこそ、リーゼ様を寒さから守るのさ』
目が完全に泳いでいます……屁理屈ですね。
誰もが憧れる「一晩中陛下にぎゅってされる」座を、このチャンスでものにしようとしているようです。
しかしそれは王配にしか許されぬ行為———————!
私は年若い元上司に向き合います。
『宰相が「わんこベッド上禁止令」を出しているのは知っていますよね』
『ああ、知っているよ。でも、ここは緊急事態さ。僕はリーゼ様が震えるのは耐えられないよ』
『ならば、暖房を入れましょう』
『―――――君はなんで、すぐに常識を語るのかなあ。浪漫って言葉を知らない?』
『失敬な! これでも由緒正しい騎士犬です。貴方がなぜ私を次期隊長に推してくださらなかったのか未だに不思議なほどに!』
『あーはいはい。あーはいはい』
マルチーズ様は私の主張を聞き流しながら後ろを向き、暖房へ向かって歩き始めました。
彼は隊長だった時代から本当に才に溢れた天才児で、小型犬の星でもありました。
体格や力で劣る小型犬でも、大型犬に勝てるのだと身をもって示した方。
私は子供とはいえ、当時の彼にすっかり参り、崇拝すらしていたものです。
一方で逆らったコーギー隊長は……いや、これはいいでしょう。思い出すたびに怖気が走ります。
しかし、やはり若いですな。夜中の王族のベッド上に憧れるなど。
年若い女王の護衛とするならば、もう少し年配の犬を数人付ければいいもの—————いや。
(宰相の意思か)
陛下はまだ幼い。しかしいつかは結婚される。それは犬人にとって未来そのもの。
そのため常に接触される者たちは、多くが候補だ。
少しずつでも意識をしてもらわねばならぬ。
だが—―――――――ようやく陛下は犬人を犬扱いできるようになったのに、今更になって人として犬を愛せるのだろうか?
ベッド上から寝言が聞こえます。
「むにゃ、ダシバのおやつは三時……マメタ様もマルス様も……三時……」
実に可愛らしいお声だ。彼女はいつだって犬のご飯の心配をされておられる。
私がもうちょっと匂いを嗅ごうと鼻をひくつかせていると、『あれ』というマルチーズ様の声。
暖房のスイッチを指で何度もパチパチと押されて首を傾げています。
「暖房が付かないよ。壊れたのかな」
『システムに連絡しましょう』
しばらくして。
王宮中の夜間用の灯りが全て消えました。
『これは……』
「管理棟で何かあったのかもね」
マルス様の目が鋭く光ります。
管理棟と言えば第四部隊の管轄—————何をやっているのですか、あの職人犬たちは!
小型犬だからお仲間だって? 冗談じゃありませんよ!?
あいつらは職人犬。こちらは小犬の中でもエリート中のエリート、喧嘩も強い第五部隊ですよ。
我らのような可愛らしくも凛々しいわんこと、ボールとアイドルを延々追いかけているあいつらと一緒にされては困るんですよ!
『ピンシャーどうなっている』
隊員のピンシャーがトランシーバーで連絡を取り合っています。
「ああ、やっぱり。あいつら夜勤に飽きて『秋の夜長のラーメン祭り』を始めて、うっかり汁を機械にぶちまけてしまったようっすね。ちなみに零したのはパグで、雑巾で拭おうとして転んでバケツの水をひっくり返したのがチワワで、濡れが甘いとお汁粉を掛けたのがチンっすわ。あっはっは」
思わず小声で笑うピンシャー。
本当に! 一緒にされては困るんですよ!
小型犬の恥があー!
「で、復旧はどれくらいかかるの?」
「ありゃあ、朝まで掛かりますね。今夜はビーグルたち技術部隊の殆どが有休取って地下アイドル犬の朝までライブに行きましたから。戻ってくるのも大変でしょう。ぷっぷー、間抜けっす」
恥ずかしいなんてもんじゃないわー!
私が長い耳をぶんぶん振りながら悶えていると、マルチーズ様が「じゃあ、やっぱりさ」と微笑みます。
褐色で美しい顔に輝く黒曜石の瞳。
その中に悪戯な光を湛えながら。
『寒くて震えている陛下を温めるべきは、犬じゃないか。別に僕だけじゃなくてもいいんだよ? 君たちだって乗ればいいんだ、陛下のベッドに』
――――――――。
途端に、部屋の中が静かになりました。
廊下の向こうで佇んでいた第一部隊のランドシーアが硬直しているのが分かります。
私、私が!?
陛下をお温めするのですか!?
あの香しくお優しく素晴らしいリーゼロッテ女王陛下を!?
こんなことをすれば命はないかもしれない。
しかし、今、騎士犬とすべきことは陛下を温めて差し上げること————なのか?
しかしその後は男として死ぬよりも恐ろしいことが待っている。
つまり社会的に「ロリコンめ、近づくな!」「性犯罪者め、地獄に落ちな」というレッテルを貼られること。
これは今すぐ斬首されるべき案件ではないのか!?
「くちゅん」
ああまた陛下がくしゃみを成された!
ええい、それどころではない。陛下がお風邪をひかれるなど、国の一大事!
陛下のくしゃみの数が減ることと、私ごときの矜持と命、比べるまでもない——————!
私の決意を見て取ったマルチーズ様が「じゃあ心は決まったね」とにやりと笑い、白い犬となってヒラリと、乗れませんでした。
「何をしている」
彼の首を掴んだのは宰相でした。豪奢な金髪をぼさぼさにしたまま不機嫌に立っています。
不機嫌な美貌に眉間の皺を寄せていました。
そういえば、宰相室は隣でしたね。
ぶら下げられたマルチーズ様は悪びれずに答えます。
『何って、レオンハルトさん。今こそ憧れのゆたんぽになるんだよ』
「いつ許可を出した」
『今、この僕が出したんだ。そして、陛下が凍えていらっしゃるからね』
宰相が陛下を見下ろすと、陛下が小さく縮こまっていました。
はっと目を見開いた宰相が、我々に隣の部屋に行くように命じます。
「いいか、私が良いというまで入って来るな」
静かにドアをお締めになりました。がちゃんと鍵を掛けて。
なぜか、扉の外の護衛犬にも出入りを禁じ、鍵を掛けます。
……どう考えてもおかしい。
我々は改めて天井裏に入りました。
さすがに仕事が早い家庭犬。DIYで天井裏に板が張り付けてあります。
しかし開かない天井などない。全て力技で開ければいいのです。
そして見てしまいました。
宰相が『仕方ないですよね、子供の健康管理も家庭犬の仕事ですから』と言っていそいそとベッドに入っていくのを—————!
『ずるいよ、レオンハルトさん!』
マルチーズ様がフォールわんこ!
陛下の横で丸くなって抱き着かれてご満悦の宰相の頭に落ちます。もちろんサイレイントで。
『ずるいぞ!』
更に巨大フォールわんこ!
黒い犬も落ちます。あまりの巨体に押しつぶされた黄金犬のうめき声がしました。
ん?
黒い犬?
私は隣の黒い小型犬、ピンシャーを見ました。
『俺じゃないっすよ。今風のごとく超大型犬が屋根裏に穴を空けながら通り過ぎていったっす』
後ろを見ると、見事に足跡で穴だらけの天井裏。
下を見ると——————団長でした。
器用に陛下を踏まないように黄金犬を押しつぶしています。
『重いぞ、ダリウス! お前はでかすぎだろう!?』
『ランドシーアからお前が乱心したと聞いた。リーゼ様に抜け駆けするような犬は守護犬たる私が締めねばならん』
『最近お前は図々しいと思わないか? 愛犬じゃないんだから家庭犬たる私に全てを任せてだな』
『知るか。お前こそ犬たる本分を忘れがちではないか。いつもリーゼ様の枕に成り代わろうとしているのは誰だ』
『………枕役はベッドの添い寝ではない。頭を大切に』
『屁理屈を言うな。もう今日という今日は、おいこらマルチーズ。さりげなく胸元に入るな』
『えー? ケチだな』
「くしゅ」
『『!!!』』
三人の動きが止まります。
そこに陛下が無意識に三人を両手でまとめて抱え込むと「温かい……」と嬉しそうに深い呼吸をされ始めました。
流石は陛下。
完璧なフォールスタイルです。
もう彼らは動けません。
すーすーという呼吸音が辺りに響きます。
諦めた三人。
『お前と抱き合うのはごめんだが、仕方ない。リーゼ様の安眠を壊すわけにはいかないからな』
『お前は重すぎだ。少しは痩せろダリウス』
『正直大型犬に挟まれて辛いのは僕なんだけど』
「すー……わんこぬくい……」
小さな女の子に抱え込まれた三人は、完全に沈黙しました。
でも少し、嬉しそうに。
(私の代わりに三人の公爵家がベッドに上がってくださった。ならばもう私の仕事はないな)
良かったとホッとしつつも、寂しい気持ちになります。
仕方なくピンシャーと座り込んで再び下を監視しよう……として……。
耳元で暗い声の主が囁いてきました。
『本当に、ごめんなさい……』
ひいいいいいいい。
やめてください、その突然の出現は!
『おや、コーギー隊長。どうしてここに来られたんすか?』
『……いつもみんなに迷惑掛けているから、たまには仕事をしようと思ったんです』
誰にも全く気付かれずにやってきていたコーギー隊長。
この才能は流石に隊長に推薦されただけあります。悔しいですが。
『とりあえず、スイッチ入れれば暖房は付くけれど……教えない方が良さそうですね。ごめんなさい』
既に地下に籠っていた技術部隊を引きずって管理棟に放り込み、壊した三馬鹿は反省の木に吊るしてあるそうです。なんと仕事の早い。
悔しいですが……仕事という点では、尊敬せざるを得ません。
性格はちょっとアレですが。
『本当に余計なことをしてごめんなさい。僕はやっぱりダメな犬です。せめて君らもあそこに交じってきてください』
彼が前足で指し示すのは、ベッドの上で幸せそうな陛下と三人のお偉方。
『いや、流石にそれはどうかと』
いつもは隊で一番度胸のあるピンシャーも躊躇しています。
しかし、隊長は首を振り『大丈夫』と続けました。
『実は本日留守しているニューファンドランド夫人に、ゆたんぽの許可を取ってあるんですよ。第四部隊だけ。陛下が寒くて辛い時には足元を温めてあげて欲しいってね』
前足で差し出したのはニューファンドランド印の【許可証】。
大きな足形が押し印されいています。
『これは一体どうやって!?』
『うん、ごめんなさい』
『いえ、そういうことではなくてね』
『本当にごめんなさい、烏滸がましいですよね、僕』
全く会話になりません。
ですが、私の上司がすさまじく仕事の出来る犬であることは分かりました。
本当にそこだけは尊敬できます。騎士犬たる私ですが、隊長に出世できる日はだいぶ先になりそうです。
『まあ、明日張り飛ばされるのはあの三人だけですから。第四部隊のみんなは全員陛下を温めて差し上げればいいと思います。……差し出がましいことをして申し訳ありませんでした』
ふらりと謝りながら去っていく謝罪犬。
呆然と許可証を前足で押さえて見送る私たち。
昔はただの偉ぶるエリート犬だったのに。
なぜあそこまで変質してしまったのか。
『ふーん、コーギーって偉いんだねー。人気なんだねー。随分と鼻っ柱が高そうだからちょっと折っちゃってもいいよね? きゃはは!』
無邪気な悪魔そのものだったころのマルチーズ様に、一体どこまで変えられてしまったのか。
今は性格の丸くなった下の人に聞くのも躊躇われます。
『でも……その許可証、使っていいんすよね』
横でピンシャーが呟きました。
すっかり静かになった寝室に「わんこが千匹……」という陛下の寝言が響きます。
◇◇◇◇
木々が赤や黄色にお色直しをしていく中。
涼しい朝のベッドの中が、とても居心地良くて……。
毛布のぬくさが幸せで、二度寝をついついしてしまいます。
「リーゼ様、起床のお時間ですよ」
「もう少しだけこうしていたいのです……」
テレサさんが私を軽く揺り動かします。
でも出たくない……シーツを握って枕に顔を埋めます。
ああ、幸せです。
「ほら野菜ジュースですよ。今日は朝の庭園で保育園の子たちと朝露観察会をするのではなかったのですか」
「―――――! そうでした!」
私はガバリと起きあがります。
寝る前にゆるくまとめたはずの銀髪が顔に掛かりました。
髪をまとめて起き上がろうとすると、足元でころりと何かが転がります。
確かこの方は—————。
「キャバリア卿ですか?」
『は、すみません寝過ごしました! あまりに陛下のお傍が気持ちよく!』
「いえいえ、謝らないでください」
小さく平伏するキャバリア卿をなんとなく両手で持ち上げます。周りを見ると、私を囲むようにたくさんの小犬が丸くなっていらっしゃいました。
道理で温かったはずです。
テレサさんが笑いながら教えてくださいます。
「昨日は暖房が故障してしまいましてね。キャバリア卿が緊急で陛下を温めてくださったのですよ」
「まあ、それはありがとうございます!」
『いえ、そんな、それくらいで』
「久々にわんこのぬくもりで眠れて、幸せです」
私はきゅっとふわふわの毛のキャバリア卿を抱いて、お礼を申し上げました。
彼は硬直されながらもしっぽをぶんぶんと振っておられます。
おずおずと私に礼をとる小犬の皆さんにもお礼を良い、全員きゅっと抱きしめさせていただきました。
ああ、やっぱりわんこのぬくもりはいいですね!
毎日わんこを抱いて眠りたいです。
テレサさんは苦笑しておっしゃいます。
「私が許した時だけですよ」と。
今後はどうしても添い寝をしてほしい場合は、テレサさんか女性の方にお願いするように念押しされました。
「今回は緊急でしたが、もしも男の方だったらどうだったのですか?」
「そりゃあもう」
そこでテレサさんは言葉を区切られ、笑って着替えを取りに行ってしまいました。
一体何があるというのでしょうか?
ふと胸元を見ると。
長い金色の毛に、長い黒い毛に、長い白い毛が付いています。
バスケットのダシバを見ると、未だに寝汚くいびきを掻いています。
しかし、ふとよく見ると。
パスケットに赤い斑点が付いていました。
(あの子が何か赤いものをこっそり食べて零したのでしょうか)
「もうダシバは。しょうがない子です。しかし今日の寝間着はわんこの毛で大分カラフルになりましたね」
洗う方は大変ですね。
そう思って、寝間着の上着を脱いだのです。