れおんくん惨殺事件 ( 狂犬騎士団団長ウルフハウンド視点 )
深夜の王宮。
そこにあったのは、真二つになったレオンハルト。
中のはらわたを廊下に散らばらせて、無惨な姿をさらしていた。
『きゃあああああああ!』
少女の腕から落ちるブランケット。
絨毯をコロコロと転がる駄犬。
子犬の鳴き声。
顔を真っ青にさせた陛下の悲鳴が、王宮を、この国の全犬の耳を、揺るがせた。
『四方から乱暴に引き裂かれていた。修復にしばらく掛かるらしい。儚い命だったな、レオンハルト』
「勝手に殺すんじゃない。それはぬいぐるみの話だろう!?」
今私は、目の前の幼馴染とお茶をしながら休憩している。
テーブルを挟み、お座り台(犬時でもテーブルの上の食べ物が欲しい時に使う椅子)に座って平型ボウルの水を舐めた。
仕事で外国に出かけていたこいつに、昨日起きたことを説明しただけなのだが。
「なぜ早く言わない!」
世にまれな美形は怒り、鼻先にドーナツを突きつけてきた。
というかドーナツが鼻先にぶつかった。
揚げたての匂いについ口を開くが逃げられてしまう。残念。
『まあな。被害者はあくまでも『れおん君』。お前が入院騒ぎを起こした時に無理やり代わりに陛下に抱かせた、ゴールデンレトリバー一族を象ったぬいぐるみだ。リーゼ様は、それは落ち込んでおられた』
だが、と私は顎をテーブルに載せる。
『ニューファンドランド夫人から「大きくなってきた子犬たちと一緒に寝ても良い」と許可をもらってからは、元気になられたようだ』
「……それはそれでショックだ……」
幼馴染は、がくりとテーブルの上に突っ伏した。
いつも表情豊かな奴だ。
昨日の見事な惨殺事件。
被害者は『れおん君』。ただのぬいぐるみだ。
浅はかな狙い(リーゼ様にだっこされたい)で作られたこいつの分身は、とうに様々な犬の嫉妬を一身に受けて、ボロボロになっていた。
しかしそんな姿になってもなお、「ぱっちわーくれおん君」などという名前を付けていただいただき、リーゼ様の寝室の傍らに居場所を確保していたそれ。
結局、完全に殺されてしまったのだ。
修理はするが……さて、どうなることやら
しかし、いつかはこんな日が来ると思っていたのだ。
(ふん。れおんめ。簡単にリーゼ様の香りに包まれて眠れると思うなよ)
バラバラになった、縫い目と花柄のつぎはぎだらけの金茶の物体に思いを馳せる。
ぬいぐるみにだって同情はせん。
リーゼ様に四六時中抱かれていたあの姿……私は嫉妬深いのだ。
駄犬やマルスは許せるが、他の有機物と無機物に許可をした覚えはない。
確かにこの事件に対して捜査をする立場ではある。
私は騎士団長である。しかも近衛の第一部隊の隊長兼務である。
だが、全くやる気はない。
――――なに?
騎士団長失格だって?
(ふん、構わん。犬生は一度きり。仕事に没頭するよりもご主人様の香りを嗅いでいたい)
――――他犬に努力する姿を見せるべきだって?
(アピールさえすれば、結果が出なくても許されるとでも?)
出来る犬を主張するくせに内容の伴わない犬は、大抵そう言うな。
だが私は立派なリーダー犬なのだ。それくらいで動揺しない。
近頃、私は開眼した。
立派なリーダー犬とは、ゆとりのある大人であり、頑張らない犬のことなのだ。
(駄犬を目指していた頃とどこが違うって? 仕事はするぞ。ただ頑張らないだけだ)
去年一年を通して考えた。
そして率先して仕事をしない方が、騎士団は上手く運営できると、気がついたのだ。
やりたくないことはしない。
部下にも押しつけない。
文官や大臣たちに仕事を丸ごと任せる(結果は受け入れる)。
リーゼ様の香りとボール遊びに全力投球。
だからこそ。仕事は過程で評価をしない。
努力しているという言葉は聞かない。
さっさと片づきさえすれば、それでいい。というか邪魔だ。さっさと仕事終わらせて帰れ。
私は帰りたい。そして遊びたい。リーゼ様のスカート追いたい。
おかげで和犬を中心にとした部下たちには大好評で、長期休暇を取ってリフレッシュする団員が増えた。
更に他の部隊同士も仲が良くなった。
第四部隊と第五部隊で、就業後にドッグボールの部活動を立ち上げたと聞く。
残業と終業後の飲みこそが部隊交流ツールと言って憚らなかったマスティフ卿も、最近は孫と犬碁を打つのが楽しみらしい。
ゆとり。
ゆとりである。
ゆとりある犬は棒に当たらぬ。
そのためには『他犬の都合など知ったことではない』という精神が必要だ。
リーゼ様はそんな私を褒めてくださるのだ。
『最近のダリウス様は、とっても毛艶がよろしいですね。皆様も艶々ですし。何か良いことがあったのですか?』
国を守る犬にとって、大切なのは出来る犬をアピールする事ではない。
心身健やかに毛艶を保ち、ご主人様になでてもらうことなのだ!
(ただし、仕事の煽りを食ったレオンハルトや文官たちが過労死しようが知ったことではない)
この真理に達した時。
わんこ教信徒としての神髄に近づいた気がした。
――――それゆえに!
今回は目の前の黄金犬がどんなに怒ろうとも、私は動かぬ。
れおん君、ざまあ。
いつかの夏に『れおん君』の顔をかみかみしてやって、ボタンの目玉を取れたところで逃げた経験のある私は、テーブルの上に置かれたバウ乳ボウルに顔を突っ込んだ。
『ふ……ざまあ』
「ダリウス! 私の分身だぞ!?」
『なおさらだな』
「貴様!」
子犬の頃からつるんでいる目の前の麗しい男は、いつもお節介で感情豊かで、暴走しがちで、面白い。
最近は特に動乱が収まり、昔のようなくだらない喧嘩を楽しめるようになった。
ボウルの縁まで舐めきってから、仕方ないから教えてやる。
『実は犯人の目星は付いている』
「なんだ、もう見つかったのか! 誰だ!」
『まあ。急ぐな。マスター、例のものを』
「どうぞ」
料理長らしからぬストイックなベストを着た渋い男が、目の前にそっと皿を差し出してくる。
わんわんベーカリーのあんパンだ。
――――メインディッシュを、愛でる時間だ。
ここは王宮の外れにある、隠れ喫茶『カフェ迷い犬』。
廊下の突き当りの角を曲がると、日の当たる小さな空間があり、そこで看板も出さずにひっそりと営業している。
あるのは四つのテーブルと、犬が座っても余裕な大きな椅子。
そして小さなカウンター。
王宮ではなかなか見付けられない。大きな窓には観葉植物が置かれて、外からも気付かれない。
そんな公営の食堂だ。
正式名称は『第五食堂』というのだが、主な部署から遠く外れた場所にあるため、滅多にお客が来ない。
それゆえに貴重な場所なのだ。
私たちのような職位の犬が、重要な話ではなくとも、なんとなく他犬に聞かれたくない話をする時に、ふらりと訪れる。
カウンターの中に戻ったのは第五食堂専属料理長。バトー・バセットハウンド。
渋くて穏やかな彼は、今日もワイングラスを拭いている。
ちなみにメニューに酒はない。
元気になったリーゼ様を喜ぶ気持ちと、己の分身が破滅したことを忘れ去られる哀しみと。
悲喜こもごもの感情が複雑に混ざり合って、面白い顔をしている美形。
幼馴染の顔は見慣れているが、こうして観察する余裕が出来たのも最近だ。
(ああ、平和だな)
女王陛下がいてくださるこの国は、かつてないほどの穏やかな、春の空気に包まれている。
「ダリウス! 最近おまえら怠慢すぎないか!? 第四部隊のように仕事をしたら問題を起こす連中ならまだしも、第一部隊も第二部隊もやる気がないとしか思えない! 仕事を丸投げされるこちらの身にもなれ! シェパード以外の犬が皆パンク寸前だ!」
黄金の子犬の鳴き声を聞き流して、私は皿の中のあんパンを見つめた。
心を落ち着かせると、実に様々なものが見えてくる。
品の良い艶。
ちんまりと丸い可憐なフォルム。
中身のあんこもカチトブランドのバウ豆と犬蜜を練りに練った一品。
齧ると口の中に優しい甘さに溢れるそれは、まるでリーゼ様のようだ。
ペロリと一口で食べる。
美味い。
……は!
『リーゼ様を食べてしまった! なんてことだ!』
「また食べ物にリーゼ様を投影したのか! その都度落ち込むのは止めろ!」
金色の幼馴染は、イライラとお気に入りの足形ドーナツ(ワスタードクリーム入り)を一口齧って咀嚼し、バウ茶で飲み込む。
そして真剣な顔をしてずいっと近づけてきた。
「だから犯人は誰なんだ……まさか、純人教徒じゃないだろな」
聞かれるとは思っていた。
不穏分子はといえば、昔は純人と純人教が代名詞だった。さらに帝国の出身者も。
国内にいる他の人種は、常に犬人から疑われる存在だ。いや、「だった」。
理由は簡単だ。
犬人は王族を頂点にした強固な政治基盤を持っている。そして縄張りへの意識は非常に強い。何かあれば皆が国を守ろうと牙を剥く。
だが他の人種は違う。王への忠誠心がないものたちが、国への忠誠心を持てるはずがない。そう思われていた。
それゆえにこの国は何千年と閉鎖的な国であった。
さらには過去の動乱。他人種へ警戒感はどこよりも高まっていたのだ。
(だが、今は違う)
リーゼ様の(と悔しいことに駄犬の)おかげで今までになくケンネルは開かれ、外敵を討つ警備犬は腹を晒して国境で昼寝が出来るまでになった。
こんなに喧嘩の少ない日々は珍しく、喧嘩は友情の手段と考えるマスティフ卿ですら「暇なので辺境騎士団のチベタン・マスティフ卿と犬碁していました」と報告書で申告してくるくらいだ。
真剣に自分を見つめる麗人の目を見返す。綺麗な金茶の目。
穏やかな時間を送れるようになると、改めてずっと近くにいてくれた友に、感謝をしたくなるのだ。
昔からレオンハルトは非の打ちどころのない美少年だった。
長じれば多少は男臭くなると思ったのだが、まったく衰える気配がしない。
リーゼ様はよくこいつの顔を『眩しいです……眼鏡が欲しいです』と評されるが、まあ、確かに老若男女問わずこいつに見惚れるやつは多い。
だが、中身はいたってヘタレで残念だ。
家庭犬の定義を勘違いしているし、相変わらず商人に「家庭犬ならこれで決まりです!」と騙されては高級割烹着を何着も買わされているし……。
何より未だに恋人すら作れないのがその証拠だ。
(駄目だな、レオンハルト。親友の私くらいしかその面白い顔と性格を愛でる犬がいないなど)
脳内で「お前がいうな」という声が聞こえた気がするが……首を振って流す。
「だから誰なんだ!? お前の最初の説明だけでは全く分からないぞ!?」
『決して我々が罰せぬ存在だ』
「はあ?」
現場検証はした。
それによって犯人は分かった。
だが、そのせいでどうしようもない事態になっているから、ここでお茶をしているのだ。
少女の腕から落ちるブランケット。
絨毯をコロコロと転がる駄犬。
子犬の鳴き声。
それが全てだ。
目の前に追加された、可愛らしいあんパン(今度は白いあん入り)に視線を落とす。
『実は犯人はもう捕まっているのだ。騎士団によってではないが』
「はあ? ならば早く言え! 私が手ずから罰してやる!」
『だから無理だと言っている』
立ち上がる幼馴染に、まあ待て、と前足を掛けた。
怒ったところで、本当にどうしようもないのだ。
一度は匂いで追跡して現行犯逮捕をした。
だがすぐに釈放し、別のものに預けるほかなかった。
なぜなら、れおん君を夜中に引き裂いた犯人は――――。
その時。
この世で一番素晴らしい香りが、鼻腔をくすぐった。
思わず二人で顔を見合わせて立ち上がる。
香りの方角に足を動かした。
「こら、シバタにコシバにダメタ!」
「きゃん!」
「きゅー?」
「きゃんきゃん!」
向こうからやってきたのは駄犬の子供たち。
駄犬そっくりのシバタが母犬エリザベスに銜えられ、同じくそっくりのダメタが姉犬のエカチェリーナに銜えられ、さらにコシバがリーゼ様に抱えられていた。
護衛犬のマルスは、のんびりと五人の後ろを歩いてくる。
白いサロペットを着たリーゼ様がこちらに気が付く。
「あ、レオンハルト様! 貴方に謝らなければならなかったのです!」
「私に、ですか?」
突然の謝罪に戸惑う幼馴染。
エカチェリーナが疲れてダメタを落としそうになったので、人の姿になって二人とも抱えてやる。
視界が一気に高くなって二人ともご機嫌だ。
「ばう」
銜えていたシバタを下ろした、母犬で巨犬のエリザベスが殊勝に頭を下げた。
私は首を振る。
子育てではよくあることだろうしな。
賢い犬のエリザベスとアイコンタクトを取っていると、向こう側ではレオンハルトの「はあ」という気の抜けた声がした。
「子犬の悪戯ならしょうがないですよね……」
「本当に申し訳ありません、レオンハルト様。夜中にこの子たちが起きてしまって……れおん君を廊下に運んでバラバラにしたようなのです」
『まあ、子犬だし。歯が生えてから歯がゆくてなんでも噛んじゃうんだよ』
マルスがフォローするが、しゅんと小さくなったままのリーゼ様。
緩く一つに編み込んだ、美しい銀髪が前に落ちた。
最初はあまりの光景にショックを受けてしまったそうだが、その後子犬の仕業と分かったあとは諦めたそうだ。
だがレオンハルトには謝らねばならないと、義理堅いリーゼ様は帰りを待ちわびていた。
レオンハルトは苦笑して、リーゼ様の肩を抱いた。
「貴女様のそのお心遣いだけで、十分です。それに子犬なら良くあることではありませんか」
「レオンハルト様」
「歯が生えて元気がいっぱいの子犬のためにも、代わりの噛みごたえあるものを用意いたしましょう」
大きな犬たちも普通にかみかみやるがな。
そう心の中で思ったが口にはしない。ゆとりある犬は、余計なことは言わない。
『ふあああ』
私の後ろでマルスがあくびをしている。
最近は子犬育ても一緒にさせられているので、夜中でもさんざん叩き起こされるらしい。
最近すっかり夜行性な犬。
なので、昨日もマルスは起きていたはずだ。
――――だが、彼は事件の後に起きたと発言した。
まあつまりはそういうことだ。
私はゆとりある犬ゆえ、子犬の頃から知っているこいつのそらとぼけた顔を、これ以上見なかった。
子犬たちを許したレオンハルトは、リーゼ様とエリザベスたちを、カフェ迷い犬に案内する。
子犬用のバウ乳をマスターに注文し、ホットバウ乳を味わうリーゼ様の笑顔(当社比)を堪能していると、彼女はカップをぎゅっと握ってして、我々に宣言した。
「この子たちは、もっと基本的な指示が分かる子に育てます。そうすればダシバの時のような苦労はなくなると思うのです」
「「きゅーん?」」
(無理だな)
リーゼ様は信じている。
駄犬は完全に躾に失敗したが、まだその子たちはなんとかなると。
だが、国民はまるで信じていない。
コロコロとしたこいつらの子守は、駄犬教の大導師だ。
やつが、半端な駄犬教育をするはずがない。
愛はたっぷり与えるだろう。
日常生活も困らないよう育てるだろう。
だがやつの虚無のような黒い瞳からは、男の子犬たちが駄犬になる以外の、未来が見えない。
リーゼ様は私の可哀想なものを見る視線に気が付かず、話を続けた。
「そうすれば、今朝の様に警備兵さんを総動員して綿を拾っていただく苦労をしなくても、済んだと思うのです」
「そうですか、しかし血筋を考えると…………ん?」
レオンハルトがこちらを振り返る。
金色の髪が揺れた。
「ダリウス。昨夜警備兵たちはどこにいた。そもそも、扉の前には普通誰かいるはずだろう?」
――――後日。
『子犬のかみかみ欲求を解消するかみかみ君Z』が完成し、リーゼ様の部屋に飾られた。
私にそっくりの、黒灰の強い毛をしたぬいぐるみ。
しかも匂いは骨ガムという気合が入ったものだ。
すぐに廃棄しようとしたが、リーゼ様が「まあ!これは『だりうす君』ですね! 大切にしないと」と名前を付けられてしまったので手が出せなかった。
ゆとり。
私はゆとりあるリーダー犬。
ゆとり犬たるもの、多少のことでは動揺しない。してはならない。
だが……。
目の前で子犬たちにかみかみされる己の分身を見る度に、そろそろ小屋に籠りたくなる。
「ダリウス。お前のその表情、可愛いな」
にやにやとボロボロになった「だりうす君」を撫でながら笑う金色の幼馴染の顔ほど、面白くないものはない。
今日もカフェ迷い犬で、マスターにあんパンを所望するつもりだ。