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リーゼロッテ大陸では、今日も花粉が元気です( 第一部隊副隊長・シバ視点 )

 和犬。


 それは独自の文化を持った数種の犬人たちの総称だ。

 旧大陸のある島で、閉鎖的に生きてきた。


 そして和犬の一派・シバ。

 和犬の中でも特に古い歴史を持つ僕たち。

 家系図は、シロカブトと狼人との神話にゆまで遡る。

 昔は狩猟犬として活躍してきたシバ一族だけど、大陸の大移動の時代にあらゆる犬人が集まったことで、自分たちの立ち位置を頭脳・技術系に切り替えた。


 しっかりと立った丸いしっぽ。

 茶・白・黒の毛皮。やや小型(豆柴)~中型と体格は差がある。

 そして凛々しく、頭が良く。

 自立心に溢れた立派な犬。 




 ……何度でも言おう。

 僕らは賢く格好いい。

 そして忠義に厚く、ご主人様だけを唯一とする。


 犬たるもの。

 シバたるもの。


 ご主人様以外の他人には、

 媚びぬ! 

 懐かぬ!

 従わぬ!

 がモットーなのだ。




 ああ、リーゼロッテ女王陛下。

 幼いのに美しく、心映えも素晴らしく、「頑張っていますね」と僕の毛皮を優しくなでてくださる貴女。


 このマメタ・フォン・シバ。

 貴女様のために、シバ一族としてリーゼロッテ大陸の運営を担っております。

 大陸を豊かにし、発展させ、この大地に住む住民たちが、皆ケンネル王国の良き友となってくれるよう、日々努力を惜しみません。

 雨の日も、風の日も、雪の日も、おやつの日も。

 決して前足の歩みは止めません。


 そして花粉の日であっても僕は―――――。




◇◇◇◇




 へくちゅ! へっくちゅ!

 今朝も僕のくしゃみは絶好調だ。


 喉は腫れていがらっぽい。

 黒い鼻は赤みを帯びてふくれ上がった。

 朝の鼻水なんて本当にひどくて、鼻が詰まって息ができない。


 ……花粉症なんて、今まで縁がなかったのに。

 なんでここに来て発症をしてしまうんだ!


『きつい……』


 涙を流しながら寝室の窓を見ると、鮮やかな黄色の花たちが主張をしていた。

 極小の可愛らしい花。背の高い幹から生えた太い枝に、こんもりと密集して咲く。

 あまりにも量が多くてまるで大きな綿菓子のようで————諸悪の根源だった。


 キラーウルフの木。

 別名:狼泣かせ。


 この辺りの荒涼とした土地でも力強く根を生やし繁殖をする木だ。材質が良いので大陸中で重宝されている。ルマニアの各国でも高級木材(運送費が掛かるため)として人気沸騰中である。

 夏に実る果実もさっぱりしていて美味しい。


 だが、こいつは犬人の天敵でもある。

 理由は花粉。大量に黄色い花粉をまき散らし、変身人種を襲う。

 特に犬人は敏感に反応し、花粉症を発症してしまう。

 去年もくしゃみ・はなみず・鼻づまりと大騒ぎになった。狼犬には元々患者が多いが、なぜか柴犬の間でも患者が大量に発生した。


 今更植え替えようにも、大地を覆いつくすように生えているキラーウルフ。

 しかもこいつ程使い勝手が良い木も他にない。




 現在、対策を研究中だ。

 ケンネル王室研究所の自治領分室では、キラーウルフが花粉をこれ以上飛ばさないようにする品種研究を行っている。


 ―———ちなみに「品種改良」ではなく「品種研究」だからね。

 純人がたまに「改良」と言って変身人種ともめ事を起こすけれど、とても失礼な表現なので気を付けてね。

 旧大陸時代からの因縁なんだ。




 ケンネル王国では花見の時期。

 でも自治領では要注意。


 道を歩くと体の大きなロボさんたちが、犬の姿でもマスクをしてウロウロしている。

 他人種からは「口輪のようでちょっと怖い」と評判だ。

 

 そしてなぜか。

 シバ一族も花粉症の発症率が高い(マラミュート・ハスキー一族もシバほどではないが結構多い)。

 道を歩くと僕の親戚たちがみんなでマスクをして、おやつの屋台の前をウロウロしている。


 ……こちらは他人種から「やだ可愛い」と評判だ。

 なんでだよ。

 怖がってよ! がう!





 

(う、また目が痒い!)


「きゅーん」

『オマメ様、またか』


 後ろ足で顔をカリカリし掛けて、医者に「掻いちゃだめ」って言われるから必死に我慢して。でもあまりにも辛いからキュンキュンと枕に顔を擦り付けて泣いていると、ロボさんがやってきた。 

 ダリウスさん並に大きな犬が、僕の首を銜えて医務室に連れて行く。


 ぷらんと持ち運ばれた涙まみれの僕。

 着いた場所は役所の奥にある『黒わんこ診療室』。


 ロボさんは前足で器用に、

 《入口》

 と書かれた長方形のボタンを押した。




 ちなみに、診療室の扉にはボタンは上中下に付いている。

 様々な変身人種が通りやすいように設置された《自動扉》というものだ。


 リーゼロッテ大陸は新技術の実験場でもある。

 流通しかり。軍事しかり。農業しかり。

 生産技術や建築技術なども、ケンネルで試験が済んだものを、こちらで大規模に展開していく。

 主な場所は最終戦争で人口が激減して荒廃した土地。

 もちろん、ロボさんを始め元住民たちにも許可は取ってあるよ。


 自治領に集まっているのは各地の生き残りだし。

 彼らにとっても荒れた故郷をいち早く復興したいからね。




 人の姿になったロボさんが、僕を診察台に置く。

 椅子に座って書き物をしていた女医さんが優しく微笑んでくれる。 


「あらあら。マメタ副隊長は今日も辛そうですね」

『くちゅんっ……クロラブ先生。助けてください』

「またお仕事に夢中になって薬を飲み忘れましたね」


 彼女の名はクロラ・フォン・ラブラドールレトリバー。あだ名はクロラブ先生。

 第八部隊から派遣されたベテランの隊員だ。

 ラブラドールレトリバー家の出身で、黒い艶々の毛皮が自慢のおばさ……淑女である。


 ふっくらとした包容力のある肢体。長くて量のある髪を軽く三つ編みにした先生は、僕の喉を触り、瞼の裏やのど奥をじっと確認する。

 治療表にサラサラと指示を書いて助手に渡した。


「じゃあコツメさん。この内容を用意して」

「はーい」


 助手の獺人かわうそひとのコツメさんが、パタパタと裾の短い白衣を翻して薬棚を開ける。


 彼女はこの大陸の南端で代々治療師を営んできた一族だ。

 年は僕より少し上。耳で切り揃えた髪型が特徴的だ。

 ケンネルの医療技術をいち早く身に着けて、大陸に散らばる一族に伝えたいと、毎日ここで手伝いをしながら勉強をしている。


 緊急用の薬を舐めていると、外から「きゅーんきゅーん」と聞き知った声が聞こえてきた。






 カリカリカリカリ。

 カリカリカリカリ。


 焦っているせいか、ボタンを押すことも忘れて、扉を引っ掻いている。


『助けてクロラブ先生! 痒い!』

『くちゅんくちゅん! 花粉辛いです、あの木を切り倒したいです!』

『上手く掻けない。鼻掻いてー!』


 全員シバ一族だった。

 ロボさんがあきれ顔で扉を開けると、勢い山積みになってなだれ込んでくる黒柴の、むちむちとした毛皮たち。

 一番下で押しつぶされているのが、僕の後見人のマメタロウ叔父さんだ。

 僕は診察台から降りて駆け寄った。


『叔父さん!』

『おお、マメタ君……くちゅん! 兄さんに言って欲しい。貴方の弟は無事に戦い力尽きましたと。……くちゅん! 立派な犬として倒れたので、そろそろ嫁のところに帰して……くちゅん!』

『俺たちも帰らせてくれ。くちゅん!』

『くちゅん! 頼むマメタ。もう花粉症はいやだ!』


 クロラブ先生もコツメさんもやってくる。


「マメタロウさん。お鼻大丈夫ですか」

『先生~!』


 きゅーんきゅーん!

 丸いしっぽをぶんぶんと振って、叔父さんの奥さんに少し似ているクロラブ先生に全力で甘えている。

 

(ああ、柴犬なのに……)

 情けない光景に、僕はため息を吐いた。






 マメタロウ叔父さんは甘えたがりだ。

 自己管理も結構甘い。

 気を抜くとおやつを食べ過ぎて太ってしまう。

 体力もさほどないから、狩りも喧嘩も得意ではない。


 そんな彼らの長所は外見と能力だ。


 彼らは美しい。

 最近肉で崩れ始めているけれど、元は和犬の極致と言われるほどにバランスが良い。

 人の姿の時は和犬で一番美男と言われる。全く癖のない漆黒の髪に輝く黒瞳。雑誌の表紙を何度も飾ったほど、第一部隊の軍服を着こなした姿は評判が良い。

 頭だって基本は良い。

 事務処理能力も一、二を争うほどで、行政の要となっている。

 



 ―———だけど。

 どこぞの駄犬が登場してからは。

 叔父さんたちの立場が微妙になった。


 デブ犬になりやすい。

 喧嘩が苦手。

 誰にでも甘える。

 そしてむちむち。


 一族は叔父さんと《ヤツ》との類似点の多さに慄いた。 

 



『《ヤツ》と一緒にはされたくない。あれは別種族だ。ダ・シバ一族だ。頼むから賢く素晴らしい和犬、素晴らしいシバ一族のイメージを崩してくれるな。マメタ、当分マメタロウたちをケンネルに連れて帰るな。分かったな、お前が監督だ。そして立派に同族を使いこなして大陸を経営し、シバ一族を名を高めろ』


 父の命令は絶対だ。

 一族の中でも、甘えん坊な犬や太り気味な犬全員に、ルマニア大陸帰還禁止令が出されてしまう。

 女王陛下の戴冠式の時だけは、ロボさんたち狼犬の機転で還れた。

 だだ、その後は強制的に新大陸に戻された。




 父の矜持のせいで、帰還できなくなった叔父さん。

 似たような理由で帰還不能となった多くの親戚たち。

 彼らは家に帰りたくて、きゅーんきゅーんと月に向かって吠え続けた。

 その姿があまりにも哀れで……「可哀想だから帰してあげて」と被征服民の住民から懇願されたほどだ。


 やがて、大陸間海底トンネルが開通し。

 家族との連絡が密に取れるようになると、彼らもようやく落ち着いた。

 叔父さんたちなど、仕事帰りに犬の姿でおやつ(新大陸の各地から集まった人が色々な屋台をやっている)を住民から分けてもらって、甘えて構ってもらっている。


 むしろ「ケンネルのわんこは愛嬌があって可愛い」と評判になり、政情はとても安定してしまった。

 父の『シバ一族は可愛がられることではなく、尊敬されることで統治をするはずではなかったのか!?』という叫びは、ここでは一切スルーされた。




 ―———そして最後には。

 《ヤツ》がリーゼロテ大陸に上陸し、駄犬教を広めたことが決定打となってしまう。


 純人すらも認めたのだ。

 シバ一族は可愛いと。

 こんなバ可愛い生き物になら統治されてもいいと。


 もちろん世界の全シバは怒った。

 僕も怒った。


 可愛いとは違う! 

 バ可愛いとは何だ!

 駄犬なんかじゃない! あいつと一緒にするな!

 柴犬はカッコイイんだ! 賢いんだ! 素晴らしいんだ! 

 尊敬されるべき犬なんだー!


 同期でライバルのマルスは言った。

 

『バカだねえオマメ君。君もシバ侯爵もさっさと己の外見を認めなよ。可愛さは正義だよ?』


 マルチーズの連中と一緒にするなー! 






 本来はこの大陸を統治するはずなのに、あえて僕らの下で働いてくれる狼犬のロボさんが、よしよしと僕の頭を撫でてくれる。

 大きな手にうっかりふにゃりとなりかけ―――――キリっと顔を戻した。 


(僕はここではリーダー犬だ。舐められては駄目なんだ!)




 ―———その時。

 思わぬ柴犬が飛び込んできた。


『マメター!』


 毛皮は茶色で口の周りが黒い、従兄弟のマ・メーだ。

 大陸運営において軍事的・政治的な右腕がロボさんだとすると、僕の行政的な右腕が彼だ。

 彼は口の周りをバウ乳で汚しながら走ってきた。


『マ・メー! シバならもう少し身だしなみを……!』

『事件なんだよ! コツメさんの妹さんが……!』 

『何だって!?』




◇◇◇◇




 この町で一番大きなキラーウルフの木。

 ミモの木の林を越えると現れるそれは、雲を突き抜ける高さを誇っていた。

 その威容にも慣れた僕たちは、大の大人が数人で腕を組んでも包み切れない太い幹の周りに立っていた。

 全員人の姿だ。


 ロボさんが軍服で望遠鏡を覗いている。

 

「確かに、いるな天辺に獺人の子供だ」

「チナちゃんー!」


 小さなカワウソ・チナちゃんが、キラーウルフの一番上の細い幹にしがみついて動けないようだ。

 新大陸に駐在している子犬隊が戦車を空中に飛ばして回収を窺っているが、風圧で木がしなってしまい、なかなか近寄れない。


「それにしても一体誰がこんなことを……」

「禿鷹人だろう。嫌がらせで、子供を掴んで木の上に放り投げたのだ」


 渋い精悍な顔を顰めたロボさんが言う。


 ケンネルの武力で降伏した大陸の人たち。

 団長は「心から降服をさせる」と、かなりの力技を使った。

 そして事態を落ち着かせたが―――――もっと戦争が放置されていれば、もしかしたら、最後には自分たちが勝って大陸を支配できたかもしれない……そんな人種も未だいるのだ。


 ウルフハウンド団長は「我々が来なかった場合。最終的に勝ち残るのは狼犬だっただろう」と分析する。

 第一部隊が到着した頃。

 純人は既に何派にも別れ、純人だけで内戦を起こしている状態だった。

 少数派の変身人種はこの機に解放されたが、今こそ純人を滅ぼし、故郷を取り戻そうとする戦いが各地に行われた。


 ……なおかつ、他の変身人種を下に置き、大陸の完全支配を目論んだ連中も当然いた。

 禿鷹人もその一派だ。


 彼らには純人教の狂気のような恐ろしさはないけれど。

 それでも時折、ケンネルの支配下にあることに不満を抱き、騒ぎを起こす。


(え、ヒグマー? あれは別だよ。人じゃないし)




「鳥人で警備隊に入っているものは!?」

「いますが、飛べるものは皆大陸南部に出張しています!」

「ああ、鉄道か……。そうなると、子犬隊しかいないな」


 ロボさんがくそ、と木の周辺を飛び回る戦車を見上げる。

 

 宰相と団長は、軍事力に置いて絶妙な采配をした。 

 各地の警備隊の大部分は現地人を登用したが、戦車などの最先端の武器は、あくまでケンネル側が保持する。

 完全に委譲するには、まだ時期が早すぎるからだ。


 いざという時のために、潜在的反体制勢力からは一切の武器を奪い取った。

 だが、完全に治安が良くなったわけではない。

 彼らには羽があり、知恵がある。




 行き詰った状況下。

 そこに、しなやかな手を挙げる者がいた。


「私が行きます」

「叔父さん……」

  

 闇夜の月のように美しい男性が、切れ長の瞳を細めながら進み出た。

 しなやかな肢体を禁欲的な第一部隊の軍服に包み、一足歩くごとに周囲の雰囲気を怪しげに変える。




 本当は彼が副隊長でも良かったのだ。年齢的にも無理がなかった。 

 だがシバ一族の次期当主は僕だ。 

 喧嘩は弱いけれど試験の結果だけは良い息子ぼくの箔付けが、何よりも優先された。

 父の政治的な判断により、叔父さんはあくまで後見人として、部隊の後方に所属した。


 彼は木の上をじっと見上げた。


「チナちゃんは一昨日、私と息子たちにおやつを分けてくれたんだ。恩は返さないと」

「叔父さん……また人から食べ物をもらったのですか」


 目を細めて注意すると、やれやれと叔父さんは肩をすくめた。


「マメタ君。シバたるもの、という言葉にはもう飽きたよ。おやつをくれる人の気持ちに寄り添った方が、犬生は楽しくないかなあ」

「父上は怒りますよ」

「はあ。マメノスケ兄さんはなあ。とっても可愛いらしいから『格好いい』コンプレックスがひどいんだよ。だから余計に無茶を言うんだ……まあ、とにかくチナちゃんを助けに行くよ」

「マメタロウ殿。どうするんだ」

「息子たちは第四部隊で子犬隊資格を持っているからね」

 

 子犬隊?

 僕とロボさんは首を傾げた。


 キリキリキリキリ。

 今上空を飛んでいるものと少し違う戦車が後ろからやってきた。砲台の巨大なものだ。

 中からのんびりした従兄弟たちの声が聞こえる。

  

「お父さーん。準備できたよー」

「ちゃんと耐火用の服を着てね」


 耐火用?

 更に?マークで頭がいっぱいになっていると、叔父さんは煌く黒瞳で僕とロボさんを見た。




「犬砲で登るよ。ほらあれ。大砲に犬を入れてどっかんって飛ばす奴」




 本当はかくし芸大会に取っておきたかったんだけど、と軽く言う叔父さん。

 僕はびっくりして――――だんだん怒りが湧いてきた。


「叔父さん! 何を言うんですか! ふざけたことを言っていないでシバらしく」

「シバらしいとは何だね」

「え」

「マメタ君。柴犬は誇り高い犬だよ。だけどそれは格好や普段の生き様を評価されることじゃない。いざ結果が求められた時に、どんな手段を使っても叶えてみせることだ。少なくとも、僕と息子たちはそう信じている」


 きりっと言い切った叔父さんに、ロボさんと狼犬たちが深く頷いた。




 その様子に、ふと。

 ロボさんがケンネルの支配を受け入れて、僕を「オマメ様」として支え始めた時の記憶が蘇った。


『ウルフハウンド団長。私はサルバイバル族の当主です。大陸で誰よりも力が強いという自負があります。ですが、あえてケンネルの民となりましょう。私たちはかつて狼だった。だけど飼い主の存在を知った今。一族のためにも立派な犬となりたい。そして絶対に――――この大陸を平和に治めると約束してください』


 彼の宣言は僕を支えるという形で成されている。

 この大陸には昔、別の名前があった。 

 だけど、誰もその名を口にすることはない。


『リーゼロッテ大陸の国リーゼロッテ。良い名ではありませんか』


 彼は以降、語らなかった。








 ―———そして、時間と花粉との戦いになった。


 ドカンと地を揺るがすような音を立てて打ち上げられた黒柴が、山で言うところの八合目の幹に激突した。黄色い小花が揺れ、大量の花粉が辺りに降りかかる。


「くちゅん、くちゅん!」


 しっぽの先を焦がしてたんこぶを作った叔父さんが、必死に慣れない木登りを始めた。

 大量の涙と鼻水を垂れ流し、少しムチムチの四肢で必死に枝を掴む。

 犬の姿でも使える特殊な手袋だ。まるで鉤爪のように樹皮に引っかかる。 

 なぜ人の姿にならないかと言えば、その方が身軽だからだ。犬用眼鏡は間に合わなかった。 


 一歩登るごとに全身に掛かる花粉。

 激しくなる花粉症の症状。

 だけど叔父さんは丸いしっぽをぴんと立て。決して怯むことがない。


「へっくちゅん!」

『おねえちゃんこわいよう……あれ、このくちゃみ。マメタローしゃん?』

『くちゅん! チナちゃん迎えに来たよ! おじちゃんと帰ろう』


 彼が小さな獺人を腹にしがみつかせると、一歩、二歩と降り始める。 

 大ぶりの枝のところまで降りたら、周回する戦車に飛び乗る計画だ。

 

 揺れる枝。花粉で黄色くなった視界。

 溢れる涙で、もはや良く下が確認できないらしい。

 何度も引っ掛ける足を間違える。




「皆さん、もっと広げてください! 風が強いのでどこに飛ばされるのか読めません!」


 僕とシバ一族たちは木の根元に集まって、大きな布を広げ始めた。

 落下対策だ。


「警備隊はその周りを囲め! それよりも対応できなかったら我らが空中に跳んで捕まえる!」


 ロボさんは警備隊に指示をし、狼犬たちを中心に円を作り始めた。

 準備は整った。 


 後はちょっとおデブの黒柴が、無事に大きな枝に降りられれば―――――。

 そんな矢先に、最悪の人物が邪魔しに来た。

 叔父さんの上に黒い影。




『このデブ犬、重いぞ!』

「きゃん!」

  

 無事に救出されそうな姿に業を煮やした禿鷹人が、空から急襲して叔父さんを両足で掴んで飛び上がったのだ。

 

「まずい、あれは少し離れたところから落とす気だ!」

「子犬隊旋回だ!」 

『ふん。空は我々のものだ。金属が飛ぶものではない』

 

 蠢く地上と目の前の戦車を一瞥して、禿鷹人は嘲笑った。


 彼の仲間が空中の戦車に布を被せた。視界を奪ったのだ。

 慌てて上の扉から出て「ちょっとやめてくださいよー!」と、布を剥がそうとするパグ隊員。

 だが、戦車の上に飛び乗った彼らに締められてしまう。




 激しい怒りが込み上げる。

 僕は犬に変わり、とっさに従兄弟の戦車に飛び乗った。

 

『お前ら、僕を打ち上げろ!』

「え!? マメタ君!?」

『ここで偉いのは僕だ! 今すぐやれ! 給料とおやつを減らすぞ!』

『『いえっさー!』』


 そして。背中を焦がしながら、禿鷹人を目がけて飛んでいき―――――。






 ……結果だけ言おう。

 僕はまるで役に立たなかった。


 僕は確かに茶色の弾丸として飛んだ。

 禿鷹人を捕まえようと前足を出し――――空振りした。

 そして放射線状に落ちて行ったのだ。


 黄色い花粉にまみれたまま。

 背中の毛皮を燃やしたまま。


 




 後日。

 「黒わんこ診療室」でうつ伏せの生きる屍となっている僕がいた。

 背中がかなり焦げてしまったため、クロラブ先生から絶対安静を言い渡されたのだ。


 包帯ぐるぐる巻きの僕に、バウバウの実を切ってフォークで口に差し出してくれるロボさん。


「オマメ様が飛びかかってくれたおかげで、禿鷹人たちは動揺した。その隙に後から木を登っていた警備隊の猫人たちが飛びかかって、救出できたのだ。お前の勇気はちゃんと報われた。あまり落ち込むな」

「シャクシャク……きゅーん。くちゅんっ」

「……食べるか泣くかくしゃみをするか、どれかに絞るか?」

「きゅーん」


 情けなくて死にそうだ。

 よしよしと、頭を撫でてくれる大きな手に、ただただ泣いた。


 僕はここではリーダー犬なのに。

 どうしていつも格好悪いのだろう。いつだって間が悪いし、要領も悪い。




 —————そこに、小さな爪の付いた前足が添えられた。


「オマメ様」

『コツメさん。それに君は……』

「うちの妹ですよ。オマメ様に感謝したくてみんなで来ました」

『オマメさまありがとー。マメタローしゃんがおまめさまのおかげだっていってくれたの』


 視線を斜め下に移すと、たくさんの獺人が診療室を埋め尽くしていた。

 マメタロウ叔父さんとマ・メーが連れてきてくれたようだ。

 

『オマメ様が体を張ってくださっている。だから我々は新しい土地でも頑張れています』

『ただでさえ争いを繰り返していた我々には、シバ一族たちの存在が癒しなのです。たまにはマメタロウ様の様に甘えてください』

『シバ一族が心の支えなのです。愛らしい姿も頑張る姿も、みんな好きです』


 コツメさんがカワウソ姿の妹を抱えたまま、僕にお辞儀をしてくれた。

 

「どうか早く良くなってください。昔は純人も狼犬も怖かったけど、今も少し怖いけど――――今はシバの皆さんのおかげで気持ちが一つとなっているんです。特にオマメ様。貴方のまっすぐな姿勢を皆が愛しています。どうか、このままずっと私たちの上に居てください」


 僕はあんぐりと口を開けた。

 いままで「可愛い」なんて、舐められているとしか思えなかった。

 プライドばかり(悔しいが自覚はある)の柴犬が統治する意味があるのかとも、思っていた。




 お辞儀をしながら去っていく、こげ茶の毛皮の集団を見つめている僕。

 遠く『オマメ様可愛かったなー』『首都名物・しばほっぺ饅頭を土産に買ってこうぜ』という会話を聞きながら、動かないままになっていた。


 灰色の目を細めたロボさんが、もう一切れ、バウバウの実を口に運んでくれる。


『シャクシャク。ロボさん』

「なんだ」

『僕を見てくれている人って、いるんだね』

「当然だろう。最初はなぜケンネルは子供が寄越したと怒ったがな。今はお前で良かったと思っているよ」


 シャクシャク。

 喉に優しい甘味が心地よい。 

 リーゼ様じゃないけれど、撫でてくれる手が嬉しい。  


(もうちょっとだけ、このままやってもらおう)

 僕は甘えることにした。


 横ではにこにこと笑う叔父さんとマ・メー。

 世界は思ったよりも、僕に優しいのかもしれない。

 





 —————後日。

 リーゼロッテ女王陛下が、僕の見舞いに来てくれた。

 そして僕の仕事に再び感謝をし、優しく頭を撫でてくださった。  


 鼻に心地よい優しい香り。

 手から伝わる優しい気持ち。

 

『マメタ様、今回もありがとうございます。ここの住民の皆様が征服者のケンネルを嫌わないでくださるのは、マメタ様と、シバ一族の皆様が住民に愛されているからですね』


 そして彼女は額にキスをくださり、黄色のタオルケットを下賜してくださった。


 誰よりも愛すべき銀髪の少女。

 その美しい姿と幸せの香りを思い出しながら、僕は少しだけ肩の力を抜いた。




 疲れたら身近な人に撫でてもらおう。

 幸せのタオルケットにくるまれよう。


 まだまだ課題の多いこの大地で、本日も僕は仕事を続けている。





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