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兄の本分 ( バド・ラック・ハイデガー視点 )

 俺の名前はバド・ラック・ハイデガー。

 今年十四歳になる予定の、善良なる一般庶民だ。

 犬の群れる不思議な国で、義妹のコネを使って、マイペースに生きている。


 一応職にも就いているぞ。

 職業名は秘書官。しかも宰相閣下の秘書官だ。一般庶民が貴族の特権階級しかなれない仕事を得るなんて、祖国だったらとても考えられないよな。


 すべては超ド級がつくほど不器用な義妹、リーゼのおかげ。

 いや、リーゼのせい、かな?

 どっちでもいいけどな。


 リーゼがこの国の王族として見いだされた時から始まった、数奇な人生を送っている。




『お義兄様におうちを捨てさせてしまいました』


 あいつはうなだれて、俺に申し訳がないと言った。今もまだ思っている。

 自分の人生に、俺を巻き込んでしまったことを。


 でも俺はそうは思わない。

 そもそも人生なんて、成功を保証されたものでもないし、一つの土地にいなけりゃならんなんてものでもないし、人から幸福を羨ましがられてなんぼってものでもない。

 どこ行ったって自分でやりたいように、自分がやりやすいようにすればいいだけだ。


 愛されることに欲深くて、「男たちが持つ愛はすべて自分に向けてほしい。子供にだって分けたくない」というあの母親ババアの子供だぞ?

 まともなわけがないんだ。


 それに俺にとってあいつは初めて出来た大切な「妹」だ。

 俺を慕ってくれる、守るべき存在。

 気にしない方が無理ってもんだ。




 なによりも自分の選択は、全て自分のためなのだから。


 俺があいつを守りたいと思ったから戦車部隊に紛れ込んだ。

 幸せに笑っている(絵柄は怖いが)あいつを見てみたいと思ったから、ずっと犬の国で暮らしている。

 そして、あいつの危なっかしくて放っておけないから、これからのあいつの将来のことを考えている。


 (俺はあいつの「お兄ちゃん」でありたいんや)


 ――――はあ?

 リーゼのことをどう思っているかだって?

 しょうもないブスだよ。


 周りはリーゼを美しいだの美形だの褒めたたえているけどなあ。

 まあ、確かに顔は良いことは認める。

 だがはっきり言って、リーゼはブスだ。表情ブス。

 そしてガリベンで、ド真面目で、視野が狭い。


『バドお義兄様ですか? あの、私、リーゼロッテと申します。どうぞよろしくお願いいたします』

 

 初めて会った時は、人を見下したような冷たい表情(後で知ったけどあれは緊張で強張っていたそうだ)のくせに露骨にへりくだって、下僕の挨拶をしやがった。

 あれはバカにされたと勘違いされても仕方がない。


 後で自分のおやつを下げ渡して(本人曰く献上して)きて、『仲良くしてください』と言ってこなければ、今でも勘違いしていたわ。

 母親ババアもバカな兄貴たちも、リーゼを生意気だって憤慨していたけど、あいつら自身も視野が狭いからな。


 まあ後はお察しだ。

 

 でも俺は頭カチンコチンで不器用なあいつの、今にも溺れ死にそうな生き方を、ほっとけないと思ったんだ。

 だから勝手に「お兄様」をやると決めた。

 誰に何と言われようが、好きで兄をやっている。


 王族だろうが、庶民だろうが関係ない。

 あいつを守るのは俺だ。


 俺は強欲なんだ。






 ある日。仕事の終わりかけに、上司のシェパード主席秘書官から呼び出しがあった。

 同僚のチャウチャウ君にいつも「それちゃうちゃう」と怒られる、だらしない着方の文官服の襟元をきっちりと締め、おそるおそる上司のところに行く。


 仕切の向こうで机に向かっていた秀麗な顔をした上司が、淡い黄色の書類を渡してくれる。


「ハイデガー。お前は夜間学校でも結構な成績を収めているな。これなら研究犬や高位文官の資格を得られるケンネル大学校にもいける。だが、どうだ? 一度留学も考えてみないか?」

「留学ですか?」

「犬人以外の人材を育てたいからな」




 彼の懸念は、ケンネル王国の人口比。


 この国は犬人以外の人種の人口がこの一年で急激に増えた。

 ユマニスム王国を併合したことにより、人口の半分近くは純人となった。

 周辺国が恐れていた宗教間摩擦は、彼らは過激な思想の純人教を駄犬教に変容させたため、大きな問題は起きていない。まさかのダメシバ


 ただし、地下道による流通の大改革は、大陸の人口動態を大きく変えた。


 周辺国との商業・農業・工業を通じた人の移動はますます盛んになり、ケンネルに定住・半定住を志向する他人種が増えた。




 全てはここ一年での話。

 この大陸は今、戦争でもなく、陰謀でもなく、前向きな希望によるうねりによって大きく変わろうとしている。

 初代王アイアルが建てたこのケンネル王国の治世は、単純に犬人と王族かいぬしだけの関係では、簡単に制御できなくなっているのだ。

 去年の冬に、義妹が流行病対策のために大陸を行脚したのも、結局はそういうことになる。


「我が国では、他人種でありながら陛下が信頼をおける人材を、もっと増やしたいのだ」


 王立保育園では数多くの他人種の王侯貴族の子供たちが預けられている。殆どが、いつかは陛下の王配候補にと、周辺国が狙って送り込んだものだ。

 そのまま大きくなれば、王配とはいかずともリーゼに忠誠を誓う配下となってくれるだろう。




 だが文官たちがほしいのはもっと年上の、すぐに即戦力となる人材である。

 あと一年半で成人となる俺のような。


「お前が留学して、他国とのパイプを広げてくれれば近い将来、この国の多人種政策の要となるだろう」

「そうですか……」

「もちろん、これから宰相の名で公募も掛ける。ケンネルは犬の大きな群だった。だが、これからはさらに大きな群を作る。リーゼロッテ陛下の御代を支える、色とりどりの大きな群だ」


 シェパード主席秘書官は秘書室の壁に掛けられた、無表情(あれでも怖がらせないような笑みを浮かべようとして失敗している)のリーゼの写真に視線を移した。

 俺の手元の書類には、すでに宰相・ゴールデンレトリバー公爵の名前で印が押してあった。


「ハイデガー。私の嗅覚はだまされない。お前が本当に陛下を大切にしていると知っているからな。……だからこそ、頼んだぞ」

「……分かりました」


 ……これはもう決定だな。

 俺は留学を承諾した。






 この大陸では他人種を募っている大学校は、それなりにある。

 有名な学校としては、三つほど。


 猫人の国、コタツ王国の執事大学校バトラースクール

 かの国の王侯貴族はとにかく働かないから、補助する人材を育成している。程良い下僕精神が必要だ。


「無理無理」


 あとは去年独立した蛇人の国にある、武道大学校ソルジャースクール

 女王自らが校長兼師範をつとめる、質実剛健な学校だ。

 何百年も掲げてきた「不殺」の看板を、近年「※ただしMのつく男は除く」という看板に書き直したとか。


「近寄りたくもないわ」


 そして元・帝国のドラゴニア王国。

 ここは元々多人種政策に力を入れているため、リンドブルム王立大学校で多くの人材を輩出していた。ケンネル一の物知りなシュナウザー博士をはじめ、古参の研究員や文官の多くも、昔はよくリンドブルムに留学していたそうだ。


「やっぱり交流を目的にするなら、リンドブルム王立大学校が一番王道やな」


 俺はドラゴニア王国に行こうと決めた。


 そうとはいうものの、留学は決めてからすぐに出立するものじゃない。

 宰相の公募が締まるのは少なくとも秋。選考期間に入って両国の大使館とやりとりして、早くて冬。だが入学時期を考えたら、恐らく春くらいになるだろう。






 鞄を肩に斜めがけをして、帰り支度をする。

 そして椅子に立って、前足で机の書類を押さえて、こっくりこっくり居眠っている、もっふぁもっふぁした同僚に声を掛けた。


「ほなお先に」

『……は。あ、あれ? なんだあバド君か。ドーナツじゃなかった。今日は早いお帰りやね』

「まあな。チャウチャウ君は無理すんなや。花見の時に死にかけたんやから」

『ちゃうちゃう! ちゃうで! あれはちゃう! わいはちょっと昼寝しとっただけやっ』

「今みたいにか。まあそういうことにしといてやるわ」

『お、起きてたで! ちゃんと仕事はやっとったっ』


 むきになって主張する、顔の毛がよだれまみれのもふぁもふぁ犬に、さよならを告げた。


(あいつは今日も食べ過ぎて、毛皮の中身はムチムチや。大司祭様に怒られるで。いっそもふぁむち犬と言った方がええやろか)

 むしろ自分が食べ頃やなと言うと本気で怒るから、うかつに指摘もできない。






 知り合いの文官や売店のおばちゃんにも挨拶をして、緋色の絨毯の廊下を歩いていった。

 やがて北門を出て、独身の侍従や文官、平の騎士団員が多く住む町の一角に進む。


「おや、バド君。久しぶりだね」

「こんにちはグッドマン様、お買い物ですか?」

「そうだよ。ああ、もう「様」は要らないよ。君と同じく、一般庶民になったのだから」


 品の良い黒い顎髭の男性と出くわした。

 ベリー・ベリー・グッドマンさん。今はベリー・グッドマンと改名して王宮に出仕している。

 祖国ではハイデガー家に近くに屋敷を構えていた下級貴族だ。


 そしてリーゼの愛犬になった、巨犬エリザベスの元飼い主でもある。


 祖国が「社会主義」というものの改革の嵐に巻き込まれたということで、奥さんと子供、そして親兄弟の家族を連れて、この国に亡命してきた。

 あの町は領主とその周辺の癒着が激しく、貧富の差は激しかった。

 更には政策の失敗で年々町は貧しくなったせいで庶民は喘ぎ、スラム街では毎日のように葬儀人が布を掛けられた死体を運んで、外に捨てに行っていた。

 改革の波は避けて通れない道だったと思っている。

 

「エリザベスとダシバ君と子犬たちは元気かな」

「ええ、元気ですよ。たまには会いに行ってあげてください」

「いやー、流石に陛下の愛犬となってしまうとなかなかね。純人教の方たちの目も厳しいし」


 帽子を外して頭を掻く紳士。

 昔から貴族だけど威張らない、本当に優しい人だった。


 リーゼの不器用さも知っていて、あいつが施設に送られる時も「うちで預かろうか」と申し出てくれた。

 流石に血の繋がらない少女を家に入れるとなると家族が疑うし、何よりもあのババアが強固に反対したために実現はしなかったけれど。


「全て陛下のおかげだよ」


 彼は感謝をする。

 リーゼは自分を追い詰めた連中のいる祖国を、とっとと忘れても良かった。特に自分を助けようとはしなかった連中なんて。


 だけどエリザベスのことを忘れないでいてくれた。

 しかもダシバに添わせるだけでなく、飼い主の自分も一緒に助けてくれたと。


(まあ、考えたのは宰相だけどな)


 ひたすら美形で頭が回り、だが性格はひたすら残念な上司の上司を思い浮かべる。

 エリザベスだけを助けてもリーゼは気に病むだろうという配慮だ。




 犬人は常に愛する少女かいぬしのことだけを考えて生きている。

 たまに思いが暴走するのが玉に瑕だけど。


 暴走する彼らによって起こされていた、数々の事件やあらゆる迷言を思い出してしみじみとしていると、グッドマンさんが思いもしないお誘いをくれた。


「そうだ。バド君時間ある? これからマズル亭に行くのだけど、一緒にご飯でも食べないか? ここで出来たお仲間も紹介するよ」

「あそこですか? ちょっと今手持ちが……」

「大丈夫、大丈夫。今日の面子ならすぐに奢ってくれるよ。特にバド君ならみんな大歓迎だ」


 王都の繁華街は、主に商業地区である南に集中している。

 王宮の正門が南にあり、そこから南にかけて、赤いレンガの家々を突っ切るように、一直線に街道へと続くためだ。

 とにかく賑やかで活気に溢れている。


 一方で裏口である北門の周辺では、店は少ない。

 王宮勤めの者が多く住んでいるため、規制が厳しいからだ。代わりにちょっと高めなお店が増える。でも行ったことはない。

 いくら北に住んでいるからといっても寮住まいだし、秘書官といっても見習いに毛が生えただけの自分の給料じゃとても払えないからだ。

 いつもは王宮食堂や寮母さんのご飯。たまに仲間で南に繰り出して食事をしていた。


(でも奢りとなったら話は別や!) 


 美味しいご飯はいつだって食べたい。高い飯なら猶更美味い。

 喜んで心優しい紳士に賛同し、住宅街に紛れた小さな看板のお店に入って行った。

 





 ――――俺はつくづく思うんだ。

 周りには『いやー偶然だったんだよ。本当におれってラッキー』という奴ほど、常に幸運の種をまき、大切に育て続けているって。


「おやグッドマン君。面白い方を連れてきたね! 噂のハイデガーさんじゃないか」

「貴方はコンニ・チワワ会長!」


 シックな雰囲気の、こじんまりとしたお店には、先着が二名。

 丸テーブルを囲み、つまみと琥珀色のお酒で会話をしていた。


 こちらに気が付いて小さなグラスを掲げたのは、わんこ製菓のコンニ・チワワ会長。

 小柄で可愛らしい顔に笑い皺を寄せた、年輩の男性の姿だ。


 もう一人は背中を向けてはいるが、犬の姿なので分かる。

 あのしわしわどっしりとした姿は、農宝(農業をするわんこは皆国の宝。ちょっとでも良いものを作って王族に誉められたいから領地を越えて繋がっちゃおうぜの会の略)のシャー・ペイ会長だ。

 テーブルの上に出された、バウカラのガラスのミニボウルに入った酒を、黙ってゆっくりと舐めている。


 どちらも、この国を支える実力者だ。

 思わずグッドマンさんをまじまじと見る。彼はここに来て半年くらいのはずなのに、まるで長年の知己だったかのように挨拶をしあっていた。


 俺の疑念に満ちあふれ顔を察してくれた顎ひげの紳士は、苦笑しながら教えてくれた。

 

「私の趣味は料理でね。特にエリザベスの味覚は繊細だったから、人だけではなく犬用のごちそうも一通り調理できるんだよ」

「彼の料理は実に見事でね。犬人が絶品に感じる味付けながら、他の人種が食べても美味しいんだ」


 コンニ・チワワ会長が絶賛すると、紳士は照れながら教えてくれる。


「お恥ずかしながら貧乏だったからね。妻に「犬用の食事」を作るのは贅沢だって怒られて。どうせなら人も食べられるものにしようと思って」

「……普通、人の食事の余り物を犬にあげません?」

「そんなことをしたらエリザベスの健康に悪いだろう?」


 人の食べ物を犬に分ける、または犬用の食事を作るのではなく。

 犬のご飯を、全て人も食べられるような味付けにして共に食べる。


 恐るべき愛犬家だ。


(それにしても、エリザベスはずいぶんなお嬢様やったんやなあ)


 故郷の犬たちのボスを張った実績と猛々しい外見に似合わず、心がとても乙女なだけある。

 ダメシバを一心に(物理的に)愛する姿を思い出して感心していると、コンニ・チワワ会長がうんうんと頷いた。


「旧大陸にもこのような御仁が残っていたのは、実に素晴らしいことだ。わんこ製菓としても彼にレシビを分けていただき、他人種にも宣伝をしやすいシリーズを開発している」

「他人種向け、ですか」

「ああ。これからは犬向けだけでは商売にならない。もっと万人向けをイメージして、新しいケンネルの味を開発しないとね!」


 下級文官の家族寮で、自作の料理を振る舞っていたらいつの間にか近隣で有名となり、ブラッドハウンド料理長が教えを請いに来た。

 そこに料理学校の後輩のコンニ・チワワ会長が、いそいそ歩く料理長を怪しんでこっそり尾行したのを皮切りに、次から次へと耳聡く、鼻鋭いお偉方が集まって来た。


 わんわんフーズのピョンピョン・パピヨン会長。

 旅犬ブランドで成功している行商人協会のレッド・ホット・ケルピー会長。

 最後には、理想の食材の栽培と販売を追い求めている農宝のシャー・ペイ会長がのそのそとやってきた。

 グッドマンさんの狭い家族向けアパートで料理について語り合ううちに、もういっそ会を結成しようという話になったそうだ。


 会の名前は「新たなる『ケンネル飯』研究会」。

 純人の元宮廷料理人や、鰐人・蛇人・猫人の料理人など、新しい住民を加えて、相当に大きな集まりとなっているそうだ。


 愛犬家だった彼の鍛え上げられた技術は、ケンネルの国民の胃袋と心を見事に掴み、ダシバとは別の方向で、一致団結させている。犬好きは世界を救うとでもいうべきか。




「ハイデガー君も食べてみたまえ」


 マズル亭の店主、ブラッケ氏が、裏ごししたバウイモスープを運んでくる。  

 チワワ会長の勧めでほかほかのスープを一口、味見をした。

 いつもの薄味だ。

 だが、後からじわじわと舌にくる。


「……使ってる塩は、少ないんやね」

「でも、旨いだろう?」


 満足げにチワワ会長が胸を張る。

 純人にとっては薄味がネックのケンネル料理。そこはダシをしっかり取ることで、解決した。むしろ料理に深みが出てさらに美味しくなったのだ。


「ダシには、リーゼロッテ大陸で育てたオカコンブを使っている」

 

 今まで黙っていたシャー・ペイ会長が口を開いた。


 彼曰く、リーゼロッテ大陸の土壌はローム層を形成して、水はけが良い。実験的に育てた作物が殆ど成功しているらしい。

 特に土にも秘密があるのか、新しい料理の肝となる「ダシ」開発に使えそうな、ワルタミン酸やワノシン酸の含有量の高いものが育つのだという。


「新大陸には、大きな可能性がある。ほかにもどんな金脈があるか分からない」


 小さな声。だが、埋もれ気味な目の奥には、やる気の炎を灯していた。

 



 滋味あふれるフルコースをごちそうになり、これからケンネルの食の可能性を教えて頂きながら、俺は自分の将来を考えていた。

 

 義妹が喜ぶ未来を作りたい。

 これは決定だ。


 だけど具体的に自分がやれそうなこと、やりたいと思えることとはなんだろう。

 自分がやりたいことって、なんだろう。




 やがて遅れてきたレッド・ホット・ケルピー会長やピョンピョン・パピヨン会長が合流すると、チワワ会長は小さな犬に姿を変えた。


『では諸君。次は開発の時間です。今日のテーマは「打倒ブラッドハウンド」。今日はライバルの壁をとっぱらい、陛下に献上するおやつを開発いたします。今度こそあのクソ犬の鼻をあかしてやりましょう。我らのワン力を見せつけてやるのです』


 とちっちゃい前足をふん、と上げた。

 筋肉のかけらもない。

 彼は「やるぞ」と吠えると皆の先頭に立ち、意気揚々とマズル亭の厨房に移動して行く。


 とりあえず、味覚に自信のない自分は、ここで退散することにした。

 ああそうそう、とエプロンを付けたグッドマンさんは、別れ際に声を掛けてくれる。


「一度墓の整理のために、故郷に帰省させてもらったのだけどね。お父さんを見たよ。状況が状況だから、声は掛けられなかったけど」

「義父はもう死んで、」

「いいや。君の実のお父さんだよ。破壊された屋敷の前に立っていた」


 寝耳に水の話に、思わず固まる。

 親父が?


 彼は改革軍の中に混じっていたそうだ。

 亡くなったハイデガーの屋敷をじっと見た後、そのまま踵を返して去っていったらしい。


 小さい頃は父親に連れられて、西方を中心に各地を転々としていた。

 その後活動が忙しくなったということで、息子を生んだ女の元に預け、行方不明になっていた。


 運良くハイデガー家の子供になれたけど、女の趣味の悪いお義父さんは、よく俺を受けいれてくれたと思う。

 あの父親の息子なんて。

 グッドマンさんのような情報が早い人や、一部の義父の知り合いは、俺の父親の素性を良く知っていた。


「グッド・ラック・ゲバラさんは生まれついての革命家だからね。特に王制や貴族制度を毛嫌いしている。祖国の転覆に成功したとなれば、次はどの国に行くのだろうね……。まさか、大陸を越えて来るとは思わないけど……」


 不穏な台詞を聞いてしまった。

 まさか、まさかな……。

 

 俺は不安な気持ちを抱いて帰路についた。





 寮に戻ると、なんと同僚のチャウチャウ君が、俺の部屋の玄関前で倒れていた。

 もっふぁもっふぁした毛が地面に広がって、まるで打ち捨てられたぼろ雑巾。いや、リーゼが編んだ作品のようだ。

 慌てて駆け寄って抱き寄せる。


「ちょっ! 大丈夫かチャウチャウ君!」

『給料日前でお金なくなったんや。お腹空いた。バド、何か食わせたって……良い匂いがする。何か食ったんやろう、わいにも食わせてや……でも、今ダイエット中やから、油がっつりのヘルシーなものがいい……』

「またか! しょうがないなあ」


 体の大きな茶色のもっふぁもっふぁ犬を玄関に引きずって入れた。


 台所には丸長のパンとチーズとジャムとプリンと揚げバウイモくらいしかないが、とりあえず縦に切り込みを入れて、その辺の具材を全部詰め込む。

 こいつは何でも食うからな。味なんて二の次だ。


「もしゃもしゃ」


 必死にがふがふと食いつくデブもふぁ犬。

 安椅子に座ってほっと息をついた。

 

「しかし、飯も買えないってどういうことや。何があってもご飯代だけはいつも確保していたのに」

『もぐもく。旅費を溜めとるんや。だから絶対に途中で引き出せないよう、給料の一部をチワワ銀行に天引きさせているんやで。でも本当にあの窓口令嬢。融通が効かなくてな』


 彼が前足で差し出したのは「リーゼロッテ大陸グルメツアー」。三か月掛けて、あらゆる大陸の名物を食べ尽くすという企画だ。

 ちなみに新大陸のシバ一族と協力して実現まで持って行ったのは、文官シェルティーの手腕。


 どうやら、新大陸の新しい税収の要として、観光業にも力を入れ始めたらしい。

 ケンネルよりも、よっぽど戦争の傷跡が深い向こう。だけど人は逞しく生きていく。


『ついでにな』


 ペロリと口端についたパン屑を舐めるもっふぁもっふぁ犬。

 それでも顔中についたパン屑はそのままだ。


『新大陸で放り出された鉱山や油田を再開発するための視察も、入れたらしいで。金さえ払えば部署外の文官も民間人も調査を許可するってな。見事資源を再発見すれば交渉次第で……どうや、面白いやろ』


 キランと目を輝かせる同僚は、流石に実力で文官になっただけあって、利に目ざといようだった。

 やっぱりこいつと一緒にいると、面白い。


「……俺も行くわ」

『やっぱりバドなら言うてくれると思うたわ!』


 満面の笑みで顔が埋もれたチャウチャウ君。

 俺が将来に対して、もやもやしたものを抱えていると、気が付いていたようだ。




 リーゼのために何かしてやりたいけど、国が落ち着いた今は、特にできることもない。

 将来はそれなりに文官として働くんだろうなとしか、思いつかない。


 ―――――だけど俺も男だ。

 どうせなら、もっとでかいことをしてみたい。


 寂しがりのあいつは嫌がるかもしれない。

 でもでかいことをして、成功させて、俺なりの「兄」をあいつに見せてやりたいんだ。


 兄には兄のプライドってもんがある。

 側にいるだけじゃない。

 男として力をつけて、頼られたい。


(俺は強欲だからな)


 何でもチャレンジしてみたいんだ。


 その日から旅費をためるためにバイトを始め、グッドマンさんたちのご飯をたかり、毎日が更に忙しくなっていった。 

 


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