裏事情 1
レオナール視点でお送りします
なんて、可愛らしい。
召喚魔法の光が薄れ、ゆっくりと顕になったその姿を見た時、最初に思った事はそれだった。
肩ほどまでの艶やかな黒髪に黒曜石のような黒い瞳、うっすらながら日に焼けた健康的な肌にふっくらとした唇。
愛らしいその少女に、俺の目は瞬きも忘れ釘付けになった。
「なんと、美しい……」
更に光が薄れると、背後にいる騎士からそんな微かな呟きが洩れる。
美しい?
彼女を表すならば、美しいよりも可愛いだろう?
そんな疑問を覚え、目線だけを動かしてちらりと背後の騎士を見て、そのままその視線を辿り先を見る。
すると、可愛らしい少女の隣にもう一人、少女がいる事に気づく。
背中を覆うサラサラの黒髪に、やはり黒曜石のような黒い瞳、透けるような白い肌に赤く色づくぷっくりとした唇。
ああ、確かに美しいな。
召喚陣の上に二人いるという事態に驚きながらも、騎士の呟きに心の中で相槌をうつ。
けれどそれだけで、俺の視線はすぐに隣の少女の元へと戻った。
まるで吸い寄せられるように、じっとその少女を見つめ続ける。
少女を見ていると、何故だか胸が温かくなる。
これは、何だろうか?
少女を見つめながら、そう思って内心首を傾げていると、ふいに隣にいるセイシンが僅かに動き、前に立つジオ兄上の耳もとに口を寄せた。
「殿下。髪の長い少女のほうにのみ、お声をおかけ下さい。詳細は後程」
短く、そして小さくそう告げたセイシンの言葉に、ジオ兄上は小さく頷き、少女達の元へと足を踏み出す。
一歩遅れ、俺達もその後に続く。
……あの美しいほうの少女に、何か問題があるのだろうか。
それとも、可愛い彼女のほうなのだろうか?
美しい、そして可愛らしい少女達は驚きと困惑、そして微かに喜びと諦念の表情をそれぞれに浮かべているだけの普通の少女に見えるが……いや、目で見たものだけで判断するわけにはいかないか。
何しろ、セイシンがわざわざ進言したのだから。
セイシンには、常人にはない特殊な力がある。
人の心が読めるのだ。
これはセイシンの生家であるカダイン家の者達も同様で、力の強さ、つまり読める心の詳細さに違いはあるものの、全員が持っている。
中でもセイシンの力は強く、はっきりと読む事ができる為、とても助かっている。
具体的な例を上げれば、私腹を肥やす貴族の摘発や、王太子妃の座を狙うとある侯爵家の令嬢の策略等を妨害できている。
特にかの侯爵令嬢は傍若無人で、どうあっても自分が王太子妃、つまり未来の王妃になるのだと躍起になっていて、ジオ兄上に日々まとわりつき、ジオ兄上に近づく女性を容赦なく排除しようとしているから、その対策に日々セイシンを駆り出しジオ兄上の側に常に控えさせ令嬢が現れればその心を読んで貰わねばならないから大変だ。
しかもあの令嬢、ジオ兄上にもしもの事があった時、次に王太子になるのはテオ兄上だからと、保険と称してテオ兄上をも誘惑しているのだから腹立たしい。
セイシンが日を重ねるごとにぐったりと、そしてうんざりとした様子を見せていて心配だし申し訳ないが、どうか負けずに頑張って欲しいものだ。
「レオ殿下、レオ殿下。ご心配は嬉しいですし、頑張りますから、思考の海から戻ってきて下さい。移動しますよ?」
「あ……っ、す、すまないセイシン。行こう」
「はい」
いつのまにか神殿の聖堂から移動しようとしている兄上達の後を追い、慌てて早足で向かう。
そんな俺の半歩後ろを歩くセイシンが、ふいにくすりと笑った。
「いえ、まさか貴方の初恋が、一目惚れで始まるとは予想していなかったもので、つい」
首だけを動かして、どうかしたのかと視線で問えば、そんな答えが返ってきた。
初恋?
一目惚れ?
「何の事だ?」
「ふっ、しかも無自覚ですか。それは……ははっ!」
「セイシン?」
「いえ、失礼しました。……ゼオ殿下方と、温かく見守らせて戴きますよ」
「……何を?」
そう問うも、それきりセイシンは黙ってしまい、俺は訳が解らぬまま兄上達と共に父上、陛下の執務室へと向かった。
★ ☆ ★ ☆ ★
「さてセイシン。詳細を話して貰おうか。あまり時間はないから、要点だけを手短に頼む」
聖女様方を騎士達に任せ、陛下をお呼びしに来た俺達は、ゼオ兄上の一言にセイシンにその視線を集中させた。
一同の視線を受けたセイシンはひとつ頷き、自らの視線は陛下に定めた。
「二人いた少女のうち、髪の短い方は、その容姿の麗しさから、隣の髪の長い少女が我々の目的の人物であり、自分は巻き込まれただけであろうと想像しておりました。対して髪の長い少女は、隣の髪の短い少女をちらりと見てそれを見下し、より美しい自分こそが主役であると確信しておりました」
「見下した!? 馬鹿な! 聖女は容姿の麗しさで決まるものではないだろう!?」
「レオ」
「っ、あ……も、申し訳ありません。セイシン、続けてくれ」
「はい」
セイシンの語った内容に憤りを覚え、思わず声を上げてしまった俺はゼオ兄上に咎めるように名を呼ばれ、我に返って謝罪し、セイシンに話の続きを促した。
セイシンは何故か俺を見てどこか楽しそうに笑っていたが、返事をすると同時に表情を真面目なものに戻し、再び口を開く。
「故に、私はゼオ殿下に髪の長い少女のみに声をおかけになるよう進言致したのです。……この後も、慎重な対応をすべきかと。何しろ、あの召喚は聖女様をお呼びする為のものです。片方が聖女様で、もう片方は巻き込まれただけ、などとは考えにくいでしょう。むしろ、二人ともが聖女様であるというほうが納得できます。前例がない事では、ありますが」
「……うむ。確かに前例がない事ではあるが、恐らくそうであろうな。ともあれ、まずはそれを確かめる事としよう。聖女様方をあまり待たせてしまうわけにもいかぬ。参るぞ。話の続きは、その後でだ。セイシン、聖女様方のお心、しかと読んでおいてくれ。それをもって、対応を考えねばならぬ。代々の聖女様に、そうしてきたようにな」
「は。かしこまりました、陛下」
陛下の言葉にセイシンがそう返して臣下の礼を取ると、俺達は陛下を先頭に、聖女様方が待つ謁見の間へと歩き出した。
★ ☆ ★ ☆ ★
確認した結果、やはり二人ともが聖女様だった。
髪の短い聖女様の名は、ナツメ・ハヅキ様。
髪の長い聖女様の名は、ハルナ・ヒノ様。
お二人は今、それぞれに与えられた部屋で、突然舞い降りた土地で請われた使命に、きっと必死に向かい合おうとしている事だろう。
できればナツメ様の元を訪ねて、少しでもその心が軽くなるよう取り計らいたいが、再び陛下の執務室に集まり今後の対応を決めようという大事な話し合いの場を抜ける訳にはいかない。
まあ、少し遅くはなるが、終わり次第ナツメ様のお部屋へ向かえばいいか。
そう決めると、隣からくすりと笑う声がした。
視線を向けるとそこにはセイシンがいて、俺を見て楽しそうに笑っている。
「……軽くしたいのは、ナツメ様の心だけなのですね? レオ殿下」
「何だ、セイシン? ……ナツメ様の、心だけ、って……。……!?」
セイシンが、まるでからかうような口調で発した言葉を、軽く眉を寄せながら繰り返すと、俺は目を見開いた。
次いで、顔が物凄い勢いで熱くなる。
「あ、自覚されましたね。初恋、おめでとうございます。レオ殿下」
「な、な、な……っ!?」
「……レオナール、セイシン。めでたい雑談は後にせよ。今は聖女様方への対応を決める場である」
「「 ! ……申し訳ございません、陛下 」」
にっこりと笑い、更に楽しそうに言葉を発するセイシンと、恐らく顔を真っ赤にして、口をパクパクさせながら意味のない言葉を繰り返す俺の元に、陛下の静かな声が降ってきた。
お互いにハッとして、直ぐ様表情と気を引き締め、陛下に向かって頭を下げる。
陛下はひとつ頷くと、その視線でセイシンを見据えた。
「ではセイシン。謁見の間での聖女様方のお心について尋ねる。我々が知っておくべき事があるならば述べよ」
「は。……極めて、重要な事柄がひとつ。聖女ハルナ・ヒノ様は、どうやらとてもプライドの高い方のようです。ご自身より劣るナツメ・ハヅキ様が、ご自身と同じ立場である事は認められないご様子であられました。……旅の、早い段階で、逃げ出したと見せかけて排除なさるおつもりのようです」
「何だって!? 劣るなど、何をもってそんな事をっ!?」
「……排除とは……。つまり、かのご令嬢のような方、という事か、セイシン?」
「こだわる箇所は違いますが、そう考えても間違いではないかと」
「……それはそれは。頭が痛い」
「聖女様が聖女様を害すと言うか……なんという事だ。二人現れた以上、今回の旅には二人必要という事であろうに……」
語られたセイシンの言葉に、俺は怒りをあらわにし、ゼオ兄上とテオ兄上は頭を抱え、陛下は深い溜め息を吐いた。
その場に、暫しの沈黙が流れる。
「……提案なのですが。ハルナ・ヒノ様はナツメ・ハヅキ様がご自身と同じ立場である事がお嫌なのですから、そこに差をつけてはいかがでしょうか?」
「差を? どういう事だ、セイシン?」
「お二人への待遇に差をつけるのです。ハルナ・ヒノ様は手厚く、ナツメ・ハヅキ様は義務的に接する。そう印象づけるよう動くのです。そうすればハルナ・ヒノ様は溜飲を下げ、排除等という考えは忘れて下さるかもしれません」
「なっ、待てセイシン! そんな事をしたら、ナツメ・ハヅキ様がどう思うか!」
「……なるほど、一理あるな」
「ゼオ兄上っ!?」
セイシンの提案に俺は思わず声を荒げたが、次の瞬間、ゼオ兄上はあろうことか頷きながら肯定的な言葉を発した。
俺は信じられない思いでゼオ兄上を見据える。
するとゼオ兄上は、ポン、と俺の肩に片手を置いた。
「落ち着け、レオ。しかしセイシン。ナツメ・ハヅキ様とて大事な聖女様だ。差をつけ義務的になど接すれば、レオの言う通り、どう思われるか」
「わかっております。しかし彼女に関しては、私達四人が協力し、ハルナ・ヒノ様の視覚の外で、丁寧に応対するよりないかと。……それが、彼女の安全の為です。それとも他に、良い案がございますか?」
「なっ! み、皆でもう少し考えれば、他にも何か!」
「……いや、ないな。彼女が女性である以上、男である我々が常に側で守る事は不可能だし、仮に交代でそれをやったところで、魔王討伐の厳しい旅路の中ではいずれ身がもたなくなるだろう。……仕方がない、か」
「そうだな。そのような事は許可できん」
「兄上、ち、いえ、陛下……。……わかりました。ではそうしましょう。……レオも、それでいいな?」
セイシンの言葉に、ゼオ兄上や陛下、テオ兄上までもその提案を受け入れる。
俺は絶望にも近い気持ちで、その様を見つめた。
「…………彼女に……優しくしてはいけない、と?」
「レオ。それが何より、ナツメ・ハヅキ様の為だ。慣れない世界に、一人放り出されればどれほど恐ろしいか。排除など、絶対に実行させてはならない。わかるな?」
「……っ……。…………わかりました」
何も言い返せず、悔しい思いを抱えたまま、俺はセイシンの提案に乗るより、他なかった。
「……レオ。全く優しくしてはいけないわけではないさ。ハルナ・ヒノ様の隙を見つけたら、すぐにでも自分の心のままにナツメ・ハヅキ様と交流するといい。な?」
「………………」
最後に慰めるように告げられたテオ兄上の言葉が、何故か虚しく響いた。